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私はどれほどの強さを纏えばいい


 ――限界だ。

 夜から、それが明けるまで抱かれ続けていた身体には、あまり力が残っていない。

 気力で参加した、朝から始まった和平の調印は先程やっと終わり、部下に報告しようにも失態を晒すわけにはいかずに部屋に戻ってきた。

私はふらふらとベッドまで行くと、倒れこむように横になる。時刻は昼をまわっているというのに、なんたる失態だろう。

 ……絶対に、部下には見せられない。重いため息が零れる。

  応接室の間での、早朝まで人を抱いていたとは思えない悠然とした態度のジルフォードの姿が脳裏に過る。

 化物か、あの男は。

 早く……部下にも、当然ロギにも和平のことを報告しなければ。それに、国へも早く知らせなければいけない。

 ……休む暇はないな。

 今だけの我慢だろうが、限界を訴えている身体を酷使するのはやはり気鬱だ。が、動くなら早い方がいい。私は起き上がって、ベッドから降りた。

 と、その時だった。


「?」


 扉がノックされ、私は眉をしかめる。

和平の調印が終わってからそんなに経っていないが……。


「誰だ?」


『ジルフォード様の側近の者です。今大丈夫ですか?』


「ジルフォードの側近……?」


 胸がざわつく。きっと良くない用事なのだろう。暫しの間、どうするべきか迷う。


「……入ってくれ」


 どうせ、今ここで無視しようとも大事なことからは逃げられない。それなら今受け入れる方が楽だ。


『失礼します』


 陽気な声とともに扉が開く。入ってきたのは、ロギよりも少し背の低い男だった。

 やや太めの眉は長く、スっと通った鼻梁は高い。耳下を流れる髪は色素の薄いブラウンで、穏やかに細められた赤い双眸は、暖かみを感じた。

 腕や腰に至るまで巻かれている、ベルト以外は装飾のない赤い服装は素朴なものだ。だが、その格好が最も男に似合っているように思えるのは、男が纏う爽やかな空気のせいだろう。端正な顔には、にっこりとした愛想のある笑みが浮かべられ、全くと言っていいほど敵意は感じられない。

 私は軽く目を見張る。少し……意外だった。あの男の傍に、このような男がいることが。

 想像していたのは、本来のあの男の性格によく似た、鋭利な氷を思わせるような人間だったのだ。目の前の男のような、人当たりの良さそうな人間ではない。

 毒気を抜かれたような気持ちでじっと見つめていると、男が首を傾げる。


「俺の顔に何かついています?」


「……いや、すまない。無遠慮だったな。気を悪くしたなら謝る」


「別にいいですよ。じっと俺の顔を見てるから、何かついてるのかなーって思っただけですから。あ、でもそんなに俺の顔が気になるなら間近で見ます?」


 そう言いながら、男はあっという間に距離を縮める。ぐいっと間近に顔を近づけられ、咄嗟に後ろに下がった。


「……遠慮しておく」


「あ~あ、傷つくな。顔引き攣ってるし。この顔侍女たちに人気なんですよ。結構格好良いって言われるのに」


 言葉とは裏腹に、ははっと朗らかに笑っている姿は違和感を感じてしまう。この友好的な男がジルフォードの側近とは信じがたい。

 見るからに人当たりの良さそうな男の顔が、侍女たちに人気だということは素直に納得するが。


「……それで、ジルフォードの側近が私にどういった用だろうか?」


「ん?ああ、ジルフォード様の命令で貴女への贈り物を届けに来ました」


「贈り物……?」


 露骨に顔が歪む。疑心と嫌悪感で胸が凭れそうだ。

 受け取りたくはない。……が、本音は別として私の使者としての建前上、受け取るべきだろう。

 私の反応などお見通しだろうあの男は気にしないだろうが、贈り物を断ったという話が神経質な奴の耳に入れば、面倒なことになるかもしれないからな。

 理性と闘っていると、ぷっと吹き出す声がした。上を向けば、男が笑いを堪えるように肩を震わせていた。

 だが、我慢できなかったのだろう。楽しくて堪らないといった感じで高らかに笑い始める。


「はははっ!!あの人随分嫌われてるんだな。あの人性格悪いけど顔はいいからさ、これでもかってぐらい顔を赤くして懸想する女たちは見てきたけど、アンタみたいに露骨に顔を歪めて贈り物嫌がる女なんて初めて見たよ。顔に騙されてる女たちに恨まれるぜ?」


 取り繕うことを捨て、憚らずに笑う男に、思わずそこは側近としてフォローするべきところじゃないのかと突っ込みたくなる。

 唖然と見上げていると、やっと笑いが収まってきたのか男が目尻に溜まった涙を指で掬って捨てる。

 私の視線に気づいたのか、ん?と男がこちらを見てにっこりと笑った。


「突然笑い出してごめんな。謁見室であの人に対するアンタの態度見たりして嫌ってるっていうのは分かってたんだけど、露骨なの見たらおかしくてさ。あの人が気に入る理由が少し分かる気がするよ。あー面白い」


 悪気はないのだろうが、ジルフォードが私を気に入っているという言葉に虫唾が走り思わず眉を寄せる。瞬間、再びぷっと男が吹き出したので、すぐに顔を引き締めたが。

 ……なんとも、側近らしくない男だ。ロギとは大違いだ。

 頭の中で比べてみるが、全くといっていいほど正反対に思える。気が合うとも思えない。


「私が言うことではないが、あの男の側近ならフォローの一つでもするべきなんじゃないのか、ここは」


 呆れの眼差しでじっと見つめれば、男がこれでもかっていうほど爽やかに笑う。


「フォローしてもアンタがあの人のこと好きになるわけでもないしさ、する必要ないだろ?それに俺、素直な男だから。いい言葉思いつかないし、あの人の良いところって言われてもな~。顔?」


 本気で悩んだ様子で首を傾げる男に、呆れを通りこしていっそ清々しさを覚える。

 ……確かに顔はいいかもな。顔だけだが。残りは最悪だ。


「?なんだ?」


 視線を感じて顔を上げれば、男がじっとこちらを見つめていた。眉を顰めると、男が陽気に笑う。


「アンタって凄いな」


「凄い……?私がか?」


 男が頷く。

 私が凄い……?

 自慢できることは私自身にはなく、尊敬に値する出来た人間だとも思わない。今の私があるのは全て兄上のおかげだ。


「お兄さんの為に軍人になるなんて俺は出来ない。その上国のためにあの人に嫁ぐなんて死んでもやだだと思うし」


「……お前も知っているんだな」


「俺だから、アンタのこと調べたの。詳しく、根掘り葉掘りね。疲れたんだよ?アンタのこと国家機密だったしね」


 男の言葉に、苦いものが胸に広がる。軍人になる為に、皆に隠してもらった。レイフェル王女は、母上の死により病に臥せってしまったと国民に公表することで。

 そのことは今でも気に病んでいるし、恩返しをしたいとも思っている。

 兄上……。

 私が軍人になると言った時、初めて激情を顕に猛反対していた兄上の姿が脳裏に過る。胸が切なく締めつけられ、私は目を伏せた。

 しっかりしろ。お前が決めた道だ。わかっていて全て。

 ぎゅっと拳を握り、気を持ち直して男を見上げる。


「だが、よく調べたな。私の情報はそうやすやすと調べられるものではない。本当に苦労したんだな」


「まあね。でも、調べている間はスリルがあって楽しかったぜ?失敗すれば殺されるしな。はは、生きてるって感じ?」


 物騒な言葉とは裏腹に明るく笑う男に、いい加減苦笑しか零れない。

 おかしな奴だな。この男と話していると、嫌な気持ちがどこかいく。

 警戒を抱くぶんだけ無駄というか、不必要に思える。身体の力が抜けていき、大分楽に感じた。

 と、ふいに大事なことを思い出す。


「本題に戻るんだが、あの男からの贈り物とはなんだ?」


 正直受け取りたくはないが、そうは言ってられない。

 男もすっかり忘れていたのか、途端にそういえばといった顔になる。


「あの人からこれをアンタにって」


 男が、まわすようにして手の平を出した瞬間、突然黄色い薔薇が視界に現れた。器用だな。

 私は目を見開いて、しげしげと薔薇を見つめる。


「なんだこれは……」


「薔薇?」


 首を傾げて男が言うが、そんなことは私も分かっている。これを贈ってきたジルフォードの思惑が分からない。贈り物をして私の機嫌をとろうというのか?

 ――ないな。

 一瞬でもそんなことを考えられた己に感心する。

 次に浮かぶ可能性は”毒”だ。本気でその線で考えるが、それなら和平を結ぶ理由もない。

 一つ浮かんでは一つ消えていく可能性に、眉を顰め考えていると。


「黄色い薔薇は、嫉妬と不貞。浮気したらその男を殺すってことだろう?はは、あの人らしいよな」


「は……?」


 耳を疑う言葉に、唖然と男を見上げる。

 男は笑っていて、だがふざけているわけではないようだ。本気でそう思っているらしい。

 もし男の言う通りなら……。

 ――不愉快だ。

 怒りがこみ上げ、脳裏に過るあの男に殺意が湧く。

 不貞もなにも、この結婚事体ただの政治だ。愛なんて美しいものなど私とあの男の間に存在しない。

 分かっていて言っているのなら、とんだ性悪野郎だ。

 私は薔薇を鋭く睨み据えると、男の手から強奪する。男はおざなりに軽く目を見開いた程度で、取り返しはしない。

 手に取った薔薇を私は――ぐしゃりと握りつぶした。


「あ~あ、やっちゃったな」


 ははと、さして気にしていない様子で男が笑う。私は、スウっと目を細め、男を見据えた。


「こんなもの私はいらない。私自身のするべき義務は理解しているし、ヴァリトスにとって不利益になる行いを、私はユネシス王に誓って行わない。お前の主にそう伝えろ」


 声高に、はっきりと宣言する。下に向けて広げた手から、花弁がひらりひらりと落ちていく。

 暫しの間男は私を見つめ、目を細めて微笑んだ。楽しくて堪らないといった感じに。


「伝えておくよ、その言葉。俺はリューク。これからよろしく、未来の王妃様」


「!」


 私は驚愕に目を見開き、息を飲む。男が部屋を出て行った。


「あの男が”あの”リュークだと……?」


 ゾクリと、悪寒が背筋を走る。外見を裏切るとは、まさにこのことだと思った。

 ――リューク。イルメディスでその名は、ジルフォードと同様に有名な軍人の名だ。元は他国の大佐を務めながら、とある戦を機にイルメディス側についた男だ。やり方は、無情で残忍。大胆不敵な奇襲を得意とし、その中でも夜襲は群を抜いていた。

 リュークという男が出向いた戦には屍の山だけが残され、その男の名を聞くたびに幾多の国の者が震え上がったことだろう。

 王位を継いで数年という浅い歴史の中で、ジルフォードが諸国に恐れ慄かれている理由は、あの男自身の優秀としか言いようのない能力だけでなく、リュークという男が側に仕えているからだ。

 私自身も、リュークという男との戦では幾多も苦汁を飲ませ続けられてきた。私の軍人人生の中で、最も多く犠牲を出したのはリュークという男との戦だろう。

 仮にもこの国に嫁ぐのだ。いつか会う機会もあると思ったが、まさかあの男がそうだとは思わなかった。

 戦場で直接手合わせたことはなかったが、噂を聞いて、どんな強靭な大男かと想像していたが……。

 あんなにも飄々とした人間だったのかと、リュークという人間に苦汁を飲ませ続けられてきた身にしてみれば、複雑な気持ちだ。

 はあとため息を吐く。どっと疲れが増してきた。少し休もう。

 ふらふらとベッドへ行こうとした――その時だった。


「どういうことです!!」


「なっ!?」


 いきなり乱暴に扉が開け放たれた音ともに、焦燥が混じった怒声が響く。

 驚いて振り返れば、そこには稀な程取り乱したロギがいた。怒りを顕に、鋭く細められた瞳が私へと向けられている。

 まるで――私が軍人となると言い出した時に猛反対をした時のロギと重なって見えた。だが目の前のロギは、その時以上に憤って見える。

 ロ、ロギ……?

 何故そんなにもロギが憤っているのか分からない。狼狽えていると、ズカズカとロギが私へと詰め寄る。


「此度終結した和平のことです。何故それに、貴女とイルメディス王との婚儀があるのです。私は事前に貴方から聞いておりません」


「!!」


 ロギが憤っているのはこれだ――私は後ろめたさにたじろぐ。咄嗟に取り繕えなかった私の動揺を、ロギは瞬時に感じとったのだろう。薄紫の瞳に悲しみの色が揺れる。

 そんな顔をさせたいんじゃない……そんな瞳をしないでくれ……。

 鷲掴みにされたかのように心臓が締めつけられ、みっともなく言い訳を並べて縋ってしまいそうになる。

 これは和平のためなのだ。大切な人たちの、兄上のためだ――。

 揺らぐ理性を持ち直し、全神経をただ一つに集中させる。初めて、冷然とした表情をロギに向けた。小さく、ロギが息を飲んだ。


「お前の言うとおり、私はレイとしての人生を捨て、かつてのレイフェル王女としてイルメディスの王に嫁ぐ。私達の婚姻によって、此度の和平がより強固に、絶対的なものになる。報告が遅くなってすまなかった」


「――」


 愕然と、ロギが瞠目する。胸が鋭く痛んだ気がした。……許してくれ。

 声にすることはできないとわかってはいても、なお心の内で呟いたのは紛れもない私の弱さだった。


「貴方とイルメディスの王の結婚を可能性として考えなかったわけではありません。ですが……私が……いいえ、王が貴女という犠牲を出した和睦をお喜びになると思われますか?」


「――っ!」


 悲しみに満ちたそれに、鋭利な矢で心臓を射られたような気がした。

 喜んでもらえないことは分かっている。だからこそ、こんなにも苦しいんだ。

 守れるということが最も嬉しいと思えるのに、伴う苦しさに息が詰まりそうだ。


「私は本望だ。軍人という、私の我儘に突き合わせてしまったお前たちに恩返しができる。これ以上の幸せがあるとは思えない。お前も私が軍人になった理由をしているだろう?」


 わざと笑って穏やかに言えば、ロギの顔が曇った。今の時ほどロギの感情を明確に感じ取れた日はないと、ぼんやりと思う。

 なによりの皮肉だ。


「では――せめて私を貴女の傍に置いてください。私を貴女が使ってください」


「!ロギ……」


「それができないなら、私を殺してください」


 揺らぎのない、真摯な瞳が私を射抜く。私は息を呑んだ。

 ロギは本気だった。私がロギを殺すなど、出来る筈もない。

 それはロギも分かっていることだろう。だが、今のロギは私が殺さなければ自害してしまいそうなほどに真剣だった。

 私の人生にロギを縛りたくない。ロギを殺すことなどできはしない。今まで経験した中で、群を抜いて最も過酷な選択に押しつぶされそうだった。


「レイフェル様」


レイではなく、本来の名で静かに促してくれる声は、私に逃げることを許さない――。





――――――



「私を嫌っている貴女が私の執務室に訪ねてくるという奇跡が起きたかと思えば……ロギという男を、貴女の従者として傍に置いて欲しいと?」


 底を這うかのような冷気を纏った低い声音に、ビクリと身体が引き攣る。

 こちらを一瞥すらせずに、淡々と大机に積まれた書類の山に目を通しながら私に応えるジルフォードの姿は、瞭然と憤るよりも酷く恐ろしい。

 訪ねてきた私を迎えた時に見せた、咄嗟に驚きを隠せないほどに甘く、柔らかだった態度は完全に消え失せていた。

 それが、私が用件を切り出した途端のものだった為に、どうしても戸惑いを感じてしまう。


「……ああ」


 動揺を押し殺して答えれば、書類をめくるジルフォードの手がピタリと止まる。背筋を緊張が走り、身体に嫌というほど刻みつけられた蹂躙が脳裏に蘇る。


「愚かですね」


 豹変した途端、こちらを一瞥すらしなかったジルフォードのサファイアブルーの瞳が私へと向けられる。それはゾッとするほどに冷たく、凶器のように鋭い。

 私を嘲る気持ちを隠そうともしていない。

 取り繕う隙もなく吐かれた言葉に、苦虫を潰したような気持ちが胸に広がる。


「まさか……私が笑顔で快諾すると思っていらっしゃったのでしょうか?」


「……っ…」


 にこりと笑いかけられ、屈辱に顔が強張る。

 受け入れてもらえると思えれば、どれだけ救いだっただろうか。本音を言えば今すぐ前言撤回を申しだて、この場を立ち去りたい気分だった。




ロギとの約束がなければ、絶対にそうしていただろう。それ以前に、この男に会いに来てはいない。


「私が出来ることなら全てやる。だから、許可が欲しい」


「そう言えば、私が受け入れるとでも?」


 寸分なく、突き返される。

 どこまでも取り繕える隙のないジルフォードに、絶望に視界が暗くなってくる。

 ロギを殺したくない。

 その一心で、必死にジルフォードが受け入れてくれるような言葉を探す。立ち尽くしていると、いきなりジルフォードにため息を吐かれた。ビクリと、身体が震える。


「こちらに来なさい」


「…っ……!」


 瞬時に蘇った蹂躙の記憶に、私は従うことを躊躇う。身動きできずにいると、ジルフォードの有無を言わせない空気が強まる。サファイアブルーの瞳はただ一言、早くしろと私に命令をしていた。


「くっ……」


 怯えや恐怖、屈辱を押し殺して一歩、また一歩とジルフォードへと距離を縮める。その間、一切逸らされることのなく真っ直ぐ私へと注がれているジルフォードの視線を嫌でも意識してしまい、何度も足を止めてしまいそうだった。

 ようやくジルフォードの前に立ち、俯いていた顔をあげようとした。


「貴女は私を馬鹿にしているのでしょうか?」


 突然、ジルフォードの指がくいこむほどに腕を掴まれ、強引に抱き寄せられた。咄嗟に避けることができなかった書類に腕がぶつかり、バサバサと盛大な音を立てて書類の山が崩壊する。

 だが、容赦なく襲ってくる激痛や崩壊した書類の山よりも、吐息を感じるほどに間近にあるジルフォードの瞳に息を呑んだ。

 紛れもない怒りの色に、何故か私がジルフォードに悪事を働いているような錯覚に駆られる。

 追い詰められているのは私だというのに、目の前の男はまるで自分こそが被害者だと言わんばかりに私を責めていた。


「いいですよ、ロギという男を貴女の傍に置いても」


「!」


「ですが、金輪際その男とは口をきかないで下さい。私に逆らうことも、裏切ることも許しません。部屋の外に出るなら、私に報告に来ること。城からは絶対に外出しない。これらが一つでものめないようなら潔く諦めなさい」


「――!!」


 一瞬でも見えた希望の光を粉々にする横暴な要求に、咄嗟に叫びだしそうになった。だが、何を言っても譲らないと言わんばかりのジルフォードの態度に、ぐっと唇を噛み締める。



「ロギを……私の傍に置いてくれ」




ロギが生きれるのならそれでいい。



次の瞬間、容赦なく唇を貪ってきたそれを私は拒絶しなかった。





――――――


「今日は天気が良いですね」


「……」


「庭に出られるとは良いことです。こんなにも素晴らしい庭がイルメディスにあるとは初めて知りました」


「……」


 今までになく饒舌に話しかけてくるロギはまるで、”喋ることのできない”私に代わって喋っているようだった。

 直接ジルフォードとのことを告げたわけではないのに、いっこうに会話をしない私から、ロギは瞬時に察したように話しかけてくるようになった。

 あの男との約束から早一週間。私とロギ以外の者たちは既に国へと帰り、私は軍服を奪われて代わりに溢れるほどのドレスの山を与えられた。

 挙式の日程は未定。私はジルフォードの”婚約者”という立場でこの国にいる。

 ――もう、一週間もロギと口をきいていない。ずっと今のようなことの繰り返し。


「……っ……」


 震える手からの振動で、ティーカップの中の紅茶の液体が震えていることにロギが気づかなければいい。

 無性に叫び出したくて堪らなかった。

 流れに任せて生きていく窮屈な日々。それが嫌でひとたび部屋を出れば、その報告をしにあの男に会いに行かなければならない。

 どうせなら、全て奪って欲しかった。中途半端に自由がある軟禁だからこそ、積み重なる重圧も酷かった。

 ――なにより耐えきれないのは、こうして健気に話しかけてくれるロギを無視しなければいけないこと。

 息が詰まるんだ……ッ……!!!!

 底のない海中を溺れていくような感覚に、気が狂いそうになる。

 縋るようにロギを見てしまったのは、私の完全な弱さだった。


「――」


 その瞬間。垣間見てしまった、寂しさと悲しみに満ちた薄紫の瞳に、死んでしまいそうだった。





ーーーーーー



 王としての政務の為の執務室。大机の上は書類の山で埋め尽くされている。今日中に目を通す予定の書類を、パサ…パサ…とめくっていれば、クスリと笑い声がした。

 この部屋には私とその男しかいない為に、その声の主が誰か考えずとも分かる。それ以上に興味がないの一言で無視していれば、楽しげな笑い声は消えるどころか大きくなる。


「アンタって残酷だな。あんまり虐めすぎると壊れちゃうぜ?あーあ、可哀想なの」


 陽気な声は微塵も同情しているようには感じさせない。

 刺激に飢えた獣のような側近だ。刺激を得る為ならあっさりと仕えていた国を裏切る側近にしてみれば、彼女と私との事は退屈を紛らす”刺激“の一部なのだろう。

 彼女のことは気に入っているようだが、傍観し楽しんでいるような様子を見れば側近にとって彼女の存在がその程度だとわかる。

 ”私に仕えることで得られる刺激に、彼女の存在は上回っていない”

 たとえ上回ったとして譲ってやる気持ちは塵ほどにもないが。


「壊すの?」


 あっけらかんと問いかけられ、私は書類を下げて側近を見る。

 彼女を壊す?





 艶然と微笑んだ。

 それだけで察したように、側近が目を細める。


「あーあ、可哀想に」


 そんな側近の声を聞きながら、今頃死の淵に立っているような感覚を味わっているだろう彼女へ思いを馳せる。

 日の下で生きるに相応しい彼女のことだ。窮屈な鳥籠に彼女の心が耐えられるかどうか、考えるだけで楽しいものだった。

 私が全てを奪った。レイという男としての人生も、生きてきた理由も――好きな男も。

 私の目の前で彼女の頬に触れた、あのロギとかいう男は目障りだった。

 彼女が、ヴァリトスの王を生きる意味とする程に大切に思っているのはわかっていたが、彼女は随分と、あのロギいう男のことを大切に思っているようだった。だからこそ、二人を完全に引き離してやろうと考えていた。密かにロギという男を殺しやろうかとも。

 が、結果的にあの男の存在が彼女を縛る鎖になり、苦しめ、私に彼女を堕とす糧になったことを考えれば溜飲は下がるというもの。

 私への憎しみに燃える赤い瞳が瞼に浮かぶ。

 もっと憎めばいい。そして私のことだけを考えればいいのだ。

 それが完遂するならば、彼女が壊れてしまっても構わない。

 ――最初から彼女を手放すつもりなど微塵もないのだから。

 私だけで埋め尽くされる彼女を想像しただけで、ゾクリと狂喜に魂が震えた。

 もっと。もっと彼女が欲しい。

 何度蹂躙しようとも足りない。

 たとえ彼女を完全に征服した日がきたとしても――この思いは絶対に止まらない。



早く、私の元へと堕ちておいでーー……。



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