4
ゆっくりと歩を進め、歩み寄った湖に映されていたものに気付いて、僕は驚愕した。
雨による視界の悪さで普段意識さえしなかったが、夜には月を綺麗に映すその湖には、下へと続く階段がゆらゆらと漂っていたんだ。
湖の水は、ある。
指先で触れたそれは、水位が正常なこと、そして湖の実体を物語っていた。
しかし、一番上の階段にも、ざらついた感覚があった。
どちらも、実体だ。
街の人が言う「橋」が橋の形でないとして、実体でない可能性も考慮していたが、なるほど、階段という橋もあるのかもしれない。
意識というものは、しばしば湖にたとえられる。
水面下、とはよく言ったものだが、哲学的には、我々が知る我々は氷山の一角らしい。
例えばこの水面から繋がる階段が続くのが深層だとしたなら、無意識的な所に、この街の橋はあるのだろうか。
思考したところで、足は一向に進まなかった。
目の前にあるのは確かに階段だ。
しかし、階段は湖の中へと続いている。
そして、湖の水はある。
誰がどう考えても、この階段を下りることは、人間としての生命の危機だろう。
人間は、酸素がなければ生きられないのだから。
僕は、ただ湖を眺め続けた。
もうじき日が暮れる。
この階段が明日あるという保証は無い。
だが、階段を降りながら窒息する最期は避けたい。
「――待てよ」
僕は、僕の心臓に手を当てた。
心音は―――無い。
揺らぎそうになる身体を保ちながら、あらゆる可能性を計算した。
行き着いた答えは、一つ。
階段を下りることだ。
お年寄りの方は、病死だったはずだ。
心電図の計器はあったが、よくよく考えてみれば、音はしていなかった――最初から。
「うっ…」
膝まで水につかったところで、怖さに襲われる。
自らの鼓動が確認できないとはいえ、目の前に迫る水面は恐怖でしかなかった。
「死は…人は、死ぬものだ。ならば、この街でわけがわからぬまま死ぬか、あるいは今ここを降りて死――」
いや違う、と頭を振って、強引に歩を進めた。
両足は重いが、まるで吸い込まれてゆくように、階下への歩みは早くなる。
顔まで水が来て、それが口に入った時。
足元にあった階段が落下した。
あるとおぼしき浮力は作用せず、湖の奥に、飛び降りるかのような軽さを伴い沈んで――…