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天 地 人

 シーラさんの部屋を出た後、僕はその足でノモスの外に出た。


 情報収集? 研究の手伝い?


 ああ、確かに大事だろうさ。


 でも僕ことアルフレッド・ヘイスティンは何者だ? 冒険者だ。戦うことが仕事なんだ。青い亡霊に勝てるのか、このままで?


 今の自分を突破しないといけない。ブレイクスルーが必要だ。


 幸い、きっかけはすでに掴んでいる。



 ――あなたにレクチャーしてあげますよ、本物の糸使いというものをね。


 

 昨日、カジェロが見せてくれた技の数々。

 "熊手"、"鉄橋"、"聖杯"、"絞首台"、そして"斬首"。


 まるで生き物のように奔り、変幻自在に形を変える銀糸。


 あれを自分のものにしておきたかった。



「このへんでいいかな」



 ノモスから少し離れた、山の中。

 比較的木々の密集していない、開けた場所を選ぶ。

 あたりからはチッチッチッと鳥のさえずりが響いている。


 冬の木漏れ日はおだやかで、むしろ肌寒いくらい。

 ちょうどいい。その方が気も引き締まる。


「――よし」


 左腕のガントレットを嵌め直した。

 腕を大きく、横に薙ぐ。放たれる糸。真っ直ぐに伸びる一本目は中心軸、それにグルグルと絡みつくように進む二本目、三本目、四本目。やがて一本目を追い抜き、三方に分散する。"熊手"の形。これを維持したまま、少し遠くの木を寸断する。……成功。

 次は"手"をもっと増やしてみよう。


 こんな風にひとりで修行するのは久しぶりだった。駆け出しの頃に何度かやったきり。後はひたすらダンジョン、ダンジョン、ダンジョン。

 今の僕を支えているのは、すべて、実戦の中で培った技術ばかりだった。


 山の中には、仲間どころか敵の姿すらない。

 状況はずっと一定のまま。

 頭の中はひたすら、次に繰り出す技の事ばかり。


 とてもシンプルで、クリアな世界だ。


 ただ自分とだけ向き合う。そんな時間。


 12月25日、26日、27日――日が沈むまで、ううん、それからもしばらく、僕は無心に糸を投げ続ける。


 やがて。


 だんだんと時間の感覚がゆらいできて、意識が"遠くなる"。


 気を失うってことじゃない。


 今この瞬間、糸を操る自分自身。

 それを遙か上方から眺めているイメージが浮かぶ。


 常に、ってわけじゃない。


 最初はごく稀に、やがて、ちょくちょくと。


 自分と、自分が切り刻んでいる木。踏みしめている地面。触れている空気。聞こえてくる鳥のさえずり。夕焼けの光――。

 そのすべてとの繋がりを感じる。

 

 ああ。


 ダンジョンで僕がやっていた"気配を探る"ってのは、氷山の一角に過ぎなかった。


 天、地、人。


 自分と自分を取り巻く森羅万象と一体化する。


 陳腐な言い方になるけれど、今の僕はそういう状態だ。


 "熊手"、"鉄橋"、"聖杯"、"絞首台"、"斬首"。


 形は重要じゃない。


 糸は担い手によっていかようにも姿を変える。

 何度でも、何度でも。


 カジェロはそれを伝えたかったんだろう。


 でも。


 あと一歩。


 今の自分を越えるには、何かが足りない。


 狼男(バレル)や青い亡霊を凌駕するための、ファクター。


 掴めそうなのに、掴めない。


「……休憩するかな」


 12月28日、夕刻。

 いつもより少し早いけれど、煮詰まってしまってる感じもある。ここらでひとつリフレッシュしよう。


 近くの泉で身を清めて、ノモスに戻る。


 西区のケーキ屋で差し入れを買って、その足で上級留置場へ。

 ここは僕の入れられていた牢屋と違って、前世に例えるならシングルのホテルみたいな部屋になっていた。

 

 裁判にかけるほどでもないヤンチャだけれど、数日は頭を冷やしたほうがいい。

 そういう微妙な罪を犯した場合、ここに放り込まれることになる。


「おう、わざわざ会いに来てくれたのか。悪いな」


 スマイルズ先輩は、真っ赤に腫れたほっぺたで僕を出迎えた。

 たぶん恋人さんの誰かにいっていうか、一人三発くらいは叩かれたんじゃないだろうか。せっかくの色男ぶりが台無しだ。


 どうして先輩がここにいるかというと、要するにダンジョンへ突っ込んでいったからだ。

 25日の朝にシルキィさんを見舞った後、怒りを抑え切れずに暴走してしまったんだとか。一人で青い亡霊に挑む気だったらしい。


 ランクBとCを十人単位で薙ぎ倒す大騒動の末、ようやく逮捕。

 事情が事情ということで温情をかけられ、しばらくの間は上級留置場暮らしとなっている。


「とりあえずコレでも食べて元気出してください」


 それぞれの部屋にドアはない。鉄格子で隔てられている。その隙間からケーキの箱を渡した。


「おおっ、『シェンムール』のヤツじゃねえか。ちょうど食いたいところだったんだよ!」


 やったぜと小躍りしつつ、部屋の冷蔵庫にケーキをしまう。ベッドもあるし、かなり待遇いいよね、ここ。

 

「で、どうしたんだよ。オレに何か用か?」


「別に用ってわけじゃないですけど……なんとなく、ですかね」


「つまりアレか、本能がオレを求めたわけだな。いなくなって初めて気付く恋心。

 ついに同性まで魅了しちまうとは、罪な男になったもんだぜ」


「先輩、留置場暮らしのストレスでついに頭がおかしくなってしまったんですね……」


「ばーか、冗談だよ、冗談。おまえさんにはリースレットもいるしな。横取りしたら、たぶんあいつに刺されちまう」


「リースレットさんはそんなことしませんよ」


「ああいうのは淡泊そうに見えて、一度転んだらベッタベタなんだよ。

 オレには見えるぜ。首輪で繋がれて、家に閉じ込められてるおまえさんの姿がな」


「それ、もう完全に病んでるじゃないですか」


「さすがに極端なケースだが、ありえねえってわけじゃねえ。

 気を付けろよ? シーラやシルキィとの仲を嫉妬されてねえか? 『私にだけ冷たい』なんて勘違いされてねえか?」


 うっ。

 ものすごく心当たりがあります。イヴの夜に酔っぱらったリースレットさんから怒鳴られまくりました。


「ははっ、図星なんだろ。……マジで注意しろよ、ホントにな」


 先輩は真剣そのものの様子だった。

 背筋がちょっと寒くなる。


「とまあ説教はこれくらいにしておいて、だ。……幸い、俺は12月30日には出所できる。

 もし亡霊を何とかする気なら、その日以降にしちゃくれねえか。無理にとは言わねえがな」


「分かりました。シーラさんには伝えておきます。……ただ、1月1日の夜明けには自然消滅するかもしれません」


「なんだそりゃ」拍子抜けしたようにスマイルズ先輩が呟く。「締らねえ終わり方だな」


「でも、そうならない可能性だってあります。だから――」


「わかったわかった。牢屋の中だが、トレーニングは欠かしちゃいねえ。いつでも準備万端だぜ。

 そっちはどうよ? ダンジョンに入れねえからって鈍っちゃいねえだろうな?」


「実は今、山で修業してるんですよね」


「へえ、格好いいじゃねえか。やっぱり滝に打たれたり、裸であっちこっちを駆けまわったりするのか?」


「なんでそう妙なイメージなんですか。ワイヤーの特訓ですよ。でも、ちょっと詰まってまして」


「厄介そうだな。剣やら斧やら指導してやれるんだが、おまえさんは糸使いだしな……」


 うーん、と考え込むスマイルズ先輩。


「よし、ここはひとつオレの師匠の言葉を贈ってやる。

 

 ――答えは己の中に求めるものである。

 ――周囲の喧噪に惑わされることなく、自分が何者なのかを問い続けよ。


 オレにはサッパリ分からなかったが、おまえさんは賢いしな。何か感じるものがあるんじゃねえか?」


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