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漆黒の魔道人  作者: 神月裕二
第1章 その年、六月――
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1

昔に書いた小説ですので、一部古い表現が見られるかもしれません。

あらかじめご了承ください。

 映画の本編が終わり、スタッフやキャストの名前がスクリーンを上り始めると、ぞろぞろと人々が映画館の出口から吐き出され始めた。手には、今観てきた映画のパンフレットを丸めて持ち、口々に何か話している。

「あーあ、腹へったなぁ」

「おっ、あの()かわいいなあ」

「あの女、やらせてくんないかなぁ」

「無理だろうなぁ…」

「もう、どーでもいいや」

「ったく、もうじき試験だぜ、おい」

「かったりぃよなあ」

 ほんの少し周囲に耳を傾けただけで、こんな具合である。誰も彼も、目の前の欲望に囚われ、自分のことしか考えないで生きている。

 世紀末だと騒がれたのは、いつのことでったのか。

 科学技術が発達し、さまざまな情報通信技術がより身近なものとなり、人々の脳裡から「世紀末」といった言葉が忘れ去られようとし始めた、その年の六月半ば――

 京都市にほど近い、人口十万人余りのその街に住む人々の中に、その少年たちがいた。彼等はそのとき、人ごみの中で、今観てきたばかりの映画の話をしていた。

 ご多分に洩れずパンフレットを持っているが、他の集団と違うところがあった。

 パンフレットを貪り読んでいる奴がいるのである。少年の名は青木健。その街にある公立高校の二年生で、映画研究会の副会長だ。

 その隣にいるのが、同サークルの会長にして、高校一の伝奇SF映画ファンを自称する安田圭一。

 肩を組んで映画の話をする二人の横でクレープをパクついている髪の長い女の子が、安田優子。そして、彼女のご機嫌を取っているのが川中義人であった。

 圭一たち三人がスラックスやジーンズ、スカートといったラフな服装をしているのに、川中だけがスーツで決めてきていた。

 圭一に言わせてみれば、「何も映画観るのに、スーツなんて着るなよな」となるのだが、気にした様子は皆無だった。

「っかし、何なんだよ、あの映画」

 と、青木健が不平たらたらで言う。

「まったくだ。ぬわにが、『今世紀最初で最後の(スーパー)サイコ・ホラー映画出現』だよ。いい加減にしろってんだ」

 圭一が、青木の言葉を継いで、映画の宣伝文句にケチを付けた。

「そりゃあ、確かに洋画だけあって、SFXには観るべきものがあったが…」

「それだけだもんな。やっぱ、ホラーと称するなら、恐くなくっちゃな」

「んだんだ。透過光ビシバシじゃあ、恐さが薄れるってもんさ。立派なクソゲーならぬクソ映だ」

「金返せぇ」

 とうとうそこに行き着いてしまった二人であったが、そもそも、最初にこの映画を観よと言い出したのは、実は青木と圭一の二人なのだった。期待していただけに、失望も大きいのだろう。

 そんな二人と対照的なのは、川中義人である。彼は、別に観たくもない映画についてきているのである。それは何故か?

 ひとえに、優子の存在である。二人の男が文句を言い続けている間中も、川中義人は安田優子を必死に口説いていた。

 だが、何を言っても優子はクスッと微笑むだけで、なかなかなびいてはくれない。いいお友達という程度にしか思っていないのだろうか。

 それを思うと、思わずトホホとなってしまうが、負けじと川中は頑張るのであった。だが、腹が減っては口も上手くまわらない。

「安田ぁ、メシどうするんだあ?」

 首をめぐらせ、川中は少し遅れている圭一を呼んだ。映画の批評に夢中になって、つい歩くのが遅くなったらしい。

 決して足が短いというわけではない、とは圭一の反論である。

「ん? ああ、そういえば腹減ったなぁ」

 というのが、圭一の答えであった。

 要するに映画のことしか頭になく、その後の予定を全く立てていなかったようである。

 そこが、安田らしいところだ。

 と、幼い頃からの親友である川中は思った。行き当たりばったりに行動するのが、どうやら圭一の性格のようだ。

 川中は口許に微笑を浮かべると、突如晩飯をおごってやるとのたまった。

「本当か?」

 真っ先にそう訊き返してきたのは、四人の中で最も食い意地の張った青木だ。身を半ば乗り出すようにして、眼をキラキラと輝かせている。

「じゃーん」

 そう言って、スーツの内ポケットから、川中は一枚のプラスチックカードを取り出した。

 それが、電子マネー用のICカードである。

 「どーんと任せなさい」

 そう言って、川中は、わははと笑った。

 川中が、三人を引きずり込んだのは、彼の家族がよく利用するというフランス料理のレストランだった。

 繁華街から少し離れたところにそれはあって、落ち着いて夕食を摂るのに適していると思われた。

 政界・財界に多くの知人を持つ川中家の長男らしい夕食となった。

 古き都、京都――。

 美しい、黄昏の京都には、落ち着いたピアノの調べがよく似合う。

 軽く食前酒をたしなみながら、川中は思った。透き通ったガラスの向こうには、街の夜景が見える。

 陽はすでに落ち、辺りは、太陽の残滓よりも人工の灯が目立ち始めていた。

 その光景に、時折り思いを馳せることがある。

 未来の京都にも、こんな美しさ、懐かしさが残っているのだろうか。

 古都、そう称される都、京都と奈良は、日本人の心のふるさとだと、誰かが言った。その通りだと思う。

 ずっと、未来永劫日本人の心の拠り所として、在り続けて欲しい。

 そう思った。

 川中が、少しセンチメンタルな気分で決めている頃、残りの三人は、運ばれてくる料理を前に、悪戦苦闘を繰りひろげていたという。

「をい……」


 店内の時計が午後八時を指す頃、四人は店を出てようやく帰途についた。

「おやあ? 優子ちゃん、顔が赤いよお」

 青木が、少女の美貌を覗き込んで茶化す。

 思わず優子がほてった頬に手を当てる。

「川中、てめえ、優子ちゃんに酒呑まして何する気だぁ?」

「この大タワケ! 酒なら、お前らも呑んだだろうが。ガバガバと四杯も五杯も!」

「あっはっは。そうだっけなあ」

 あさっての方向を見てとぼける青木。

「…まったく。呑ませろ呑ませろってせがむから、一番アルコール度の低いのを頼んだんだぞ。それを…お前らは…」

 そのときの様子を思い出すと、頭が痛くなる。あまりアルコール類の飲めない圭一はともかく、青木はよく飲んだ。いや、呑んだと言うべきか。

 優子の頬が赤く染まり、ほてっているのは、何も一杯だけ口にした食前酒の所為だけではあるまい。

「…そ、それは、そうと…何なんだ、あのカタツムリは!?」

「うーむ。あのまったりとして、それでいてしつこくないあの味…お主、プロだな」

「はっはっは。当たり前だ。この川中義人の舌に抜かりはぬわい!」

 と言ってから、

「――ね、優子ちゃん」

「はい」

 と、いきなり振り向いた川中に驚きもせず、優子はにっこりと答えた。

「また今度、連れて来て下さいね、川中さん」

「もっちろんですとも。次は二人きりで、グラスを傾けましょう」

 手を取り、優子を見つめる川中。

 やれやれと肩をすくめる青木。

 いつもと同じことをやっている三人。

 優子は、彼等とこの街が好きだった。こんな時、この街にやって来て良かったと思う。彼女の旧姓は島田といい、圭一の従妹に当たる。圭一たちとは一歳違いだ。彼女の両親は、彼女が幼い頃、何者かに惨殺されてしまっている。体内で、小型の爆弾を炸裂させたような、むごい殺し方だったそうだ。

 そのときの様子を、優子は良く覚えていない。思い出したくないがために、意識的に記憶を封じているのかも知れない。また、当然のように、圭一の家族もそのことに触れることはなかった。

 両親が亡くなり、一人残されてしまった少女を、仲の良かった圭一の母親が引き取り、安田優子として育てたのである。

 そのおかげというわけではないが、優子は可愛い女の子に成長した。今では、彼等の通う高校の男子生徒の憧れの的にまでなっていた。そのため、義兄としては、優子に変な虫がつかないかと気が気でなかったのである。

 そんな圭一に、川中はよく言ったものだ。

「いいか、安田。近親相姦は重罪だからな。よーく、そのドタマに刻み込んどけよ」

 と。しかし、その後に付け加える言葉のために、重罪とやらに説得力が甚だしく欠けてしまうのだが。

「ま、俺がお前なら、袋叩きが恐くて近親相姦がやめられるかって感じかな。法的には何の問題も無えんだからな、従兄妹同士って」

 こんな具合だった。

 どう考えても納得できる言い種ではない。そのことを、川中は知っていて言っているのか、それとも何も考えていないのか。圭一は、恐らく後者なのではないかと思っている。

 圭一と優子の家は、繁華街の喧噪から、これまた少し離れた住宅街にあった。先程寄ったレストランの反対方向に位置しているのだ。

 家の前まで来たとき、二人は川中と青木に別れを告げた。

「じゃな、歯ぁ磨いて寝ろよ」

「お前に言われるまでもないわ、安田よ」

 川中が圭一に向かって、あかんべえをする。と、圭一がお返しにと、ベロベロバーをやった。

「お休みなさい、川中さん、青木さん」

「そのセリフ、僕の耳にだけ囁いて欲しいなぁ、優子ちゃん」

「馬鹿言っとらんで、さっさと帰りなさい」

 圭一が、しっしっと川中を追いやる。

「へんっ」

 と鼻を鳴らし、川中は背を向けた。

 あわてて青木が続く。

 川中が優子を振り返って、笑いながら手を振る。少女もまた、愛くるしい笑みを浮かべて手を振り返す。

 優子はときどき思う。川中と圭一は、何故、こうも気が合うのだろうかと。青木もそうだが、圭一と川中の家には、もの凄い差がある。青木と圭一の家はごく普通の建て売り住宅なのだが、川中は違う。さすが、大手企業の社長宅だけあって、市街を見はるかす高台に居を構えている。だから、青木と別れたあと、電車に乗ってさらに一五分ほど揺られなければ帰れないのだ。

 川中の家――屋敷は、一等地に建てられた広大な、まさに邸宅である。広い庭には小さな池と小川が造られ、植えられた数々の樹々は季節の変化を眼で感じさせ、心を落ち着かせる。おまけに庭全体が芝生で、通路には大理石という()り様だ

 圭一と優子も、以前(まえ)に何度か遊びに行ったことがある。が、川中の性格なのか、屋敷の造りがフランス風だの何だのと自慢しようとはせず、変に金持ち意識をひけらかそうとはしない。そうでなければ、わざわざ映画館くんだりまで、足を運ぼうとはしないだろう。映画など、彼の家にある一〇〇インチのスクリーンで、いつでも好きなだけ上映できるのだから。

 容姿は良いのだが、性格の軽さが災いし、少しだけお金持ち程度の印象しか受けないのが川中義人であり、また、彼の一家なのである。

 そんな川中義人や青木健は、圭一の幼い頃からの親友なのであった。

 川中は、圭一と青木が公立の高校を受験すると聞いて、わざわざ志望校を変更したほどである。実に泣ける話だが、その裏には、次の年に義妹の優子も受験するという情報を仕入れていたからだという噂が、まことしやかに流れている。が、真実は定かではない。

 本来、川中が受験する予定であったD高校は、京都はおろか全国的にも知れ渡る大学を持つ、エスカレーター式の進学校であった。

 それを取りやめ、公立高校にすると言ったとき、教師陣は「そこを何とか」考え直せと説得を試みたが、無駄骨だった。

 担任や校長が両親にも相談を持ちかけてきたこともあったが、ただ笑っているだけで、息子のしたいようにさせてくれた。彼等もまた、そうだったからだ。

 結局、軽薄な教師たちは生徒の未来を考えず、一流高校へ何人の人間が入ったかという事実が欲しいだけなのだ。だから、いじめをなくすこともしなければ、教師という立場を忘れて女生徒に手を出す奴も出てくるのだ。

 無論、川中はそのことに気づいていた。だから、わざと反抗してやったのだ。

「自分は、薄っぺらな知識と世間体よりも、大切な友人を選びます」

 などと川中が言うわけがないが、内心はそうであった筈だ。

 川中は外見に似合わず、友情にあつい男なのだ。それは、圭一も認めているし、恐らく川中自身も認めていることだろう。さりげなく。

 家の中に入ると、居間の方でやかましい音が連続していた。圭一に劣らず映画好きな両親が、恐らくビデオ・オン・デマンドで昔の映画でも観ているのだろう。

 甲高い化物の哭き声。宇宙船内に侵入した巨大エイリアンとの息詰まる戦いを描いたシリーズ二作目、十数年前の映画と出た。圭一の映画好きは両親ゆずりなのだ。

 圭一の映画好きは先にも述べたが、その良い証拠が彼の部屋に並んでいるDVDやブルーレイの本数だ。六畳の室内には四つもの本棚があるが、そのうち二つが漫画の単行本、一つが小説(決して電子書籍ではない!)、残りの一つがDVDなどに占領されているのだ。だが、そればかりではない。最近は部屋には入りきらなくなった古い作品のビデオテープやLD、DVDが、居間に進出しつつあるのだ。

 両親は、好きなときに好きなだけ映画を観られるのだから、何も買う必要はないのに、とぼやいているが、圭一は、まだまだ甘いなと思っている。本当に好きなものは、いつだって、自分の手許に置いておきたいものなのだよ。

 そして将来は、映画鑑賞専用の部屋を持って、大画面、大音量で心ゆくまで幻想の世界に浸りたいなどという野望を抱いているのだ。

 それはともかく、教科書を部屋の隅に追いやり、所狭しと並べられたDVDやブルーレイの数々。その中に、名作と誉れ高い映画はただの一本もない。観たことがないという以前に、観る気がしないのだ。やはり映画は、いや漫画にしろ小説にしろ、なんらイマジネイションを刺激しない作品よりも、想像力が支配し、また想像力をかき立てるものでないと駄目だと思うのだ。だが、同時にそればかりでは駄目だとも思う。現実から離れすぎていても、実感が湧いてこない。そういう意味もあって、SFよりもホラーを圭一は好んでいるのだ。

 ライト・サーベルを振り回す冒険活劇よりも、風に揺れる柳の木の下の影、横町に広がる闇の世界に潜む恐怖の方がおもしろいと思うからだ。

 しかし、ごたくは並べていても、これほど膨大な量の映画を蔵しながら、今まで観た数はその五分の一程度にしか過ぎないのだ。観る暇がない上に、毎月毎月多くの映画が封切られ、また発売される。増える一方なのだ。

 しかし、そんな状態も、今度の夏休みまでだ。今年の冬から、否が応でも大学受験の準備を始めなければならない。だから、この夏休みを無駄に過ごすつもりはなかった。終業式が終われば、録画や購入してまだ観ていない映画を、一気に観てやろうと企てているのである。

 夏休みまで、あとわずかだ。しかし、その前にいやな存在(もの)が寝転がっているのを思い出し、圭一は辟易した。

 学期末テストである。クラスでもそれなりの頭を持っている圭一であるから、そんなに悩む必要はないのだが、それでも「テスト」と聞くとやはりうんざりしてしまう。

 受験地獄生の悲しい運命(さだめ)だ、と割りきれるものではなかった。

 溜め息をついたとき、圭一はふと思った。

 もし今、あの悪夢ともいえる阪神大震災並みの地震が起こり、この自分にとって財産とも言える単行本やビデオが全て焼失してしまったら、自分はどうなるのだろう。

 狂うのか、茫然自失となるか、それとも意外とすっきりしてしまうのかも知れない。

 ともかく、ディスクを眺めて溜め息をついていても仕方ないので、机の前に座ることにした。

 だからといって、素直に勉強を始める圭一ではなかったが…。


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