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「貴方が近付いてくるのがよくわかっていい」

 プァーッ、と甲高いクラクションを鳴らされて、私の意識は引き戻された。苛立ちの色が込められた警戒音に焦り、信号を見れば、青になっている。慌ててアクセルを踏み込む。

 一瞬、座席に押し付けられるような負荷。それもしばらくしたら消えた。


(寝不足かな……)


 だとしたら、自業自得だ。思い当たることはある。くありと出た欠伸がその証拠だった。

 朝の渋滞は、人をピリピリさせる。誰も彼も急いでいる。ああそうだ、急いでいるとも、さしてやりたくもない仕事をするために。そう答える人が大半ではないだろうか。かくいう私も、その一人。

 今日は家でゆっくりしたい気分なのに、……なーんて。

 そんなことを毎日考えている気がする。

 なんだかんだ、向かっている時点で、どこかで楽しんでもいるのだろうけど。



 耳の奥で、まだクラクションの音が響いている。知らず知らずのうちに、眉を寄せていた。

 あの音は、好きではない。好きな人も少数だと思うが。嫌いだと答える人の中でも、より嫌いが強い部類に入るだろう。


 意識を手放していた短い時間で、夢を見ていた気がした。

 最近はよく夢を見る。それも、同じ夢を。

 けれどどうしても、夢の内容を憶えておくことができない。見れば、『ああ、前に見た夢と同じだ』と気付くのに。おかしな話だ。


 楽しくて、哀しい夢。

 切なく胸を締め付けられる夢だ。


 確実にわかるのは、それが私の心地よい睡眠時間を奪っているということだろう。お陰様で目覚めは悪いわ、夜中に不意に目が覚めるわ。最近の寝不足はそれが原因だ。

 あんまりにも酷かったら、病院にかかろうか。とはいえ、この夢見の悪さを、いったいどこに相談すればいいのやら。精神科? 何かストレスがありませんかー、と言われて終わるイメージしかない。普段の労働状況を知ったお医者様は言うだろう。『自律神経がヤラれてますね』と。



「おはようございまーす」

 社内に入り適当な挨拶を発する。おはよー、はよ、とそこらかしこから適当な挨拶が返ってくる。

 目の下に隈ができている人間も、多々。

 そう考えると、私の寝不足は大したことが無いようにも思える。


 私を含め、ここに集まっているのは、デザイナー達だ。

 空間デザイナー。主に店舗や展示会ブースの設計を行うことが仕事。デザインの提案から、実際の施工の手配までを一括に担う。

 一人が同時に何件かを受け持つこともあり、しかもそのひとつひとつが顧客単位で対応する必要があるのだから、常に時間に追われる事になる。――当然といえば、当然だ。私たちにとっては何十件、何百件の内のひとつだけれど、顧客にとっては一回きりの大事なもの。金額も大きいこともあり、そりゃあ拘りも深い。拘りが深ければ、当然微調整にも時間が掛かる。

 明確なイメージを持っていない人も多く、ヒアリングをしながらデザインを固めていくことは、コミュニケーション能力を求められる。


 その分、やりがいはあるのだけれど。

 いかんせん、時間が足りない。


 かくいう私は、一昨日大きな案件が終了し、昨日は久々の休みを満喫した。長期の案件だったこともあり、他の受け持ちは割合短期でシンプルな案件をあてがってもらっている。そうでなければ、昨日も仕事だったはずだ。


 ただ――ほぼ死んだように眠って終わったことを、満喫、と示すのかは人によるだろうが。


 一般的に休日を満喫、というと、デートだとか、そういう色恋が想像されるようだけれど、この会社のメンバーは、大半が独り身だ。そもそも恋仲になったとしても、相手に会う時間が圧倒的に足りない。無理に会っても、最悪途中で寝てしまう。

 そんな“言い訳”を重ねる私は、かれこれ五年、彼氏なるものがいない。二十代後半の女性としては由々しき問題だ。仕事が恋人だから、とでも言っておこうか。あながち間違ってもいない。

 昔から、どうも恋愛には積極的になれない。自分が幸せになるイメージが湧かない。



待鳥(まとり)さん、ちょっと」

 デスクに着いてすぐ、部長が私を手招いた。

「前に話してた案件、今日改めて話をしたいんだけど、良いかな」

 この場合、ハイ以外の返答は求められていない。質問形式を取っている分だけ性質(たち)が悪いな、と考えながら、ハイと答える。


「新規のお客様なんだけどね、最近、ヘアサロン業界で注目を集めているカリスマ美容師なんだよ」

「なるほど」

 逃してなるものか、と。そういうことですね。

 ぽんぽこ膨らんだお腹を叩く部長は、デザイナーとしての腕は大したことはない。ただし情報収集と部下指導、営業的センスは抜群であったため、この会社の中枢たるデザイナー部門の長を務める、非常に優秀な人間だ。その彼が言うのだから、うちとしては是非今後主要としたい客先ということだろう。


 手渡された資料をペラペラと捲る。どうやら新規に出店する美容院の内装デザインに関わるものらしい。予算、オープン時期は決まっている。必要な情報を拾い集めていた目が、不意に、ある一点で止まった。

「…………」

「ああ、それがカリスマ美容師、薬師(やくじ)(しゅう)。イケメンだねえ」

 確かに、非常に整った顔立ちをしていた。カリスマ美容師の名を手に入れた理由の一つに、この顔の良さもあるのではなかろうか、と思える程に。けれど、引っ掛かったのは、それではない。

「この人、私……どこかで知っているような」

「そりゃあね、最近は雑誌にもよく取り上げられるし、テレビにも偶に出ているらしいし」

「いえ、」そうではなくて、と首を振ろうとして、止める。そうではなかったら、なんだというのか。「そうかも、しれません」


 ツキリ、と。頭に、刺すような痛みが通り抜ける。


「施工完了までの期間は長めに取って貰っているよ。デザインに関わる顧客は、より時間が掛かる傾向にあるからね」

 そういう人間は、基本的に拘りが強い為だ。ありがとうございます、と返しながら、私はこめかみを揉んだ。持ち前の観察能力でそのことに目敏く気付いた部長に、平気です、と笑い返す。

「概要はわかりました。初回の打合せは明日ですね。方向性が決まったら報告します」

「うん、よろしくね。待鳥さんなら安心だ」

 にこりと笑う部長につられて、頬を緩めた。




「いらっしゃいませー」

 軽やかな女性の声に迎えられた。美容院の店内には、甘い香りが漂っている。

「失礼、本日の午後二時にアポを取っているシックスホーン・デザインの待鳥です」

「――ああ!」受付嬢は、合点がいったらしく、ぱんと手を合わせた。洗練された所作、というよりも、人懐こい印象を与える笑顔だった。私はその方が人間味を感じるため好きだ。「お待ちしておりました。薬師は奥におります。ドアを抜けて右側の部屋になります」

 黙礼をし、指が示す方向へ進む。美容院の客やスタッフの間を通り抜け、関係者以外立ち入り禁止、のドアを潜った。

 シンプルな廊下に、ドアは四つ。自分が通ったドアと、左手に二つ、それから右手に一つ。消去法で、最後のドアが目的の人物がいるドアということがわかる。


 コンコンコン。ノックをすると、心地よい低音で、「どうぞ」と入室を促された。

「失礼します」ドアを開け、笑顔を作る。「はじめまして、本日お約束しておりましたシックスホーン・デザインの待鳥です」

「ご丁寧にどうも。薬師です。よろしく」

 時折抜ける敬語は、堂々たる彼の自信を裏付けているようにも見えた。名刺を交換する。薬師さんは私の名刺に視線を落とし、「椿さんっていうんだね」と笑った。

「ええ……」

 珍しい名前ならともかく、気になる程変わった名前ではない。戸惑う私に、彼は白い歯を見せた。

「僕の名前、木偏に冬で“柊”だから。なんだか親近感湧いちゃって」

 思い掛けない共通項に、きょとりと目を瞬かせる。

「ああ、確かに。“椿”は、木偏に春ですね。気付きませんでした」

 笑顔を返せば、何故だかジッと見つめられる。観察するような視線に居心地の悪さを覚えた。眉を寄せることを寸前に堪え、「私の顔、何かついていますか?」と微笑む。

「ああ、失礼。貴方が綺麗だったものだから」

「あら」するりと出てきた発言に、この人はこういう気障なことを難無く言ってきたのだろうなと想像する。この顔だ、恋愛経験は確実に自分より上だろう。しかし事実そうだとしても、動揺すれば侮られる気がした。「お世辞でも嬉しいです」


 それとなく流し、バッグから資料を取り出す。一部を手渡し、もう一部を自分の手に。どうぞ、と椅子を勧められ、一礼して着席する。


「いくつかオススメするモデルケースを持ってきました。あとは、当社の案内も載っていますけど……」

「後で目を通させてもらいます」

 笑顔での牽制に、だろうな、と納得する。

「それでは、先にお話をお聞かせ頂けますか。ターゲットや、店内の雰囲気はどのようなものにしましょうか」

 資料をバッグにしまうと、真正面から向き直る。意外そうに目を見張った薬師さんは、遊ばせた毛先を弄った。

「……春、かな」目を細めた彼は、クスリと笑う。「ちょうど貴方と同じだ」

 軽口はスルーして、「春がお好きなんですか?」と訊ねる。

「はい、とても」

 即答した彼は、それまでの悪戯っぽい笑みを引っ込め、どこか遠くへ思いを馳せるように、微笑んだ。本当に愛おしいものを見つめるような眼差しに、思い掛けずドキリとする。


「僕にとって、大変思い入れのあるものなんです。店内の雰囲気を、ある一つの季節をメインにするというのは、リスクもあるわけですが」

 春をイメージした店内は、冬になると浮いてしまう可能性もある。クリスマス、正月、節分、エトセトラ――これらの季節イベントを、ある種捨てる一面も持つ。かといって中途半端にどこかに偏らせると、“趣味が悪い”という評価に繋がりかねない。

 ただ、やりたい、とクライアントが口にしたならば。

「お客様の希望を形にするのが、私どもの仕事ですので」

 お任せください、と目を伏せる。しばらくしてから、控えめな笑い声が正面から聞こえた。



「これはまた、随分と頼もしくなったもんだ」



「……はい?」予想外の発言に、素っ頓狂な声が漏れた。空咳をして精神を整える。「失礼ですが、どこかでお会いしたことが?」

「思い出したら、教えてあげます」

 薬師さんは、人が悪そうに笑った。




◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇




 ――そして今日も、夢を見る。


 からんころんと音を鳴らしながら、私は歩く。あの人から貰った、たったひとつの贈り物。

「貴方が近付いてくるのがよくわかっていい」

 彼は嬉しそうにしていた。


 身分違いの私は、彼からの“施し”を受ける立場にはなかった。一介の使用人に、高価な物を贈ったとなれば噂が立つ。彼が悪く言われてしまう。それは嫌だった。


 一緒になれる未来は、どこにもない。

 わかっているのに、どうしようもなく惹かれた。

 心を奪われても、苦しいだけだというのに。


 愚かにも、愛した。

 それが徹底した嘘でなかったなら、彼もまた私を想ってくれていたように思う。




 買い出しと、その付き合い。そう称して、道を歩く。並んでは歩けないので、私は少し、後ろを。絶対的な距離感。引かれた線。

 着物の裾から見える、大きな手。あの手が温かいことを、私は知っている。けれど、太陽に照らされた明るい場所で、その温かさを知ることはできない。あの温もりは、きっとお日様の下でも心地よいはずなのに、予想はできても答え合わせはできない。


「――様」


 名前を呼べば、ん? と柔らかく微笑んで振り向く。呼び掛けてから、なんの用事も無いことを思い出した。そもそも使用人が、主人を呼び止めるなど……。

 顔を赤くし、なんでもありません、と俯く。



 貴方と横に並んで歩きたい。

 なんの気負いも、躊躇いもなく、自然と、堂々と。



 その立ち位置が欲しいだなんて、欲張りにも程がある。

 唇を噛み締めた私の肩に、彼の手が触れる。

「あの店、入りたいな」

「は……あ、はい!」

 おおよそ彼の趣味には合わない店だ。目を白黒させながら、先を歩く彼に慌ててついていく。

 物音ひとつ無く、どことなく仄暗い店内は、お世辞にも繁盛していると言い難い。店主の姿すら、見えるところになかった。

 その中で、彼はそっと私の手を握った。


「……貴方に似合いそうだね」

 彼が手にしたのは、花飾りのついた(かんざし)だった。丸い花弁がぐるりと取り囲む飾りが二つ。淡い赤の花だ。小さな鈴がついており、揺らすとからんころんと音が鳴る。

 一目見て気に入ったけれど、目を泳がす。

「少し私には、その……目立ち過ぎる気が」

「そうかな」

 そうは思わないけれど。彼は言い、簪を翳した。

「これ、貰ってもいいかい?」

 店の奥へと、声を掛ける。どうぞ、の代わりに、ぶっきらぼうな声で、金額のみが返ってきた。出てくる気配は無い。

「困った店主だけれど、好都合だな」

 彼は悪戯っぽく笑い、言われた通りの金額を棚に置いた。一片の迷いも無く購入に踏み切った彼を、私はぽかんとしながら見ていた。

 優しい目をした彼が、簪を私の髪にそうっと挿した。


「こ、困ります! こんな……!」

「いいから」有無を言わさない声だった。「貰ってくれ。頼むから」

 命令なのか、頼み事なのか。とても曖昧な表現だ。その声の中に真摯な熱を見つけ、思わず口を噤めば、彼は私の手を引いて、歩き出す。

 店から外に出る。太陽の光が、眩しかった。


 静かに、手が外される。彼の背中を視線で追った。

 一歩、二歩。進む。からんころんと音が鳴る。

 ちょうど二歩分、先にいる彼が、笑いながら振り向いた。



「貴方が近付いてくるのがよくわかっていい」



 ――彼の結婚が決まったのは、それからすぐのことだった。




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