袋小路(袋叩き)
シンプルな生き方に憧れるのは、きっと。
僕自身が屈折している、と。
そう自覚しているせいだろう。
* *
コン、コン。
指で、ナイフで、何度か壁を叩いてみる。
「あんまり分厚くなさそうだね」
それに、"向こう"はあんまり狭くないのだろう。音の響きがいい。
つまり。
いつもダンジョンで見かけるような、"かべのなかにいる"とは違うってこと。
本来の壁はずっと遠くで、隔壁に手足がハマってるイメージだろうか。
こんなケースは初めてというか、ものすごく恣意的なものを感じる。
やっぱりコレ、オトリ作戦なのかな。
「だ、黙ってねえで何か言えよ! な、なあ! あいつらは、ズムとゼノンは無事なのか!?」
ダッジは、まるで蜘蛛の糸を手繰り寄せる罪人のような表情で尋ねてくる。
気持ちは分からないでもない。なんだかんだでこの三人、仲が良さそうだったしね。
「たぶん大丈夫だよ。
ムダに防音がしっかりしてるから声は聞こえないけどね。手も足も動いてるだろ?」
ついでに言うと、さっき両手両足の脈も確かめてみた。拍動良好。生きてるしるしだ。
「た、助かるんだろうな……?」
「助けるよ。同じ冒険者なんだから」
やり方は工夫するところだけどね。
最悪なのは、三式魔導拳銃でバーン!
壁の向こうの様子はあくまで予想だ。ズムとゼノンがどんな体勢かもわからない。
……二人は掘り出せました、ただし遺体で。
そんな結果はちょっと遠慮したい。
「ナイフで壁を削っていこうと思う。それがいちばん確実だ」
「でもよ、こんなカタそうな壁、いけるのか?」
「オリハルコン製だし、フィールドで包むから大丈夫だよ」
さてそれじゃあ取りかかろう、と意気込んだその時。
ダンジョンの空気が変わった。
例えるならライオンが牙を剥いたような。
隠しようのない、露骨な殺意。
肌がヒリつく。右首の古傷が震える。
いや、べつに傷痕はないけどね。
たぶん魂とかそういうものに刻まれてるんだろう。
「ヒッ……!」
まるで絹を裂くような、か細い悲鳴。
僕じゃない。ダッジからだ。さっきまでのダミ声はどこにいったのやら。人間のノドは不思議だ。
ちなみに僕も裏声はわりとギャルいのが出る。どうでもいいけど。
「ダッジ、これを使うんだ」
僕は三式魔導拳銃を投げて渡す。
「モードは散弾にしてある。とりあえず前を向いて撃てば当たる」
「……ヘヘッ」
今にも泣き出しそうな顔つきで銃を手に取るダッジ。
そのまま、銃口を僕に向ける。
「こ、ここで撃っちまったら、ど、どうする。テメエには、二日前の礼もあるしな」
「お礼って、締め落されたのがそんなに気持ちよかったのかい?」
「ば、バカ言ってんじゃ、ねえ。やられたから、やりかえす。当然だろうが……!」
気絶の代償としての、殺人。
はてさてこれは罪に釣り合う罰だろうか?
気絶させられたんだから、気絶させ返すべき?
大勢の前で恥をかかせたこと。ダッジの精神的苦痛を勘案すると、むしろ僕は殺されて当然?
答えなんかだせっこない。人間は罪を測る天秤を持っていないし、だから長いあいだ議論され続けてきたんだ。
ただ、現状、ひとつだけ確実に言えることがある。
「僕を殺したら、おまえの仲間は助からない。おまえも多分、モンスターの餌食だよ」
「わ、わからねえぞ。少なくともオレには、コレがあるからな……」
右手の指輪を見せつけてくる。魔導フィールドを強化するやつだっけ。
……って。
「ダッジ、それを外すんだ。僕のフィールドが展開できない」
そうなるとナイフの切れ味が落ちる。二人を助けるのが遅くなるだろう。
「お、お断りだ……! 自分の身の安全は、自分で確保する。そ、それが冒険者だろっ……!」
ダッジの言い分は、うん、さほど間違っちゃいない。
「それもそうか。君を助けに行くなら、僕の方で指輪への対策をしておくべきだったね」
「……い、いいのか?」
「いいもなにも、そう主張したのはそっちだろう。自分の発言には責任を持て。冒険者だろ?」
「あ、ああ。テメエ、本当に変わってるな。イカれてやがる。
……これが、ランクAってヤツか」
最後の呟きは、どこか諦観を感じさせるものだった。
ダッジ。
まるで盗賊じみた風体の、中年男性。
威勢のいい下品た笑いばかりが頭に浮かぶけれど、この時の横顔は、どこか哀愁を漂わせるものだった。
「いちおう、この通路にはトラップを仕掛けてきた。ふだん地下三十層くらいで使ってるヤツだからオーバーキルとは思う。
けれど万が一の時は任せるよ」
そして僕はナイフを握る。
さてさて、間に合うかな。
* *
シーラさんは古代文明の研究者だけれど、同時にそれを応用する発明家でもある。
とくに僕が愛用しているのは、魔法石にトラップを仕込んだものだ。
地面に落すだけでその場に魔法陣が展開され、モンスターが踏んだ時に発動する。
炎の壁、氷の槍、稲妻の滝。
そういったものが通路の向こうで次々に発動する。
「な、なあ、おい。コレ、何もしなくてもいいんじゃねえか……?」
「油断するなよダッジ。魔法陣だっていつかは止まる。ジリジリ距離が縮まってくるぞ」
遠くでは死体の山が積み重なっていくけれど、モンスターどもはひたすらに前進を続けている。
圧倒的な数で飲み込む。そういう戦略だろうか。
「は、早くしやがれ……! 口を動かしてるヒマがあるんだったら、手を動かしやがれ……!」
「やってるよ」
トカカカカカカン! トカカカカカカカン!
加速魔法をかけて、キツツキのような連打で壁を削る。
とりあえず一ヶ所、穴を空けることができた。思っていたより薄い。
手足の出ている部分を繋ぐようにすればいいだろう。そうすればズムとゼノンが転がり出てくる寸法だ。
……まさかとは思うけれど、壁の向こうにモンスターが出てきたりしないよね? こればっかりは祈るしかない。
「ち、近付いてきやがった……!」
「そりゃいつかは接近されるよ。口を動かしてないで手を動かすんだ。ほら、撃った撃った」
「指図するんじゃねえ!」
タァン、タァン、と。
次々に放たれる散弾が、モンスターたちの身体を抉っていく。
ハンマージェリーフィッシュ。
宙をふよふよ浮いているクラゲで、とても軽そうな見た目だ。
そのクセ、触手の一撃はとてつもなく重たい。並の人間なら頭が陥没骨折……ところか、首ごと体にメリ込む。
アルマジロピンホルダー。
全身のウロコから剣山を生やしたアルマジロだ。
攻防一体の姿なんだけど、アーマードヘッジホッグってモンスターもいるんだよね。全身を鱗に包んだハリネズミ。
どっちも似たような外見で、そのせいか妙に仲が悪い。
同族嫌悪だろうか。よくダンジョンで同士討ちをしている。
カブトトマホーク。
ツノの部分が巨大なオノになった、二足歩行のカブトムシだ。
実にマッシヴな身体つきで、普通に殴る蹴るでも強かったりする。
(ぜんぶ地下二十層あたりのモンスターじゃないか)
どうして第八階層まで出てきているのやら。
「なんだよ、なんなんだよコイツら! 見たことねえ、見たことねえぞ!
オレはランクB、ランクBのダッジ・グラヴィだってのに!」
Bだったらアルマジロくらいは見たことがあると思うんだけど、他の迷宮都市だと違うんだろうか。
ノモスは難度が高いって噂だしね。
「くそっ! くそっ! くそっ! 死ね、死ね、テメエらまとめて星屑になっちまえばいいんだ!」
ほとんど半狂乱になりながら引き金を引き続けるダッジ。
僕の方は全体の四分の一といったところだろうか。
一人目の両手、それから右手と右足を繋ぐように削り終えていた。
「らあああああああああああああっ!」
悲鳴じみた絶叫をBGMに、僕はナイフを動かし続ける。
夏目漱石の夢十夜だっけ。
ほら、運慶の話。
木を削って仏像を作るんじゃなく、木の中に埋まってる仏像を彫り出す。
そんなイメージで仕事をしているんだとか。
要するに最初から完成像が浮かんでて、それに沿って動いてるというわけだ。
目の前のことに振り回されるんじゃなく、高みから全体を見下ろして作業を進める。
冒険者に通じるところがあると思う。
場当たり的な対応は三流のやること。
(今の僕は、それ以下かな)
四流とか五流。まさに下流社会。
妙に調子が悪いのか、あるいは単に馬脚を表しただけか。
何にせよ。
(生きて帰れたら、リースレットさんに謝ろう)
お酒のせいとはいえ、ひどいことをたくさん言っちゃったしね。
――やがて、銃声が鳴り止んだ。
「はぁ……はぁ……、ひ、ひひっ――ざまあ、ざまあ、見やがれ……!」
ゼイゼイと荒い息をつきつつ、ダッジは三式魔導拳銃を降ろす。
額には脂汗が浮かび、頬を伝ってとめどなく床に落ち続けていた。
通路にもう、モンスターの姿はない。
「へ、へへっ……へへへ……!」
こちらを向くダッジの目は、どこか虚ろだ。
「オ、オレはやるだけのことをやったんだ。やったから、へへっ、知るか、もう知らねえ。死にたくねえ、死にたくねえんだ」
うわごとのように何度も、何度も呟き――僕に銃口を向ける。
「テメエが、テメエが悪いんだからな。ば、ばかやろう。たのみの武器を、人に、簡単に、渡しやがって。
お、オレがもらっておいてやるよ。へ、へへへ、これでAだ、やっとAなんだっ……!」
放たれる散弾。
狭い場所で避けようがなかったし、下手をすればズムやゼノンの身体を傷つけてしまうかもしれない。
「~~~ッ!」
僕はその場に膝をつく。
直撃こそしなかったけれど、右足を抉られていた。
「へ、へへっ、オレは悪くねえ、オレは悪くねえんだっ……!」
怯えた表情と声でそう繰り返し、ダッジは走り出す。一人で脱出するつもりだろうか。
まだモンスターの気配は消えていないし、なにより、仲間を放っておいたままで。
逃げるのか、ダッジ。
逃げるなとは言わない。
僕だって昔、リコのことで及び腰になってしまったから。
でもさ。
逃げたら最後、一生、いや下手すると来世まで逃れられなくなるんだ。
囚われるんだよ、死者に。
今はそれでよくても、この先ずっと後悔に囚われる。
苦しいんだ、とても。




