その3@愛と憎しみのはざまで
「ぼくが小さかった頃・・・・」
和樹さんは、思い出すようにしばらく考えこんでから言葉を続けた。
「息子の私が言うのも何ですが、父はものすごい子ぼんのうでした。忙しい仕事の合い間をぬって、暇を見つけてはいつも遊んでくれました。そういえば、赤ん坊の頃も、夜中であろうが明け方であろうが、ぼくが泣き出すと起きて抱っこして、泣きやむまでずっと部屋中をぐるぐるぐるぐる歩き回ってくれてたんだそうです。抱っこ歩きって、赤ちゃんにとってゆりかごなんですってね」
へーえ、そうなんだ。私は子どもがいないから知らなかったけど。
「だから、抱っこ歩きですぐに寝ちゃうんですけど、やれやれと思ってベッドに寝かせると、すぐまた泣き出すんだそうです。ゆりかごのリズムじゃないとダメなんですね。だから、本格的に寝込むまで、1時間でも2時間でもベッドの周りを歩き続けてくれてたらしいんです。ぼくは夜泣きが激しくて、一時期は、それが毎晩毎晩続いたそうです。おかげで私はぐっすり寝られたわって、母がよく言ってましたっけ。まあ、あの頃は、まだ夫婦仲も悪くなかったから」
和樹さんは寂しそうにほほ笑んだ。
それにしても、そんな子ぼんのうを絵に描いたようなお父さんが、最愛の息子に対して、一体どうしてあんな厳しい口調で借金返済を求めてきたんだろう・・・・。
「まだ景気が良くて裕福だった小学校時代。父は、遊園地をはじめ海にプールにスキー、動物園とか博物館とか、週末ごとに、どこかに連れて行ってくれました。最初は母も一緒でしたが、さすがにだんだん付き合いきれなくなったらしくて、いつの頃からか父と2人で行くことが多くなりました」
和樹さんの胸には、今も父親との思い出がいっぱい詰まっているようだった。
「父は、ぼくのことになるとわれを忘れるみたいなところがありました。そうそう、3年生のころだったか、水泳教室でぼくがおぼれかけたことがあったんです。結局大したことはなかったんですが、指導員の女性に激しくクレームをつけて。彼女がちょっと言い訳したようで、その瞬間にほっぺたをひっぱたいたんです。パッシーンという音が、屋内プールに響きわたりました。すぐに通報されて、まあ大ごとにはなりませんでしたけど、お巡りさんにずいぶん油をしぼられたらしいです。普段は穏やかで、暴力なんて絶対ふるう人じゃないのに、息子のことになると、もう後先考えられなくなるんですね」
和樹さんは、私の方を見て苦笑した。
「いいお父さんじゃないですか。あっと、まあ暴力ざたはさておきですけど。でも、中学生、高校生になってくると、あんまり干渉されると、だんだんウザくなってくるんじゃないですか」
「ええ、まあ。でも、その頃には、事業が傾きはじめてて、さすがにぼくにかまけてばかりというわけにもいかなくなってました。何しろ、3つの店を一日中駆けずり回って、もう土曜も日曜もありませんでしたから。でも、そんな時でも、ぼくの進学のことだけは気にかかってたみたいで。模擬試験の結果が出るたびに一喜一憂してました。科目ごとの結果分析に目を通して、毎回2・3日かけてぼくの答案を全部チェックするんですよ。はっきり言ってかなり迷惑でしたけど、点数がよかった時は、まあそれなりにうれしかったような・・・・。やっぱり、親が喜んでくれるのって、子どもにとっては大きな励みになるんですね。でも、あの頃の経済状況から考えて、塾通いさせるのもかなり無理してたんだと思います」
「お母さんは、どうしてらしたんですか? その頃」