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脱出(再会)

 例えるなら成長チートの主人公を敵に回した心地、だろうか。


 シルキィさんが昏倒するとほぼ同時に、"亡霊"の纏う雰囲気が変わった。

 より不吉に、より不穏に。

 カジェロと戦う間も、その気配はさらに強くなっていった。


 一分一秒ごとに"亡霊"は進化(レベルアップ)している。

 カジェロの言う通りだ。

 ここで何としても叩き潰すべきだろう。


「邪魔だから消えてください、仮の主(マスター)


 ああ、わかっている。

 カジェロの実力は僕を上回っていた。

 人間の姿というハンデを背負っていても、だ。


 だったら、もう、僕にできることはない。

 本気の彼に追いつけるはずもなく、むしろ足を引っ張ってしまうだけ。


 悔しいけれど、でも、それが現実だ。

 変に拗ねることもなく。

 妙な理屈をこねまわすこともなく。


 僕はシルキィさんを連れて、逃げる。

 自分にできることを、確実にやっていこう。


「いつまで突っ立っているつもりですか。巻き込まれても知りませんよ?」


 半身だけ振り返る、カジェロ。

 鋭い、銀の瞳。


 僕はそれを見つめ返し、一歩踏み出す。

 花畑を無惨に横切る境界線を越えた。


「分かった。後は頼むよ」


 僕は右手を軽く上げる。

 カジェロの手でも足でもなく、蜘蛛脚(あし)にハイタッチ。


「……まったく、いい度胸です」


 悪魔はクスリと笑って肩をすくめた。


「わたしの脚に触れた人間はあなたが初めてですよ」


「男のはじめてなんて貰ったって嬉しくないね」


「同感です。しかし相応のものは支払っていただきたいところです」


「じゃあ、帰ったらナベを御馳走するよ。

 見よう見マネのニセモノじゃなく、本物の、ね」


 この前のスキヤキ風は色々おかしかった。

 鶏ササミや千切りキャベツがぶち込んであったし。


「では、せいぜい期待させていただきましょうか」


 そして。


 僕たちは互いに背を向ける。


「シルキィさん、ちょっとごめんなさい」


 返事はない。

 当たり前だ、気を失っているんだから。

 その身体を担ぎ上げる。お姫様抱っこ。

 背負うのが理想的だけど、姿勢の調節に時間がかかる。

 今はとにかくここを離れないと。


 シルキィさんの体は思った以上に細くって、けれど胸はそれなりにある。

 こんな時ですら雑念を浮かべてしまう自分を軽く鼻で笑い飛ばして、僕は上層に続く階段へと駆ける。


 こんなときでもできるだけ花を踏まないようにを考えてしまう僕は、きっとものすごい青二才なんだろう。


 後ろは振り返らない。

 どれだけ地面が揺れようとも。

 天井からパラパラと砂粒が落ちてこようとも。

 カジェロのことを信用しているからだ。


  

 * *



 第八区画、第四階層、フォートレス。

 狭い通路が続いている。好都合だ。警戒する方向が少なくて済む。


「うわっ……っと」


 下ではどれだけの激戦が繰り広げられているのだろう。

 この階層にまで響いてくる。


「――大丈夫、うん、大丈夫だ」


 いざとなれば天使(ゲセルとマセト)も呼ぶだろう。

 負けることはない、はず。


「今は目の前のことに、集中、集中――」


 目を閉じて、探知魔法(サーチ・スペル)を発動。

 曲がり角の先にクラブレーザーが一匹。


 こいつはハサミの中に魔導砲を仕込んだカニで、通路に陣取られるとかなり大変だったりする。

 近づくまでに一発食らうのを覚悟しなければならない。……普通は。

 

 でも僕は銃使いだ。カニよりも射程距離は長い。物陰から半身を出して、スナイプ。

 雷撃弾がカニの甲羅を貫く。内部で稲妻が炸裂し、その肉を焼き尽くす。


 甲殻の継ぎ目からブスブスと湯気をあげる死骸を乗り越え、僕は進む。

 

 ボイラーフロッグ。

 ブーメランマンティス。


 遠距離攻撃型のモンスターばかりの階層だった。


 いや、違う。


 ――キィン。

 ――キィィン!


 遠くから、刃と刃の打ち合う音がする。

 他の冒険者だろうか。

 先を急ぐ。

 ジグザグに曲がりくねった通路の先。


 三匹のビートルトマホークの姿があった。


 取り囲まれているのは、赤い髪で、ポニーテイルの女性。

 右手に槍、左手に剣。


 忘れもしない、懐かしい姿。


「……リースレットさん!」


 ビートルトマホークの外骨格は、鋼鉄の鎧に匹敵する硬度を誇る。

 けれど目玉は柔らかく、角度によっては脳まで直通だ。


 ワン、ツー、スリー。


 三式魔導拳銃から、三度、雷撃弾が放たれる。

 オール、クリティカル・ヒット。

 

 ビートルたちの目玉を貫き――脳に達したのだろう。

 ガクガクガク、と電流に身体を震わせた後、三匹ともその場に倒れ伏した。


「リースレットさん、大丈夫ですか」


「すまない。――また、助けられてしまったな」


「別に構いませんよ。リースレットさんのこと、誰よりも守りたいって思ってますから」


 ちょっとキザったらしいセリフ回しだろうか。

 ドン引きされてしまったかと思ってリースレットさんを見ると、ボンッと顔を真っ赤に染めていた。


「き、き、君は、私を、発作で殺したいのか!? 

 い、いきなりっ、し、心臓に悪い発言はよしてくれ!」


 あれ?

 もしかして、照れてる?

 

 ニヤニヤとしたいところだけれど、今はさすがにそんな余裕もない。


「リースレットさん。少し、手を貸してください」


 僕は物陰に隠しておいたシルキィさんを再び抱き上げる。


「……酷い怪我だな。ランクAがここまでやられるなんて」

 リースレットさんは一目で事の重大さを察したのだろう、凛と表情を引き締めた。

「一体、何があったんだ」


「青い亡霊。ご存知ですか?」


「……ああ」


 リースレットさんが戻ってきたのは今日か、昨日か。

 ギルドに顔を出したのなら、亡霊のことは知っていて当然だろう。


「まさか、シルキィが……」


「はい、下の階で襲撃を受けていました。

 ギリギリ間に合ったんですけど、見ての通りの重傷です。だから地上まで護衛をお願いできませんか」


「そうか、亡霊が、下に……」


「リースレットさん?」


「ん、ああ、すまない。……そうだな、仲間の命は最優先だ」


 まるで自分に言い聞かせるように呟くリースレットさん。


「一緒に行こう。――亡霊も、今日で店じまいと言うこともないだろうしな」


 んん?

 妙に引っかかる物言いだ。


「まあいい、シルキィは私が運ぼう。戦術上、君をフリーにした方が安全性は高いだろうしな」


 リースレットさんの提案はとても妥当なものだった。

 こんな浅い階層じゃ二人とも攻撃力はオーバーキルで、だったら重視するべきはその射程。

 より広範囲かつより遠距離まで狙える僕をアタッカーにするべきだろう。


 ただ。


 今のリースレットさんはどこか、自分を抑えるための"重石"を必要としているように見えた。


 当たり前か。


 青い亡霊は、どう見たって彼女に因縁を持ってそうなんだから。


「じゃあ、お願いします」


 リースレットさんに、シルキィさんを預ける。


「任せてくれ。……大きいな」


 何が、とは問うまい。

 たぶん肩からみぞおちの間に位置する、身体の一部分についてのサイズだろう。


 僕は、それじゃあ行きましょうか、と声を掛けようとして。


「危ないっ!」


 飛び出していた。


 ほとんど直感的に。


 ――通路の奥、カーブを曲がり切れずに青い影が激突する。


 揺れて、罅割れる壁。

 けれど影の勢いは止まらない。

 壁、天井、地面。

 ありとあらゆる場所を足場として蹴りつけ、猛スピードでこちらへと迫る。


 青いポニーテイルの、少女。


 狙いはシルキィさんか、それともリースレットさんか。


 いや、そもそも。

カジェロは、どうなったんだ。



 そんな諸々の思考が刹那のうちに駆け巡り、結果。


「ぐっ――!」


 唯一、除外していた可能性に不意打ちを受ける。



 この時、青い亡霊は僕を狙っていた。


 凶刃が向かう先は、左手。カジェロとの契約を示す紋章。


 ――掌ごと、貫かれていた。


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