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カジェロ

 アルフレッド、そしてカジェロ。

 両者はもつれあうようにして祭壇へと倒れ込んだ。

 身を起こし、相手を睨みつけ、殴りかかる。そのタイミングはほぼ同時で。


「っ……ぁ――!」


「ぅ――ぁ……!」


 互いの拳が交差し、互いの頬へと叩き込まれていた。

 

「ぁぁぁぁ……ああああああああああああああああっ!」


 しかし次に動いたのはアルフレッドの方が早い。

 右手ですかさずカジェロのネクタイを掴む。

 こちらに引き寄せながら左拳で一打、二打、三打――。


「過去を引きずってる!? 自己欺瞞で強がってる!?

 散々こっちをこき下ろしておいて、全部そのまま――そっちだろう……ッ!」


 人間たちに敗れたことを受け入れきれず、"人間のすばらしさ"とやらを持ち上げることで惨めさを忘れようとする。


「遠回しな遠回しな、賞賛風の自慢じゃないか! 僕と同類だな、同レベルだよ、カジェロ!」


 自分は前世を受け入れきれなかった。

 だから悩んでる風を装って罪の意識から逃れようとした。


「神? 悪魔? 知ったことか! 君は――お前はちょっと大きな力を持っているだけで、実際は人間と大差ないんだよ!」


 容赦のない打撃はアルフレッド自身の左手をも傷つけていた。すでに皮膚は破けている。示指に至っては折れていた。

 加えて先刻、前腕を抉られたばかりである。回復術式(ヒール・スペル)で塞いだ筈の傷は開き、とめどなく血が流れ続ける。


「言わせて、おけば……ッ!」


 カジェロもただ殴られているわけではない。


「少なくともわたしは――()()()()()()()!」


 殴り返す。

 おそらくはこの瞬間、カジェロは自らを偽る仮面(わたし)を投げ捨てた。

 

「俺は貴様のように、無様を晒してはいない!」


 意識がグラついたのだろうか、アルフレッドの右手がネクタイから離れる。


「幼馴染の女に殺された? そいつがひどい浮気性だった?

 ――出会い頭にそんな重い話をぶつけてくるな! 反応に困るだろうが!」


 召喚直後のこと。

 恋愛相談に乗ってやってみれば、転がり出てきたのはあまりにもドロついたエピソード。


「いつまでもウジウジ悩み続けやがって、どれだけ思春期を引っ張りゃ気が済むんだこの万年青二才!」


 前世を含めれば三十年近く生きているくせに、いつまでたっても青いまま。


 ガキみたいな潔癖症をこじらせて、リースレットには悪態をついてばかり。 

 ゴロツキ一匹(ダッジ)退治するだけでも、酒のせいだ何だと理由をつけなきゃ動けない。


「鬱陶しいんだよ、ウザったいんだよ! 

 自分は主役じゃないんです脇役です格好いい事なんてできません――そうやって生きるハードルを下げてるんじゃねえ!」


「それは……そっちも、そうじゃないか――ッ!」


 もはやアルフレッドの左手は使いものにならない。右拳を握る。一歩踏み込んでのフック。しかし受け止められた。ニヤリと口の端を釣り上げるカジェロ。気に食わない。だからその鼻っ柱を――自分の額で殴りつけた。頭突き。そのまま何度も繰り返す。頭が揺れる。脳が揺れる。意識が朦朧とする。それでも容赦しない。


「神様だったことに未練タラタラで、精霊になったことを認められず……だから悪魔なんて自称して!

 もう一回言ってやる、お前と僕は同レベルなんだよ、カジェロ! だからデタラメな術式だろうと召喚できたんだ!」

 

 すでに両者とも顔は見れたものではない。

 どこもかしこも腫れ上がり、鼻と口からは血液が滴っている。


「でも僕はお前に感謝してるんだ! お前のおかげで変われたんだ! 

 他の誰が否定しようが、カジェロ、君は僕にとって救いの神だったんだよ!」


 すでにアルフレッドにものは見えていない。だがカジェロの存在は感じる。無我夢中で言葉と打撃を放ち続けた。


「だから戻ってこい、こっちに!

 クラウスみたいなポッと出の雑魚い黒幕風の小物なんかに操られてるんじゃない、"万魔の王"なんだろ!?

 『彼の計画は見抜いていましたからね。最高の形でご破算にするために演技をしていたんですよ』くらいは言ってみろよ!

 いつもの、あの余裕ぶった強キャラ風の態度で! 言えよ! 言いやがれよ! カジェロ!」


 何度目になるかわからない、頭突き。

 よろめくカジェロ。しかしギリギリで踏みとどまって。


「――お説教はもうたくさんですよ、我が主(マスター)


 同じく、頭突きで返す。

 額と額がぶつかり合う。互いにどちらも後ろに引かなかった。鼻先と鼻先が触れ合うほどの距離。


「まったく、あなたは本当に愚かですね。わたしごときで力を使い果してしまうなど」


「……そう思うならもっとはやく正気に戻ってくれよ」


 そして。

 両者ともにその体は弛緩し。


 ぐらり、と。


 血染めの祭壇に、倒れた。




 * *




「まったく、カジェロの言う通りだよ。キミってほんとうにバカだよね!」


 怒り半分呆れ半分。

 そんな調子でシーラさんは僕の手当てをしてくれた。

 めちゃくちゃレアで高価な霊薬(エリクサー)をガンガンに使いまくってくれたけれど、予算的に大丈夫なんだろうか。


「そりゃもう大・大・大損害さ! 帰ったら請求させてもらうから覚悟しておくんだね!」


 早口でまくしたてる様子は昨日までの元気なシーラさんと変わらない。

 相当の重症だったと思うけれど、もう回復しきったんだろうか。


「そりゃあ命あっての物種だからね。キミ以上に霊薬(エリクサー)づくしだよ。

 ちなみにボク自身の治療費もそっちにツケるからね。当然だろ? カジェロにやられたわけだし、主が責任を取るべきじゃないか」


「……見積もりのほどは」


「百億万ベイルかな」


「そんな単位ありませんよ」


「キミが一生働いたって返せない額なのは確かだね。と、いうわけでアンデッドになろうか」


「もうちょっといい返済プランはありませんか、その、身体で返すとか」


「魅力的なお誘いだけどアウトだよ。リースレットに殺されてしまうからね」


「……"お姫様"呼びはやめたんですね」


「色々あったのさ。そうそう、もし彼女に会ったら僕の代わりに聞いておいてほしいことがあるんだ」


「それで借金を半分にできませんか?」


「前から思っていたけれど、キミ、わりと図々しいよね。

 ダメだよ、ダメダメ。目には目を、金には金を。借りたお金はお金で返さなくちゃ」


「仕方ないですね。それで、何を聞いたらいいんですか?」


「簡単だよ。セレナ・アリアへの愚痴、あるいは悪口かな。そういうのをキッチリ吐き出さないから過去を引きずるんだ」


 ああ、なるほど。

 僕やカジェロと同じだ。


 つらい出来事を消化するのに大事なのは、決して、前向きになることなんかじゃない。


 悲しみ、苛立ち、筋違いかもしれない怨みや妬み――真っ黒な感情を抑えつけないこと。

 無理にそういうものを隠して殊勝ぶるから、みんな消化不良を起こしてしまうんだ。


「分かりました。リースレットさんと話をして、ついでに、クラウスを蹴っ飛ばしてきます」


「黒幕を()()()扱いかい。……ま、実際カレはその程度の存在だよ。

 死んでなお歪みを抱え続けているような亡霊ごときがキミに追いつけるわけがない。

 なにせボクの大好きな男の子は、歪みを踏破してみせたんだからね」


「ありがとうございます。でも、それって弱くなっちゃいませんか? ランクAの強さの源って歪みなわけですし」


「でも、歪みはしょせん歪みさ。ところどころで無駄なエネルギーを浪費してしまってる。

 (ねじ)れて、(ひね)くれて――その果てに"まっすぐ"へ回帰したヤツが一番強いんだよ。

 さあ、そろそろ傷も塞がっただろう。左手も元通りだ。……頑張れ、アルフレッド」


「頑張ってきます」


 いつまでもここでシーラさんと楽しくお喋りしていたくなるけれど、僕には助けたい人がいる。


 だから誘惑を振り切って、二本の脚でしっかりと立つ。


 祭壇の奥には扉がある。第十三区画、ダンジョンの中枢に通じる道。


「ああ、そうだ、アルフくん」


 トントン、と肩を叩かれた。

 振り向くと。


「……んっ!?」


 唇を、唇で塞がれた。

 柔らかさ。暖かさ。シーラさんの髪の匂いが鼻腔をくすぐる。

 

 舌が入ってくる。呆然とするうちに絡め取られた。チュク、と唾液の絡む音がした。


「ぷはぁ……」


 それは数十秒だったか数分だったか、ともあれシーラさんは満足そうな表情だった。


「初めてにしては我ながらうまくいったと思うよ。コレで借金は帳消しさ」


「『金には金』じゃなかったんですか」

 僕はそっぽを向いていた。シーラさんを直視できない。気恥ずかしい。


「何事も例外はあるんだよ、少年(ボーイ)


 妙にキザったらしく親指を立てるシーラさん。


「ついでにボクの魔力を分けておいた。やっぱり粘膜接触が一番効率がいいからね」


「今の言葉で甘酸っぱい気持ちが吹き飛びましたよ」


「それは残念だ。ボクはいま死んでもいいくらいに幸せなんだけどね」


「……死にませんよね」

 見たところ大丈夫そう、だけれど。


「大丈夫だよ。キミが帰ってきたら、うん、きっと魔力が枯渇しきってボロボロだろう。

 補給のためにとても濃厚な粘膜接触をしてあげないといけないからね」


「リースレットさんとよく話し合ってください。お墓は立ててあげますんで」


「つれないね。まあいいさ、それもキミだ。……いってらっしゃい、また会おう」


 シーラさんは右手を高く掲げる。


「ええ、また」


 パン、と。

 ハイタッチ。



 そうして僕は走り出した。


 背中を、シーラさんに見送られて。





 * *




 さてさて、カジェロの方は放っておいても大丈夫かな。しばらくしたら目を覚ますだろうさ。

 ボクの力を分けてやりたいところだけれど、残念、もうカラッポだ。元気なフリもこれ以上はできそうにない。

 



 まったく。


 数千年も人間のフリをしてきたけど、やっと人間らしいことができた気がするよ。


 頑張れ、アルフレッド。


 ボクがここまで誰かのために必死になってのは生まれて初めてだよ。


 カジェロ。


 いまならキミの気持ちが分かるよ。


 限られた時間で、大切な相手に何を残すか。



 ボクはやりとげた。


 キミはどうだい?


 殴り合って本音をぶつけあって、それだけで満足かい?


 違うだろう。


 だってアルフレッドはまだ戦っているんだから。


 従者たるキミが寝ていていいはずがない。


 あと少しだけ休んだら、必ず起きるんだ。


 ……ボクの分まで、頼んだよ。


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