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漆黒の魔道人  作者: 神月裕二
終章
24/24

3

 

 茫然となって声も出ない獅天たちの頭上で、その巨大な生物はゆっくりと胴体を動かし始めた。

 龍である。

 凄まじい大きさの、光の龍であった。

 壮大な光景だった。

 龍が動くたびに、空を覆う暗黒が波打つように見える。いや、それは錯覚などではなく、まさしく事実なのだ。

 光の中にある、紅玉を溶かしたように赤い瞳が、地上を徘徊するしか出来ぬ人間どもを睥睨している。

 その色は、まさに地獄の業火の如きであった。

「あ、あれは――」

「侯爵――奴が変身した姿さ」

 獅天がようやく口に出した問いを、即答した者がいる。

 声のした方向に眼をやると、いつの間にか昇降口の扉が開いているのに気がついた。

 その内側はもはや暗黒ではなく、普通の下駄箱が広がっていた。

 全員の眼が、今度はその内側に集中した。

 その扉の向こう側で、一つの影が揺れ始める。

 玲花の胸が、喜びに高鳴った。

 魔界侯爵フェノメネウスと、短い間ではあったが文字通り死闘を繰り広げた美しい若者が、ゆらりと姿を現したのである。

 血を噴き出していた全身の傷はすでにないが、シャツやスラックスにこびりついた血の痕が、戦いの凄まじさを物語っている。

 若者は、少し疲れているようだったが、しっかりした足取りで歩いてきた。

「妖!」

 玲花が、こみ上げてくるものを抑えながら、叫んでいた。

 彼女に応えるように、妖が微笑む。

「――よく帰って来やがったな。玲花が心配してたぜ、妖」

 そう言ったとき、獅天は自分の中で何かが一つ吹っ切れたような気がした。

「約束したからな」

 妖が優しい笑みを浮かべて言う。

「――で、どういう意味だ。アレが侯爵だってのは?」

 獅天が天空に向けて顎をしゃくる。

 妖が空を見上げ、凝っと龍を睨む。

 龍――幻想の世界に棲み、世界各国の伝説の中で息づく巨大な獣。

 最後の審判の日、天より飛来せし「神の御使い」に戦いを挑むという古き獣。

 その龍が、今、血の色に染まった双眸を笑みの形に細めた。

 嘲笑しているのか。

「どういう意味も何も、それそのままの意味さ。魔界侯爵が変身したんだよ」

「だから、何で、侯爵(ヤツ)が変身できるんだよ」

「はっきり言おう。――斃せなかった」

 えっへんと胸を張る妖に、獅天が、にゃに? と言う。

「今の俺の魔力では、奴に傷を負わせるのが精一杯だった。が、恐らく奴は、当分動けないだろう。しかし、必ず復活して俺たちの前に姿を現す筈だ」

「――じゃあ、どうやって斃すと言うんだよ」

「強くなってみせるさ。奴を斃せるほどにな」

 妖は、獅天の問いに答えるばかりでなく、頭上の龍に誓いを立てているのであった。

 そのとき、妖の言葉が聞こえ、それに満足でもしたのだろうか、天空の龍が巨大な口を吊り上げて嗤った。

 瞬間、耳を覆いたくなるようなかん高い声で、龍が哭いた。

 哭いた刹那、邪龍の姿が結界の内側から、

 ふっ

 と消えた。

 凄まじい烈風が、グラウンドの樹々や周囲の壁、そして校舎の窓ガラスを粉々に砕いた。

 龍が別の空間へ移動を行ったため、龍の質量分の大気が亜空間へ流れ込み、一時的にブラック・ホールに似たものがそこに生じたのである。

 吹き狂った爆風は、魔人たちが張り巡らせた闇の結界を別の姿に変えて終熄した。

 妖たちはとっさに結界を張り、圭一は蒼い光球に優子もろとも包まれて、その風から逃れていた。

 何だ、今の風は――?

 釈然としない何かを感じながらも結界を解いた妖たちは、ふと何気なく暗黒の空を見上げていた。

 虚無――光と音さえも吸収してしまう暗黒が薄れ始めている。結界の主が姿を消した今、効力を急速に失いつつあるのだろう。

 その、結界が消えゆくさまを見届けた川中は素早くヘリに乗り込むと、ビルの屋上から飛び立った。

 このとき、彼は安田圭一の姿を探すのに必死だったから、「それ」に気づかなかったようだ。

 妖たちが見上げる空――そこには暗黒虚無も、四つの魔道門もない。

 魔界侯爵が地上に存在しないのだから、このことは当然といえば当然である。が、頭上からの圧倒的な威圧感と恐怖とが消えたことは、やはり喜びであった。

 今、妖をはじめとする生き残った者たちの眼には、晴れ渡った夏の青空が映っている。

「――ところで、妖」

 思い出したように、光炎が声をかける。

「戦いの最中、私たちの能力がパワーアップした理由を教えてくれませんか?」

 予想はついているが、それを自分に納得させるために、光炎は問うたのである。

「そのことか。簡単に言うと、お前たち三人の内部(なか)に眠る能力を、俺の魔力で活性化させただけだ。――以前から、お前たちの潜在能力の強さには眼をつけていたんでね。断っとくが、俺の魔力は与えていないからな」

「ふむ。ということは、つまり、俺たちもまだ強くなれるってわけか」

 嬉しそうに弾む獅天の声を聞いて、

「理屈だな、それは」

 と妖が応えた。

「それなら、妖。強くなったら、一度勝負してみないか」

「かまわんよ。ま、俺が勝つけどね」

「チ、チ。――まぁ、見てろって!」

 といって、獅天は豪快に笑った。

「――ねぇ、妖。魔界侯爵から何か聞き出せたの?」

 まだ大笑いし続ける獅天をほおっておいて、玲花は本題に入った。

「ん、ああ。いろいろとな」

 妖は、フェノメネウスと交わした会話を、獅天や圭一たち五人に詳しく話した。

 むろん、侯爵たちが地上に降臨した理由では、裏切り者の件はうまく隠していたが。

 そして話がランバートの一件に至ったとき、優子がそのあまりの内容に泣いてしまったほどだ。

「とにかく、ハルマゲドンの戦いの幕は上がったわけだ。もはや、人類に平穏な未来は残されていない。そう言っても過言ではないだろう。――だが、それをどうやって人々に伝えるか。話したところで、人々はそれを信じようとはせず、幻想となり果てた未来にすがりつこうとするだろう」

「…………」

「魔界侯爵は言った。覚醒できぬ人類は神魔大戦までに滅亡させると。邪魔な存在なんだと。〝美槌〟の存在理由は、今までは魔族復活の阻止となっていたが、これからは違う。魔空神王サタンの復活が宿命づけられた今、人類の神への昇華を促すのを第一の使命としていかなければならないんじゃないかな」

「人類の、神への昇華?」

「そうだ、玲花。もう、人間同士で争いをしている場合ではないんだよ」

 人間の歴史は、戦争の歴史だとよく云われる。人は戦争することなしに進歩しない。人類が戦争を忘れることが出来ないのは、悲しい事実だ。

 だが、神への昇華――進化には、戦いの記憶など必要ないのである。

 如何にして物事を深く洞察し、他人を愛することが出来るか。

 それが為し得たとき、その人は初めて〝天上の光〟を心の奥底に見出すことが出来るのだ。これこそ、人の変革の第一歩である。

「――まぁ、そういうことだ」

 妖は、黒く美しい瞳で、玲花を見た。

 玲花が少し照れたように微笑む。

 妖は、自分が魔界の裏切り者で翡翠の瞳の持ち主であることは、誰にも言わなかった。

 そう、玲花との別離の瞬間――人類を滅亡から救うため「奴」もろとも魔界へ突入する直前まで、愛する女にさえ話さなかったのである。

 それはそうと、と妖が安田圭一を見た。

「良かったな。義妹(いもうと)が戻って来て。大事にしてやれよ」

 妖の言葉に、圭一は、はあと頭をかく。

「あの…そのことでお訊きしたいことが…」

「何だい?」

「この十字架は、今まで何度も僕を助けてくれました。言ってみれば、十字架の起こす奇蹟に、僕は救われたのです。今度の――優子の一件も、そうした奇蹟の一つなんでしょうか。そして、何故、十字架はそんなにも僕を助けてくれるんです?」

「ふむ。そうだな。それは答えなくちゃいけない質問だな」

「お願いします」

 妖は、ああと頷くと話し始めた。

「わかった。――その十字架は、俺の魔力を霊的に変化させて創ったものだ。つまり、俺の魔力そのものなんだ。そして、それには、持ち主を守れという命令を呪文に変えて封じ込んである。だから、君を守った」

 妖は一度言葉を切って、圭一の反応を窺うように彼を見た。

 真剣な眼を、妖に向けていた。

 妖の心に、もしかしたら、という言葉が浮かんでくる。

「そして、義妹の復活の一件だが、侯爵にも同じことを訊かれたよ。そのとき、俺はこう言った。――知らない、とね」

「――!?」

 圭一が妖の言葉に愕然と顔を上げる。

 妖が微笑んでいた。

「わかるかい? 彼女の再生復活という奇蹟こそ、本当に神が生ぜしめた奇蹟なのだろうと俺は思う」

「ああ……」

 圭一が、感極まったような声を上げた。

 身体が興奮に震え出す。


 神は、我れとともに在る……!


 その思いが現実感を伴って、彼を抱きしめる。それは優子も同じだった。

「――さて、お迎えが来たようだ。もうすぐお別れだ」

「え…?」

 このとき、妖の耳には、近づいてくるヘリコプターのローター音が、はっきりと聞こえていたのである。

「その前に、二人に服をプレゼントしよう」

 微笑すると、妖は剣を左手に持ち替えた。

 ぱちん、といい音がする。指を弾いたのだ。

 圭一と優子に妖の魔力が集中する。

 空中に無数存在する物質が分子レベルでの結合を変化させていく。そして、それがある形をもって出現したとき、圭一たちはともかく玲花たちでさえ、無から有を創造(つく)り出す妖の魔力に驚嘆を隠しきれなかった。

 圭一には優子が来ているのと同じTシャツを、そして優子には下着とジーンズを進呈した。

 獅天が、ポカンと口を開けて妖を見ている。

 その眼は、こう語っていた。

 こいつ、こんなに優しい奴だったっけ?

 獅天は小さく肩をすくめた。

 まあ、いいか。妖の本性がどうあれ、玲花だけじゃなくて、俺や光炎までもこいつに惹かれているのは、どうやら事実らしいからな。

 妖がどういう奴なのか、それを見極めるには、じっくりとつきあっていく必要があるな。

 獅天は、そう思った。

 玲花は、獅天と妖の顔を見比べて、嬉しさを隠せなかった。

 また一歩、進んだのだ。

「――ねぇ、妖」

 そう言いかける玲花の声は、突然の爆音に吸い込まれた。

 ヘリのローター音である。

 川中の乗るヘリコプターが、ようやく圭一と優子を見つけ出したらしい。

 小さな点にしか見えなかったヘリが、ぐんぐん大きくなる。

 間違いなく川中のヘリであった。過去に何度か乗せてもらったことがあるので、圭一と優子は覚えていた。

 無論、そのときは父親の操縦だったが。

 ヘリが小さな影を彼等のそばに落としながら、ゆっくりと降下し始めた。

 なかなか慣れた手つきで川中が操縦しているのが、地上からでも見えるようになった。

 そのとき、妖が言った。

「二人とも、ここでお別れだけど、生きていろよ。君たちには生きていてもらわないとね」

「何故です?」

 そう圭一が訊き返す。

「そのときになればわかるよ。それから、安田優子さん、全て忘れるんだ。悪いのは悪魔だけでいいからね」

 そう告げた後、妖は二人を「回れ右」させた。そして、ぽんと背中を押す。

 走り出す二人。

 ヘリは、今いる場所から数十メートル離れた場所に着陸するようだ。

 そのとき、妖の背後で霊道が開き、獅天が「先に戻るぞ」と声をかけて、光炎とともにその中に姿を消していった。

 時折り振り返る二人に、玲花が手を振る。

 ヘリが高度を下げるにつれ、強風が圭一たちを取り囲む。

 土埃が舞い上がり、二人は思わず咳き込んだ。


 安全に着陸させることを第一にしつつ、川中はここに来るまで考えていたことがある。

 結界が消え始めたとき、彼は戦いが終熄したことを感じた。

 そして、安田圭一の姿を探し始めたのである。

 生きているのだろうか。

 敵を討つと言っていたが、それを成し遂げることは出来たのだろうか。

 そして、俺は、彼を探して、そして、どうするのだろう?

 考えて導き出した答えが、シンガポールにいる叔父のもとへ行く、だった。

 人影が見える。

 川中はヘリの高度を下げ始めた。

 人影は二つ。

 自分の友と――

 

 ヘリは見事に着陸し、やがてローターが停まった。

 風がおさまり、川中がコクピットから降りて来る。

 ヘルメットを脱ぎ、目の前に立つ二人の姿を見た途端、

「ゆ、優子ちゃんだぁぁぁぁ!?」

 素っ頓狂な声を上げ、川中は優子めがけてジャンプ!

 髪は無造作に切られて短くなってはいるが、間違いなく優子だった。

 圭一から、殺されたと聞いていた優子だ。

 抱き付こうともがく川中は、しかし二人の間に割って入った圭一に阻まれる。

 いつものやり取り。

「い、生きていたの…優子ちゃん」

 一息つき、川中は涙を溜めて、良かった、良かったと繰り返している。

 圭一は、その姿を見て目頭が熱くなった。

「――よし、決めた!」

 突然、涙を拭って、川中が声を上げた。

「安田を俺の秘書にでもするつもりだったが、やめた。優子ちゃん、君こそが秘書だ。うむ、決定」

「おい、川中」

 眉をヒクつかせて、圭一が川中の肩を叩く。

「何だ、安田か」

「あのな…なんだとは、なんだ。完璧に無視しやがって。資格もない人間を、どうやって秘書にするんだ。だいたい、俺たちゃ高校生だぜ。いや、それ以前に話が見えん。秘書って、お前、何をする気だ?」

「ん? ま、俺もいろいろと考えているんだよ。…って、どうした、安田」

「川中、お前にはすまないと思っている」

「な、何だよ、急にあらたまって…」

「俺たちのことさ。――俺はここに残ることに決めたよ」

「何でさ」

「それが、よくわからないんだ。なんて言うのかな、その……ここに残らなくちゃいけない、そんな気がするんだ」

「何なんだよ、それ。ここに残るって言ったって、どうすんだよ」

 川中は辺りを見回しながら言った。

 魔人により、近畿圏は直径一二〇キロに渡って壊滅させられている。もちろん、川中たちには魔人がやったなどとはわかっていない。

「何も、この破壊された土地で暮らすとは言っちゃいないさ。東北に、婆ちゃん()がある。そこにでもいくさ」

「…そうか。――優子ちゃんはどうする?」

「私…? 私は……」

 優子は、ややうつむき加減の顔を義兄に向けた。

 すがるような眼である。

 圭一に救いを求めているのだとわかった。

 川中は肩をすくめて、

「ま、いいさ」

 そう言ったが、やはり落胆の色は隠せないでいる。

「――なぁ、どうして優子ちゃんが死んだなんて嘘をついたんだ?」

 川中は、最大の疑問を口にした。

 圭一も優子も、これには返答に窮してしまった。どう説明すればいいのか。また、うまく説明し得たとしても、それがために川中を怯えさせ、優子を傷つけはしないか。

「なあ、どうしてだよ」

 しつこく川中が食い下がる。

「しつこいなあ、そのうち教えてやるよ」

「ちぇ、二人だけの秘密かよ。――しかし、お前変わったよなぁ。今までは線の細い男って印象があったのに、力強くなりやがって……俺が言うのも何だけど、優子ちゃんを頼むぜ」

「…ああ、わかっているよ」

 すまないな、川中。

「川中さん…ありがとう――」

 優子もまた、同じ思いでいるようだ。

「――さて、行くか!」

 突然、川中が元気よく顔を上げた。

「お前たちが日本に残る残らないはどうでもいいさ。とにかく、ここから出ようぜ!」

「そうだな、行こう!」

 圭一は、二人を必死に元気づけようとする川中に感謝した。

 その川中は、すでに優子の手を引いて歩き始めている。

「…………」

 まったく、手の早い男だ。

「圭一さん?」

 少しして、先ず優子が立ち止まった。

 義兄がやってこないことに気づいたのである。

 振り向くと、圭一は今来た道を見ていた。

 その視線の行きつく先には、美しい男と中野先生がいる。遠いので表情まではわからないが、先生が手を振っているようだ。

 優子にも、それは見えた。だから、いろいろとお世話になった感謝のしるしとして、二人は大きく手を振ってみせた。

 それが、どうやら川中の眼には奇妙な光景に映ったらしい。

 何故、手を振るのか?

「早く来いよ、安田」

 すでにヘリの操縦席に座った川中が、窓から身を乗り出すようにして叫んでいる。

「――誰か、いるのかよ!」

 友人が発した一言で、圭一は悟った。

 あの人たちの姿は、川中の眼には見えていないのだ、と。

 そう。彼等とは関わりを持たぬ方が、幸福でいられたのかも知れないのだ。しかし今は、それが真の幸福ではなく、盲目の幸福だということを知った。そして、人類の未来が暗黒に包まれんとしていることも知った。

 人類にも、「目覚め」の(とき)が来たのだ。

 圭一は、優子の手を取って歩き出した。

 本来、人間たちの住む世界へ。

 ここは魔界なのだ。

 二人がヘリに乗り込んでドアを閉めると、川中がヘリを始動させる。

 ローターが高速回転を始め、風を巻き起こす。

 三人を乗せたヘリが従容と上昇を開始する。

 圭一と優子は窓から顔を覗かせ、次第に小さくなっていく地上を見下ろしていた。

 川中は、ヘリの機首を旋回させ、西方へ向かう。何も西方浄土へ行くわけではない。ひとまず岡山県へ行くのだ。あそこなら、魔に侵されていないだろう。

 それに岡山には川中の母親の実家がある。実家が経営する製薬会社の本社ビルにはヘリポートもあるし、燃料も補給できるだろう。何よりも今は休息が必要だ。

 ヘリを自動操縦に切り替えつつ、川中は後部座席の二人に話しかけようと振り向いた。

 少女が、義兄にもたれかかるようにして、船をこいでいた。

 その義兄は、しかし、厳しい表情でヘリの窓から外を見つめている。

 そのとき、圭一は地上を見下ろしながら、不意に呟いた。

「何だ…? 地上に図形…?」

 その呟きを聞いた優子は眠りから覚め、圭一の横顔を見つめていた。


 ヘリを見えなくなるまで見送っていた玲花が、妖に声をかけた。

「私たちって、幸運だったのね」

「ん――そうだな」

 自分たちには、人にない能力を包んでくれる組織がある。多少の不協和音はあるものの、認めてくれる人々がいる。しかし、優子には、それがなかった。が、今はいる。今は安田圭一一人だが、それでも、彼女を守ってあげられる男なのだから構わない筈だ。

 いくらランバートの魔力が消えたとはいえ、彼女は未だ眼に見えない十字架を背負っている。その重荷を支えてやるのが、安田圭一の役目なのだ。

「あの二人、これからどうするのかな?」

「さてね。――これから、世界は大きな変革を迎える。これまでの常識が通じない時代がやってくるんだ。それでも、彼等は生きていくだろう。この地獄を乗り切ったんだ。時代が、彼等のような人間を求めているんだろう」

「時代が、求めている……」

「そういうことだ。――それよりも、問題は奴だ」

「魔界侯爵のことね」

 妖の魔力によって、フェノメネウスは深手を負った。闇に肉体と魂を喰われるのだ。そう簡単に癒えはしないだろう。ならば、動けない奴がどのような攻め方で来るのか。

 たとえどんな戦いになろうとも、妖には死ぬ気はない。自分の前に立ちふさがる者は全て斬って捨てるつもりだ。

 強くなるために。

 本当の自分に近づくために。

「妖、自分のこと、何かわかった?」

 玲花が訊いた。

 侯爵降臨の際のフェノメネウスと妖の会話を思い出したのだ。

 それに対して、妖は、いやと肩をすくめて、

「聞く暇もなかったよ」

「そ。――ねぇ、妖。私ね、たとえ記憶をなくす前のあなたが何者であったとしても構わないの。だから、ずっと私のそばにいて」

「ああ。約束するよ、玲花」

 妖は玲花の眼を見つめて言った。

「…俺、強くなるよ」

 妖が、己れの発した言葉を一言一言噛みしめるように言う。

 玲花が、うんと微笑した。

「瓜生恵子。恵子って呼んで。――期待してるわよ、妖」

 二人の唇が自然と重なった。そして二人は、先に戻った獅天たちを追って、霊道へと姿を消す。

 だがこのとき、妖は、己が足許に広がるある図形に気がついていたのだろうか。

 圭一の不審な呟き。それは、崩壊した文明の死骸が、邪龍の巻き起こした邪悪な魔風によって与えられた新たな姿を見ていったものだったのだ。

 圭一は見た。

 崩壊した大地の直径一二〇キロにも及ぶ巨大な円陣の内側に、無数の瓦礫による巨大な六芒星が描かれているのを。

 静寂の戻った大地には、ただ、風のみが吹き渡っていた。それは、妖気を含んで、血のように赤い色をした風であった。

                    第一部 完


聖魔妖人伝説 第一部「漆黒の魔道人」完結です。

長々と、しかも読みにくい物語にお付き合いくださいまして、ありがとうございます。

全3部完結ですので、あと二つ、物語は残っておりますが、少しまた書き溜めるために、

しばらくは間を開けるつもりです。

再開の折は、またおつきあいいただけると幸いです。


神月裕二 拝

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