私を踏み躙る時には手加減なんてしなくていい
あれから十一年。
私を救ってくれた美しい人。兄上は、今から三年前に崩御した父様の跡を継ぎ、この国――ヴァリトスの王となった。
兄上はあの時の言葉通り、私を守り、慈しみ、誰の目にも入れても痛くないほど可愛がってくれた。
そして私は……軍の正装をし、ヴァリトスと気が遠くなるほど戦を続けてきた大国、イルメディスの謁見室にいた。
ヴァリトス国の代表として、和平交渉をしに。
何故、王女である私なのか。
それは――母様を亡くしてすぐに、周囲の反対を押し切り、性や身分を偽って後ろ盾のないレイとして軍人になったからだ。
きっかけは、兄上に差し向けられた刺客をたった一人で返り討ちにした兄上の姿を目の前で見たことだった。
思い知らされたのだ。思いだけでは、大切な人は守れないことを。
一人前の軍人となって六年の中で、ヴァリトスにとって重要となる戦で何度も多大な功績を残し、兄上が王位を継ぐ時には大佐とまで登り詰めていたのだから、異例の早出世だろう。
表情は冷然とし、前を見据える。
「あれが”ヴァリトスの戦神”か……噂に違わず美しい。共も連れずに来て、動揺もない。緊張さえしてないようではないか」
「ここで動揺しているような人間では、”ヴァリトスの戦神”に苦渋を飲ませ続けられてきた我らに対する侮辱。ヴァリトスの底も知れるというもの」
「それもそうだが……」
足を進めれば、周囲から上がるざわめきを、呆れた気持ちで聞く。
美しいなど――本当に美しい人間を見たことがないから言えるのだ。兄上を目にすれば、私など塵も同然。誰に対して”美しい”という言葉が相応しいか明瞭明快なことだ。
コツ…コツ…と革靴が大理石の床を踏みしめる音が静粛なこの場に響く。
和平交渉が行われる謁見の間に進んだのは、私一人。周囲を取り巻くのは、今まで敵として戦ってきたイルメディスの人々だ。
――この状況を私が望んだからだ。
理由は簡単だ。ヴァリトスとイルメディスとの戦の歴史は長い。本来ならこの場に一人で出向くことさえも無謀な自殺行為なほどに、両国は睨み合いの日々を続けてきた。
私一人というのは、敵対する意志は一切ないという、こちら側の誠意の表れだ。どうあってもイルメディスに、ヴァリトスとの和平を結んでもらわねばならない切羽詰まった事情があるからだ。その原因を思い出すだけで胸に苦いものが広がる。
間もなく、その原因の元に着く。交渉の席の前でほくそ笑んでいるのかと思えば、胸の中で殺意が渦を巻く。
隙は絶対に見せはしない。
カッ……。ブーツの音が止まり、私は両足を揃える。
目の前には、最も殺してやりたい原因――イルメディスの王、ジルフォード・ロギ・ブレッドリーがいた。
「ようこそいらっしゃいました、レイ殿。それとも……”ヴァリトスの戦神”とお呼びしたほうがよろしいでしょうか?」
柔らかな甘い声音。ふわりと微笑む姿からは、敵意は微塵も感じられない。
ジルフォードは美しい容姿をしている。素直に認めてしまえるほど。
と、同時に。外見と、王位を継いで数年という浅い歴史を裏切った実力の持ち主だということも身に染みて知っている。
この男によって味わされた屈辱と絶望を忘れてはいない。この男は、国にとって……兄上にとって危険だ。
和平が叶わず、イルメディスが牙を向けば真っ先に狙うべきは――間違いなくこの男だ。
「レイとお呼び下さい。此度はこの場を設けてくださったこと、心から感謝致します」
そう答えながら、ヴァリトスがイルメディスに和平を望まなくてはならなくなった原因の一週間前を思い出していた。
元々は、両国の実力は同じだった。諸国に恐れられ、どちらも支配力を広くもっており、支配下の領域の半分を海域が埋め尽くすという共通点さえある。
そんな両国の違いは、軍事力だった。
ヴァリトスは、支配下の領域が海域が大きいという国柄のため、陸軍よりも海軍に軍事力強化を注ぎ、実際に、世界最強とまで言われる海軍力を誇っていた。
イルメディスはその逆だった。海軍の実力だけに固執すれば陸軍が弱点になり得るかもしれないと陸軍に軍事力強化を注ぎ、世界最強と言われる陸軍を誇っていた。
ヴァリトスは相手国に対して陸軍が劣り、イルメディスは海軍で劣っていた。お互いに、自分たちの誇る方面で弱点を庇いつつ攻防を繰り広げてきた。それが長い歴史の中両国の決着がつかなかった理由だとも言われている。
なのに――目の前の男に、覆された。
誰もが信じて疑わなかった事実を。
最強をものにしている海軍を持つという事実の驕りが出した、ヴァリトスの盲点そのものの方法で。
その方法は、まず、イルメディス自らが陸軍でヴァリトスを攻めるというものだった。それとほぼ同時に、裏でカリコクシ国に攻め入り、ほとんど無傷の状態で支配下に置いたのだ。
その国は、ヴァリトスには劣るとはいえ、次に並ぶくらいには海軍力を誇る国だった。ジルフォードは支配下に置くことで、カリコクシ国の海軍の技術や知識、力を自軍へと取り入れいたのだ。
それからのイルメディスの成長は恐ろしかった。たった一年でイルメディスの海軍を上回るほどの軍事力を身に付け、攻め入ってきたのだ。それが一週間前。
弱点を補い、最強を誇ってきた海軍力という優位を失ったイルメディスは経験したことのない過酷な戦いを強いられ、ジルフォードが途中で自軍を引き上げなければ確実に攻め落とされていた。
結果が今だ。
「レイ殿。どうぞその席へお座りください」
「……失礼いたします」
二十人は掛けられる長テーブル。それが奥の玉座に縦に長く置かれ、上座にジルフォードが着いている。
ジルフォードの横に並ぶ席が私の席だ。さっと場所を確認し、席へと着く。
ジルフォード……。
自然さを装って、ジルフォードを観察する。首下を流れる艶やかな紫の髪に、弓なりの美しい眉、朝露の雫を思わせるサファイアブルーの双眸、彫りの深い鼻梁。細かい刺繍の装飾が施された、優美な正装をしている。
「数々の武勇伝を築いた、噂高いレイ殿には一度会ってみたいと思っていたのです。私は幸せ者ですね」
「……ジルフォード王にそこまで言っていただけて光栄です」
皮肉を言っているのだろうか。
もしくは、和平を受け入れるつもりはないという意思表示か。
私の功績の大半は、イルメディスとの戦だ。
「申し訳ありません。憧れのレイ殿に会えて興奮していたようです。本題にはいりましょう」
待ちかねた本題に、緊張が背筋を走る。目の前の男の返事一つで、ヴァリトスの国運が決まる。
こくりと唾を飲んだその時。目の前の男は笑みを絶やさずに言った。
「イルメディスの返事は、現時点ではお答えできません」
「……理由をお聞きしてもよろしいでしょうか?」
予想の範囲内の返事とはいえ、焦りが高まる。こちらとしては少しでも早く、ヴァリトスの安全を確保しておきたいのだ。私情としては、兄上にこれ以上負担をかけたくない。
ヴァリトスの心情などお見通しだろうに、あえて返事を保留することでこちらが焦る様子を楽しむつもりか。
それとも、イルメディスの中で意見が大きく割れているのか。
「ヴァリトスは和平を結ぶ相手としては申し分のない大国です。長い歴史の憂いを取り払えると思えば、こちらとしても喜ばしいのですが……負った傷は深い。失礼ながら、要した時間があまりに長すぎました。それでこちらとしては時間を頂きたい。はっきりとした時間は言えませんが……その間貴方方にはこちらで用意させていただきました部屋に泊まってもらい、ご自由に生活してもらって構いません。勿論、こちらの返事が不要になればこの国を去って頂いても構いません」
こちらに受け入れる以外の選択肢がないことなどわかっているくせに、よく言う。
要するに、一言で言えば”ヴァリトスは信用できない”ということだ。こちらがイルメディスを裏切る可能性を考えているのだろう。
返事は喉から手が出るほどに欲しいが、イルメディスの言い分は当然な話だ。私がイルメディスだったとしたら、同じ言い分をしただろう。和平を組めば長年の戦が失くなり敵が減り、はいってくる利益もある。が、信用はできない。和平を組んだ途端に、手のひらを返され、油断でもしている隙に他国との繋がりでももたれて大群で攻め込まれでもすればたまったものではない。
時間を置き、ヴァリトスの人間である私たちを手元に置くことで、イルメディスを見極めるつもりなのだろう。
「長く時間がかかっても、返事を頂けるなら構いません。謹んで待たせていただきます」
……私たちが出来るのは、ただひたすら待つことだ。
ジルフォードが席を立ち上がる。私もそれに倣って立ち上がった。
にこりと、嫌味なほど綺麗な笑みでジルフォードが笑う。
「早速ですが、レイ殿のお部屋に案内させましょう」
「いえ……有難いのですが、まずは共の者へ会いに行こうと思っています。部屋は後ほど案内して頂ければ大変助かります」
「僭越ながら、レイ殿と共にこの国へ足を運ばれた方々には既に臣下に言って部屋に案内させています。皆さん長旅で疲れて休んでいらっしゃると思いますので、今日はレイ殿も身体を休め、明日にでも会いに行かれてはどうでしょう? 返事を保留にして頂いたことに関しては、臣下をレイ殿の共の方々に参らせましょう」
今の言葉に全て確信した。
こちらがイルメディスの提案を断ることなど少しも考えてはいなかったのだと思うと、ただ大人しく色好い返事を祈るしかできない自分の無力さが歯がゆい。
これが現実なのだ。いかに残酷だろうと。
ヴァリトスがイルメディスの対等でいられる時は既に去った。
「お心遣いありがとうございます。恐縮ですが、私の共への伝達をお願いいたします。ジルフォード王の仰ります通り、今日は身体を休め、明日にでも会いに行こうと思います」
「どうぞ、ごゆっくりお身体を休ませてください」
「ありがとうございます。御前を失礼します」
ジルフォードに向かって、頭を下げ、背を向ける。出口に向かって歩きながら、背中にジルフォードの視線を感じた。
なんだ……?
ゾクリと悪寒が背筋を這う感覚がした。
眉を寄せるが、周囲にいるのはイルメディスの者たちだ。悪寒はそのせいだと納得して、部屋を出る。
と、同時に、扉付近に控えていた男が、さっと目の前に出ると、深々と頭を下げた。
「お部屋にご案内致します」
男はさっと身を翻すと、前を歩く。
その後ろをついて行き、時折こちらを静かに伺ってくる男の視線を流しながら、いくつかの角を曲がり、一つの部屋の扉の前に案内された。
「こちらが、滞在中にレイ殿にお使いいただくお部屋です」
男がドアノブに手をかける。
「どうぞ」
「!」
目の前の光景に、ピクリと肩を震わせ動揺する。
なんだここは……。
草花模様の壁紙に、家具や調度品も繊細で美しいものばかり。
内装は豪華。部屋も、私が王女の生活をやっていた時に使用していた部屋以上に広い。
まるで、この国の特別な者が使うかのような存在感のある部屋だ。
ヴァリトスという、大国の使者相手とはいえ、随分な待遇の表し方だ。
脳裏に、ジルフォード・ロギ・ブレッドリーの微笑む姿が過る。これは、イルメディスなりの歓迎の表し方なのだろうか。
……ぞんざいには扱う気はないということか。
「必要なものは運ばせていただきます。何なりとお申しつけください。…では」
表情には出さずに唖然とする私の視界で、男が頭を下げてそそくさと出ていこうとする。
はっとなり、慌てて声を掛ける。
「待ってくれ。私と共にこの国に来た者たちの部屋はどこにあるのか教えてくれないだろうか?」
男は足を止めてこちらを振り返ると、奇妙な少しの間を空けて言った。
「……下の階にありますお部屋に案内させて頂いております」
それだけを言うと、男は即座に部屋を出て行った。これ以上は話すつもりはないという、固い意志と拒絶を感じた。
何かあるのか……? それに、何故私と他の者との部屋がそんなにも遠く離れている?
膨らむ疑念に、胸がざわつく。あの時、適当に理由をつけて共の者たちへは今日会いに行くと答えれば良かったと、今更ながらに後悔する。
今からでは無理だ。公の場の、それも面前でジルフォードにはっきりと言ったのだ。共の者へは明日会いにいくと。
それなのに、今から私が共の者たちへ会いにいけば、イルメディスを疑っていると言っているようなものだ。理解していて動くわけにはいかない。私の行動一つ一つに、ヴァリトスの国運がかかっている。……迂闊だった。
タイミングを見計らい、明日、出来るだけ早く会いに行こう。今は潔く諦めることしかできない。
ため息を零し、寝台に移動して腰を下ろす。
和平に関しては、イルメディスからの連絡が共の者たちへいっていれば、すぐに国へ通達がいくだろう。国との連絡は、共の中でも最も信頼に置ける男に任せてある。
これからどうなるのか……。
考えようとも、答えは見つかるはずもなく、未来はただひたすらに果てしない。
兄上……。
ヴァリトスを出る前にこの目に焼き付けた、苦渋に満ちた複雑な瞳。
早く、早くイルメディスとの和平交渉が終わればいい。
そうすれば、兄上のお心も少しは晴れることだろう。
……待ち受ける結果がどうであれ、私は最後まで兄上のためだけに生きるだけだ。
――と、その時だった。
突然の扉のノック音に、瞬時に意識は現実へと引き戻る。気を引き締め、立ち上がる。
「どちら様ですか?」
『ジルフォードです。お話がしたいのですが、入ってもよろしいでしょうか?』
さっと、腰の剣に視線を走らせる。
和平交渉の話が終わってからまだ間もない。ジルフォードの話が和平交渉に関してではないことが大だ。狙いは一体……。
いざという時は……。
「どうぞお入りください」
『失礼いたします』
扉が開き、ジルフォードが現れる。
「お話とは一体?」
「ああ、そんなに硬くならないでください。話といっても、世間話のようなものですから」
「……世間話、ですか……?」
ええ、と頷くジルフォードに、警戒心が高まる。
和平交渉も停滞の今、それもあの場が終わって間もないにも関わらず会いに来るとは随分と面が厚いものだ。
考えられる目的は……ヴァリトスの内情を探りに来たのだろうか。
「……どうぞ、お座りください」
「ありがとうございます」
中央にある円型のテーブル。ジルフォードが椅子に座るのを見て、その向かい合わせにある椅子に座る。
対面にあるジルフォードの顔を見る。自分の中にある様々な感情を置いて考えると素直に面倒な男だと思う。表面上、一切、笑みを絶やさないような人間は、二種類に別れる。
”純粋”と”狡猾。大抵は腹の底に黒いものを抱えているものだ。そして、相手に気取らせないことに長けている。今までのジルフォードの実績から言って、確実に狡猾の分類だろう。
そういった人間は嫌いではないが、交渉相手としては欲しくはない。部下や友人としてだったら許せる。
「レイ殿はお美しいですね。一つに結ばれた、艶やかに流れる黒髪。ワインレッドの液体を満たしたかのような、こちらを見据える瞳は警戒や疑い、憎しみや殺気を奥深くに潜ませている。黒の軍服は、まるで貴方を隠す闇のようだ。謁見室でも思いましたが、見ていて楽しいですよ」
言葉とは裏腹に、にっこりと敵意の感じられない笑みを向けられれば、どう捉えるべきか迷う。
バレていたのかと、淡白に考える。いくら隠し通そうと、分かる人間には分かるものだ。隠していたつもりの内心を清々しく暴かれたことに対する悔しさはない。
暫し迷った末、口を開く。
「……私はお礼を申し上げるべきでしょうか?」
「いいえ?」
あっさり返されれば、沈黙するしかない。
確信しているようだったため、無駄だろうと高をくくって否定しなかったことに関しては、咎めはないようだ。
「ところで、レイ殿は軍人をお辞めにならないのですか?」
「……考えたこともありません。今はその時期ではないと思っております」
さっきから一体どういったつもりで口を開いているのだろうか。
ジルフォードは馬鹿ではない。当然、自信の言動が相手を不快にさせるものであるものかどうかぐらい判別はついているだろう。
私を挑発し、騒動を起こさせ、それをヴァリトスの責任として擦り付けてくるつもりか?
そうはさせないと、気を引き締める。
「確かに、ヴァリトスには貴方のお力が必要でしょうね。今も、この先も」
「……?」
一瞬、ジルフォードの瞳孔が細められた気がした。獲物を定めるかのような、捕食者の光を湛えて。
目の錯覚かと思わせるほどすぐに、瞬きをした隙に消えてしまったが。
違和感に気を取られた、一瞬の隙だった。
突然立ち上がったジルフォードに私が反応するよりも先に、手を掴まれ身体を引き寄せられた。腕に閉じ込められる。
「私が引きずり落としてあげましょうか? ヴァリトスの戦神でもなく、軍人のレイでもなく、ただのレイという人間に」
「! 一体何を……っ、お離しくださいジルフォード王。お戯れが過ぎます」
大事な交渉相手に無礼を働くわけにもいかず、抵抗の代わりになるべく感情を押し殺して言うが、ジルフォードは逆に拘束の力を強めてくる。
私を殺す気か……?
万が一に備え、この手を振り払いたいがぐっと堪える。私から行動すれば、この男の思うつぼだ。
「手に取るように貴方の感情がわかりますよ。使者である身分が邪魔をして私に抗えず、怒りを滾らせていらっしゃるのでしょう?」
「……ジルフォード王、お戯れが過ぎます。お酒を召されましたか?」
感情を押し殺して言うが、思ったよりも低い声になる。
早く離れろ。
身動き一つとらず辛抱するが、ジルフォードは楽しげな声音で笑っている。
「ねえ、レイフェル王女?」
「――――」
一瞬、息が止まった。
しまった――瞬時に思い直した時には遅かった。
こちらが表情を取り繕う前に、ジルフォードが瞳を細める。そこには、先程見た捕食者の光があった。
本能と、軍人として培った経験が、この男は危険だと警笛を鳴らす音がする。
――逃げられない。
「抗っても構いませんよ。ですが……貴女は見せてくれるのでしょう? ヴァリトスの誠意とやらを。貴女はどこまで耐えられるのでしょう……? 楽しみですね」
ぐらりと視界が揺れ、次の瞬間には床に押し倒される。
「…っ……!」
抵抗はできない。
――私が抗えば、その瞬間に和平交渉は決裂する。
最早ここに、対等の立場はない。
捕食者と、被食者。
征服する者と、征服される者だけだ。
当然、この場での被食者であり、征服される者は私だ。
「これは一種のゲームですよ。貴女が根を上げれば、それで終わりだ。だが、それまでは貴女は私に征服される。国が大切なら耐えなさい」
上着の前を引き裂かれ、ボタンが弾き飛ぶ。
ビクリと、体が強張る。これから何をされるのか、言われずとも理解していた。
私に抵抗は許されていない。
「おや、さらしを巻いているのですね。これも女という性を隠す術ですか? 吸いつくような肌をしていますね。とても美味しそうです」
「っ……!」
かあっと羞恥心に赤くなる。
さらしを巻いている理由はジルフォードの言うとおり。
軍人としての道を選んだ瞬間から、男として生きてはきたが、身体の成長まではどうしようもないからだ。
邪魔で仕方がない胸は、服では隠せないほどに成長してしまった。
「楽しみましょうか、このゲームを」
その言葉が合図のように、シャツを引き裂かれる。
ゾワリと、悪寒が背筋を這い上がり、嫌な汗が吹き出る。四方を男に囲まれたような人生を送ってきたのだ。男女同士の体の混じり合いがどういったものか、教育を受けずとも知識としては知っていた。
が、まさか自分がその体験を送るとは思わなかった。その対象になるとすら考えたことはない。
未知な世界に、臆する己がいることを否定できない己がいる。
ジルフォードの顔が近づき、唇を重ねられる寸前に、私は堅く目を閉じた。
*****
横たわったまま動けない。
いくら鍛え上げてきたとはいえ、蹂躙された後では全てが無だ。
背後で、ジルフォードが衣服を整えているのだろう。衣擦れの音がする。
さっさと出ていけばいい。
略奪された女のようにめそめそと泣きはらすようなことはしないが、今は一人にしてほしかった。
胸に大きな空洞が空いているような感覚がした。
『国が大切なら耐えろ』――ジルフォードの言葉が脳裏を過る。
耐えてやる。私の身体が材料になるのならば安いものだ。
だが――もし和平に結びつかなければ、息の根を止めてやる。
使者である私への蹂躙が、ヴァリトスの和平を願う意思の強さを確かめるための手っ取り早いものだとしても――やり方が気に食わない。
「……!」
ジルフォードが覆いかぶさってくる。私は眉を顰めた。
「何を考えているのですか?」
耳朶に触れるほど唇を近づけて、囁かれる。鼓膜にかかる湿った吐息に、背筋がゾクリと震えた。
近づくな。
早く消えてしまえ。
その顔を見るだけで不愉快で堪らず、こちらを見下ろしている、どう遊んでやろうかという瞳は私の反発心を煽る。
「……何も」
冷たく返せば、ジルフォードがクスリと笑う。
「根を上げる気はないようですね。まだまだ楽しめそうで、安心しました」
「根など、上げる気はありません」
痛む身体を誤魔化し、平然を装って上体を起こす。
ジルフォードによって引き裂かれたシャツのまま、堂々と振り返る。
肌を隠したりなどしない。――私は屈服などしない。
激しく踏みにじられようとも、屈服しなければ、それはただの暴力だ。
「私に対して、無用な心配などいりません。どうぞご安心して、この部屋をご退室ください」
手加減などいらない。
ジルフォードは既に衣服を整え終えている。と言っても、この男は衣服を一切脱ぎはしなかったが。
「これは失礼しました。もう少しこのままでいたいところですが、それは流石に遠慮しておきましょう。では、私は失礼いたします」
艶然な微笑みを浮かべ、ジルフォードが出て行く。同時に、糸が切れた人形のように私はその場に座り込んだ。
流石に限界だった。
少しの間だけでいい。何も考えたくはない。
引き裂かれた衣服から、ヴァリトスから持ってきた新しい衣服に着替えるべきだろうが、今はただ休みたい。
「兄上……」
迸る、言葉にならない思いに、私は目を閉じた。