帰還
「ここは?」
薄れゆく視界と混沌とする頭の中、そしてこの得も言われぬこの吐き気。長い時空の旅を超えて聡は部室へと帰還した。
腹の中にはもう何もないはずのに、嘔吐かずにはいられない。そのせいで口のには胃酸のような甘酸っぱさが広がった。隣で倒れている綾を見るとどうして僕は気を失わなかったのどかと後悔するくらいだ。
「ああ、おかえり聡君その様子だと、無事あやたちを救えたようだね」
聡の目の前には桃花が出発した時と同じ格好で出迎えてくれた。桃花の顔を見ると自分が元の場所に帰ってこれたことを実感した。
「はい」
と聡は返事をした。そうしておもむろに綾の方を眺める。いつも見ている光景のはずなのに、今までと違うことを聡は感じていた。既に綾の体とのリンクは切れていた。それがなんだかいつもと違い逆に変な感じがした。結局エスが最後に全て上手いことやってくれたのだろう。
聡がそうこう考えていると隣で倒れていた綾がやっと目を覚ました。初めはここがどこだかわからなかったのだろう。綾は辺りをキョロキョロと見渡すと開口一番彩のことについて尋ねた。
「あの?あれ?すいません!彩さんは…いえあの小さな女の子を見かけませんでしたか?小学生くらいなんですがその子は無事なんですか!?」
「綾、落ち着いて」
「お兄ちゃんは黙ってて!あれ?私今まで林の中にいてそれで…」
「どうやら状況確認が必要なようだな。聡君、エスはどうした?」
「それが………」
聡が時空を飛び越えている時、ちょうどエスの声が聞こえてきた。目も耳も塞がれていたがそれは直接聡の脳内へと話しかけてきた。
「お兄ちゃんをこんなことに巻き込んじゃってごめんね。ただお姉ちゃんも彩という少女も無事なのは確かだから安心して。ぼくは少し疲れた。後はクローネにでも任せておくから……あーう。力を使い過ぎて眠いや。じゃあね」
それがエスとの最後の会話だ。聡はそのことを全て桃花に話した。
「勝手なやつだな」
「待ってください!彩さんが無事かどうか確かめるまで私は信じませんよ!?それにさっきからお兄ちゃんと親しげに話しているあなたは一体誰なんですか?」
「綾、この人は神宮寺桃花先輩で、この部活の部長で君の救出に力を貸してくれた人なんだ。それと女の子は無事だ。それは確かだから安心してくれ」
綾はまだ少し訝しんではいたがどうやら納得したらしい。女の子が無事ならいつだって会いには行けるはずだ。僕にはあそこがどこだかわからなかったが、少なくとも綾はあそこで過ごしていたんだ場所ぐらいわかるだろう。それならまた折をみて会いに行けばいい。
しかし綾の追求はそれだけで終わらなかった。今度は桃花の顔をじっと見つめて。
「神宮寺先輩と言いましたか?どうやら兄に協力してくださったみたいでお礼を申し上げときます。つかぬことをお伺いしますが兄とは本当にそれだけなんですか?」
「そっそうだ」
「本当に!?」
そう言うとまるで目の中を覗くがごとく顔を近づけ桃花に顔を近づけその動向を探った。いくら滅多なことで物怖じしない性格の桃かといえどもその迫力に押され数歩後ずさりをしてしまった。
「おい!?君の妹はこんなに不躾がましいのか?いつもの綾とは大違いだな!」
「いつもの綾は僕でしたからね。部長は始めて会うはずですよ」
そう言った瞬間。聡は自分が墓穴を掘ったことに気がついた。もちろん隠し通せることではないが、今そのことについて一から言い訳を考えるには体力的に辛いものがある。たが当然その言葉を綾が聞き漏らすはずもなく。
「お兄ちゃん〜今聞き捨てならないこと言わなかったかな?」
「なっなんのことかな?」
「よく見るとこの夏の制服、私まだ着たことないはずなんだよね。なんで私は今これを着ているのか説明してくれるかな?」
「ナゼデショウネ」
聡は目を綾から背けた。いくら妹を助けるためだからと言って、妹の体を勝手に操り、今日まで綾のふりを生活していたなんて言えない。しかも兄妹とはいえ年頃の女の子のあんなことやこんなこともあり、さらには望や森さんの時なんかは自分に都合のいい駒扱いしていたことなんて言えるはずがないのだ。
聡は助けてくれという、アイサインを桃花に送った。やれやれと言わんばかりに桃花は聡に助け舟を出してやった。
「さてさて君たち今回の事後報告でもしといてやろうか?聡君今何日だ?西暦もふまえて詳しくな」
「えっとそんな確か今日は○年の○月○日いや?1日経ったから□日かな」
「さて、綾君はどう思う?」
「どうって、確か今日は△年の△月△でしょ?ってあれ?」
2人の提示した日付は見事にずれていた。
「どちらも外れだな。今日は聡君が最初に言ってくれた○年の○月○日で合っている」
そんな時間が進んでいない!?
そういえばおかしいと聡は今頃になって気がついた。綾と女の子を救ったのは深夜のことだ。そこらいくらか経っているが、いくら桃花でも深夜の校舎にいられるはずがない。
「君たちが行っていた世界。まぁ単純に説明すると今から15年ほど前の過去になるのかな。まぁ軽いタイムスリップだな」
「「!!!」」
15年前?しかし信じられないと思う反面、腑に落ちる点もいくつかあった。まずスマホが使えなかった。電波の問題だと思っていたが、そもそもその電波がなかったのだから当然だ。ならと思いスマホな手を取るとそれは通常通り機能していた。
また、エスが飲み物を買いに行ってくれたことだ。あの時はエスの親切心だと思っていたが、今になって思えばエスがわざわざそんなことをするとも思えない。エスはあのとき硬貨の製造日を確認して使えるのだけ使ったのだろう。だからあれだけしか買えなかったのだろう。
それに黒猫の主人に当たる魔法使いならそれくらいできても不思議ではない。しかし、気になるのはそこではない。
「なんでそんなことを部長が知っているんですか!?」
聡はそう質問した。
「さてね。なんでだろうね」
桃花はそうはぐらかした。どうやらまだ隠していることがあるようだった。
「ちょっと待ってください。過去ってそれ本気で言っているんですか?」
「綾、君は向こうの世界で日付とか気にしなかったのか?というより、君が一番先に気づいているとのだと思っていたがな」
「いえ?私少し記憶喪失になってしまいまして少しその辺が曖昧なんで………」
その時綾の顔色が変わった。気分が悪いのかと思ったがどうやらそうではないらしい。もしかして女の子に会えないことが辛いのかなと聡は気になって綾に問いかけた。
「どうした綾?確かに過去って言われたら女の子に会いに行くのは無理かもしれないけど、でも探せばきっとどこかにいるよ。今度は名前も住所もわかっているんだからなんとかなるよ」
「違うのお兄ちゃん。なんで、なんでここへ帰ってくる前に彩さんの家によってくれなかったんですかー!!」
「???」
そんなことを僕に言うなよと聡は思ったが、綾の気はそれだけで収まらなかった。
「今からどこへ行こうと言うのかね。外はもう夜だぞ」
「彩さんの所よ。あれだけは回収しないと」
「今から過去に戻る気か?」
「!?」
「やめておけ………というよりもう不可能だろうな。エスはもういないし、黒猫の力でも無理だろう」
「でも………」
「それとも綾。君が探しているのはこれかな?」
そう言って桃花は綾にスマホを見せた。その画面には何かが写っていたようだが聡の位置からは何だったかは確認できなかった。しかしそれは綾にとってはよほど見られたくないものなのだろうか、先程からブツブツと念仏を唱えるように何かを口にしている。
「……最悪」
「何だって?」
綾がここまで取り乱すなんて、それに2人は今日会ったばっかりのはずだ。いくら先輩が他人の弱みを握ることが好きな人でも流石にまだ早すぎる。それともあれは綾の体が僕の時に取られた恥ずかしい写真なのでは?そう思うと聡も気が気ではなかった。
「お兄ちゃんは見ないで!」
聡は桃花の持ってるスマホの画面を覗き込もうとしたが、綾に服を引っ張られ阻止されてしまった。その顔は真っ赤で今にも涙が零れそうなのを必死に抑えているようだった。
ただそれは聡に怒っているようではないようで、綾はキリッと桃化を睨みつけた。
「部長、一体何なんですか?」
「そうだな」
綾の睨みがより一層きつくなる。その目は『絶対に教えるな!』と力強く語っていた。他人の弱みとはむやみにひけらかすものではない。ここ一度というときのために使うからこそ真の威力を発揮する。桃花はそのことを誰よりも知っていた。
「いや、やめておくか。弱っぐふん。聡君、女の子には秘密の1つや2つあるものなんだ。それをむやみに暴くのは良くないと思うなぁ」
「おい、本音がただ漏れだぞ。ていうかそれは同性なら暴いていいという免罪符にはならないからな」
全くこの人はと聡は思った。出会って早々に綾との力関係をはっきりさせようと言う魂胆だろうか?とは言っても肝心のスマホの中身を見せてもらえない以上こちらとしても手の施しようがない聡は黙ってことの成り行きを見守ることにした。
「最悪、最悪、最悪、最悪、最悪、最悪、最悪」
「どうした?何か私に言うことがあるか?」
強者と弱者。いや主と従者と言ったところか桃花の顔にはもはや勝ちを確信した教者の余裕すら感じられる。しかし、それは次の綾の言葉で砂上の楼閣のように音を立てて崩れ落ちた。
「認めない。あなたみたいな人をお兄ちゃんの彼女とは認めないからね」
綾はそう桃花に言い放った。




