6、葛藤
「あ……貴方は……」
『紅之大鎌』。その場へ現れたのは、騎士狩りの男だった。
「随分と遅いですな。一体どこへ?」
縫い目の彼女がそう尋ねると、『紅之大鎌』はハッと一度笑う。
「別に、どこでもねえよ……」
「何をしていたのですかな?」
「歩いてただけだ。暇だったからな」
「ふむ……そうでしたか。私はてっきり貴方の脳内判断を──」
「どうでもいい話は後だ。それよりそいつのことが先だろ」
縫い目の彼女の言葉を遮り、『紅之大鎌』はココルの方を向いて言った。
「お前、いつまでそこで寝てるつもりだ?」
「え……わ、私……」
「とっととここから消えてくれ。死なずに済んだのはいいが、俺の前からは消え失せろ。てめえのその首が飛ぶ前にな」
「で、でも……」
「いいから消えろ。今、すぐにだ」
『紅之大鎌』の言葉に、ココルはなんとか体を起こし立ち上がる。そしてその場で頭を下げた。
「助けて頂き、本当にありがとうございました。最後に一つだけ、聞かせてください」
「聞くな。帰れ」
「貴方は何故、私に選択肢を与えてくれたのですか?」
『紅之大鎌』の言葉を無視してそう尋ねるココルを見て、彼はそれに答えることなく縫い目の女に指示を出す。
「おいイヌ、そこの人間の言葉が通じねえゴミをとっととこの森から追い出してやれ」
その言葉に縫い目の女は「御意」と即答。
ココルの手を掴み引っ張ると、同時に小さな声でこう言った。
「主は賢明なお方です」
賢明な……?賢明なって……え……?
その言葉の意味をすぐに理解することはできなかったが、それでもココルは弓矢を背負い、縫い目の彼女に連れられるまま森の中を進んでいく。
「脳内判断との壮絶なる葛藤。それが今の主が抱える大きな問題であります」
森の中を数分進んだ辺りで、縫い目の彼女は突然そう口を開いた。
「え……?」
「先ほどの、貴女の質問の答えです。彼が貴女に選択肢を与えた理由。それは彼の脳内判断との葛藤にあります」
「脳内判断との葛藤……?それはどういうことですか?」
「そもそも人殺しを肯定しているのは彼の脳であって、他の部位は殺しなど望んではおりませぬ。と、そういうことですな」
「どうして、分かるんですか?」
「以前、それらしいことを言っていたので」
「そうですか……。え、でも……なんでそんなに突然……。今までは何とも思わずに人を殺していたんじゃ……」
「何とも思わずにというのも間違いかと思われますが……。その主の葛藤自体、そこまで突然というわけでもないのです」
ココルの手を引き歩みを進めながら、前だけを見て縫い目の彼女は続けた。
「きっとうちが……いいえ、うちらが、あの方を苦しめたのでしょうな……」
登り始めたばかりの月を眺めながらそういう彼女のその声は、どこか悲しみを感じさせるものだった。悲しみというか、罪悪感というか、そういうものが込められているように聞こえた。
「あの……教えてくれて、ありがとうございます」
ココルがそう礼を言うと、縫い目の彼女は振り向いて僅かながら笑みを浮かべる。
「これは、主の命ですよ」
命……?いや、教えろなどとは言っていなかった筈だが……。
「え……?それって──」
「城が、見えてきましたな」
ココルの言葉を遮るように、縫い目の彼女はそう言って立ち止まる。
彼女の言う通り森はそこで途切れ、前方を眺めると巨大な城が遠方に聳えるのが確認できた。
「ルヴェール城……」
森を抜け、開けた視界に広がったのはシェーンヴェントの平原。遠方に確認できたのはルヴェール城。位置的に考えると、今までいた森はルヴェールの南西に位置するグランツホルンの森といったところか。
「それでは、うちはこれで」
「え、あ……」
まだまだ聞きたい事はあったが、それでもそれは許されず、縫い目の彼女はサッサと森の中へ引き返していってしまった。
教えたのは主の命……。
その真意を知る事はできなかったが、それでも何となく分かる気がする。
その何となくの解釈で、恐らく正しいということなのだろう。
「さて……」
……帰ろう。
ほんの少しだけ欠けた月を眺めながら、ココルは一人シェーンヴェントの平原へと足を踏み入れていくのだった。




