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漆黒の魔道人  作者: 神月裕二
第3章 圭一、そして地獄へ
12/24

3


 刃は、死人男爵の腹を裂く寸前で、受け止められていた。横に走った刃を、ファレスは両掌で上下から挟み込んだのである。

「くそっ」

 紀羅は刀を奪い返そうと力を込めたが、刃は万力のような力に押さえつけられ、ピクリとも動かなかった。

「ククク。どうやら、小僧、お前を見損なっていたらしい。――こんなものか?」

「う、うるさいわい!」

 紀羅は顔を真っ赤にして叫んだが、

「口ほどにもない」

 そんな少年をファレスは嘲笑うと、手首をちょっとひねった。その途端、ほとんど力を加えたように思えぬ掌の間で、紀羅の愛刀の刃が、バキンと折れた。

 魔人の力に圧倒され茫然となったのも束の間、次の瞬間、紀羅は後方へ飛びすさっていた。

 ファレスの新たな攻撃を察知したのである。

 死人男爵の右手がかすむ。と、その右手から鋭い銀光が飛んでいた。

 紀羅の胸めがけて。

 それが折られた刃の先端であると看破するよりも早く、紀羅は折られた刀を振っていた。

 ぎぃん!

 刃の先端は、紀羅の手に残った剣によって叩き落とされていた。

「な――!?」

 顔を正面に上げた紀羅の美貌が驚愕に染まる。ファレスが、少年の一瞬の間隙を突いて、目の前まですでに肉迫していたのだ。

 ファレスが、強烈な右ストレートを放つ。

 と見た紀羅はその場で跳躍し、それを躱した。いや、その筈であった。

 まさか、右ストレートが向きを変え、昇龍のように紀羅の顎を狙おうとは!?

 だが、紀羅も負けてはいなかった。

 アッパーの強烈な反動を利用して空中で一回転すると、獣のように四つん這いになって地上に舞い降りたのである。

「やるやないか、おっさん。――くく、何かおもろなってきよったわ」

「ぬかせ、小僧!」

 ファレスが、右手を勢いよく振り下ろした。

 いつの間にか手には黒い鞭が握られており、それが変幻自在に動き、伸縮し、紀羅を襲う。

 少年はその猛攻を、敏速な動作(アクション)で躱した。

「はっ!」

 その気合いは、ファレスの口から迸った。

 右掌を前方へ突き出し、魔力(まりょく)の塊を放ったのである。それは狙い通り紀羅の腹に命中し、少年を吹き飛ばした。

 塀に思い切り激突したとき、紀羅の呼吸が一瞬止まった。

「この鞭はな、魔界のアギョール沼に棲む魔龍ゲブルの髯から作ったものだ」

 その威力を紀羅に見せびらかすかのように、死人男爵は塀に向けて鞭を振るった。

 ビシィ!

 空気が鳴り、紀羅の顔のすぐそばに鞭の先端が激突する。

「――!?」

 まるで玩具(おもちゃ)のように、コンクリートブロックの塀が裂け、粉々に砕け散った。

「我が配下を倒した代償だ、受け取れ!」

 ファレスが死の鞭を振り上げた。

 思わず眼をつぶる紀羅。

 その鞭を受けた瞬間に、美槌は戦闘員を一人失うことになる。

 ファレスが、今まさに鞭を紀羅の真っ向上段から振り下ろさんとしたその瞬間だった。

 二人は、圧倒的な力が発揮されるのを感じた。そして、蒼い光が、邪悪な吸血の使徒を吹き飛ばす光景を霊視したのである。

「な、何だ、この光は!?」

 ファレスは、鞭を振り下ろすのも忘れ、そう叫んでいた。

 そのとき紀羅は、その蒼い光が何であるかを悟り、ファレスに感づかれぬように顔をそむけ、ニヤリと笑っていた。


 光を見たものは、彼等だけではなかった。

 亜空間にいる〝美槌〟の八導師たち、それに妖と玲花はもちろんだったが、あと二組いた。

 一組めは、四天王の獅天と光炎である。

 霊道を抜ける以前から不機嫌だった獅天は、京都の惨状を見てますます機嫌を損ねてしまっていた。もともと短気な性格の彼だが、こと妖がからむと、その本領を発揮してしまうのである。

 その夜の京都は、全き暗黒に支配されていた。そして、街は悪夢に染まり、死の街と化していたのである。

 街の至る所で悲鳴と獣の咆哮が上がる。

 そのたびに一つの生命が消え、悪鬼が生まれる。そして歩き出すのだ。

 生き残った人間たちの生き血と魂とを求めて。

 ナイフの鋭い光が閃くたびに、死人は生々しい返り血を全身に浴びて歓喜にむせび、嗤いながら肉を啖った。

 そして、その死体もやがて死人と化して街なかをさまよい出すのだ。

 そしてまた、金色の双眸が笑みの形に細まるとき、獲物は指一本動かさずに、己れの首筋を目の前の牙に差し出すのだ。

 吸血鬼の誕生だ。

 そんな地獄の惨状を招く原因が妖にあったと聞いては、獅天は黙っていられなくなった。

 小柄な、しかし筋肉質な身体を怒りの炎と変えて、獅天は光炎と並んで屋根の上に立っている。

 それぞれ、手に剣を持ちながら。

「――妖は、一体何を考えているんだ!? 星が言うには、見逃したらしいじゃねえか、天魔降臨の儀式をよ!」

 獅天が怒りを京都の街に撒き散らすように、憤然と喚く。

 しかし、彼の言葉通りだとすると、星は相当、彼自身の怨みで歪めた情報を獅天たちに伝えたようである。そんなことをする星も星だが、それをあっさり信じる獅天も獅天だ。

「いつだって、そうだ。奴は、自分の魔力が俺たちの能力と質を全く異にしているのを知っているのか、見下し、冷笑しやがる。今回だって、何であいつの尻拭いをするために、青森からわざわざ呼び戻されなきゃならんのだ!――え、そうだろ、光炎!」

 しかし、光炎は無言であった。身長が二メートル近くある巨漢は、常に沈着冷静で、口数が少なかった。獅天とコンビを組むのに最適の人物だと言えた。

 獅天はチッと舌打ちすると、

「あいつと組んでちゃ、玲花がかわいそうだ。パートナーも同罪だもんな」

 手を頭の後ろで組んで、わざと獅天は言った。

 もの静かな巨漢は薄く笑うと、

「――獅天、妖に玲花を取られたことを、まだ根に持っているのですか?」

 光炎は、大人びた口調で言った。実際、光炎が四天王のうちでは最年長だったし、最年少は玲花であった。

「な、何を言いやがる! 俺はただ――」

 本心を突かれて、獅天はどもりながら言い訳しようとした。その口調には、すでに怒気が含まれていた。

「星が妖に対して悪意を抱いていることは、あなたも知っているでしょう? その星が、妖の失敗をより悪く言っているのは明白です。それを、あなたは知っていて自分の気持ちに利用しているだけではありませんか。――何故、あなたも星も認めようとしないのです?」

 光炎は溜め息を一つついてから、諭すような口調で言った。

「彼は、私たちの仲間なのですよ。復活せんとしていた伝説の超魔獣〝ベヒモス〟を再び封印した、あのときから――」

 そうなのだ。三年前のあのとき――全員が妖の凄まじい能力を眼にしたとき、俺は認めたのではなかったのか。

 妖の、組織への参入を。

 しかし、いや、だからこそ、くやしかったのだ、俺は…。

 ただ、それだけだ。

「ああ。そうだったな」

 自嘲気味な笑みを浮かべた獅天が、無言で手にした広刃の剣を抜き放つ。

 光炎もまた、自分たちのぐるりを囲む気配に気づいていた。

 いつの間にか、二人は数十匹の邪悪な存在に取り囲まれていたのである。

 誰もがだらしなく口を開き、歪んだ笑みを浮かべている。

 白い乱杭歯が月光に輝き、涎が糸を引いて足許に落ちた。

 そして血走った双眸が、熱い血に飢えていた。

 獅天と光炎は背中合わせに立ち、相手の攻撃に備えていた。

「獅天、彼等の首筋をご覧なさい」

 そう光炎に言われて、彼は犠牲者の首筋に眼をやった。そして首を傾げて呟く。

「吸血の痕がないな」

 その声に、背後で巨漢が頷く気配。

 獅天の言う通り、つい先程まで首筋にあった筈の凶々しい吸血痕が、跡形も残さずに消え失せていたのである。

 しかし、人間に戻ったのではない。もっと凶悪な存在、すなわち――

「何かで読んだことがあります。普通の吸血鬼に咬まれたものは、七日間連続して血を吸われなければ吸血鬼にはならない」

「しかし、爵位の魔人――すなわち魔人伯爵の位にある神祖に咬まれたものは、その強大な魔力により、数時間を経ずして吸血鬼と化す――」

 すなわち、犠牲者ではなく、吸血鬼そのものとなるのだ。

「何だ、あなたも読んでいたのですか」

「ああ、幼い頃、お前の隣でな」

 光炎が、思い出したらしく、くすっと笑う。

「よお、兄ちゃんたちぃ。――なに、二人でごちゃごちゃ言うとんねん」

 獅天の正面に立つ麻薬中毒者(ジャンキー)のような顔つきの男が、よだれを垂らしながら言う。

「何か、恵んでくれよ」

 ギヒヒと笑う吸血鬼の顔は、まさに吐き気のするほどおぞましいものであった。

「なにが欲しい?」

 口許に笑みを浮かべて、獅天が問いかける。

「そおだなぁ、あつーい血を、いっぱい」

 (そいつ)は、長い舌で自分の口のまわりを舐め回した。

「――血、だとよ、光炎。笑っちまうな」

 笑いながら背後に声をかけると、光炎も必死で笑いをこらえているようだった。

 獅天は正面に向き直って、

「いいだろう。――ただし、俺たちに勝てたらな」

 ニヤリと笑い、剣を構える。

 光炎はやれやれと言うふうに、手にした巨大な剣――青竜刀を引き抜いた。この剣が仕えるのは、まさしく光炎のような巨漢のみであると思われた。

 しばしの静寂。

 空気が、殺気で凍りついていた。

 しかし、それはこの場だけのことであって、他では相変わらず女の悲鳴が上がり、ガスに引火したのか爆発が起こり、巨大な爆炎を天に噴き上げていた。

 そこでは八天部が死人や吸血鬼を相手に奮闘しているだろうし、紀羅はファレスと死闘を演じている筈だ。

「舐めるなよ、人間ごときが…」

 そいつのこめかみの血管が、今にも破裂してしまいそうなほど、びくびくと激しく脈打っていた。

 下等な生物に舐められたという屈辱的な事実が、彼の内側で膨れ上がっているのだ。

「これだけの吸血鬼相手に、勝てるわけねーだろうが!――やっちめえ!」

 男の号令一下、奇声を上げて、次々に吸血鬼が牙を剥き、獅天たちに躍りかかってきた。

「もはや、救いの道は――」

 狂気的な叫びを上げて喰らいつく牙を躱しざま、獅天はその大剣を振るった。

 轟ッ!

 その刹那、もの凄い竜巻が生じ、数名の吸血鬼を家屋の屋根ごと天へ(さら)っていった。

 大地に叩きつけられ血まみれになっても、それでも彼等は立ち上がって来た。

 さすがは不死――ノスフェラトウの悪魔。

 光炎の剛剣が烈しい剣風をまいて疾ったとき、刃から烈火の如き火炎が噴き上がった。

 文字通り〝炎の剣〟と化した青竜刀は吸血鬼どもの全身を地獄の業火で包み込んだ。

 彼等の細胞の再生能力を遥かに上回るスピードで、焼き尽くしていく。

 やるな。

 光炎の戦いをチラッと見た獅天は、心の中で呟いた。すでに彼の戦場は、屋根から地上へと移っている。

 獅天が剣を構えたとき、前後から同時に化鳥の如き声が上がった。正面の女は鉄パイプで、後方の男は自慢の爪を輝かせて襲いかかって来る。

「馬鹿め」

 獅天は吐き捨てると、ダンと地を蹴った。

 前方の鬼女が鉄パイプを振り上げた瞬間懐に飛び込んだ彼は、腹に強烈な横一閃を叩きつけた。

 あっさりと上下に分断され、地上に横たわる前に彼女は塵と砕け散った。

 それを見て怯んだ吸血鬼の胸に獅天の剣が突き刺さるまで、そう時間はかからなかった。

 吸血鬼は、己が胸を貫くものが何であるか理解する前に塵と化してその場に小さな山を作った。

 獅天の剣が発生させる超振動が、細胞の分子レベルにまで作用し、結合を狂わせて分解してしまうのだ。

 攻撃の号令を下した吸血鬼は、自分の仲間が次次に分解され、焼き尽くされていくのを見ていた。

 それで、とんでもない過ちをしたのではないか、と考えついた。

「ああ…」

 茫然とした声を上げて、そいつが後ずさる。

 それを、獅天たちが見逃す筈もなかった。

 ようやく地上に降りてきた光炎に、その場の吸血鬼の掃討を任せ、獅天は宙を舞って、そいつの背後に降り立った。

「何か、言い残すことはないか?」

 突然背後から声をかけられて肝を潰したのか、そいつは引き吊った笑いを獅天に向けたまま、口をパクパクさせているだけだった。

 獅天が、ニタリと笑ってみせる。

 顔中に汗を輝かせ、吸血鬼(そいつ)は震える声で言葉をようやくつむぎ出した。

 今にも泣き出しそうな声だった。

「…つ、ついてねえ…」

「全くだ。――じゃあな」

 ゆっくりと獅天の持つ剣が夜空に向けて上がり始め、そして――振り下ろされた。


「――終わったか、光炎」

 剣を一颯し、刃にこびりついた血と塵を払い落としながら、獅天は相棒(パートナー)に声をかけた。

 光炎の実力を知っているからこそ、獅天は結果も確かめずに、剣を鞘におさめられるのである。

 結果は、彼の思った通りだった。

「ええ。何とか」

 そうは言っているが、光炎の声にも余裕が感じられる。彼等しい返答の仕方だ。

 つまり、死人や吸血鬼はこの程度なのだ。だが、それ以上の存在が、今、この京都にはいる。

「――さて、それじゃあ、行くか」

 獅天が、うーんと伸びをしながら言ったときだった。

 その青い閃光が数キロ離れた地点から、夜空へ向けて放射されたのは。

「あれは――!?」

 二人の眼は、その光によって邪悪な輩が排斥されていくのをはっきりと捉えていた。

 光の持つパワーが、二人の脳裡に像を結んでいるのである。

「あれは、確か、玲花の持っていた十字架の光だ」

「と言うことは、あの光の中にいた少年が、安田圭一君ですか」

「そう言うことになるな。――ま、あの十字架があるんなら、本人が望まん限り殺されんだろう。――行くぜ、光炎」

「ええ」

 二人は走り出した。

 地上に降臨した三人の悪魔を、この地上から抹殺するために。

 吸血鬼が姿を消すであろう夜明け――空が白み始めるまで、まだ二時間近くあった。

 一体、その二時間で被害はどこまで広がり、あとどれくらいの人間が、人間でなくなるのだろうか…。

 地獄は、まだ始まったばかりであった。


 安田圭一を守った光を見た二組めは、そのとき空中にいた。

 虚空を音もなく滑るように飛行する黒い影が、それである。

 ただし、その影には一対の大きな蝙蝠の翼が生え、二つの白い美貌が乗っていた。

 魔界より降臨したもう一人の悪魔――魔人伯爵〝凶〟が、つい先程妻となった少女〝優子〟を抱いて飛んでいるのである。

 優子の瞳の色は、今や光り輝く黄金(きん)色であった。

 なにも吸血行為だけが犠牲者を増やす手段なのではない。凶の魔力には、もう一つ、口づけによらない吸血鬼化を促すパワーがある。

 それは、彼のように神祖でなければ不可能な術であった。暗黒は魔界を、朱色は血を表し、その二つを魔力(まりょく)に溶け込ませて、下僕としたい者の体内に注ぎ込むのである。すると、程なくしてその者の双眸は本来の色を失い、血に飢えた黄金色に変化するのだ。それに伴い、犬歯が伸び始め牙となる。

 神祖にとって、吸血行為は言ってみれば儀式的なものでしかないのだ。とくに結婚の時は、そうであった。自分と妻との血を混ぜ合わせることで、永久の誓いをたてるのである。

 無論、優子の首筋にも吸血の痕跡はあった。だが、それも蝙蝠の翼が生える頃には皮膚が再生し、消えていることだろう。

 最初に、その閃光を見つけたのは、凶の方であった。光が放たれる寸前に、高圧のパワーを感じたのである。

「何だ?」

 そのパワーの根源が判然としないため、凶は眉宇を潜めた。直後、光が放射されたのである。

 すぐそばだったので、その光景は他の誰よりもはっきりと感知できた。

 彼の下僕どもが吹き飛ばされる光景は、しかし、凶に怒りを起こさせなかった。

 もとより、凶は血に飢えた奴等を愛しいと思ったことがなかった。

 浅ましく、醜いだけの集団だった。

「あれは――」

 優子が、凶の腕の間から声を上げた。

 蒼い光の中の人影を、安田圭一――彼女の義兄と看破できたのは、やはり優子だったからである。

「どうした?」

 凶が問う。無論、彼にも人影は見えているが、それが何者なのかまでわからない。

 優子は、凶に光の中の人物について話した。

「あの人影が、お前の義兄(あに)だというのか」

「はい、間違いございません」

「すると、その少年は、強力な超能力者(サイキック)だったわけだな」

「いいえ、義兄は、ただの人間です」

「人間――ただの?」

 凶は釈然としないようだった。

 妻の言葉と事実の矛盾に戸惑っているのだ。

「しかし、あの光は、我等魔族を吹き飛ばす程強力な能力を持っている。そんな光を、何故ただの人間が――?」

「恐らく、奴等が、義兄に力を貸しているのでしょう」

 優子は、憎悪を込めた声で呻くように言った。その言葉の内容に興味を抱いた伯爵が、飛行を止めて空中に浮遊を始めた。

「奴等――?」

「はい、私の役目を邪魔しようとした者たちのことです」

 優子は、妖と玲花という二人の能力者について、知る限りのことを凶に話した。

 凶は、優子の話を聞いているうちに、妖という名の美貌の若者に会いたくなった。

 別に彼が同性愛者だったわけではない。

 切断された腕を再び身体にくっつけた不死身ぶり、そして〝侯爵の紋章〟の魔力牢獄を打ち破った彼の魔力(ちから)

 闘ってみたくなったのである。

 大魔王サタンに率いられる悪魔一族は、戦いに生き甲斐を感じる凶暴な生物だ。もっとも、上級悪魔――すなわち魔界貴族ともなれば仲間に友情や愛情を感じることもあるが。

 しかし、根本的なところでは、やはり戦いと血を好む種族であることに間違いはなかった。

「妖か――楽しませてくれるかな?」

 魔人伯爵は、端麗な相貌に冷たい笑みを閃かせて呟いた。

 その呟きを耳に、優子は走り出した圭一の姿を上空から俯瞰し続け、彼の走り行く先を眼で追った。

 やはり、あそこか――

 ニッと笑う。

「伯爵様。義兄(あに)の行く先がわかりました」

「ほう。で、どうする気だ?」

「先回りして、殺します。――私は、人間と訣別する光景を奴に見せつけ、その後で奴も殺そうと思っていました。義兄を我が手にかけることで、私は身も心もあなたに近づけるのですから」

 妖しく艶やかに微笑みながら、優子は決然と宣言した。

 もはや、高校生の少女とは思えない表情であった。

「良かろう。魂を恐怖と絶望とで締め上げ、完璧な魔族となって、我が許へ戻ってくるがいい。ただし、抜かるなよ。奴を守る光、厄介だぞ」

「承知しております、伯爵様」

「凶でいい」

 そう言って、凶は蝙蝠の翼を大きく羽ばたかせ、夜空を滑空した。

 風に波打つ漆黒のインバネスの中で、夫の腕に抱かれて少女は、頬を朱に染め、小さく頷いた。

「はい、凶」

 凶の口許に笑みが閃く。

「私はその後で、妖とやらに会いにゆこう。今はその強大な魔力(ちから)の存在は感じられぬが、奴は必ず来る筈だ」

「お気をつけて」

「わかっている。――お前もな」

 少女は、再び、はいと頷いた。

 漆黒の影は、もの凄いスピードで遠ざかり、あっという間に黒い点と化し、見えなくなった。


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