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漆黒の魔道人  作者: 神月裕二
第1章 その年、六月――
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3


 アジア大陸の東端に浮かぶ島国――日本。

 その国のどこかに、秘密の、いくつかの部屋がある。そして、その部屋の存在を知るものは、実際、ある組織の人間たちだけであった。

 その組織の名を〝美槌(みづち)〟と言う。

 組織を構成する数百人のメンバーのうち、そのほとんどが諜報員として、全国にくまなく散らばり、様々な分野の仕事に就きながら、ある情報の収集に当たっている。

 だが、そんな彼等にも、〝美槌〟の本部が置かれたいくつかの部屋の位置は教えられていない。何度か足を運んだことのある者さえも、実際の位置を把握してはいないのだ。

 その部屋にたどり着くまでにいくつかの経過をたどるのだが、いつの頃からか自分が何処にいるのかさえわからなくなる。

 亜空間に存在する組織〝美槌〟。

 今、その部屋の一つに八人の人間が集まり、部屋の中央を向いて、正確に真円を描いて座っている。

 全員、静かに眼を閉じていた。

 しかし、唇がかすかに動いているのがわかる。呪文めいた何かを唱えているようだった。

 部屋には明かりと呼べるものはなかったが、内壁自体が淡い光を帯びているので、真っ暗闇になることはなかった。

 淡く光る蒼い光は、冷たく、霊光のような印象を見る者に与える。

 もしかすると、空中を漂う魂そのものであったかも知れぬ。

 何しろこの部屋は、降霊会を行う部屋なのだから。それにしても、頑強で、年季の入った感のある部屋であった。

 このことからも、〝美槌〟という秘密組織の歴史は相当のものと類推できるし、事実その通りでもあった。

 結成された時代は、安土桃山時代とされている。ちょうど、西洋に偉大な預言者が現れ、世界の破滅を唱えていた頃だ。

 時を同じくしてこのようなことになったのは、奇しき因縁と思わざるを得ない。

 西の人は世界の破滅を人々に知らしめ、東の人はそれから人々を守ろうとした。

 これが運命の奇縁でなくて何であろうか。

 秘密結社〝美槌〟を組織したのは、農民出身の清吉という若者であったとされる。

 彼はあるとき、密航者から手に入れた聖書にふれ、己が為すべきことをじかくしたのだと云う。

 それは、まさに衝撃的な覚醒であったろう。

 聖書に書かれた「神の言葉」にふれた清吉は、ある夜、夢の中で光り輝く人に出会った。

 その人は、彼にこう告げたと云う。

〝はるまげどんは、必ず来る。(きた)るべき(とき)に、神と悪魔は復活するだろう〟

 と。

 薄汚れた布団の中で目覚めた彼は、自分の体内に、新たな、人を超えた能力が宿っていることを知った。

 その人が、彼に布石を与えたのである。

 そう、〝来るべき秋〟まで悪魔復活を阻止するために。

 その日から、清吉の放浪の旅が始まった。

 畑仕事を放り出してでもやらねばならない仕事が、彼にだけ与えられたからだ。

 家族がおらず、身軽な彼であったが、与えられた仕事のことを思うと、逃げ出したくなることもあった。

 その仕事とは、彼と同じ超能力者を集めること。だが、ただ集めるだけではいけないのだ。集まった超能力者を訓練し組織化することが第一であり、組織を常に歴史の裏側で、連綿と時を越えて維持していかなければならないのだ。

 気の遠くなるような道程ではあったが、清吉はそれでも歩き続けた。

 やがて、清吉を含めて八人の超能力者が集まり、彼等に賛同した人々が自ら諜報活動を行った。

 この段階で、すでに一〇年の歳月が流れていたが、これが、〝美槌〟の原型となったものである。

 そして現在は、これに四天王と八天部を加え、幹部となった八人の超能力者は八導師と称され、降霊による情報収集や作戦立案、指揮、武器開発などに当たっていた。

 その理由に、八導師の年齢が真っ先に挙げられる。何しろ、平均年齢が六五歳なのである。基本的に導師には、前線を退いたメンバーの中から選ばれた者がなるのだが、そのときには超能力のレベルもかなり弱まっているのである。つまり、悪魔と直接対決することが出来なくなったため、その役目を四天王と八天部に譲り、自分たちは彼等をバックアップする側にまわったのだ。

 そして今、降霊室にいる八人こそが、美槌の幹部にして超能力者の八導師に他ならなかった。

 彼等は、過日より京都に不穏な妖気の流れがあるのを察知し、索敵行動に入っていた。

 近いうちに、何かが起きる。

 そう感じた八導師たちは、すでに四天王の一人〝青龍〟の玲花を京都に放っていた。

 だが、未だに妖気の源は発見されていない。

 敵が巧妙に玲花の追跡を逃れているのだ。

 玲花とて無能ではない。

 それなのに捕らえることが出来ないということは、敵が自分の正体に気づかずに過ごしていると考えられる。

 それは、非常に厄介な事であった。

 自覚なしに妖気を放ち、よけいな邪霊・邪鬼を活性化されると、美槌には発見が困難になってしまう。

 標的(ターゲット)を絞り込めないのである。

 八導師は玲花の仕事を軽減し、早期解決を図るため、その原因を突きとめるべく降霊会の開催を決定したのだった。

 部屋に入り、その原因を知る霊の索敵を開始してから、すでに三時間余り。

 だが、未だに霊はやって来ない。

 通常、降霊は誰かを依童(よりわら)として霊をその人に降ろし、その口を使って霊と会話を交わすのだが、彼等の降霊は依童を使わない。つまり、人に憑依させることなく、直接霊と交信するのだ。

 霊波、八導師の視線が集まる円の中心に霊界から召喚され、そこに、降霊の間留まるのである。

 しかし、今はそれが出来ない。さすがの導師たちの間にも、焦燥が流れ始めた。

 三時間という長時間、霊を探し求めたことは今までになかった。たいてい、ものの数分もかからぬうちに霊を降ろし、降霊することが出来る。

 だが、今回はどうだ。京都に向けて妖気が大きな流れをつくり、邪気どもが活発になった原因を知る霊が、まさかいないというのだろうか。

 霊界に霊が存在しないということは、何らかの理由で完全に消滅したか、あるいはすでに輪廻転生してこの世にいるのか。

 二つのうちのどちらかである。

 八導師たちは、霊エネルギーで出来た〝触手〟をさらに広げ、探索を続けた。

 霊界には時空間が存在しないため、どんな過去にも未来にも〝触手〟を伸ばすことが出来るのだ。

 やがて、四時間にも及ぼうかとする精神集中も、報われる時が来た。

 美しい純白のヒゲをたくわえた禿頭の老人の、これまた白い眉毛が、ピクッと動いたのである。

 それと同時に、残りの七人にこの老人の声が、テレパシーとなって直接脳に伝えられる。

〝見つけたぞ!〟

 声には、歓喜と安堵が入り混じっていた。

〝奥深い所に、小さくなっている。――よいか。そっと近づいて、連れて来るんじゃ〟

 八導師の中で最長老のこの老人――〝天〟と呼ばれているが、むろん本名ではない――がテレパシーで告げた内容は、確かに霊のいる場所を空間として、視覚的に捉えていた。

 彼等には、そう〝()〟えるのである。

 八導師の霊体は一つとなり、探し求めていた霊のそばに行き、彼が知っていることを話してくれるよう頼んだ。

 彼は、老人の霊であった。しかも日本人ではなく、フランス人のようだった。

 老人の霊は、話をすることを快諾してくれた。なぜ、霊界の奥深い所にいたのか問うたとき、彼は、誰もこんな話を信じてくれはしないと思い、恐怖と後悔に打ち震えていたのだと答えた。

 凄まじいまでの悪意の波動。人は、自らの手でパンドラの箱を開け、〝死〟と〝破滅〟を招来しつつある。

 誰か、止めてくれ。

 と。

 事態の異常さを察知した八導師たちは、話の続きを降霊室にて聞くことにし、老人とともに出口に向かって飛翔を開始した。

 眼前に、まばゆい光がある。

 近づくにつれ、だんだん光度が増してゆき、あまりの眩しさに老人の霊が、

〝あっ!?〟

 と叫んだ瞬間、彼等はその白光に呑み込まれていた。

 ――

 八導師が次々に意識を取り戻し、眼を開けていく。疲労の色が濃い。彼等は、老人の霊を発見した途端に幽体離脱を行っていたのである。

 最初に蘇生したのは、(テン)というヒゲの見事な老人であった。それから順番に、(ソウ)(トウ)(ケイ)(メイ)(セイ)()(シン)が意識を取り戻し、眼を中央に向けた。

 結跏趺坐のまま、誰も姿勢を崩すことはなかった。このように座し、膝に持っていった両手の印と頭頂とが三角形をつくるとき、秘められた生体エネルギーが活性化するのは、定説となっている通りだ。

 そうやって高められたエネルギーは円の中央に集中し、非物質である霊魂の地上――現界での長期滞在を可能にするのであった。

「――いったい、何に怯えているのです?」

 四〇代半ばの、まだ若い男が先ず口を開いた。彼は〝星〟と呼ばれ、現在、八導師の代表となっている。明晰な頭脳を持つ彼の眼は、黒縁眼鏡の向こう側で、鋭く光っていた。

 少しのミスも許さない、常に完璧を目指す男であった。

 そして、彼の口調は冷静さそのものであった。

 彼等の描く真円の中央で、白いもやのようなものが、ゆらりと動いた。

 霊視の出来る者が他にもこの場にいたら、その者は、もやの中に老人の顔のような陰影を見出しただろう。

「なんだ? 何を言いたい…」

 星をはじめ、八導師の脳裡に、霊魂が発したある種のイメージのようなものが結ばれた。

 闇、魔、恐怖、狂気、悲哀、破滅、死…。

 想像を絶する悪意の波動が、吐き気さえも催すほどの邪悪なイメージが、その霊魂から伝わってくる。

 人の死、心の死、星の死。

霊魂は、必死に、自分の知識を彼等に伝えようとしていた。

 自分が、あの男から聞き、そして霊界にいる間に得た知識を。

「ご老人、すまんが、最初から話してくれんか。もしかしたら、今のわしらにとって、とても重要な話かも知れんからの」

 今年九〇歳になる老婆――女性幹部の最年長である〝冬〟――が、このときばかりはトレードマークである温厚な笑みを消して、真剣な眼差しでそう言った。

 笑うとシワと一緒になってわからなくなる眼には、星のそれに匹敵する光が確かに存在していた。

 霊魂は、素直にイメージを整理しつつ放出し始めた。

 忘れたくとも忘れられぬ、あの凄惨な光景。

 我が最愛の孫娘を(にえ)とし、神に施された封印を説こうとした、あの男ランバート!

 わしの役目は、どうやらまだ終わっておらなんだようだ。あのとき、おまえの身体に散弾を叩き込んで、わしは死んだ。

 あの呪われた儀式の阻止が、わしの役目だと思っとった。だが、そうではなかったようだ。

 おまえが、再びこの世に生を受け、あの儀式を行うというのならば、わしは必ず止めてみせる。

 かなうならば、わし自らおまえの首をねじ切ってやりたい。だが、身体のないわしには、それはかなうべくもない。

 だからこそ、話すのだ。

 彼等なら、やってくれよう。

 貴様を、必ずや、殺してくれるであろう!


「あ、悪魔復活の儀式じゃと!?」

 老人の魂を霊界に戻した後、冬は呻くような声で言葉を絞り出した。

 老人の霊魂が語ったのは、過去の呪われた、恐るべき真実だった。

 悪魔復活の布石を置くべく、この世に生まれた男が、かつてフランスにいた。

 名をランバートと言い、絶大な超能力――いや、魔力と言うべきか――をもっていたと云う。

 遥か――永劫にも似た昔、魔空神王――大魔王サタン率いる魔王軍団は、神々、すなわち「天照らす神の軍団」に戦いを挑んで、これに敗北した。

 このとき、七大天使が、魔族を彼等の神の力を以て虚数空間に封じ込めた。

 その空間こそが、〝魔界〟である。

「〝神のごとき者〟ミカエル、〝エデンの園の統治者にして智天使の支配者〟ガブリエル、〝癒しを行う輝ける者〟ラファエル、〝タルタロスの支配者、懺悔の天使〟ウリエル。――その四人の天使に、サリエル、ラグエル、レミエル、アナエル、ラジエル、メタトロンの六天使から三人を選んで七大天使と言うが、問題なのは、ランバートなる人物が、呪われた血の儀式と魔力の行使によって、六つめの封印まで解いてしまったことじゃ」

 天は、自分の言葉に改めて戦慄を覚える。

 残る一つは、ミカエルの封印のみ。

 これを解こうとして始めた儀式を、彼は老人に阻止され、予想外の死を迎えたのだった。

 しかし、老人の方も、ランバートの死を見届けることなく落命していた。

 それ故に、ランバートが封印を解いた後、どのような大悪魔を呼ぼうとしていたのかが、わからないのだった。

 封印を解く前なら、召喚された悪魔は中級から低級の存在である。

 だが、ひとたび全ての封印が解かれたならば、召喚者は生贄の質と魔力のレベルに従って、どのようなあくまでも召喚することが出来る。たとえ、それが〝魔界貴族〟の称号を得た大悪魔であってもだ。

「京都に向かって流れている妖気の量、それを受けて活性化し始めた邪霊ども。――これらから推測しても、相当強力な魔力の持ち主が中心にいることは確かです」

 立ち上がって、星が言った。

 彼の言う通り、霊的被害を受けたと思われる報告が、すでに何十件も本部の方に入っている。

 そのほとんどは、まだ騒霊などといった心霊現象程度のものであったが、なかには霊視のできる人がいて、辺りをうろつきまわる邪鬼の姿を見たとか、百鬼夜行に出会ってしまったといった例も、多くはなかったが確かに存在した。そして、邪鬼どもの妖気にあてられて衰弱死するケースや、魔物の姿に発狂して死亡したといった報告も何件か八導師の耳に入りつつあった。そして、その数はこれからも徐々に増え続けるだろう。

 これ以上の被害を出さぬために、妖気の集中する存在を特定し、退魔行を行う必要があるのだった。

 秘密結社〝美槌〟の始祖が聞いた神の言葉通り、ハルマゲドンは接近しているのだ。

 人間に残された時間は、想像以上に少ないのかも知れない。

 それを悟ることなく、人間は、安寧な〝今日〟を怠惰のうちに過ごしてしまっている。

 明日も、今日と同じ日が訪れ、それが永遠に繰り返されると信じているからだ。

 だが、時間という存在ほどもろいものはない。

 いつ、すべてが崩壊するかわからないのだ。

 とにかく、美槌の幹部は今後の行動を決定する会議に入っていた。

「――天魔降臨の儀、か…」

 冬が呟くように言う。

「うむ。星の言う通り、かなりの大物が動いているようだな」

 六〇歳前後の白髪の老人〝(シン)〟が、溜め息まじりにそう言った。

「もしそれが事実なら、京都へ送った玲花(れいか)一人では危ないのではないか?」

 と、冬が言った。

 玲花は、確かに四天王の一人に選ばれるほどの実力の持ち主だ。これまでに、何件もの事件を解決している。そして、四門を守護する剣のうち、青龍剣が仕える者である。だが、その玲花一人では荷が重すぎるのではないか、と八導師は判断したのである。

「――では、誰を送るべきでしょうか?」

 星が、ほかの七人に問う。

 しかし、すでに答えはでているのも同じであった。

 次代の四天王となるべく修業を続ける八天部は、確かにそれなりの能力(ちから)はあるが、そのレベルは四天王のそれに遠く及ばない。

 八天部ならば、たとえ八人全員を玲花援護のために京都に向かわせたとしても、四天王一人の実力に匹敵するかどうか。

 恐らく、玲花の仕事の足手まといになるであろう。つまりは、四天王を京都に送り込む他ないのだった。

 しかし、残りの三人のうち二人は、青森県で邪霊退治を行っている。

 星としては、出来得るならば最後の一人を玲花のもとに送りたくはなかったのだ。しかし、〝白虎〟の獅天(してん)と〝朱雀〟の光炎(こうえん)を仕事の途中で召還するわけにもいかない。

 星は心の中で舌打ちをした。

 彼は、四天王の最後の一人を、普段から快く思っていない。さまざまな理由があるが、獅天の気持ちも星を同じであった。だからといって、彼等の気が合うというわけでもなかったが。

(よう)――あやつの他におるまいよ」

 冬が微笑して静かに言った。

 そうなのだ。

 妖しかいないのだ。

星は、(おの)れを納得させようと試みた。

 妖という男の能力は、他の三人、いや美槌全員のそれを質を全く異にしている。あえてその能力に名をつけるならば、妖の能力はやはり〝魔力(ちから)〟ということになるだろう。

 魔界貴族の降臨を阻める者がいるとしたら、それは妖なのかも知れないのだ。しかし、星は妖を使いたくなかった。

 彼が思うには、妖は自分の魔力が余りにも強大すぎるので、八導師の命令を無視することが少なからずあり、とんでもないトラブルを惹き起こす可能性が多分にあるのだった。

 それは、能力の減退がみられる八導師、星の劣等感からくる偏見なのかも知れない。

 だが、そうだとしても、それを認めたくないのは、彼の高いプライドのせいであった。

「星よ、妖を呼べ」

 天の声が静かな石室の中に(こだま)し、星は我に返った。

「は…」

 そう答えるしかなかった。

 そして八導師は、次々に降霊室を後にしていく。

 石の扉をくぐり抜けると、二〇畳ほどの広さを持つ部屋に出た。とは言っても、二つの部屋が隣り合っているわけではない。実際は亜空間の別々の場所に点在しているさまざまな部屋を、空間をねじ曲げて行き来しているのである。その部屋は、降霊室とは異なり、床と天井、そして四方の壁が真っ黒に塗られ、顔が映る鏡のように磨きぬかれていた。

 ただし、その部屋に電気の明かりはない。部屋を埋め尽くす闇に対抗するように、八つの松明が焚かれてあった。

 そして今、その揺らめく炎が、漆黒の床に描かれた図形を浮かび上がらせている。

 正方形を二つ、斜めに交差させた八角陣である。灯火はその八角陣のおのおのの頂点のそばに置かれ、八導師は八角陣の頂点に座した。

 と、八対の視線が集まる中央の空間がゆらりと、まるで降霊室での降霊シーンのように揺れ、一つの影を産み落とした。

 九人目の影は、二七歳くらいの若い男だった。紅の炎に照らされる美貌は玲瓏と白く、切れ長の眼には、氷のような光があった。

「お呼びでしょうか?」

 妖の口許には、うっすらと笑みが乗っている。その態度と仕種の何もかもが、星の眼には小賢しい真似と映ってしまうのである。

「うむ。――すぐに京都に飛んでくれ」

 と、天が言った。

「京都へ? しかし、京都には、すでに玲花が入っているのではないのですか?」

「我等の命令に、いちいち反問するな。京都へお前を送る必要性が出てきたから行ってもらうのだ」

 いらいらして、星が口をはさんだ。

 一刻も早く、妖をこの部屋から追い出したかったのだ。たとえ妖の魔力が最強であっても、たとえ彼に四つの剣の一つ〝玄武剣〟が仕えているとしても、だ。

「――まぁ、そう言うな、星よ」

 天が二人の間に割って入ったとき、星は、妖の冷たい眼が自分の方を向いていることに気づいた。

 ば、馬鹿にしおって…!

 妖が蔑みの微笑を浮かべているように思えたのだった。

「京都で、近いうちに天魔降臨の儀が行われるやも知れぬのだ」

 辰が天の後を継いで、妖にそう語った。そして、八導師があの老人の霊から知り得たことを、彼に伝えた。

「玲花一人の能力では、恐らく儀式を阻止するのは難しいだろう。それほど大量の妖気が、京都に流れ込んでいるのだ」

 そう語ったのは、〝荘〟という名の六〇過ぎの老人だった。

「いいな。必ず魔人の降臨を阻止するのだぞ」

 星が、きつい口調で妖に命令を下す。

「承知いたしました」

 嫌みっぽく肩をすくめる妖の姿が、次の瞬間八角陣の中央から消え去った。

 八導師が霊道を開き、妖を京都に向けて瞬間移動したのである。


 三時限目が終わり、安田優子は校舎の裏手を一人で歩いていた。

 今朝登校したとき、校門で待ち構えていた青木健に、呼び止められたのだった。

 彼は、少し思い詰めた表情で、校舎の裏側にある、古びた体育用具室のそばへ来てくれと告げた。

 優子は、青木の指示通りにやって来たのだが、今の彼女は、青木の知る可愛い少女ではなかった。

 優子が用具室へ向かい始めてすぐに、もう一人の邪悪な優子が肉体と精神を奪い取ったのである。優子が何処に、何をするために行こうとしていたのか、〝彼女〟は熟知していた。

 情報は、すべて入って来るのである。が、与えるようなヘマはしない。

 優子は、あのような男に言い寄られている、もう一人の自分が許せなかった。

 情けない限りだった。

 自分はもっと、精神レベルの高い存在の妻になるべきなのだ。

「それにしても…」

 用具室の鉄扉の前で足を止めた優子は、昨夜のことを思い出していた。

「何故、殺せなかったのだろうか」

 呟くように言う。

 自分の目的を思い出した彼女は、まず、目の前の邪魔者を()そうとした。

 義兄の安田圭一のことである。

 圭一の部屋で彼の首を絞めて殺そうとしたのだが、彼が白目をむいて気を失ったところでやめてしまった。

 何故か、わからないのだ。

 どうして(とど)めを刺さなかったのだろうか。

 いくら自問してみても、答えは出てこない。

 いや、もしかすると、答えはもう出ているのかも知れない。

 彼女自身が気づいていないだけなのか、それとも……。

「――そんな筈はない」

 自嘲するように言うと、優子は用具室のドアを開けた。

 鍵はかかっていなかった。

 どこかのクラスが体育の授業で使用しているようだが、それにしても不用心だ。

 きしむ用具室のドアを三〇センチほど開けると、優子はその隙間にスリムな肢体を滑り込ませた。

 長い髪が揺れ、それがドアの向こうに吸い込まれると、鉄扉は内側から閉じられた。

 それからすぐに、ガヤガヤと数多くの生徒が、用具室の前を通り過ぎていった。

 どうやら、ようやく体育の授業が終わったらしい。

 半袖のジャージ姿の集団が通り過ぎてしばらく後、五人の生徒が用具室の前に姿を現した。五人ともやはりジャージ姿で、それぞれ手にハードルを抱えている。

 その中に、青木健の姿があった。

「――あ、俺、全部片づけといてやるよ」

 他の四人に、青木がそんなことを言っている声が聞こえた。

「いいのかよ、青木」

「どうした、熱でもあるのか?」

 四人の中でも特に親しい二人が、口々に青木を茶化す。

「うるへえ。そういう気分なんだよ」

「なんだそりゃ。――まぁ、いいや。それじゃ、頼むわ。放課後(あとで)、何かおごってやっからよ」

 四人はハードルを片づけるのを青木に任せ、足早に校舎に向かった。

「――さて、と」

 青木は、四人の姿が見えなくなったことを確かめると、辺りを探るように見まわした。

 優子の姿を探しているのである。

「――来てくれてないのかな…」

 少し落胆して、ハードルを片づけようとしたときだった。用具室のドアの向こう側から、彼の名を呼ぶ女の声がしたのは。

「青木さん――?」

 少し媚びを含んだ女の声――しかし、それは、まさしく優子のものであった。

 しかも、用具室の中にいて、自分を待ってくれている!

 ハードルをその場に放り出し、青木は荒々しく鉄扉を開けた。

 人の形を切り取られた四角光が室内に射し込み、少女の白い足を浮き上がらせた。

 優子は、正面の跳び箱の上にちょこんと座っていた。

 唇に校則で禁止されているルージュを塗り、艶然と微笑する優子が、青木の網膜に焼きつかせるかのように、高々と足を組みかえる。

 一瞬、白い太股が露になる。

 これで平常心を保っていられるような奴など、健全な男子高校生には一人もいないだろう。

 青木はゴクッと喉を鳴らし、足を一歩、室内に踏み出した。

 刹那、彼の首に一筋の朱線が疾った!

 それに気づきもせずに、青木は歩き続ける。

 優子の微笑が、邪悪な笑いへと変化した。

 口が耳まで裂けるのではないかと思わせるほどの、それは笑みの形であった。

 ボトッと音を立てて、青木の首は不可解だというような表情を張りつかせたまま、床に落ちた。

 ごろごろと転がり、優子の腰かける跳び箱の下で止まる。

 それは、最後の未練であったのかも知れない。

 そしてようやくそのときになって、首なしの胴体の鋭利な切断面から、思い出したように真紅の血が奔騰した。

 辺りじゅうを朱に染め、天井までもその血は及んだ。

 優子は、素早く跳び箱の影に身を潜めて、噴出する血から身を躱した。

 本当なら、今この場で裸になって全身に血を浴びたかったのだが、残念ながら今それはできないことだった。

 じきに人が来るだろうし、今、自分がやったとわかっては、目的を果たせなくなる。

 そう考えて、優子はこの場の血への衝動を必死になってこらえていたのである。

 手についた血糊を舐めとり、優子は体育用具室から出た。

 周りに人がいないのは、気配がないことから判明済みだ。

 あとは、手とセーラー服についたわずかな血痕を、染みにならぬように洗い流し、もう一人の優子と交替するだけだ。

 ともかく、これで邪魔者は一人減った。

 あとは、星辰の運行を待つのみだ。

 すでに、目的達成の鍵を、優子は見出していた。これに、時のめぐりが合わされば、彼女の長年の夢が現実となって具現するのである。

 危うく哄笑しかける自分を抑え込み、優子は手を洗い清めようとトイレに駆け込んでいった。

 ほどなくして、第四時限開始のチャイムが鳴った。

 人のいなくなった体育用具室の前にはハードルが散らばり、そして、少し開いた鉄扉からは、男の足が二本覗いていた。

 内部(なか)には血の海が広がり、一人の少年の首と胴体とが別々になって、そこに浸っている。

 首を断たれた胴体は、俯せに血の海に横たわり、首は虚ろな眼差しを天井に向け、鳴り響くチャイムの音を凝っと聞いているのだった。


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