おとまり
「ごめんなさい」
そう叫ぶ自分の声で目が覚めた。
夢の中では声が出せなくなってしまっていたはずなのだけれど、確かに僕は、僕が絞り出した声によって、悪夢から呼び覚まされたのだ。
暖色系の弱い照明が灯されて、目に入ってくる室内の様子から、それがいつも寝起きする自分の部屋ではないことが分かる。
ここが誰かの部屋だとすると、僕の夢を見られてしまったのではないか。そんなことはないとすぐに否定するも、夢を見ている僕が現実で発した声を聞かれてしまったかもしれないという不安は割と現実的に思え、僕の心は不安に包まれた。
その時に「あっくん」と僕の名前を呼ぶ声が聞こえて、それが佳乃の声だということに、そしてここが佳乃の部屋だということに僕は気づく。
「だいじょうぶ?」彼女の声。
僕の背中、後ろから佳乃のあたたかい手があてられて、僕の荒い呼吸は収まっていく。僕は寝転がったまま、佳乃に向き直る。
「わ、すごい汗」佳乃が言って、僕の額を拭う。佳乃の手の感触が全身の感覚を取り戻させ、額だけではなく全身が不快な汗に包まれていることに気づく。布団に押しつけられた背中、首のまわり、足の裏、わきの下、下着の中に、あたたかい水分がじとっとまとわりつく。
次の瞬間、その不快な水分の「可能性」に思いあたった僕はパニックに陥りそうになる。収まったはずの呼吸が苦しくなって、もしそうだったらという不安が僕を責め立てる。同時に、これも夢かもしれないと思う。もしその「可能性」がその通りであるなら夢であってほしい、とも。
不意にお尻の下、布団との間に何かが差し込まれ、上下にまさぐられて僕はびくっとした。気づけば横で起きあがった佳乃が僕のタオルケットの中に手を差し込んできていた。
「うーん」と言いながら、まだわからないな、そんな表情の佳乃は浮かべている。僕のお尻の下から引き抜かれた佳乃の手が僕のハーフパンツの中に入ってきて、僕は思わず「あっ」と声をあげてしまう。佳乃は何度も場所を変えて僕の下着に手をあてた。
「うん、だいじょうぶみたい。汗はすごいけど」
佳乃が言う「だいじょうぶ」の意味と、下着に手を当てた行動の意味を理解した僕は、佳乃もまたその「可能性」を探っていたことに気づき、羞恥と安心に包まれながら起きあがる。
それでもまだ、こわくて、タオルケットを取り払うことができない。もし、「してしまって」いたらどうしようという不安に抗えず
「ほんと?しちゃってない?」
と佳乃に聞いてしまった。
それが予想外に甘えた、かすれた、泣きそうな声になってしまい、僕はしまったと思う。
佳乃はくすっと笑うと、
「うんうん、あっくん、だいじょうぶだよ。おねしょ、してないからねー」
と言って、僕の頭を撫でた。
こうなったらもう、どうしようもない。顔を見られたくなくて、僕は佳乃に抱きついた。
「すごいうなされてたよ。いやな夢、みたんだね」
彼女に抱きついたまま、僕はうなづく。
「よしよし、もうだいじょうぶだよ。こわくないよ」
佳乃は僕をぎゅっと抱き返し、背中をぽんぽん叩いた。
「あのときの、夢みたんだ」
「やっぱりそうなんだ。ごめんなさいって何回も言って泣いてたからそうかなって」
「泣いてないし」
「泣いてたよう。ごめんね、ごめんなさいぃ、って」
自分の真似をされて、また僕の体がびくっとなる。その動揺は、体が触れている佳乃には、すぐに伝わってしまう。
「そっかあ、まだ気にしてるんだね」
そう、この夢を、僕はこの三ヶ月、何度も見た。
佳乃の家の布団で、おねしょをする夢。
夏のはじめ、佳乃の家に泊まった時に、僕はおねしょをした。
大学のゼミでの発表と試験が終わって緊張が解けたからなのか、開放感で夜に佳乃といつもは飲まないお酒を飲んだからなのか。朝、佳乃に起こされたとき、僕はおねしょをしていた。
佳乃は先に起きて僕がおねしょしたことに気づいていたので、隠したりすることはできなかった。「あっくん」とやさしさと戸惑いを帯びた声で起こされた時、掛け布団は外されていて、佳乃が
「あっくん、おねしょ、しちゃってるよ」
と僕に言った。
不快な下着の中の感触。濡れて黒くなったジーンズの内股。大きく広がった布団のシーツのシミ。心配するような、困ったような佳乃の表情。そういうものが一気に僕に押し寄せて、はずかしくて、こわくて、僕はうわあっと泣き出してしまった。
その後の記憶は断片的だ。
小さい子どものようにごめんなさいを繰り返して泣く僕。必死でなだめる佳乃。
バスルームに連れて行ってもらって、服を脱がしてもらった。シャワーで体を洗ってもらい、ジーンズと下着を洗ってもらった。
バスルームから出たあと、佳乃は僕の下半身にバスタオルを巻いて椅子に座らせ、近所のコンビニに僕の替えの下着を買いに行った。佳乃が戻るまで僕は椅子にじっと座っていた。
佳乃が買ってきた下着を履いて、ジーンズが乾くのを待った。佳乃は布団の後始末をしながら僕にいろいろと話しかけてくれたけれど、僕はショックでまともに応えられなかったうえに、佳乃の前で僕だけ下着姿でいる恥ずかしさに耐えきれず、佳乃が止めるのを押し切ってまだ生乾きのジーンズを履いて家に帰ってしまった。
その後一ヶ月、僕は佳乃に連絡しなかった。メールも返さず、携帯電話への着信にも出なかった。すぐに夏休みだったので、大学で会うこともなかった。
大学に入ってはじめて、というよりも生まれてはじめてできた彼女。その人の前で晒してしまった醜態。もうとりかえしがつかない、もう彼女との関係を終わりにするしかないという思いに僕は捕らわれて、長い夏休みを過ごした。
僕は何回も、佳乃の前でおねしょをする夢を見た。夢は「僕がおねしょをした」という本筋は変えずに、周囲の状況だけを何度も改変して僕をいためつけた。
おねしょしたことを佳乃に怒られる夢。佳乃の友達におねしょのことをいいふらされてしまう夢。着替えさせてもらえず佳乃の家を追い出され、おねしょしたジーンズのまま電車に乗って家に帰る夢。
そんな夢に毎日のようにうなされ、僕はますます落ち込んでいった。
夏休みも中盤に近づいたある日の夜、急に降り出した土砂降りの雨の中を家に戻ると、ドアの前で佳乃が待っていた。
佳乃はもちろん怒っていた。
ドアの前で「なんで連絡してくれないの、電話出てくれないの」と詰め寄られ、困ってしょうがなく部屋に招き入れた途端、
「あっくんのいくじなし!」
と叫んだ佳乃は僕をぽかぽかと叩いた。
「もうつらくて私の顔もみたくないならしょうがないけどさ、そんなんで終わっていいの?」「私は嫌だって思ってないんだよ?おねしょの布団洗うのも、あっくんのパンツ洗うのも、別に嫌じゃなかったよ?あっくんが勝手に落ち込んでるだけなんだよ?」「だめだよっ。こんなにかわいくてやさしい彼女と別れたら絶対後悔するよっ」「彼女の家でおねしょして別れたなんてさ、かっこわるすぎてこの先何度も思い出しちゃうよ?」「あっくん、彼女のおうちでおねしょして、えんえん泣いて、おちんちん洗ってもらって、パンツ替えてもらって、恥ずかしくていじけて別れちゃった人になっちゃうよ?」
佳乃はぽろぽろと涙をこぼして言った。
「つきあう前はお互いいいとこ見せようって、私も思ってたけどさ、ずっとそうしてるわけにいかないじゃん」
「かっこわるいことだって、あるよ。それでいいよ、私」
「あっくんがまたおねしょしても、よしよししてあげるから」
その後の記憶は、おねしょをした時と同じように断片的だ。僕はやっぱり泣いて、ごめんなさいを繰り返した、ような気がする。
その後、僕たちの関係は元に戻っていった。会えなかった分を取り戻すように、佳乃といろんなところへ遊びに出かけた。
そして僕は佳乃と会わず悶々とした日々に鬱積した思いを晴らすように、佳乃に甘えた。そのことをからかわれても、プライドが溶けていく苦痛よりも佳乃に受け入れてもらえる心地よさの方が勝って、僕はますます佳乃に甘えた。
「まだ気にしてるんだね」
そう言われるのも、一ヶ月前なら耐えられないけれど、今は佳乃に理解してもらえる快感に身をゆだねることができる。
佳乃に抱かれたまま、僕は再び眠りについた。
夢の中の僕はまたおねしょをしていた。
おかしなことに、なのだろうか。僕は全く取り乱していなかった。動揺したり、泣いたりしていない。
佳乃はあの時と変わらず、僕のおねしょの後始末をしてくれている。
様子がおかしくなったのはバスルームで服を脱がされて、シャワーで体を洗ってもらっている時だ。
佳乃は、ずっと、僕の体の前、おちんちんを洗っていた。
もうそこはいいといっても佳乃はやめてくれない。くりかえし、くりかえし、やさしい力で洗う。僕の腰の奥がうづきだして、おしっこが出そうな感覚になる。僕はあわてて我慢するけれど、湧き上がる快感に抗うことは結局できなかった。
すぐに僕は目を覚ました。下着の中はおねしょをしてしまった時よりもあたたかくて、きもちわるかった。
僕に続いて目を覚ました佳乃に僕は、
「下着、よごしちゃったみたい」
と言った。
「えっ、おねしょしちゃった?」
「ううん、おしっこは大丈夫なんだけど」
「うん」
「夢精…っていうのかな、しちゃったみたい」
心配そうな佳乃の顔が、おもちゃをみつけた子どもみたいな表情になった。
「えっちな夢、見たんでしょう」
「うん…」
「どんな夢?」
「えっと…佳乃におちんちん、洗ってもらう夢」
「わー、あっくんのえっち。ねしょうべんたれ」
「おねしょじゃない」
「似たようなもんでしょ」
一人でできるという僕の主張を佳乃は聞かず、服を脱がせて、シャワーで僕の身体を洗った。佳乃は僕の下着が、僕の下半身がどれだけ精液で汚れているかを、いちいちわざとらしく驚いて、僕に報告した。そして、夢の中でそうだったように、時間をかけておちんちんを洗い、大きくさせた。僕はやっぱり我慢できず、佳乃の手の中にあふれさせた。
バスルームから出た僕はTシャツだけを与えられ、下半身を隠していたタオルは佳乃に奪い取られた。
「はくもの、ないの?」
「ないよ」
「はずかしいよ。この前みたいに、コンビニで買ってきてくれないの?」
「やだよ。買いに行かないよ。買ってきたら、あっくん、また帰っちゃうじゃん」
「帰らないよ…。そうだ、あの時の下着、あるんじゃないの?」
「あのときって?」
「ほら、この前の、洗ってもらったやつ」
「この前ってなーに?」
「ぼくが、おねしょ…したときの、だよ」
「あっくんのおねしょパンツ?あれはもう私のだよ」
「えっ、なんで?」
「取りに来ないからだよ。あっくんと会えなくて、さびしくてさびしくて、私、あのパンツを抱きしめて毎日寝たんだよ」
「…ごめん」
「それに私、我慢できなくてあのパンツはいて何回もひとりえっちしちゃってさ、いっぱいよごしちゃったんだよ。もう返せないよ」
唖然とする僕に佳乃はにっこり笑って言った。
「あっくんはここにいるんだよ。おちんちん丸出しじゃお外に出れないないでしょ。帰れないでしょ」
こうなったらもう、どうしようもないのだ。
「ずっとここに、おとまり、だね」