かくしごと(過剰防衛)
目を覚ますと時計は二十時を回っていた。
たった三時間で右腕は元通り、違和感もない。
「どうだい、古代の技術は世界一だろう?」
「それ以上にシーラさんの腕あってこそですよ」
魔導流体生物を原料とする万能細胞を使っているとはいえ、ノリみたいにペタペタくっついたりはしない。
神経は神経に、筋肉は筋肉に繋ぐ必要がある。
そういうのを短時間でパパッとやってしまえるあたり、シーラさんもただものじゃない。
「上じゃあパーティをやってるらしい。行ってきたらどうだい?」
「……帰ろうかな」
正直、宴会は苦手だ。
なんだか気が付くと一人になってるんだよね。話の輪はいつも遠い。
スマイルズ先輩みたいに、最初っから最後までノンストップで喋り倒せるならきっとすごく楽しいだろう。
「他の冒険者と友好的に接するのも仕事のうちさ。ランクAならなおさらだ。
地位には責任が付きまとう、アルフくん、諦めて参加することさ」
「分かってますよ。シーラさんはどうするんですか?」
「適当に読書でもして帰るさ。泊まり込むかもしれないけれど、一人になりたい気分でね。
さあさあ閉店だ店じまいだ、用事があるなら明日にしておくれ」
たぶん、僕が頼めばここに置いてくれるだろう。
でもシーラさんは心配してくれているのだ。
十代でランクA。嫉妬を集めるには十分なステイタスなわけだしね。
「ありがとうございました。次はオーバーテクノロジーなものを探してきますよ」
「気に入らないアイツを消すスイッチなんかを期待してるよ」
ドラえもんに"どくさいスイッチ"ってあったよね。
……シーラさんなら良心の呵責もなく使いそうな気がする。
彼女の研究室はギルドの地下にあって、階段を昇るとすぐそこは食堂だ。
だからどうあってもパーティに巻き込まれるのは避けられなかったりする。
「おうおうおう、待ってたぜ待ってたぜ、今日の英雄ぅ!」
ビール片手にすっかり出来あがったスマイルズ先輩が、グッと肩を組んでくる。
「オラオラちゅうもーく! 注目だぁテメエら!」
パン、パン、パン。
大きく手を打ち鳴らす先輩。
「ここにおわす、ヒック、アルフレット、ええと、ヘイスヒン? スカンピン?
ともかくコイツはなあ、すげえ大活躍だったんだよ! ズサーッとリースレットのピンチを救ってだなあ、こう、キラキラキラキラってな!」
僕はそんなお金のなさそうな名前じゃないし、キラキラキラキラって意味がわからなさすぎる。
「なるほど、キラキラなんだな!」「キラキラなんですね!」「キラキラ!」
それで納得してしまう冒険者たちの知能指数が心配だ。
お酒でステータス異常を起こしているのか、もとからそうなのか。前者であってほしい。
「おうよ、もうキラッキラの大キラってヤツだぜ!」
僕のネガティブイヤーには、嫌い嫌い大嫌いと聞こえたけれど、まあ、ただの被害妄想だろう。
「とりあえず全員、お手を拝借だぁ! かんぱーい!」
ジョッキを高く掲げる先輩。
他のみんなもそれに合わせる。「乾杯!」「カンパイっ!」「ヒーホー!」 あちらこちらでカチャンカチャンとジョッキが鳴る。
「おーいアルフぅ、まぁたひとりだけジュースかよ」
微妙に呂律の回らない調子で絡んでくるスマイルズ先輩。
「故郷の決まりなんです。お酒は二十歳になってから、って」
田舎の村のことじゃない。
日本の法律だ。
なんでそんなものを律儀に守っているかと言えば……一種のホームシックだろうか。
わりと力こそすべてなこの世界で、自分が日本人だったことを忘れないために。
あの国の法律と倫理観に、従える範囲で従っている。
「前から聞こうと思ってたんだけどよぅ、なんで二十歳なんだよ?」
どうしてだろう?
未成年に有害だからとか聞いたことがあるけれど、だったら二十歳でピタリと無害になるんだろうか。
たぶん違う。
そこには当時の情勢とかアルコール会社の都合とかいろんな事情があるんだろうけど、不勉強にして僕は知らない。
だから。
「そういう宗教なんです」
新興宗教ニホン教。
信者は僕ひとり。
日本のルールを可能な限り適用して生きていく。
とっても曖昧な教義の信仰だ。
でもまあ、社会の決まり事なんて本質的には無根拠だしね。
「宗教かぁ……宗教じゃあ、仕方ねえなあ……。
くぅ、あのシスターも、シスターじゃなかったらなぁ。でも修道服つうのはエロいし……」
なにやら地雷を踏んだらしく、深いため息をつくスマイルズ先輩。
「火遊びもほどほどにしないと刺されますよ」
「大丈夫だ、大丈夫。そういうのに寛容な相手しか選んでねえしよお」
本当だろうか?
その割にはよくトラブルを起こして追いかけまわされている気がする。
都市国家ノモスは一夫多妻を許容しているけど、アニメみたいなハーレムなんて実在するんだろうか。
男同士でも相手が何を考えているか理解しきれないんだ。
異性、女性ならなおさらだ。
気が付かないところで負担をかけているだろうし、ああ、うん、考えるのはやめておこう。
このへんはキリがないし、僕の場合は敗者のヒガミになる。
だってさ。
リースレットさんに出会うまで、何人か「ちょっといいな」って思う子もいたんだけどさ。
みんなスマイルズ先輩の方に行っちゃったんだよね。
僕はなんというか、「将を射ずくんばまず馬から」的なサムシング。ジェットストリームアタックでいうならガイア、つまり踏み台。
どうでもいいけどガイアって名前は元々ギリシャ神話に出てくる大地の神様だし、ある意味で踏まれて当然って感じではあるよね。
――他の男で妥協するくらいなら、本命の"二番目"がずっとマシ。
昔、そんな呟きを聞いたことがある。
誰の言葉だったか憶えていないけれど、ときどき、胸の中に蘇る。
なぜか、リコの声で。
酒気にやられたんだろうか、頭が痛い。
少しでも薄めようと思って、目の前のコップを手に取った。
飲み干そうとして――ゲホッ! ゲホッ! これ、葡萄ジュースじゃなくて、葡萄酒だ!
「アルフ君、それは私のコップなんだが……」
「リースレット、さん?」
ちょっと考え事をしている間にイリュージョンが起きていた。
絡み酒の先輩はどこかに消え失せ、代わりに現れたのは赤髪のあの人。
ちょっと困ったように、細い眉を寄せている。
「す、すみません。間違えちゃって」
すぐ横に僕のコップはあった。ゴクゴク。お子様でも安心の味、古代印のブドウジュース。精製器は前に僕が拾ってきたやつだ。
「いや、構わない。ずっと見かけなかったが、どこに行ってたんだ?」
「えっと、その」
右腕を斬られちゃったんでシーラさんのところで繋いでもらいました、なんて言えるわけがない。
せっかくここまで隠し通したんだ。嘘には責任が伴う。ちゃんと果たさないと。
「地下の書庫です。何匹か、普段と違う動きをしているヤツがいましたから」
「そうなのか?」
「ええ。アンプバット、前より厄介になってます」
半分は嘘。書庫には入っていない。
半分は本当。アンプバット。左右の翼から怪音波を発する蝙蝠だ。
前はキィキィうるさいだけだったけれど、今回は三半規管をグラつかされた。
僕自身は急降下爆撃戦法なんかで慣れてるから平気だけど、他の冒険者にとっては死活問題だろう。
いちおう、シーラさんを通して上層部には報告してある。
「ならいいんだ。実は、だな。君が私を庇って怪我をしたんじゃないかと思って……」
リースレットさんの表情は曇っていた。
そうさせたのは誰だ?
僕だ。
もっとうまくやれば、ほんのわずかな疑いすら抱かせずに済んだのに。
乱暴にコップを掴んで、中身を飲み干した。
熱い、苦い、おいしくない。
僕はバカだ。うっかりしていた。二度も繰り返すなよ。
リースレットさんの、飲みかけの葡萄酒。それを横取りしてしまっていた。
耳が、かあっと熱くなった。
* *
「あっ――」
リースレットが止める間もなく、アルフは葡萄酒をカラにしてしまっていた。
「……っく」
少年は小さくシャックリをする。
アルコールが回ったのだろうか、顔が赤い。
(彼が飲むところ、初めて見たな……)
酒は二十歳になってから。
彼は信仰上の問題で、それを頑なに守っていたのではなかったか。
あの真面目そうな少年が戒律を破るなど――。
(私は、よほど大きな地雷を踏み抜いてしまったのかもしれない)
実際はアルフレッドがポカをしただけだが、もちろんリースレットは気付くはずもない。
彼を怒らせてしまったのではないか。
なぜ?
決まっている。
(足を引っ張ってしまったからだ)
今日の自分は集中力を欠いていた。
古巣から忘れ物が届くと聞き、昨夜はまったく眠れなかった。
昔の苦い思い出がずっと頭をよぎっていたのだ。クエストに出てからも、ずっと。
(一人だったら、殺されていたかもしれない)
狼男のチェーンソーに首を落とされ、この身はダンジョンに食われていたことだろう。
けれどそうならなかったのは、アルフレッドのおかげだ。
――さっさと撤退してください、足手まといです。
言い方はキツいが、本気で心配してくれてる。そう思っていた。
情けないながらもどこか胸の奥が暖かくなる気持ち、だったのだが。
「ケガなんてするわけがないでしょう」
冷たく、そう言い放たれる。
「もし身体がどうにかなったとしても、それはあくまで僕の自己責任です。冒険者ってそういうものでしょう?
自分が責任を負えないようなことはやらない。基本事項です」
だったら、君に助けられてしまった私は冒険者失格だろうか?
「だからリースレットさんは気にやまなくていいんです。
もしも負い目に感じているなら、他の誰かが追い詰められた時に手を貸してあげてください。
親切ってのはそうやってめぐりめぐって、世界をほんのすこしだけ良くしていくものなんですから」
他の誰か。
それはつまり、君への恩返しは許されないと。
自分はそれに値しないということなんだろうか。
「僕の事なんて、気にしないでください」
まるで謙遜じみたその言葉が、しかし、リースレットにはまったく逆の意味として聞こえた。
おまえのことなんてどうでもいい、と。
――彼女はしばらくのあいだ茫然としていた。ふと気づくと少年の姿は消えている。慌てて見回せば、人目を避けるようにしてギルドから出て生きつつあった。
(待って!)
なぜだか分からないが、追いかけなければならないという衝動に駆られていた。
(私のことは別にどれだけ見下したっていい。嫌ってもいい)
けれどせめて、お礼くらいは言わせてほしい。
「リースの嬢ちゃん、どうした!?」「飲みすぎか!?」「このチキン、うめえから持ってけよ!」
人ゴミを掻き分けて、外へ。
遅かった。
魔導灯が照らす夜の道。
少年の小さな背中がさらに遠ざかり――曲がり角に消えた。
自転車に乗っていた。全速力だった。
よほど怒り心頭だったのではないか。
「リースさーん、どうしたんですかっ?」
快活な声で話しかけてきたのは、同じ冒険者の少女、シルキィ。
鎖鎌を、手ではなく足で使いこなす変わり種だ。……まあ、ランクAはみな奇妙な戦い方をする人物ばかりなのだが。
「逃した魚の大きさに、後になって気づいちゃった感じの顔ですねっ!
なんでもないようなことがシアワセだったけど二度とは戻れないわー、的な!」
「……そうかもしれない。アルフ君とは前々からギスギスしていたが、今回で完全に愛想を尽かされたかもしれない」
「はぁ? ちょっとリースさん、バカ言ってんじゃないよプレイバックですよそれ。
お二人ともめちゃめちゃ仲がいいじゃないですか。いっつもクエスト一緒ですしっ!」
「それはスマイルズが気を遣ってくれてるんだよ。アルフ君は優秀だからな。私に何かあってもすぐにリカバリできる。
ただ、とうとう我慢の限界だったらしい」
「いやいやそんなまさかのカサマさんですよ。アルフレッドさんに限ってそれはないですって」
「だが、思わず酒に手が出るほどだったんだ。
それに……人間、酔うと本音が出るというだろう? だからきっと、あれが彼の本心なんだよ」
「ふっ、何を言われたかは知りませんけど、何を言えばいいかは知ってますよっ!
お酒って思いもよらない言葉を引きずり出しちゃうこともありますし、案外、ツンデレ的なあれやこれやだったり?」
「……だと、いいんだが」
リースレットは肩を落とす。
ふと、左手にフライドチキンを握っていることに気付いた。食堂を出る時に手渡されたやつだ。
「あっ、それ食べちゃっていいです? いいですよね、いいですよ、よしオッケー!」
大盗賊の孫らしく、スルリとフライドチキンをかっぱらうシルキィ。
「うぅ、なんですかコレ、めっちゃくちゃ塩っ辛いじゃないですか……。涙出てきましたよ……」
「すまない、私のせいで」
「別にリースさんは関係ないですよっ、マシュマロ級に無関係ですっ!」
リースレットはときどき、シルキィの言ってることが分からない。
なんでも彼女の父親が変わり者で、妙な歌をよく教えていたのだとか。
他の冒険者も基本的にはスルーしているが、なぜかアルフとは楽しそうに喋っている。
自分にだけは冷たい彼と。
……少し羨ましいと、感じてしまった。