05.そら
あたしはりくのこんな表情を見た事なかった。
まるで熱に浮かされたように頬を染め、ほうっと呆けた唇の隙間から、歌姫の奏でる旋律と同じ音を歌い始めた。
どれだけ腕を強く掴んでも、りくはあたしに気づかない。
――いま、りくの瞳にあたしは映ってない。
光溢れる銀色の髪を揺らして美しい声を奏でる歌姫を睨みつけた。
「……渡さない」
思わずそんな言葉が口から零れた。
りくはあたしのものなのに。
「奇麗な歌だね」
視線を歌姫に奪われたまま、りくが言う。
いやだ、りく、こっちを見て。
あたしを見て。
歌姫に心を奪われていくりくをそれ以上見ていられなくて、あたしは思わずその場を走り去っていた。
最上層を抜け、軍部の通路を駆け抜け、あたしは真っ直ぐ自分の部屋に飛び込んだ。
後ろ手に扉を乱暴に閉じ、いつもりくと並んで空を見上げる大きなベッドにもぐりこんだ。
なんであんな目で歌姫を見るの?
なんで一緒に歌を口ずさむの?
どうしてあんな嬉しそうな顔で奇麗だなんて言うの?
「りくのばかぁ……っ!」
心の中がぐちゃぐちゃになった。
嬉しそうなりくも、歌姫も、考えるだけで胸が焼けるようだった。
「そら」
だから、心配して追ってきてくれたあかりちゃんの声がした時も、あたしは返事をしなかった。
「そらの気持ち、私はとってもよく分かるわ」
ベッドに腰かけたあかりちゃんは、あたしをあやすようにシーツの上からぽんぽん、と撫でてくれた。
「りくがかぐやに獲られちゃったみたいで寂しいのよね」
「と、獲られちゃったみたいじゃなくて、獲られたのっ……」
思わず返答すると、あかりちゃんはますますやさしくあたしを撫でた。
「獲られてなんていないわよ」
「ウソよっ。だってあんな表情したりく、あたし見たことないもの……!」
「何を言うの。りくはいつだってそらのことをあんな風に優しい顔で見ているわよ」
「そんなことないもん……っ」
かたくなに言い張ると、あかりちゃんは手を止めた。
「もう、そんな風に意地を張ってると、本当に獲られちゃうわよ?」
「いいもん。もうりくなんて知らないもん」
ギュッと目を閉じて嗚咽をこらえていると、あかりちゃんは不意にあたしを抱きしめた。
シーツ越しにあかりちゃんの体温を感じた。
「そうよね、寂しいわよね」
「……」
「私だって……」
あかりちゃんの言葉は最後まで聞けなかった。
代わりにあかりちゃんはますます強くあたしを抱きしめた。
まるであかりちゃんがあたしの悲しみを吸い込んで、代わりに悲しんでくれているようで、ほんの少しだけ心が落ち着いた。
そっとシーツの隙間からあかりちゃんの顔をのぞいてみる。
あたしが顔を出したのに気づいて、あかりちゃんはにこりと微笑んだ。
「あかりちゃんも、悲しい時があったの?」
「……どうかしらね」
そう言って微笑したあかりちゃんはとっても美人だった。
あたしがずっと憧れている大人の女性。
「りくはちょっとよそ見しちゃっただけよ。あの年頃の男の子はね、目の前に見た事のない女の子がいると、どうしても興味をひかれちゃうの。そんな時は、バカって言ってこっちから捨ててやりなさい。そうしたら、そのうちちゃんと気づいて、そらのところに戻ってくるんだから」
「……ほんと?」
「本当よ」
あかりちゃんはとても魅力的に笑った。
「……じゃあ、そうする」
なんとなく気持ちの整理がついた気がして、あたしはそう言った。
「よしよし、そらはいい子ね。きっと、いい女になるわよ」
いつもみたいにあかりちゃんが頭を撫でてくれて。
あたしは、歌姫に向けるどろどろした感情に無理やり蓋をした。