夜遊び先生(夜通し先生)
「カジェロ……人間の可能性ってすごいね……」
「ええ、無限大でしたよ……」
いろいろすごかった。ほんとすごかった。言語中枢がメルトダウンして、ただただすごいとしか言いようがない。
『ハニー&バニー』
ミュウさんみたいな、こう、ゴリカルでマッチョな方のバニーさんを想像していたんだ。
違った。
リリカルできゃぴるん(死語)(←この但し書きを付けるところまで含めて、2010年代には完全に死語になっていた気がする)な子ばかり。
――おきゃくさん、ゆっくりしていってね!
――宵越しのお金は持たないでね!
――お金が無くなったらここで働いてね! 大歓迎だよ!
妙にノリのいい、キュートでパッションな女の子ばっかりだった。クール系は控えめ。
みんなあんなに可愛らしいのに、僕とほとんど同い年みたいな男の子だったなんて……。
「憧れましたか、ああいう格好をしてみたいですか。変態ですね……」
なんだかカジェロの毒舌もキレがない。
だってさ。
僕たちの接客、ミュウさんが付きっきりだったんだよね。ちなみにオーナーらしい。
冒険者として稼いだお金で作ったお店で、あの少女……じゃなくって、少年たちはみんな淫魔の末裔だとか。
だったら種族的にはホストとして女性を狙うべきじゃないだろうか。わけがわからないよ。
「……とりあえず、飲み直しませんか」
「うん、そうしよう……」
僕たちは男二人、フラフラの体で二丁目を去った。
シロウトが興味本位で足を踏み入れちゃいけない場所だったんだろう。
* *
「我々の無事を祝って、乾杯」
「本当なら僕の退院を祝うところなんだけどね、乾杯」
キィン、と。
涼しい音がテーブルに響く。
僕はブドウジュース、カジェロはワイン。西区の端にある、静かなバーだった。
チラホラといるお客さんはみんなキレイな身なりをしている。
中央区もかなり近くだし、もしかするとギルド上層部とか政府の役人さんなのかもしれない。
……普段着で来ちゃったけど、ドレスコード的に大丈夫かな。
「問題ないでしょう。別にゴロツキのような格好でもありませんし、あなた自身、さほどマナーは悪くありません。
田舎生まれの権兵衛とは思えないところもありますが、どこかで教育でも受けたのですか?」
「前世、かな。日本って、わりと礼儀のちゃんとした国だったし」
マナーなんてのはおおむね根本は一緒だ。基本を押さえておけば、行く先々でも応用は利く。
「平和そうな国ですね」
「戦争もなかったし、うん、いい国だったよ。離れてみてしみじみそう思う」
「戻りたくはありませんか?」
「懐かしいことは懐かしいけど、あっちじゃ僕は死んだんだ。自分の中で区切りはついてるよ」
「なるほど」
クィ、とグラスを傾けるカジェロ。
「リコとやらのことは、振り切れましたか」
「そういうわけじゃないよ。ただ、ちょっとスッキリしたかな。
前はものすごくグチャグチャだったんだ、『自分は無理心中を迫られるくらいモテるんだ』みたいな妄想が混じってたり、けれど自分にできることがあったんじゃないかって後悔もあって――君に話してみて、それからさらに色々あって、やっと整理がついたんだ」
「もう少し詳しく教えて頂いても?」
そう問いかけつつ、カジェロは小皿のレーズンをつまんだ。僕も一粒。
やや硬めの歯ごたえだけれど、やがてプツ、と表面が裂ける。
ほのかな酸味。そして匂い立つような甘み。
「リコ自身、自分がどうしてあんなことをしたのかよくわからなかったんだろうな、って。
僕がリースレットさんに憎まれ口を叩いたり、酔った勢いでケンカしたり――うん、みんながみんな、自分ってのを持て余してるんだよ。
あっちへフラフラ、こっちへフラフラ。
デキの悪い天秤だよ。いつも釣り合いが取れない。片方のお皿に"過去への反省"を乗せたって、それはそれで偏るんだ。
また失敗を重ねて、グラングラン」
そして僕は天秤そのものの重さに負けていた。
何もかも投げ出したくなって、けれどどうしたらいいか分からなくず――恋の天使なんていう、意味の分からないモノに縋ったんだ。
「今日はずいぶんと哲学者ですね」
「施療院じゃ暇だったしね。それに、ダンジョンでカジェロに助けてもらう直前、リコの声が聞こえたんだよ」
あれはアンプバットの生み出した幻聴で、たぶん、僕自身の罪悪感が表に出てきただけだろう。
「どうやら僕、心の底じゃこんな風に考えてたらしいよ。二度目の人生は、リコへの贖罪のためにある――とかさ」
「それはまたひどい傲慢です。死者は死んだきり、許しも憎みもできません。生者のエゴというものでしょう」
「僕もそう思うよ。
過ぎたことは過ぎたこと、もう取り戻せないし償えない。
過去の失敗に対して可能なのは、ただ、受け入れることだけなんだ。
"これも自分だ"って。
でも、僕はそれを認められなかった。
天秤のたとえに戻るなら、土台そのものがグラグラだったんだ。
そうやって、皿の上に乗っけてしまった"過去"を振り落とそうとしていたのかもしれない」
冒険者なんてリスキーな生き方を選んだこと。
ひたすらダンジョンに籠って、何度も死にかけて、ランクAに登り詰めたこと。
その後もムチャなクエストに突っ込んでいき、体をボロボロにしてはシーラさんのお世話になったこと。
死にたがりとしか言えない無謀さは、結局、二重の意味で"逃げ"だった。
苦しみ、痛めつけられることが償いになる。
そう思い込むことで、罪の意識から逃れようとした。
仮に死んでしまったなら、それはそれで好都合。
だってもう悩まなくていいんだから。
これもまた"逃げ"だろう。
「あらためて考えるとさ、女の子って、わけわからないよね」
「たぶん女性も、男性に対してそう思ってますよ」
「けれど恋愛なんてものがある。
いままで心の闇がどのこうのって言葉を振りかざしてきたけど、もっと不可解なものが身近にあるじゃないか。
……結局、リコの件で僕はビビっちゃったんだよ。ずっと仲良くしてた幼馴染ですら何を考えてたか理解できない。
ああ、なんて女の子は怖いんだろう、って」
「クク、よかったじゃありませんか。
あなたの悩みというものは鬱陶しい装飾を取り払ってみれば、何のことはない、どこにでもある青い悩みだったというわけです」
「本人にしてみれば遠回しに自殺を考えるくらい重たかったんだけどね」
「それもまた人間でしょう? 世界で一番不幸なのは自分、悩めるときはそうなるのです。
結局のところ、自分の心を感じられるのは自分なのですから」
"分かる"じゃなく、"感じる"。
なんだろう。
すごくストン、と納得できた。
「カジェロ、牧師さんとか向いてるかもね」
「御冗談を。わたしは悪魔ですよ。あなたの人生相談も一区切りついたようですし、少し遊びましょうか。
ダーツの経験は?」
「ちょっと、かな」
前世、実家にはマグネット式のヤツがあった。あんまり上手じゃなかったけどね。
「でしたらクリケットからお教えしましょう。いいですか――」
そのあとしばらくダーツを楽しんで、さらにお店を変えてビリヤードまでレクチャーしてもらった。気が付いたら、もう明け方。
……珍しいくらいに穏やかで、楽しい一夜で。
後に僕は、これを何度も思い返すことになる。




