その2@愛と憎しみのはざまで
「父は、地元で長年営業してきた酒屋を継いで、私がまだ小学生に入る前、コンビニに衣替えしました。開業からしばらくはとても順調だったみたいで、子供心にも、わが家はかなり裕福な家庭だったと思います」
当時、その近辺ではまだ珍しかったコンビニは大人気となり、勢いをかって、父親は、自宅と同じ私鉄沿線の両隣の駅に同系列のコンビニを構えるほど手を広げたという。おかげで和樹さんの小学校時代、大型のベンツに毎年2度の豪華な海外旅行と、木下家はクラスでも群を抜くほどの羽振りのよさだった。
しかし、12・3年ほど前、突然木下家に試練が訪れる。自宅の近所に最大手チェーンのコンビニが開店。ライバル店の方が少し駅に近く少し広々としていてたため、駅からの人々の流れは完全にせき止められてしまい、見る見る売上げが落ちていったという。さらに、間もなく両隣の駅でも、支店よりほんの少し駅寄りに同じライバル系列の店が開店。まるでケンカを売るかのようなやり方は、過当競争の激しいコンビニ業界の代理戦争に巻き込まれたようだった。
父の幸次さんは、このコンビニ戦争に歯を食いしばって耐えた。なまじ当初の成功体験があったからか、いずれは売上げも回復するとやみくもに信じて赤字続きの店舗の営業を続けた。昼間は自宅の本店、夕方からは2つの支店を回って終夜営業。この頃から、家では毎日のように父と母との言い争い声が響くようになっていた。
「旭ヶ丘ともみじ沢の店は閉めるべきじゃないの。どちらも、売上げが半分近くに落ち込んでるのよ」
「ばかなこと言うな。頑張ってせっかくここまでにしたんだぞ。意地でも閉店するわけにはいかない」
「あのね、あなたの意地なんてどうでもいいの。いくら頑張ったって、今さら持ち直す見込みなんかないじゃないの」
「今が正念場なんだ。本部の方からもテコ入れの話が来てるんだ」
「なぁに言ってるんだか。そんなこと、本気であてにしてるの? ご冗談でしょ。本部なんか、うちの売り上げが落ちてきたら、鼻もひっかけなくなったじゃないの。採算取れない店なんか、早く見切りつけたいのよ」
「おれがこれだけ必死になってるのに、よくもそんなことが言えるな。お前が少しでも手伝ってくれたら、収支がずいぶん改善するんだぞ」
・・・・あーあ、またやってら。
その頃は、まだ大した危機感もなかった和樹さんは、店の現況も両親のいさかいも突き放して見ていた。でも、今になって思う。あの時、母が言ってたように、2つの支店を閉じて本店だけに絞って全力投球していれば。そしたら、両親は別れずに何とかやっていけたかも知れないし、父親が息子に実もふたもない請求書を出すような事態にもならなかったかも知れない。自宅兼店舗で家賃の負担がなかった本店だけであれば、何とか黒字を確保していたのだから。
でも、ゆくゆくは沿線に10店舗を構えるのが究極の目標、と口ぐせのように言っていた父にとって、事業を縮小することは耐えきれないことだった。
そんなストレスに押しつぶされるようにして、父親は徐々にふさぎこむことが多くなった。明け方、支店回りを終えて帰ってきて、やけのように飲めないお酒を飲むようになり、朝、和樹さんが目を覚ました時には、台所で意味不明の言葉をぶつぶつとつぶやいていることもあった。
5年経ち6年経ちしても、商売は一向に回復することはなく、それどころか借金だけが雪だるま式に増えていった。その頃には、父と母はもう口論することもなくなり、父が帰宅すると同時に、家には暗くよどみ冷え冷えとした空気が流れるようになっていた。ベンツはプリウスに、そして軽自動車へと姿を変え、もちろん家族そろってどこかに出かけるようなことも一切なくなった。まあ、男子高校生にとって家族旅行なんか興味なかっただろうけど。
「あの頃は家にいること自体が苦痛だったんですけど、むしろ受験勉強に没頭することで暗い現実から目を閉ざすような有様でした。経済的にはかなりきつかったんですけど、父は借金してでも絶対大学だけは行かせるって言って。何とか都内にある国立大学に入ることができました。でも、ぼくが大学に入るのを待ってたみたいに、父と母は離婚したんです」