√望
望を追いかけなくては聡はそう思った。といっても。今、聡の体は動かせない。仕方なく聡は綾で望の家に向かうことにした。
望の家。小さいころは何度もその敷居をまたいでいたのに、今となってはその一歩がとても重く感じた。たとえ今は綾であったとしてもそもそもこの体でも望の家は訪れたことはない。
綾はごくりと唾を飲み込むと、思いきってインターホンを鳴らした。ピーンポーンという音が部屋に響いた後、家の中から望の母が出迎えてくれた。
「あら、綾ちゃんじゃないの?どうしたの今日は?」
「すいませんおばさん。その望さんは今いますか?」
「望?そうねさっき帰ってきたと思ったらすぐに部屋に閉じこもっちゃったわ。何かあったの?」
「いえ、たいしたことではないんです。その望さんに会ってもいいですか?」
「どうぞ、どうぞ、何があったか知らないけどあの子も綾ちゃんに会った方が気持ちが楽になるとおもうの」
「おじゃまします」
綾はそう言って望の家にあがっていった。
望の家にあがるのは何年ぶりだろうか?聡が記憶していた風景と今とでは案外変化はなかった。ただ、違ったのは昔望が描いて貼られていた絵などか今はないことぐらいだった。懐かしい匂いと独特の雰囲気少し昔を思い出しながら綾は2階にある望の部屋へ向かった。
「望さん~」
そう言って扉を開けると望はベッドの上で布団をかぶっていた。今までふて寝でもしていたのであろうか?こちらに気がつくと望はムッと顔を出した。その顔は少し目尻の部分が腫れているように見えた。
「……綾が私の家に来るなんて久しぶりじゃない」
第一声がそれだった。もう怒ってるようにも泣いているようにも思えないどこか気の抜けた声だった。何を話したらいいのか聡はわからなかった。だからこそ慎重に言葉を紡いでいった。
「その……何だか怒ってるじゃないかと思って」
「怒る?私が?誰に?」
「その……兄と何があったんですか?」
綾はそう聞いた。もちろんこれは望がどこまで知ってるか試すための質問である。
「そうよね。綾も知らなかったのよね?あいつが彼女を連れてデートしてるって」
やはり、望にはばれていた。あのときの放送で聡が水族館にいることを知り、休日の水族館は彼女とくるものだと決めつけてた。正確に言えばまだ彼女ではなくデートも今回だけだったのだか、そんなことを説明しても意味はないだろう。
「そうだったんですか?その……何て言ったらいいのか」
「別に綾が謝ることでもないよ、それにあいつが悪い訳でも……ただねそう素直に割りきれるほど私もできた人間じゃないのよ」
この方法は卑怯だと桃花先輩には注意された。森さんに行った時に少なからず罪悪感を覚えた。ただ、今は知っておきたい。望の本当の気持ちを。結局聡は自分の欲求に負けてしまった。そしてまた同じ質問を繰り返してしまった。
「その望さんは兄のことを……」
「やっばり違うんだな~」
「えっ!?」
「いや、ごめんごめん。そうだったあんた記憶無くしてるんだったね。そりゃ覚えてないよね」
そう言って望は今の綾に以前の綾や聡との思い出を話した。
「私とあいつの関係は正確には以前の綾を入れた3人はもう家族や兄弟みたいなものだったの。あっ私が一番お姉さんだったからね」
「そうだったのですか」
望の話はそこから延々と続いていった。聡が既に忘れていたことや、おそらく望が勘違いして覚えていることなど話の内容はさまざまだった。望もどこかで綾の記憶をよみがえらせるために話したのかも知れない。そして望の話は突然幕切れた。
「だけどね~途中からあいつが抜けて、それでもなんだかんだで私たちの付き合いは長かったのよ。だからね何だか……だから、どうじで……一緒にいたわたじじゃだめなの……」
そう言って望は泣き出した。それは聡も久しぶりに見た光景だった。
望は昔から勝ち気な男勝りな性格をしていた。そのせいか綾はもちろん聡より立場が上だった。そんな望の笑顔なら聡は今でも思い出せる。本当に太陽のような笑顔をしていた。ただ、いつも1人寂しくなると急に泣いてしまうのだ。だから聡と綾は望を泣かせないように常に3人で遊んでいたのだ。とはいってもそれは昔のことであり、今もあのときのままだとは聡も思ってなかった。望の鳴き声はその後しばらく続いた。
「ごめんね綾、まさか自分でもこんなに取り乱すとは思わなかったよ。でも、スッキリした」
「望さんにはきっと兄なんかよりいい人が見つかりますよ」
綾はそう望を励ました。聡はあえて自分のことを望から遠ざける発言をした。望の気持ちを知ってしまった手前、安易な発言が出来なくなってしまったからだ。
「綾、それ慰めてんの?私知ってるんだからね、綾がいろんな男子に告白されてんの」
「知ってたんですか!?」
「なんなら、遥と恵子もそのこと知ってるからね」
「嘘!?」
「いいよね~黙っていても告白されるやつは」
「そんな!?断る身にもなってくださいよ」
「うわ~後で遥に教えてやろ」
「ひどいです。今のなし」
そんな軽口を叩きあっていると、次第に望の顔も明るくなってきた。やっばりあれは感極まってしまっただけなのだと聡は思った。
「あはは。ありがとね綾……私を心配して来てくれたんだよね。そういうところは変わってないのね」
望はそう綾にお礼を言ったが、綾はというと何やら良からぬことを考えている顔をしていた。
「どうですかね?意地悪くなってるかも知れませんよ」
綾はそう言って自分のスマホを望に見せた。
『綾、もしよかったら望に伝えてくれないか?多分望が勘違いしてると思うんだ。確かに僕はあのとき水族館にいたけど、別に彼女といたわけじゃないって』
綾のスマホには聡から1通のメッセージが送られていた(もちろん自作自演だか)。ただ、今の望にはそれで充分だった。
「嘘よ!?だって休日の水族館なんて彼女以外と行くところじゃないでしょ!」
「ふーん。そうですかー。つまり兄を水族館に呼び出そうとした望さんにはそんな下心がおありだったんですね」
望の顔が一気に赤くなった。望の推測は半分は当たっていたがそれと同じ事を望自信が行おうとしていた自覚がなかった。聡はその隙間をついたのだ。望はバツが悪くなったのかしどろもどろだ。しかし望には聡のこととは別にある疑問が生まれた。
「綾……そういえばどうしてあんたはあそこにいたの?随分と怪しい格好していたわよね?」
「嫌だなーそんなの知ってる人に気づかれるわけにはいかないからですよ」
綾は何も考えないでそう答えてしまった。後からしまったと気づいた時には既に遅かった。
「綾、確かに家族みたいな関係とは言ったけど……あんたまさか記憶がないことをいいことに兄妹で付き合ってるんじゃ……」
望の表情が一転した。先程までは追い詰められていた癖に今度は哀れみの眼差しをこちらに向けてきた。
「誤解です!!私はただ、兄をストーカーしていただけです!!」
「綾、それはそれで既にアウトだと思うんだ」
「違うんです。これには訳があるんです!」
誤解が誤解を生み出してしまいこの後望の誤解を解くのにまた長い時間がかかってしまった。最後はどうにか聡に付き合っている人がいるのかを調べていたことになったが、綾は危うくブラコンの妹ということにされかけた。
望の家を出る時にはどっと疲れが出た。これは綾の方疲れだろうか?それとも聡の方の疲れだろうか?
空はうっすら暗くなってたきた。夕焼けに燃える橙色とそれを覆い隠すような空模様だった。




