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相談(バッサリ)

 くだらない、と。

 カジェロは最後にそう切り捨てた。



 * *



 いきなりの話で恐縮だけれど、僕には前世の記憶がある。

 魔法のない世界、日本という国で過ごしていた。


 僕には三歳下の幼馴染がいた。名前はひとまずリコとしておこう。

 彼女とは家族ぐるみの付き合いで、まるで妹のように感じていた。


 互いに恋愛感情はなかったと思う。


 実際、リコは中学二年になると彼氏を作っていたしね。

 キリスト教系の私立高校に通う、さわやか系イケメンだ。

 しかもいいところのお坊ちゃん。ここではシンジくんと呼んでおこうか。


「リコちゃんからいつも話は聞いています!

 よかったらオレとも仲良くしてください!」


 シンジくんはものすごく穏やかな人柄で、僕に対してもすごく好意的だった。

 うーん、予想外。


 ちょっと考えてみてほしい。

 シンジくんからすれば、僕は「恋人が兄と慕う相手」なわけで。

 もし逆の立場だったらライバル認定して、リコに近づかないよう牽制しまくるだろう。

 器が大きいというか、さすがリア充。


 彼のカラッとした性格のおかげか、僕もさほど嫉妬は覚えなかった。 

 リコの"兄"離れはちょっと寂しいけどね。

 けれど、さよならだけが人生だ(by井伏鱒二 from『勧酒』)。

 笑って受け入れるところだろう。


 やがてそのうち、リコと顔を合わせることも減っていった。


 それから一年ほど経った秋の日、僕はリコのお父さんから愚痴めいた相談を受ける。


「最近、あいつの帰りが遅いんだ」


「彼氏もできたことですし、仕方ないんじゃないですか?」


「しかしまだ中学生だろう。その、色々と早すぎるというか……いや、シンジくんなら任せられるんだが、どうにもイヤな予感がしてなあ」


 早くも恋人の父親から認められているあたり、リア充のコミュニケーション能力ってのは恐ろしい。もしウイルスなら人類を全滅させられるレベルの浸透率だ。ああそういえば、エヴァの使徒で微生物っぽいのがいたよね。あっという間に生体コンピューターを乗っ取ってたし、アレってある意味すごいリア充じゃないだろうか。――とまあ、この時の僕は暢気な捉え方をしていたわけだ。


 けれどもしここで、一歩踏み込もうとしていたなら。

 リコかシンジくんにコンタクトを取っていたなら。

 もう少しマシな未来になったかもしれない。


 けれどもう過ぎたことだ。


「ねえお兄ちゃん、いま、時間あるかな」


 さらに数ヶ月が過ぎて、冬。

 深夜にネット小説を読みふけっていると、リコから電話で呼び出されたのだ。


「今日、パパもママも旅行に出かけてるの。わたしと、お兄ちゃんだけ」


 久しぶりに家に上がってみれば、リコは前よりずっと痩せ細っていた。

 足取りもどこかおぼつかない。


「リコ、ごはんはちゃんと食べてるか?」


「……うん」


 リコはどこかボンヤリとしていて、まるで夢遊病の患者みたいだった。


「こっち、来て」


 手を握られた。いや、掴まれた。

 まるで死体のようにヒンヤリとしている。

 骨と皮だけ。そんな感触なのに、力だけは異様に強い。


「どうしたの、お兄ちゃん?」


 僕を見上げてくる二つの瞳。

 さっきまで泣いていたのだろうか、赤く腫れている。

 それなのに表情は満面の笑み。


 ……誰だろう、この女の子は。


 リコが、まるでリコじゃないみたいだ。


「早く早く。見せたいものがあるの」


 その言葉は、不気味な粘度を孕んで僕に絡みつく。

 生贄を深い沼の底に引きずり込もうとする、おぞましい魔物の触手。

 そんなイメージが頭をよぎった。


 ここで引き返していれば――ううん、その選択肢だけはありえない。


 リコは明らかに追い詰められていたんだから。

 兄貴分として放っておけるわけがない。


「早く、早く」


 リコは左手で僕の腕を掴む。

 右手は自分自身のお腹をさすっていた。

 とてもとても愛おしげに。その姿はとても不吉だった。


 久しぶりにリコの部屋へ足を踏み入れる。

 壁一面の本棚、たくさんの文庫本。リコはいわゆる文学少女だった。

 ベッドにはねこのぬいぐるみ。

 昔よりも増えているのはシンジくんのプレゼントかもしれない。


 気になったのは、ハンガー。

 なぜか制服のスペアが三着も四着も揃っていた。

 女の子には色々あると聞いていたけれど、こんなにも着替えが必要なのだろうか?


「ねえ、見て」


 手渡されたのは、リコのスマートフォン。


「ふつう、連絡ってLINEだよね。

 SMSやメールってどういう時に使うか知ってる?」


 いきなりそんなことを聞かれても、困る。

 実際、ムダな機能と思っていた。


「それはね、後ろめたい連絡をするときに使うの。

 LINEだと奥さんや彼女さんにチェックされちゃうから」


 リコは僕の後ろに回ると、木枝のような指でメールボックスを開いた。

 背中に胸が当たっていた。

 むしろ押し付けてきているようにも感じられる。


 いちおう僕も性欲ムラムラの男子高校生のはずなんだけれど、この時ばかりは下半身もしぼみきっていた。ただただ、恐ろしい。


 まるで怪物の口の中に入ってしまったような。

 次の瞬間には取って食われるんじゃないか、と。

 背筋がずっと震えていた。


「四十歳とか五十歳のおじさんが、ハートマークでいっぱいの、ポエムみたいなメールを書いて送ってくるの。面白いよね」


 クスクス、クスクス。

 リコは笑いながら、次々にメールを僕に見せる。

 信じられない内容だった。

 これが本当ならリコの帰りが遅いのはシンジくんと一緒にいるからじゃなくって、その、不特定多数と――。


「売しゅ……援助的なやつ、か?」


 うまく言葉が出せない。

 援助交際は売春と同じ、字面で誤魔化すな。

 世の中そういう意見が多いし、僕もその大多数の一人だった。


 けれど目の前に突きつけられれば、この通り。

 僕はヘタレてしまっていた。


 現実を受け入れられず、援助交際というフレーズすら口にできない。


「違うよ。お金なんてもらってない。お互い好きで、楽しくしてるだけ」


「シンジくんとケンカでもしたのか……?」


「ううん、仲良しだよ。来週だってデートに行くし」


 リコは当たり前のようにそう答えると、無造作にスマートフォンを放り投げた。昔はもっとモノを大事にする子だったのに。


「ねえ、お兄ちゃん」


 一層強く、僕にしなだれかかってくるリコ。

 まるで蜘蛛の糸に絡め取られたような心地だった。

 

「見たことある? 妊娠検査薬」


 リコが目の前に差し出したのは、体温計のような物体だった。

 真ん中には縦線が走っている。


 ええと、だから、つまり。


「赤ちゃん、できたの」


「……っ」


 僕の喉はもはや機能を失っていた。

 声にならない声と共に空気を出し入れするばかり。

 そんな情けない様子の僕をよそに、リコは淡々と言葉を続ける。


「シンジさんじゃないよ。まだしてないから」


 だとすれば、答えは――。


「さっきのメールの、うん、誰かなあ」


 まるでクイズ番組を眺めているかのような気軽さだった。

 違うだろ。そんなどうでもいい問題じゃないだろ。


「心当たりがありすぎて困ってるの。

 誰に責任を取ってもらえばいいかな。これからどうすればいいのかな。

 シンジさんにもお父さんも話せないし、だから、ね、お兄ちゃん」


 ギュッ、と。

 抱き締められる。

 視界の端、窓から差し込む月明りで何かが鋭く輝いた。


「――一緒に死んでくれる?」



 * *



 そこから先の記憶はない。

 思い出すたび右の首がズキリと痛むし、たぶん、頚動脈をバッサリやられたんだろう。

 お腹とかじゃないあたり、リコの殺意というか本気度の高さにゾッとさせられる。


「そしてどういうわけか生まれ変わりを経て、あなたはここにいる、と」


 我ながら荒唐無稽とは思うけれど、悪魔はさほど疑いもせずに受け入れてくれた。


「よくあるとは言いませんが、珍しくもない話ですね」


 無理心中で転生。

 かなりのレアケースと思ってたけど、同じような人がいるなんてビックリだ。。


「まったく、何をトチ狂っているのやら。

 異世界出身の転生者なら他にもいる。ただそれだけの話ですよ。

 『馬鹿は死ななければ治らない』と言いますが、あなたを見るに『死んでも治らない』が正解のようですね」


「悪魔ってさ、みんな君みたいに口が悪いの?」


「さあ? 気になるなら他の連中も召喚してみてはいかがですか?」


 ちょっと想像してみる。

 もしも悪魔がみんな毒舌だとしたら、ここは誹謗中傷のオーケストラ会場になるだろう。うん、やめておこう。ストレスで死ぬに決まってる。胃壁どころか消化管が全滅するかもしれない。

 

「賢明ですね。あなたの器はニワトリの卵ほどですし、あまり大それたことは考えない方がよいでしょう」


 しかしまあ、ここまで遠慮なくひとを罵倒できるものだ。

 僕に何の怨みがあるのやら。

 って、悪魔にとっては不本意な召喚なわけだし当然か。


 だったらここはサラリと受け流すところだろう。


 それにさ、人間同士だとあんまりズケズケ言えないよね。

 だからこき下ろされるのも新鮮というか刺激的というか。

 別にMじゃないよ? うん、ほんとに。


「何をニヤニヤしてるんですか気持ち悪い。

 それで、あなたは一体なにが引っかかっているんです?」


 ああ、そうだった。

 ここまで延々と身の上話をしてきたのは、ちょっと教えてほしいことがあったからだ。

 本来は恋の秘術とやらで呼びだした天使に訊くつもりだったけれど、あらためて振り返ると悪魔の方が適任かもしれない。色々とダークな方向だし。


「――僕には分からないんだ」


 リコとシンジくんはうまく行ってた。

 なのにあの子はすごく年上の、しかも奥さんがいるような男の人たちと遊んでいた。

 理解できない。

 何が不満だったんだろう。

 援助交際ってわけでもなかったし。


「それにさ、どうして無理心中の相手が僕だったのかな」


 もしかして――。


 僕が推測を話そうとすると、それを遮るように悪魔が口を開いていた。

 

 

「そのリコとかいうお嬢さんは、本当のところあなたのことが好きだったのかもしれない――そう言ってほしいんですか? 馬鹿馬鹿しい」

 

 悪魔は嘲るように笑い飛ばす。


「一番好きな相手が手に入らないから、シンジとやらと付き合い、他の男に身体を許す。

 ああ、童貞特有の、ナルシシズムだらけの妄想ですね。

 それを肯定してもらいたかったのですか? 相談風の自慢ですか?」


「違う、僕は本気で悩んでて――」


「自分で自分を騙していませんか? わたしには分かりますよ。

 男は後ろめたい時ほど、真剣さをアピールしたるものです。

 己に対しても、他人に対しても」


「……ッ!」


 これは詭弁だ。

 自己欺瞞、深層心理。

 このテの言い回しはある種の必殺技で、反論されても「自分に嘘をついている」「自分の本心に気付いてないだけ」と切り返せる。

 後ろめたい云々も似たようなものだ。論理の袋小路。どんな態度をとっても「実際のところは本気じゃない」という結論に持っていける。


 つまりこの悪魔は口ゲンカに勝って優越感に浸りたいだけ。

 だったら耳を貸す必要なんてないはずなんだ。


 でも。


「おやおやダンマリですか。ならばわたしの言い分を認めるわけですね」 


 ああ、うん。

 悔しいけどさ。

 頭ごなしに否定できないんだよね。

 

 ――幼馴染に心中を強要されるくらいモテるんです。


 そう主張したい自分は確かにいる。


 でも、それだけじゃない。

 やっぱり引っかかるんだ。


 どうしてリコは遊び回っていたんだろう。

 どうして自殺を選んだんだろう。


 シンジくんと付き合いだしてから、僕は距離を置くようにしていたけれど――もっと深く関わっていくべきだったのかもしれない。

 

「別に僕のことはどれだけこき下ろしてくれても構わない。

 リコは何を考えていたのか。僕はどうすればよかったのか。

 ……悪魔なりの意見、聞かせてくれないか」

 


 * *



 随分マシな顔になりましたね、と。

 悪魔は少し嬉しそうな調子で、小さく手を鳴らした。


「まったく、ひどい偽善者面でしたよ、さっきまでのあなたはね。

 仮初とはいえ主の成長を祝って、わたしも誠実に答えるとしましょうか」


 シルクハットを脱ぐ、

 それは彼なりに礼儀を示しているのかもしれない。

 やわらかそうな銀髪が、ハラリと揺れた。


「リコとやらが何を考えているか。

 そんなの、わたしの知ったことじゃありません。

 きっと高位の精霊でも分からないでしょうよ」


 悪魔は澄んだ瞳をまっすぐこちらへ向けている。

 眼が、離せない。

 射すくめられていた。


「人間の、特に、年若い女性は不可思議なものです。

 たとえ死霊術かなにかで本人を呼びだしてもムダに決まっています。

 少女というのは、少年と同じくらい自分の感情を持て余しているのですから」


「答えの出ない問題、ってことですか」


「ええ。並の人間なら早々に思考を停止し、『リコは自分に惚れていた』なんて安易なナルシシズムに身を寄せるところです。

 生まれ変わってまで悩み続けているあたり、あなたという人間は本当に――ええ、愚かですね」


 ハッ、と鼻を鳴らす悪魔。

 視線が逸れ、あたりに漂っていた緊張感もほどけていく。


「ですがまあ、近くで眺めている分には面白いかもしれません。

 短い付き合いになるかとは思いますが、せいぜい楽しませてくださいよ、仮の主(マスター)


「……ひとまず認めてもらったってことでいいのかな?」


 なんだか愛玩動物みたいな扱いの気もするけれど。


「ええ。ただし、途中でわたしが飽きてしまった場合は……そうですね、周辺一帯から女性の下着を掻き集めて、あなたの部屋に押し込むとしましょうか。ついでに衛兵への通報もサービスしましょう。素敵と思いませんか?」


「素敵すぎるんで勘弁してください」


「いいですねえ、その表情。捨てられかけて飼い主に媚びる仔犬のようじゃありませんか。

 ま、安心してください。忌々しいフワフワ契約のせいで、あなたを傷つけることはできませんからね。……笑い者にはできるようですが」




 ――かくして。

 ちょっと不穏な影を孕みつつ、僕と悪魔の奇妙な日々は幕を開けるのだった。



 あ、そうだ。


「まったく、何を思いついたののやら。ひらめきは天才を飛躍させますが、凡夫にとっては転落の始まりでしかないのですよ」


「別にそう大したことじゃないよ。

 名前、教えてもらわないと不便かな、って」


「確かに、いつまでも悪魔よわばりと言うのも面白くないですしね」


「ちょっと待っててよ。今考えるから」


「結構です。あなたのネーミングセンスを頼るくらいなら、サルに文字盤を叩かせた方がまだマシな名前になるでしょうよ」


 なんだっけ、似たような話を前世で聞いた気がする。

 そうだ、無限のサル定理だ。

 サルをタイプライターの前に固定すればシェイクスピアに匹敵する作品を書き上げる可能性がある、とかなんとか。


「カジェロ、そう呼んでいただくことにしましょう」


「人の名前っぽいけど、なにか由来ってあったりするのかな」


「はてさて、それはひとまず伏せておくとしましょう。

 あなたは仮の主に過ぎませんからね」



次は朝までに投稿できればいいなと思っています。

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