君が生まれた朝、そして祝福の儀
王都の大広場に、白い女神像が立っている。
何百年ものあいだ変わらない微笑み。幾本もの大通りが交わるその場所で、人々は足を止め、祈り、また雑踏へ戻っていく。
男は、その像を見上げていた。「14年振りか……」
娘は今頃、幼馴染の少年に連れられて宿へ向かっているだろう。明日は、祝福の儀だ。
この14年間、時計の音はいつもより早く時を刻んでいた。
早すぎた、と思う。
──いや。
本当は、もっと遅く進めばいいと、何度も願っていたのかもしれない。
私は瞼を閉じた。
その裏には、もう誰も覚えていない世界が浮かんだ。
◇
私には、妹がいた。名をエミルという。3つ下の、よく笑う子だった。
村は貧しかったが、一定の生活をすることができていた。
女神シャルロッテの加護。人々に祝福と力の一部を分け与えてくれるおかげでもあった。
当時の私は、その女神を信じていた。
「お兄ちゃん、女神様って、ほんとうにいるの?」
「いるさ。十四になったら、都で会えるんだ。祝福をもらいに行くんだよ」
「ネルも行ける?」
「ああ。そのときは、兄ちゃんが連れていってやる」
その頃にはもう、世界は少しずつ壊れ始めていたんだろう。
世界から争いが絶えなくなってきていた。
分け与えられた力を他人から奪える、
誰かがその秘密に気づいてから、祝福は祈りではなく、奪い合うものになったのだろう。
私たちにとっても、例外ではなかった。
ある冬の朝、村に馬車が来た。白い外套の男たちは、子供たちを並ばせ、一人ずつ掌に光る石を当てていった。
石が光った子を、彼らは「資源」と呼んだ。エミルの掌の上で、石は、強く光った。
「お兄ちゃんッ……」
伸ばされた小さな手を、私は掴めなかった。大人たちに押さえつけられ、泥に顔を押しつけられ、それでも叫んだ。
馬車は、振り返らずに遠ざかっていった。
その日から、私は祠に通った。何度も。何度も。エミルを返してくれと。
女神は、答えなかった。
──女神様にも限界はあったのだろう。
そのことを私が知るのは、ずっと後のことだが。
この10回目の夏、私はこの世界が少し嫌いになった。
14度目の夏。
私は儀式のため、一人で都へ向かった。大神殿の祭壇の向こうに、女神はいた。
光を編んだような髪。慈しみに満ちた瞳。ただ、その頬は、ひどく疲れているように見えた。
祝福を受けたら、言おう。妹を探してほしいと。あなたの力で、取り戻してほしいと。
女神の指先が、少年の額に触れる。温かかった。
──その瞬間。
神殿の扉が、内側へ弾け飛んだ。入ってきたのは、一人の男だった。
全身に、幾重もの光を纏っていた。一人の人間が持つには、多すぎる光。一つ一つが別々の色で、別々の声で、泣いていた。
私は気づいた。
その中に、聞き覚えのある声があったのだ。
『──お兄ちゃん』
男の凶刃が、女神の胸を貫いた。地獄だった。
──悲鳴の雨。
──破滅の結末。
天が割れた。
神の御業たる業火が、大地を焼き尽くしていく。人々の感情は燃え尽き、躰は朽ち、朝と夜が同時に訪れる。
私は、その中心にいた。なぜ生きているのか、分からなかった。周りだけが静かだったのを覚えている
終焉の先に、宵闇を幾重にも織り込んだ、紫がかった黒いドレスを纏って立つ、女神の姿を見た。
その瞳は、何も見ていなかった。焼けていく人々も。崩れていく大地も。足元で震える、一人の少年も。
あれは女神だったのだろうか?いや、女神だろう。
信じていても救われることはない。ならば、私が自分でやるしかないのだ。
この世界を、作り直さねば。
──エミルが苦しまないような世界へ。
持ち主を失った無数の祝福が、行き場を求めて私の中へ流れ込んできた。
そして力と一緒に、記憶が混じっていた。
暗い部屋。冷たい台。番号で呼ばれる子供たち。殺し合い。殺した相手の光を奪う、その手触り。
その中に、エミルの記憶もあった。
『お兄ちゃんが、連れていってくれるって、言ったもん』
最後まで、私が来ると信じていたようだ。私は声を上げずに泣いた。自分以外に誰もいないただ静かな空間で。
再び目を覚ましたとき、世界は何事かもなかったかのように存在していた。
あの地獄のような光景も、女神もどこにもない。
見知らぬ空。見知らぬ街。見知らぬ人々。
そしてあの光景は誰の記憶にもないのだ。ただ一人、私を除いて。
女神は、眠りについていたようだ。王都の大広場で、ただの白い石像になって。
私は、その前に立った。
「病を癒やすため」
「飢えをなくすため」
「争いを終わらせるため」
あなたが掲げたものを、あなたはひとつも守れなかった。
それから、長い年月が流れた。この世界には女神の力はなかった。
私のもとに集った力は膨大だったが、世界を作り変えるための核は、眠る女神の中にある。
私は力を隠し、ただの男として生きた。海辺の町に流れ着いたのは、偶然だった。
白い家々が坂に並び、湾の両側から岬が伸びる町。そこで、一人の女と出会った。
よく笑う人だった。エミルに少しだけ似ていた。
「あなたって、いつも遠くを見てるのね」
「……そうか?」
「ええ。岬のもっと向こう。何があるの?」
「何も、ないさ」
彼女は笑って、それ以上は聞かなかった。
その笑顔の隣で、私は少しだけ、忘れることを覚えた。
夏の終わりの、夜明け前だった。産声が、小さな家に響いた。
それと引き換えのように、彼女の手から、静かに力が抜けていった。
腕の中の赤子は、驚くほど軽かった。
その小さな胸に触れた瞬間、私の内側で、奪った無数の力が一斉にざわめいた。
──共鳴。
この感覚は、十四の夏に額に触れたあの指先の温もり。
この子は、この世界線における女神と同一の存在なのだろうと私は直感した。
時が経ち、同じ魂が女神像に近づいたとき、同じように共鳴があるのではないか。
窓から、朝日が差し込んだ。海が、光っていた。
私は、赤子を抱いたまま、膝をついた。
「──シャルロット」
自分でも、分からなかった。
喉を震わせているものが、喜びなのか。悲しみなのか。
ただ、私は、神に感謝した。
娘を授けてくれたことに。
そして、鍵を授けてくれたことに。
その年の秋、私は一度だけ王都を訪れた。赤子を抱いて女神像の前に立ち、何も言わずに見上げた。
それきり、像の前には立たなかった。
──君が生まれた朝、私は神に感謝した。
明日は、祝福の儀だ。何も起きなければそれでもいいと思っている私がいた。
それだけ、シャルロットが大切な気持ちもあるのだ。
だが、もしも再び女神が現れることがあるとするならば、私は─
君を壊すだろう。
女神の祝福で始まり、終わる世界 ~私を殺した父は、今日も救世主と呼ばれている~のスピンオフです。
よろしければ是非そちらも見てやってください。
女神の祝福で始まり、終わる世界 ~私を殺した父は、今日も救世主と呼ばれている~
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