ささやかな幸せ
あたしは激情家である。
「九.一一……君も知っているだろうテロ事件だ。あの事件では、日本人も犠牲になっている」
「そうらしいね」
「その結果、夫を失った婦人が居たのだが……何年かの後、彼女は演説をした」
だので、今この時点で、少々思うところはある。しかし、我慢する。一発引っぱたいて話を早くしてしまおうかと考えてしまうあたりが女としてダメなのだ。
「彼女の演説、その内容を要約すればこうだ。『夫を失って私は悲しみに暮れた。絶望からもう二度と這い上がれないと思った。死んでしまおうかとも考えた。けれども、私は今こうして生きている。人間は悲しみを忘れていく生き物なのだ』」
「……あたし、そういう女好きじゃない」
悲しみを忘れるって何だ。そんなに簡単に忘れられるほど夫は軽いものだったのか、と思う。
「君ならそう言うだろうと思っていた。だが、生物としてはこれで自然なのだ」
「生物としては……って、何? つがいが居なくなったら別のを探して繁殖するよう本能が命令してる、みたいな話?」
「それもあるやもしれない。が、そもそも怒りや悲しみは長い間持続しない」
言われて思い出してみれば、なるほど、一日二日ならまだしも一年二年と怒り続けられる気はしない。
「『深い悲しみ』は、その人間の活動を大きく妨げる状態異常だ。だから、事態を十分認識し終えたら、後は『感情』をなだめて『記憶』の彼方に流そうとするように人間はできている」
「理屈は……理解できるけど、あたしは、その人にとって旦那はそんな軽いものだったのかって思っちゃう」
「事件や事故は突然の不幸だ。だが、そうでなくとも人は死ぬ。愛の大きい小さい重い軽いは関係なく、生物ゆえにそうなる。では、質問だ。この夫婦は『不幸になろうと思って結婚した』のだろうか?」
「違うでしょ。奥さんだって『悲しかった』って言ってるんでしょう? なら、『幸福になろうと思って結婚した』に違いない」
「しかし、人は死ぬ。いつになるかはわからないが、夫か妻かどちらかはおそらく先立たれる。相手を想っていれば、残された人間は悲しみに暮れ、『不幸』になる。――恋愛はいずれ訪れる大きな『不幸』を生産するろくでもないものではないか?」
「それは……そうだけれども、違う」
間違ってない。けれども、おかしい。
「何が違う?」
「先立たれて悲しくなって『不幸』になるのは、一緒に居ることで『幸福』だと感じるからよ。隣に居たその人のぬくもりが感じられなくなることを悲しむのよ」
「そうだな、俺もそう思う。そして、君ならそう言うだろうと思っていた」
笑って、彼は『木』の幹に片手を伸ばす。
アレだ。
いわゆる、『伝説の木』。
ここで告白するとなんかこう、それ。
で、あたしは呼ばれたわけで、彼は呼んだわけで、呼ばれてここまで出てきたんだからあたしの答えは当然確定してるものだし、そんなことがわからないほどこのインテリメガネは莫迦じゃないし、ああもう、結論! 早く結論! がっと来て、ぶちゅっとやって! 早く!
「君」
「は、はいっ!」
あたしは、ぴんと背中を伸ばして話を待つ。
どきどきがえらい速さになって胸が痛いくらい。ああもう、待てん待ちきれん。襲っていいですか? いいですよね?
「俺は、君の横でささやかな幸せを生涯生産し続けることを誓う――旨、認めてきたので読んで欲しい」
「周りくどいわ!」
あたしは、ドロップキックでラブレターごと彼を蹴っ飛ばしてやった。
お題「ささやかな幸せ」