04.りく
海上都市ロサ・ファートゥムはいくつかの階層に分かれている。
最下層はこの都市を支えるだけの骨格。大洪水の前は繁栄していた都市を基盤にして積み木のように積んだ都市のすべてを支える部分。
その上には、一般の人たちが住む居住区。ここが一番大きな区域で、約一万の人たちが暮らしている。沈まなくなってしまった太陽から身を隠すように黒の装甲に包まれて暮らしている。
さらにその上には、軍が陣取っていた。あーちゃんのように戦闘指揮を執るヒトたちだけでなく、道化機械を作るヒトや研究するヒト、それからボクらのように防衛用の道化機械乗り。ボクらの乗る最強の道化機械『RV-00』、通称ルヴィもこの区域の最上階にあった。
今日これから行くのは、さらにそれより上の区域。
「最上階に行くのは二人とも初めてだったわね」
「うん。いつも、いっちゃ駄目って言われてたから」
「歌姫の存在は最高機密だものね」
あかりちゃんはそう言いながら、普段なら素通りする通路の途中で立ち止まった。
「どうしたの? あかりちゃん」
「ここが入口よ」
「え? ここ?」
ボクらの目の前にあったのは、ただの黒い壁だった。
「だってさ、この通路の突き当たりに大きな扉があるじゃん。見るからに厳重そうな……ボクはそっちが入口だと思ってたんだけど」
そう言うと、あかりちゃんは唇の端をあげて微笑した。
「当たり前でしょう。大切な歌姫がそんな分かりやすい扉の向こうにいると思う?」
「えっ、じゃあ……」
「あれはダミーよ」
そう言いながらあかりちゃんは壁の一部に手をめり込ませた。
「大和、開けて頂戴。二人を連れてきたわよ」
あかりちゃんがそう言うと、手がめり込んでいたあたりの壁がぐにゃり、と動いた。
そらが小さく悲鳴をあげてボクの腕にしがみつく。
「さあ、どうぞ。ここからが最上層、ロサ・ファートゥムの歌姫が住む場所よ」
ぐにゃりと動いた壁がぽっかりと口をあけたその向こうには、闇が広がっていた。
ボクはしがみついたそらを促して、あかりちゃんの後を追い、その闇に足を踏み入れた。
最初は何も見えなかった。
暗闇でも目立つあかりちゃんの赤い軍服だけを追って、ただ足を前に進めた。
周囲には何の気配もなく、暗すぎて足元も天井も、壁がどこまであるのかすら分からない。一歩先さえ見えない闇の中を歩くのはとても勇気のいる事だった。
もし隣に震えるそらがいなかったらボクだって震えだしていたかもしれない。
ふいにあかりちゃんが足を止めた。
その肩越しに、ぼんやりと光るモニターのようなものが見えた。
「大和、いつも言ってるでしょ、灯りつけなさい」
「あ、朱莉さん。ごめんごめん」
暗闇の中から男性の声がした。
「全く……」
あかりちゃんは大きく息を吸い込んだ。
その喉から、力強い歌声が流れ出す。
あかりちゃんの歌をエネルギーにして周囲の明りが一斉に点灯した。
目の前には、見た事のない大きな機械が横たわっていた。天井は薄暗く、高さは分からない。黒々としたコードやパイプがむき出しになっているその大きな機械の下に、一人の男性が立っていた。
優しそう、と言えば聞こえはいいけれど、弱そうな、どこかだらしない感じがする。真っ赤なあかりちゃんと対照的に、真っ黒な髪をしたヒトだった。
「朱莉さんは相変わらず歌、上手だね。もう道化機械には乗らないの?」
「うるさいわよ」
「それにしても久しぶりだね、朱莉さん」
「……いつも久しぶりになるのは貴方がここから出てこないからでしょう」
「僕はここが好きなんだよ」
あかりちゃんは大きくため息をついた後、モニターの前でだらしなく笑う男を指して言った。
「このだらしない男が歌姫の生みの親の大和よ」
ボクは軽く会釈した。
紹介された男はへら、と笑い、ボクとそらに向かってひらひら手を振る。
「あれが噂の双子? 朱莉さんが拾って育てて、最強の道化機械乗りにしたっていう?」
「……ええ、そうよ」
「へぇー、思ったよりずっと子供なんだ」
「その双子が、歌姫に会いたいって言ったから連れてきたのよ。言ったでしょう? 覚えてないとは言わせないわよ。そらもりくもロサ・ファートゥムでもイレギュラーな存在だけれど……彼らなら歌姫に会う資格はあるでしょう?」
「僕の作った歌姫に会うのに、資格なんていらないよ」
「バカ言わないで、この歌姫のために今この都市がどれだけ攻撃を受けているか分かっているでしょう?」
「僕とこの子は朱莉さんが守ってくれるんでしょう?」
へら、と笑ったヤマトの脳天に、あかりちゃんの拳がヒットした。
「ふざけないで」
「朱莉さん、ひどい」
ヤマトという男は、相変わらず気の抜けるような笑顔を湛えて、目の前に迫る大きな機械と向き合った。
「おいで、そら、りく。僕の歌姫を見せてあげる」
ヤマトが手招きをした。
なんとなく不安な気がしたけれど、歌姫を見たい、という誘惑には勝てなかった。
「そら、行こう」
ところがそらはますます強く僕の腕を掴んだ。
「そらだって歌姫に会いたがってたじゃない」
「……」
そう言うと、そらはしぶしぶと言ったように一歩ずつ進み始めた。
もともとそらは人見知りする方だから、ヤマトのことがちょっと怖いのかもしれない。
「かぐや、起きて。お客さんだよ」
ボクとそらがモニターの前に到着すると、ヤマトはそう呼び掛けた。
すると、ボクらの目の前にあった大きなモニターが点灯して、そこに銀髪の美少女があらわれた。
「紹介するよ、これがボクの創った歌姫、かぐやだ」
モニターの中の少女は、優しげに微笑んだ。
二つにまとめた艶めく銀髪が腰のあたりまで揺れている。髪と同じ灰白色の目は好奇心旺盛な光を灯していた。少しあどけない表情は、初めて見るボクらの事を不思議に思っているからだろうか。
「かぐや、そらちゃんとりくくんだよ」
ヤマトが言うと、歌姫は微笑んだ。
「こんにちは、そら、りく」
何て可愛らしい笑顔なんだ。
その笑顔にボクは釘づけになった。
歌うだけなら機械でも出来る。そう言ってきたボクは、一瞬にして過去の自分を反省した。これが唄いことしかできない機械だなんて、とんでもない。
それに気づいたそらは、ぎゅうっとボクの腕にしがみついた。
「こ、こんにちは、かぐや」
ボクが返事をすると、歌姫は嬉しそうに笑った。
「あなたはそら? それともりく?」
「ボクはりく。こっちが、そら」
「よろしく、りく」
歌姫は綻ぶように笑う。
嬉しそうに笑った歌姫は銀色の髪を翻してとんとん、とリズムをとった。
その瞬間、ロサ・ファートゥム全体に美しい歌声が響き渡った。
この曲はボクが、いや、ボクだけじゃないだろう、ロサ・ファートゥムに住むすべての人が聞いている曲だった。いつもロサ・ファートゥム全体を包み込んでいる歌声だ。この都市に住む人すべてを守る、優しい歌声。
その旋律は美しく、穏やかで、人の心の奥底まで響いてくる不思議な音色だった。
「……!」
すべてのヒトの心を虜にする歌声――歌姫っていうのは嘘じゃない。
ボクはその時、歌姫の声と笑顔に夢中で、隣にいるそらがいったいどんな顔で歌姫を見つめていたかなんて全然気づいていなかった。
それが、最悪の結末をもたらすことになるなんて、その時は思ってもいなかったのに――