Throwing into the banquet Ⅱ
そして今年最後の日がやってくる。
――12月31日。
僕は山に向かわなかった。家でゆっくりと時間を過ごす。動くのは日が落ちてからだ。
バレルの誘い。
第十三階層への扉は、12月31日の夜から1月1日の朝にだけ開かれる。
他の誰にも知らせるな。
バレルからはそう念を押されていた。
ギルド上層部とモンスターの繋がり。根も葉もない噂だろうけど、リスクは最小限に抑えたい。だから伏せてくれ、と。
僕は約束を守る。
リースレットさんにも、シーラさんにも教えていない。
午後一時。
少し遅めの昼食を取る。インスタントの年越しそば。
本当にノモスは日本の影響を受け過ぎだ。……これも何かの陰謀だったりして。まさかね。
午後三時。
ちょっと落ち着かなくなって、意味もなく部屋の片づけをしてしまった。
まるで死に支度だ。縁起でもない。
午後五時。
そろそろだ。
僕は家を出て――その矢先、バタバタバタと物凄い勢いでカラスが飛んでくる。
ただの鳥じゃない。使い魔だ。
主はデデス先生、シルキィさんの主治医だ。
「いやぁ、大変なことになりましたよぉ」
デデス先生の口調はいつもどおりで深刻さに乏しかったけれど、内容はちょっと無視できないものだった。
「さっきねぇ、シルキィさんが眼を覚ましまして、ええ。
それ自体は喜ばしいんですがぁ、看護師が眼を離した隙に消えてしまいましてねぇ……」
大晦日ということで病院には人が少なく、しかもギルドはクエストを凍結中。
連れ戻すにも手が足りず、僕に手伝ってほしいとのことだった。
「もしご予定があるのでしたらぁ、無理にとは申しません。見返りにお渡しできるものもありませんからねぇ」
頭の中に天秤が浮かぶ。
左はバレル、右はシルキィさん。
どっちを選ぶ?
違うだろ。
どうして二者択一なんだ。諦めるな。どっちも取ればいい。
加速魔法だろうが何だろうが使い倒して、シルキィさんを見つけ出す。
それからダンジョンに滑り込めばいいだけじゃないか。
行こう。
* *
ここで少し時を遡って、午後二時過ぎ。
コクン、と。
カジェロは赤紫の液体を飲み干した。
「ワインのように芳醇でもなく、ワインのように美味でもない。……最悪ですね」
「いい薬ってのはそういうものだよ」
短く答えつつ、シーラは身支度を整える。
これから外出する予定であった。
「着替えないのですか?」
シーラは珍しいことに、タイトスカート姿に着替えていない。
エプロンドレスのままである。
「うん。これがボクの"戦闘服"だからね」
ちなみにすべて新品である。下着に至るまで、何もかも。
「これでアルフくんのところに突撃するんだったらワクワクものだけれど、あいにく今日は別件なんだ」
「どなたのところに向かうか、教えてはくれないのですか?」
「秘密は女を美しくするからね。ククッ、ボクに惚れるなよ、カジェロ」
「あなたに想いを寄せるくらいなら、そこらの毛虫を愛でる方がよほど生産的でしょうよ」
「キミの場合は毛虫じゃなくて蜘蛛じゃないのかい? ま、何でもいいさ。
さっき飲んでもらった薬だけど、効果が出てくるのは夕方かな。明日の朝までは五体満足に動けるよ。
せいぜいアルフレッドくんのところに行って驚かせてやりなよ。
……たぶん最後の思い出になるだろうしさ」
「感謝しますよ、シーラ」
「礼なんていらないさ。キミは今、短くも輝かしい生を終えようとしている。
同じ精霊としては嫉妬を覚えずにいられない。けれどそれ以上に、ボクは友人として応援したいんだよ」
「友人、ですか。……そう言われたのは初めてですね」
「よかったじゃないか、永遠の旅立ちに持っていく荷物が増えて。
次に会うことはないだろうけど、――よいお年を」
「ええ、よいお年を」
シーラは研究室を出ていく。
カジェロはフッと小さく笑うと、懐からペンを取り出した。
紙はテーブルの上のメモ帳を使う。
ガラにもなく感謝の置き手紙を残そうとしたが。
「いざこうなってみると、言葉など浮かばないものですね」
だから代わりに、絵を書いてみた。
アルフレッド・ヘイスティン。
シーラ・ウォフ・マナフ。
リースレット・クリスティア。
スマイルズ・プレックス。
シルキィ・マーガレット。
バレル、ガラリヤ、ミュウ、ダッジ、ズム、ゼノン――これまでに出会った人々が、一堂に介している姿。
ペンのインクは黒一色だったが、それはとてもきらびやかな絵になった。
「……疲れましたね」
時計に目を向ければ、午後四時。
もうちょっとだけ眠って、アルフレッドのところへ向かうとしよう。
カジェロは目を瞑ろうとして――。
「っ!?」
ドクン、と。
いまだ癒えない背中の十字傷が脈動した。
「ぅ……ぁっ……!」
焼けつく様な痛み。まるで浄化の炎に投げ込まれたかのようだった。悪魔たるカジェロにとっては究極の責め苦ともいえる。
(一体……どうなって……!?)
傷痕から何かが広がっていく。染み込むように、染み込むように。
カジェロという存在を蝕み、塗り替えていこうとする。
それはなぜか、かつてアルフレッドに召喚された時に課された契約と呼応していた。
(あの古文書は、まさか――)
暇人の妄想ノートなどではなく。
そのように偽装された、本物の魔導書で。
(はじめからすべて仕組まれていた、と? 誰に? ダンジョンに――クラウスに!?)
なぜその名前が浮かんだのかは分からない。検討する時間も与えられなかった。
(アルフレッド、我が主――!)
カジェロと名乗る存在、その意識すらも食い潰される。
後に残ったのは、抜け殻の肉体だけ。
否。
しばらくの後、燕尾服の男は身を起こした。
だがその横顔に、理知的な静謐さはもはやない。
凶相にして狂相。
獰猛な肉食獣めいた表情を浮かべ――銀色の糸でもって、研究室のドアをズタズタに切り裂いた。
コツコツと足音を立てて、無人の部屋を出ていく。
……そのことをまだ、誰も知らない。




