銀色の綾
第八区画、第五階層、ネイチャー。
風景は、夕暮れの花畑。
敵は、青いポニーテイルの少女――"亡霊"。
その凶刃が、シルキィさんの喉を切り裂く寸前。
僕はギリギリ、間に合っていた。
「ごめんなさい、遅くなりました――!」
ワイヤーで剣を絡め取り、寸断。
周りの花々も巻き込まれ、赤、白、黄――色とりどりの花弁を散らした。
「……主人公みたいに格好つけてるんじゃ、ないですよ」
シルキィさんはベーと舌を出して強がると、そのままクタリと昏倒した。
フィールドはすでに消滅し、血もとめどなく流れている。危険な状態だ。
「あなたはこの少女の治療をしてください、我が主」
サッ、と。
僕の前に、カジェロが立つ。
「わたしが前線に立ちましょう」
「……いいのか?」
「ええ。ちょうどいい機会です。――あなたにレクチャーしてあげますよ、本物の糸使いというものをね」
糸?
問いかける間もなく、カジェロはその両手を交差させた。
「二度目はありません。すべて見て覚えなさい。まずは、"熊手"」
カジェロの指から、銀色の糸が放たれる。一本や二本じゃない。十、二十、三十――それらは絡まり合ってひとつの形を成す。
例えるならば宣言通りの熊手。
糸が扇状に広がり、亡霊へと横薙ぎに襲いかかる。
「アタラナイアタラナイアタラナイアタラナイアタラナイ――」
同じ言葉を不気味に呟きつつ、亡霊は後方へと跳躍する。
刈り取られたのは、罪もない草花だけ。
一拍遅れて突風が吹き荒れ、花吹雪が舞い上がる。
「距離を取られましたか。ならば"橋"を掛けましょう」
左腕を振り下ろす。まず二本の銀糸が伸びた。その間を結ぶように、別の糸が何本もジグザグの軌道を描く。
「異世界の歌にこんなものがありましたね。――|ロンドン橋は落ちる《London Bridge is faling down.》」
"橋"が頭上から亡霊に迫る。
切断ではなく、拘束を目的とした糸。
「どうせ横に逃げるつもりでしょう? すでに細工はしてあります。――"聖杯"」
亡霊の動きを最初から読んでいたのだろうか。
その足元には網目状に編まれた糸が待ち構えていた。
クイと力が伝わると、平面から、立体へ。
さながら盃のような半球状の器となり、亡霊の足を絡め取る。
「ッッッッッッッ!」
亡霊の狼狽が伝わってくる。
もはや横には逃げられない。上からは"橋"が落ちてくる。
そして。
「――絞首塔」
まるで高度なあやとりのように。
すべての糸がぐるりぐるりと絡み合い、ピサの斜塔じみた形となった。
その頂点からは一本の糸が伸び、亡霊の首を絞めつけている。
「――ッ! ――ッ! ――ッ! 」
亡霊は青いポニーテイルを振り乱し、地面につかない細い足をバタつかせ……しかし、決して逃れることはできない。
「有情をかけましょうか。……斬首」
ピン、と。
カジェロが右の人差し指を軽く弾いた。
同時に。
亡霊の首が、落ちる。
ドサリ、と。
夕暮れの、花畑の中に。
残された胴体からはとめどなく血液が噴き出し、あたりを真紅に染める――はずなのに。
「なるほど、これが亡霊の正体ですか」
少女の頭が、胸が、腹が、手足が、その輪郭を失う。
キィ、キィ、キィ。
金切声と共に舞い上がったのは、無数の蝙蝠。
離れた一ヶ所に集まり、再び、五体満足な少女の姿を取り戻す。
「幻聴の次は幻覚ですか。順当な成長と言えばその通りですが、面倒なことこの上ないですね……」
カジェロの声に、僅かな苛立ちの色が混じる。
勝負を焦っている?
なぜ。
いざとなれば前のように天使を呼べばいいだけなのに。
「我が主、少女の手当ては終わりましたか」
「ああ、大丈夫だよ」
僕だってボンヤリとカジェロの戦いを眺めていたわけじゃない。
その間、シルキィさんに回復魔法をかけていたんだ。
応急処置は済んだ。動かしても大丈夫な程度には。
「先に地上へ戻ってください。"亡霊"に時間を与えるべきではありません。刻一刻と進化を続けています」
カジェロがシルクハットと、そして燕尾服を脱ぎ捨てた。
周囲の温度が下がったような。
違う。
空気の分子すらもカジェロを恐れて逃げ出したかのような。
とてつもなく不吉で不穏な予感が、場を満たしていく。
「亡霊はここで討ち果たさねばなりません。……全力を、出します」
ぎち、ぎちぎち。
カジェロの背中で、なにかが蠢いている。
グシャリ、と。
白いドレスシャツを突き破って姿を現したのは、翼? 天使の? 悪魔の?
違う、脚だ。
左右四対。
白銀の、巨大な、蜘蛛の脚。
最近、忘れかけていたけれど。
カジェロは、悪魔なのだ。かつて神でもあった存在。
本質的に人間ではない、ナニカ。
怪物。
「おぞましいですか。気持ちが悪いですか。
ならば結構、最近はずいぶんと馴れ馴れしくなってきましたからね。
ここらでひとつ、線を引いておくのも悪くありません」
ヒュ、と。
僕の眼前を、鋭い脚が掠める。
美しい草花ごと、地面が深く、一直線に抉られていた。
まるで僕とカジェロを分かつように。
「アルフレッド・ヘイスティン。この場においてあなたは足手纏いです」
冷たく、突き放す言葉。
「邪魔だから消えてください、仮の主」




