召喚(アカン)
リースレットさんはとても不思議な戦い方をする人で、剣と槍の二刀(?)流。
長い赤色の髪をなびかせ、軽やかな足取りで戦場を駆け抜ける。
その姿はまるで風の精霊とダンスを踊るよう。
いつしか僕の心の中には、くるくると舞うあの人の姿が住み着いてしまっていた。
「恋愛相談のために悪魔を召喚したのですか? 最近の若い人は意味がわかりませんね……」
黒い燕尾服の彼はひどく戸惑った様子だったけれど、僕の方もパニックだった。
おかしい、どうしてこうなった。
恋の天使を喚び出すつもりだったのに。
責任者を出せ! ……って、そりゃ僕だ。
自分から自分へのクレーム、対応するのも自分。不毛な自己完結だ。
いやいや現実逃避してる場合じゃない。
合体事故ならぬ召喚事故、原因はなんだろう。
昔から"他人と同じことをしてもなぜか違う結果になる"タイプだったけど、うーん。
「あなたが参考にした魔導書、ちょっと貸していただけませんか」
「あっ、はい。三日前にダンジョンで見つけたものなんですけど……」
ちなみにダンジョンというのは通称で、各地に点在する地下遺跡群を指している。
遠い昔、僕たちの祖先はあの迷路じみた要塞に籠って神々と戦っていたらしい。
「ほう、この通りに術を行えば恋の天使が悩みを解決してくれる、と」
"悪魔"はなぜか半笑いで古文書のページをめくっていく。
「これ、まったくのデタラメですねえ」
「……えっ」
「昔からヒマ人というものはいましたからね。彼、あるいは彼女の妄想ノートといったところでしょう」
ああなるほど僕も身に覚えがある。
小さい頃はオリジナルの魔法やらなんやらをノートに書き連ねて……って、まさかそんな。
「もしかしてあなた、権威に弱いタチじゃないですか?
ダンジョンで見つけたものだから、古いものだから。そういうレッテルで思考停止してありがたがる。
典型的な凡人ですね」
うう。反論のしようがないけどキツすぎないだろうかこの悪魔。
いや、悪魔だから当然と云えば当然か。
「どうしてそんなに傷つくのです。むしろ喜んではいかがですか?」
ハッ、と鼻で笑い飛ばす悪魔。
「人間というものはみな本当の自分から目を逸らしたがるものです。
見たところ十五、六歳でしょうか。若くして己の小ささを自覚することができた。
いやはや、よかったじゃありませんか」
パチ、パチ、パチ。
乾いた拍手が響く。
うん、ちっとも嬉しくない。
けれど悪魔の言うことも間違ってないよね。
本の信憑性も考えず、古文書ってだけで飛びついたわけだし。
むう。
権威とかそういうものには惑わされないつもりだったんだけどな。
「凡人にありがちな勘違いですよ。偉い人間の言うことに文句をつけ、それで己は賢者だと誇りたがる。
馬鹿馬鹿しい。地位ある者だからと疑ってかかる、それもまたひとつの思考停止でしょうよ」
これも納得といえば納得だ。
よく酒場じゃ「貴族なんて信用できねえ!」って話題が出るけど、それって頭ごなしの決めつけなわけで。
あれ?
この悪魔、悪魔だけどマトモなことを言ってないだろうか。
「今度からはもう少し自分の頭で考えることです。
まあ、馬鹿の考え休むに似たりという言葉もありますがね。では失礼」
ニヤリ。
悪魔は皮肉げな笑みを浮かべると、華麗にその場から消え失せ……なかった。
「ん?」
「どうしたんですか?」
「妙ですね。本体とのパスを遮断されているのですよ。ふうむ」
悪魔は右手でシルクハットの位置を整えると、腕を組んで考え込み始める。
横顔はなかなかにハンサムだ。
銀色の髪と眼、キリッと引き締まった長身。
クールな美青年。そんな言葉がよく似合う。
やがて悪魔は身を屈めると、足元の魔法陣にその細い指を這わせ始めた。
「まったく、ひどいまぐれもあったものですね。
どうやらわたしは幸運の女神に見放されているようです」
そりゃ悪魔なんだから加護の対象外じゃないだろうか?
「この魔法陣はムチャクチャなシロモノですが、偶然にもひとつの術式として成立しているようですね。
有無を言わさない一方通行。最悪ですよ。まさかこんなものに捕まってしまうだなんて」
「えっと、ごめんなさい。ちょっと話が見えないんですけど……」
「さっきも言ったでしょう。少しは考えたらどうなのです。首から上は飾りですか?
ああいや、見世物にできるほど大した顔立ちではありませんね。これは失礼」
「いえ、そのへんは自覚してるんで大丈夫です」
僕の容姿は決して整ってるわけじゃない。平々凡々、可もなし不可もなし。
受付のおねーさんからは仔犬っぽいと言われるくらいだ。
「つまり悪魔さんは、帰り道を塞がれてるってことですか?」
「ええ、そういうことです。とはいえ現状を嘆いたところで何も変わりません。不本意ながらあなたが召喚主ということになるみたいですし、ま、ひとつよろしくお願いします」
悪魔は白い手袋を外すと、左手を差し出してくる。
左利きなのか、それとも魔界の礼儀はそっちなのか。
ともあれ僕も左手を伸ばそうとして……ふと、気付く。
「なんだろう、これ」
左手の甲には、いつのまにやら紋章が刻まれていた。
炎に包まれた逆三角形、各々の頂点には黒い瞳が突き刺さっている。
なんだか呪いを孕みまくってそうな、厄ネタ感マシマシのデザインだった。
「それは契約のしるしですよ。おかげでわたしはあなたに従わねばなりません。
――まあ、解決法は単純ですがね」
一瞬のことだった。
悪魔は音もなく僕の背後に回ると、どこからか取り出したナイフを閃かせていた。
首、心臓、左手。
なるほどね。
僕が死ぬか紋章を失うかすれば、悪魔は自由の身になれるんだろう。
でもさ。
こっちも腕に覚えのある立場なんだ。
ダテに冒険者はやっちゃいない。
上体を逸らし、首と心臓への刺突をかわす。
左手への斬撃はあえて受けた。体表に張り巡らせた魔導フィールドがギリギリ弾いてくれる。
「ッ!」
いなされるとは思ってなかったのだろう、シルクハットの向こう、銀の瞳が驚愕に歪む。
僕は閃光魔法を放つ。
ただの目くらましで、威力は極小。けれど生まれるチャンスは無限大だ。
加速魔法をかけて後ろに飛び退き、紋章に魔力を注ぎ込んだ。
初めて見るものだったけれど、魔法がらみのモノなんてどれも同じだ。
魔力をガンとぶちこんで上下関係を分からせる。そうすれば後はこっちの思う通りだ。
「――汝に命じる」
紋章は僕を主と認めたのだろう、その使い方は自然と脳裏に浮かんでいた。
定められたワードを最初に発して、あとは枷をかければいい。
「我と我が友と、ええっと、あとリースレットさんとギルドの職員さんとか、とりあえずみんなを傷つけたらアウト!」
本当なら最後まで文語調で締めたかったんだけどね。
僕の語彙力じゃこれが限界だ。
とはいえ効果はあったらしく、悪魔から殺気が失せていく。
「アレもコレもよ欲張った挙句、なんとも情けない顛末に落ち着く。
冒険者としての実力は認めないでもないですが、人間としてはまさに凡夫そのものですね」
悪魔は呆れかえったようにため息をつくと、すぐ近くのソファに身を沈めた。
どうでもいいけど、足、長いよね。僕は小柄だから羨ましい。
「こんなフワッとした制約、本来なら成立するはずがないのですがね。
召喚自体がイレギュラーだったせいでしょう。なんとも厄介な枷として機能しているようですね」
とりあえずの安全は確保できた、ということだろうか。
「『傷つけたらアウト』――この曖昧さがとんでもなく厄介なのですよ。解釈に幅がありすぎます。
わたし自身、どのような行動を禁じられているかが把握しきれません」
「契約の穴をついたりできない、ってことですか」
「仰る通りですよ。これは悪魔らしいことが何ひとつできやしません。屈辱ですよ、本当に」
「えっと、その……ごめんなさい」
「謝る必要などありませんよ。
ただでさえ情けない顔なのですから、せめて堂々としていてもらいたいものです。
さて、これからどうします?
リースレットでしたか、彼女の心を操りましょうか?
他に気になる異性は? ハーレムだって夢ではありませんよ?」
そういうのは別にいいかな。
たぶん、恋愛ってのは冒険と一緒だ。
苦労して手に入れるものだからこそ、価値を感じられる。
「つまりあなたは過程に重きを置く、と。
……不思議ですね。ならばどうして恋の天使とやらを頼ろうとしたのです」
「えっと、リースレットさんのこととは別件で相談したいことがあるんです。
ずっと昔のことが引っかかってて、おかげで今も踏み出せない、みたいな」
「ウジウジと過去に囚われているわけですね。蛆虫のあなたらしい話です。
まあ、折角ですし天使の真似事も悪くはありません。わたしでよければ聞いてあげますよ」
「いいんですか?」
「ええ。どうせくだらない失恋でもしたのでしょう。
遠くから眺めているだけで終わったのですか? それとも付き纏った末に嫌われてしまいましたか?
あなたは童貞特有の失敗を繰り返していそうですからね、ええ、とてもとても楽しみです」
悪魔はニヤニヤと意地の悪そうな笑みを浮かべていた。
くそう、見てろよ。
意外性ならバツグンだろうし、逆に度肝を抜いてやる。
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