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バレル

これが最後の日常パートです

 ミュウさんが解放してくれたのは、看護師さんが検温にやってくるギリギリのタイミングだった。


「フフッ、怯えた顔も可愛かったわぁ。またねぇ~」


 ニコニコと上機嫌で手を振ってくる。もしかするとドのつくSなのかもしれない。……業の深すぎるキャラ付けだと思う。


 病院の次は……別に行くところもないかな。


 ――グゥゥゥゥ。


 お腹も減ってきたし、そろそろ夕食にしよう。ちょうど近くにあるし『耳と尻尾』亭がいいかもしれない。

 

 年の瀬が迫ってきているとはいえ、西区は普段と変わりない。食事時ともなれば相当ににぎやかだ。

 行列が店の外までハミ出しているところもある。寒くないのだろうか。


「多分、ここを右だよね」


 うろ覚えの脳内地図に従って歩いて行けば、見覚えのある路地。パンツ一丁で殴り合いをした場所だ。

 誰かが浄化魔法でも欠けたのだろうか、血の跡はもう残っていない。


「そんなに混んでなさそうかな」


 いわゆる二次会御用達、もうちょっと遅い時間がピークなのだろうか。

 外から覗いてみたものの、『耳と尻尾』亭はそれなりに空いていた。すぐに座れそうだ。中に入ろうとして。


「おっ、アルフレッドじゃねえか!」「久しぶりッスね!」「遅ればせながら、メリー・クリスマス、ですな」


 懐かしい三人組と顔を合わせた。

 ゴロツキ風のダッジ、まんまる顔のズム、ほっそりのゼノン。

 彼らをダンジョンから救出して二週間以上が経つけれど、まだ数日前のことのように思えていた。


「今、ちょうどケンカのことを詫びに来てたんだよ」とダッジ。「ガラリヤは休みらしいぜ。だからまた出直しなんだけどな」


「もしかしてアルフさんもガラリヤ目当てッスか?」

「最近入った用心棒の男と仲がいいらしいですぜ。口説くなら早い方がいいんじゃねえですか?」


「違うよ、ただ単にごはんを食べに来たんだ。君たちは実家に帰ったりしないの? ダンジョンも入れないし、ぶっちゃけ、暇だよね」


「それがなあ……へへっ」

 妙に得意げに鼻の頭をこするダッジ。

「実は封鎖されてねえ入口を見つけたんだよ。第一区画のな。

 テメエは恩人だ、払うモン払えば、別に教えてやってもいいんだぜ」


「何だかんだ言って金を要求する! さすがダッジさん、ゲスそのものッス!」

「親分はあいかわらず終わってますな。

 どうします、アルフレッドさん。よかったら俺がロハで教えてもいいですが」


 うーん。

 ダンジョンに行く予定はないんだけれど……でも、青い亡霊のこともある。

 念のため、教えてもらおうかな。


「じゃあ、ちょっとお待ちを」


 サラサラサラッと紙にペンを走らせるゼノン。


「北区と東区の境、今は使われてない下水道から入れますぜ」


「ゼノン! オレが恩を着せるつもりだったってのにテメエ!」


「はいはい、親分、さっさともう一軒行きましょうぜ。いつまでもここに突っ立ってちゃ、通行の邪魔になっちまいやさあ。

 そんじゃアルフレッドさん、良いお年を」


「来年もよろしくッスー!」


「来年は逆にテメエを助けたりしてやるからな! せいぜい首を切って待ってやがれ!」


 いや、首を切ったら死んじゃうような。


「ダッジさん、それを言うなら首を長くして、ッス」「あるいは首を洗って、ですな」「うるせえ!」


 なんだか漫才のようなやり取りをしつつ、三人は別の店に向かっていった。仲の良いことだ。


 さて。


 思わぬところで時間を食ってしまったけれど、本当ならごはんを食べたかったんだ。


『耳と尻尾』亭のドアを開くと、カランカランとベルが鳴った。


「いらっしゃいま……せ……?」


 ちょうど目の前を歩いていた店員が、ピタリと足を止める。


「やあ、久し……ぶ……り……?」


 僕も僕で固まっていた。

 

「どうして、君が、ここに?」


 あまりの衝撃で、言葉が途切れ途切れになってしまう。

 だって。

 青い髪に、凛々しく立ち上がる狼の耳。


「ガラリヤが風邪をひいた。俺はその代理だ。普段は用心棒をしている」


 バレル。


 僕の宿敵。


 運命の車輪がどこでどんな風にグルングルンしたのか知らないけれど、キリッとしたスーツ姿でウェイターをやっていた。




 * *




「乾杯」


「乾杯」


 二人でキィン、とグラスを合わせる。

 

『耳と尻尾』亭で食事を済ませた後、僕はバレルと一緒に店を出た。ちょうどシフトが終わったらしい。

 二人で連れだって入ったのは『ハニー&バニー』……じゃなく、『鷺の巣』。前にカジェロが連れてきてくれたバーだ。


 マスターもお客さんもみんな紳士で、獣人お断りなんて狭量なことは言わない。みんな穏やかにお酒を楽しんでいる。


「静かで、いい店だ」


 フッとクールに微笑みつつ、グラスを傾けるバレル。

 いかにも大人の男性、って雰囲気に溢れている。

 ちなみに服装はスーツ姿。裸ジャケットは寒すぎるだろうということで、『耳と尻尾』亭の一同からプレゼントされたらしい。


「酒は飲まないのか?」


「二十歳まではジュースって決めてるんだ。……あんまり守れてないけど」


「お前にもできないことがあるのか」


「当たり前だよ。僕は万能じゃないからね」


「奇遇だな、俺もだ。

 ゆえに生きとし生けるものは助け合うのだろう」


 哲学めいたセリフを呟いて、バレルはおつまみのレーズンを齧る。


「地上は素晴らしい。美味にあふれている」


「同感だね。どこを見回してもおいしそうなものばっかり、一生かかっても食べきれそうにないよ」


「だから(つがい)……いや、恋人を作り、子を成し、意思を継がせていくのだろう」


「レーズン一粒から急に壮大な話に飛躍したね」


「すべては繋がっている。俺たちはグラス一杯のワインからでも世界を語ることができるだろう」


 杯を掲げるバレル。



「俺はこのワインを美味と思う。だがお前にとってはどうだろう。万人等しく同じ感想を抱くことなどありえない。

 ここで『人それぞれ』と結論を出してもいいが、人間というのは賢いな。


 複数名にいくつものワインを飲み比べさせ、序列というものを付けていく。

 それは生産者にとって指針を与えるだろう。一般的に美味とされるワインを追い求めるか、別のアプローチを取るか。


 いずれにせよ『自分の意志で方向性を決めた』という事実は、生産者に誇りを与える。


 誇りは努力に繋がり、やがて結果として実を結ぶはずだ。

 そうしてワインは発展していく。


 同じことは冒険者にも言えるだろう」



 ランク制を導入することで競争心を煽る一方、「敢えてランクを上げない生き方」というものを提示する。

 いずれにせよ冒険者は自分なりのモチベーションを確固たるものにしてダンジョンへ潜るだろう。


 ランク制がなければ、漫然と探索するだけの冒険者がもっと増えていたかもしれない。


 ひとつの物差しは、けれど、多様性の後ろ盾になるのかもしれない。

 ――自分は物差しで測れない生き方をしているんだ。

 そういう形のプライドを与えるのだ。



「バレル、君は前よりずっと人間について詳しくなったんだね」


「ああ。俺は人間が好きだ。愛している。

 一番はお前で二番目はガラリヤだが、いずれにせよ大切な糧であることには変わりない。

 ……どうした、驚いたような顔をして」


「いや、予想外の名前がでてきたからね。ガラリヤさんと付き合ってるの?」


「残念だが、俺はまだ恋というものが分からない。

 ガラリヤは知恵と、礼儀と、文化を与えてくれた。深く感謝している。恩を返したい。

 もし彼女を脅かす者がいれば、俺は全力でもって叩き潰すだろう」


 それは好きということなのだろうか?

 スマイルズ先輩やミュウさんなら断言できるかもしれないけれど、僕にはちょっと手に余る。


「だが同時に、お前と、お前に関わるものをすべて守りたいと考えている」


 何の照れもなく、格好をつけるわけでもなく。

 ごく当たり前の挨拶みたいに、バレルはそう宣言した。


 まるで前世の特撮番組に出てきた、ヒーローみたいに。


 幼い頃に憧れて、けれど現実にぶちあたって諦めたはずの理想。

 それが今、僕の横に実在していた。


 古代において活躍したバレルという男も、こんな感じだったのだろうか。


「青い亡霊の話は聞いている」


 いたましげに目を伏せるバレル。


「シルキィ、だったか。俺も助けに入っていればよかった。許してほしい」


「いいんだよ。教えてくれただけでも十分だよ」


 同じ冒険者だったなら文句のひとつも言いたいところだけれど、バレルはあくまで元モンスターだ。

 人間というものを学びつつあって――だから仕方のないことかもしれない。


「ありがとう。お前は懐の広い男だ」


「それほどでもないよ。まだまだ子供だしね」


「だとすれば、将来が楽しみだ」


 ポンポン、と。

 親し気に肩を叩かれた。


「君こそ、どんな風に生きていくのか楽しみにしているよ」


 僕も肩を叩き返す。


「俺か」


「ああ、君さ」


「遠い先のことは知らないが、近い先のことは知っている」


「教えてもらってもいいかな?」


「実現できるかどうかは分からない。しかし俺は必ずやりとげる。

 俺とお前、そして周囲の者を脅かす存在を消滅させる」


「一体なにかな、それは」


「決まっている」


 確固たる意志を秘めた瞳で、バレルはこう宣言した。


「――我が母(ダンジョン)だ」


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