家族と婚約者から捨てられて生贄にされた令嬢が神様から求婚された理由
イヴは重い足取りで歩いていた。
手に錠をはめられ、左右を屈強な兵士に挟まれている。その姿はまるで、これから処刑台に向かう罪人だ。
死地に向かうという意味では、あながち間違いではない。
街の人々は、様々な目を彼女に向けている。好奇、憐み、そして嘲り。
やがて街の建物が途切れ、目の前に神殿が現れた。大理石で作られた、前世紀的な小さな建物。イヴが人生最後の時を過ごす場所だ。
――生贄として。
昨日まで貴族令嬢であったはずの自分が、どうしてこんなことになってしまったのだろうと人生を振り返る。けれど何度思い出しても、同じ結論に達する。
優秀な妹と違って、出来の悪い自分が悪いのだと。
***
クレルモン子爵家の長女に生まれたイヴは、あまり父に可愛がられた記憶が無い。父の関心はいつも彼女の妹、リズベットに向けられていた。
リズベットは可憐な見た目をしているだけでなく、光魔法を使うことが出来た。
クレルモン子爵家は、代々光魔法の名門だ。
光魔法はこの国で別名「聖魔法」と呼ばれ、重宝されていた。実際使い手は少なく、リズベットは宝物のように大切に育てられた。
妹と違いイヴは冷遇されていたが、必死に魔法の修練に励んでいた。少しでもクレルモン家の名に恥じぬ存在になろうとしたのだ。
それに、彼女には心の支えがあった。
婚約者が居たのだ。スパロフ・サヴォーナ伯爵子息。周りが妹を褒めそやしても、彼だけは「イヴが一番だよ」と言ってくれていた。
魔力測定の、あの日までは。
イヴの住む町では十年に一度、魔力測定が行われる。魔力を測定できる水晶は国に二つしかなく、それ故、彼女の住むホウルスの町に水晶が回ってくるのが十年周期なのだ。
先に測定を行ったのはリズベットだった。
彼女が手を触れた瞬間、目が眩むほどの白い光が会場を満たした。
魔力の色は属性を、光の強さは魔力量を現している。彼女の放つ光は、明らかにその日測定されたものの中で一番強かった。
次に測定されたのはイヴ。彼女なりに、この日のため必死に魔力を高めてきたつもりだった。
しかし彼女が手を触れても、水晶は僅かに光るのみ。近づかなければ光っていることも分からないほどで、一般人に劣る魔力しか持っていないと判断された。
子爵令嬢とあって、流石に失笑されることはなかったが、「妹はあんなに優秀なのに姉はこの程度か」という空気は痛いほど感じられた。
「公衆の面前で子爵家の恥を晒した」と父ルドルフは激怒し、イヴを鞭で打った。リズベットは嘲笑い、イヴの婚約者であるはずのスパロフも、この日を境に姿を現さなくなってしまった。
光魔法の名門として知られるクレルモン家で、これほど魔力の低い子供が生まれたことなど無かったのだ。
「きっとこいつは、あの女が他所で作ってきたガキに違いない」とルドルフは忌々しげに言った。イヴの亡き母、エリーのことだ。
こうして彼女の生活は一変した。
使用人扱いならまだ良い。イヴの扱いは完全に奴隷だった、過酷な労働を強いられ、ろくに食事も与えられず、ミスをすれば鞭で打たれる毎日が続いた。
ルドルフにとって彼女は死んでも構わない存在になったのだと、毎日肌で感じていた。
***
そして先日、イヴは久しぶりにダイニングに呼ばれた。
そこには父ルドルフ、妹リズベット、そしてイヴの婚約者であるはずのスパロフが座っていた。
「イヴ、お前にはリズベットの代わりに生贄になってもらう」
ルドルフはイヴの目も見ずに言い放った。
イヴは彼が何を言っているのか理解するのに時間を要した。
「生贄……?」
ルドルフは舌打ちをする。
「全く、魔法も出来なければ頭の回転も鈍いのか。セトース教で生贄が捧げられていた話を、お前も聞いたことがあるだろう」
この地域では、天変地異が起こると土着の神、セトースに生贄を差し出す習慣があった。セトースは怒れる神であり、生娘を生贄に捧げない限り、怒り狂い続けると言われている。
最近、雨の降らない日が続いていた。農作物にも影響が出ていて、このままだと飢饉に繋がりかねないという判断から、そういう話になったのだろう。
「で、ですが直近で生贄が捧げられたのは二百年以上前だと聞いています。何故今になって?」
「あるセトース教の神官が『早く生贄を捧げなければ大変なことになる』と喚きだしたのだ。他に有効な方策も無い。日照りの状況が状況だけに、こちらも何か手を打たねばならないということになってな」
ルドルフは一度ため息をついた。
「そしてセトース教の儀式によって、選ばれたのがリズベットだったのだ。だが勿論、リズベットを生贄にされるわけにはいかん」
その言葉からは、イヴなら死んでも構わないという意思が透けて見えていた。仮にもクレルモン家は子爵家だ。生贄の代役を他の家から選び直すよう圧力をかけることなど容易なはず。
それでもルドルフはイヴを生贄に突き出そうとしている。
まるで不用品を処分するかのように。
リズベットが甲高い笑い声を上げた。
「流石お姉さま。愛する妹の代わりに生贄になって下さるんて、なんと素晴らしい方なのかしら」
笑いながらもその表情にはたっぷり侮蔑の色が乗っている。
「し、しかし私はスパロフ様と婚約していて……」
「そんなもの、魔力測定でお前がみじめな結果しか得られなかった時、とっくに破棄しておる」
応えたのはルドルフだった。
意識が遠のくのを感じながらも、イヴは助けを求めるようにスパロフの顔を見た。その彼に、リズベットが腕を絡めた。
困ったように頬をかくスパロフ。
「ごめんね、イヴ。実は僕、リズベットのことを愛してしまったんだ。だから彼女と結婚することにする。君なら分かってくれるよね」
「そういうことなの。お姉さま、ごめんなさいね」
まるで足元から地面が崩れていくような感覚。
足にうまく力が入らなかった。
後になって、スパロフが魔力測定よりずっと以前からリズベットと交際していたことが発覚した。
唯一の味方だと思っていた人物に、イヴはずっと騙され続けていたのだ。
「迎えが来るのは二日後だ。逃げ出そうとは思うなよ」
「しかし、お父様……」
立ち上がろうとした時、激痛が走った。鞭が振るわれたのだ。
「口答えをするな!」
鋭い鞭の音と、甲高い笑い声が、ダイニングルームを満たしていた。
***
神殿に到着してから、生贄が辿る最期について教えて貰った。
ここで生活する生贄には、日々様々な祭務が課される。
それらをこなしながら過ごしているうち、やがて忽然と姿を消す日が来るという。どこを探しても見つからなくなるのだ。
そして生贄が消えた日を境に、天変地異は収まっていくと伝えられている。
セトース教の神官の誰も、実際の場面を目撃した者は居ない。
アルケオン教という一神教が国教に定められた200年ほど前から、セトース教の生贄文化は長らく消失していた。
こうしてイヴも、その日が来るまで日課をこなすこととなった。
しかしこれが中々過酷だった。
先ず起きてすぐ、近くの滝で水浴びをする。それから着替えて、重いお供え物を山の上に運ばなければならない。高低差は1700m。これをどんなに暑くても、また凍えるほど寒くても、毎日行わなければならない。各所に監視も居て、逃げ出すことも出来ない。
この祭務のさなか、何人もの少女が命を落としたと伝えられている。
そんな時はどうするか。
また生贄を補充するのだ。彼女たちの命は、すげ替え可能な消耗品としか思われていない。
自分が死ねば、きっとリズベットではない別の少女が生贄に出されるだろう。それは可哀そうだ。いずれ神に食われるその日まで、しっかり日課をこなそうとイヴは決めた。
お供え物を運んだら、昨日運んできたお供え物と交換し、古いものは焚き上げる。
その後は神殿に戻ってひたすら掃除だ。
礼拝堂の床から壁に至るまでをピカピカに磨き上げ、その奥にある大岩も磨く。この岩にセトース神が祀られているという。
掃除が出来ているかは毎日神官にチェックされ、駄目だとやり直しを命じられる。
そして午後からはひたすら祈りを捧げる作業が続く。
祠への過酷な山道以外で外に出ることは許されない。誰とも話さない。閉塞的で、過酷な生活だった。
しかもこの先に待っているのは、生贄としての死である。
そんな過酷な生活が一週間ほど続いた時。
イヴは生贄として完全に順応していた。
命懸けだと言われていた、重いお供物の運搬作業も、軽々こなしていた。
健脚を生かして山に登る様はまるで飛ぶようだった。
掃除の素早さは残像が見えるほどに早かったし、彼女は何時間だって鬼の集中力で祈り続けることが出来た。
あまりに超人的過ぎて「こいつが神なのでは?」と漏らす神官が居るほどだ。
理由はもうお分かりの通り、イヴの実家の方が過酷な環境だったからだ。
子爵家では奴隷のように一日中働かされ続けていた。いや、奴隷の方がまだ基本的人権に乗っ取った生活をしていたかも知れない。
イヴがさせられていた業務は主に三つ。ニワトリの世話、薪拾い、水汲みだ。
ニワトリの世話は兎も角、他の二つはかなり骨が折れた。
薪を、言いつけられた量集めるには、遠くの森まで取りに行かねばならなかったし、井戸は使用禁止されていたので、これまた家から離れた川まで汲みに行かねばならなかった。
勿論、薪も水もかなりの重量がある。その運搬作業を一日一食でやっていたのだ。
普通はイヴの超人的な身体能力に気付きそうなものだが、子爵家の者たちは、彼女がどこで何をしているかに全く興味を持っておらず、ただ嫌がらせのために作業を命じていただけだった。
それに自分たちで肉体労働をしたことが無いものだから、彼女のおかしさに気付かなかったのだ。
「あら、今日もそんな汚い岩を磨いていたの? ふふっ、でもお姉さまにはお似合いね……」
勝手に窓を開け、リズベットが嫌味を言ってきた。この一週間、毎日現れては嫌味を言っていく。
生贄となり、余生僅かとなったイヴを見下し、嘲笑しているのだ。
イヴは妹の趣味の良い言葉を聞きながら、いつも考えていることがあったそれは。
「そろそろ食事の時間だわ」である。
妹は毎日昼頃にやってくる。即ちご飯の時間だ。
生贄に捧げられたイヴの食事は、パンと、殆ど具の浮いていないスープのみ。『普通は』耐えられない少なさだ。
ところがイヴにとってはご馳走だった。
彼女が子爵家で出されていた食事は一日一食。それも腐りかけのパンのみという、虫でも飼育しているのかという酷い有様だった。
あの頃は栄養が不足していたためか、手足の指先は常にしびれ、足はよろけ、視界を黒い点が飛び交い、死期が近い事を知らされているようだった。
しかし生贄になってからは何と腐っていないパンが出てくる。それにスープが付いてきて、しかも具まで入っているときた。
晩餐だ。高級ディナーだ。
しかもしかも一日二食も食べられるというではないか。
もう毎日がパーティーオーバナイッである。
「シェフを呼んでください」と言って、出てきたシェフの顔もピカピカに磨き上げて祈りを捧げたいところだった。
妹が帰ってすぐ、食事が運ばれてきた。イヴはいそいそと祈りを捧げると、早速パンを一かじりした。
噛んだ瞬間、ほんのりとした甘さが口内に広がる。
良質なエネルギーに全身が歓喜している。
「幸せ……」
イヴはしみじみつぶやいた。
もうすぐ人生が終わる。けれど最後にこうやって幸せが訪れるなんて、不思議なものね。今日もセトース神様に一杯感謝して祈らなきゃ。
殆ど具の入っていないスープを少しづつ飲みながら、イヴは思った。
***
生贄に捧げられてから2週間が経っていた。
イヴは生贄の生活に慣れていた。慣れ過ぎていた。
そしてミスというものは、往々にして、慣れてきた頃に起こるものだ。
いや、イヴが犯したのはミスなどという生易しいものではない。
禁忌だ。生贄としてはやってはならないこと。あまりに罰当たりなことをしてしまったのだ。
イヴが犯した罪。それは
お供え物のつまみ食いである。
つまみ食いというのは少し違うかも知れない。つまんでいるのではなく、お供え物を全部ガッツリ Go To 胃袋しているのだから。
山の上の祠にお供えするものは水と食べ物だ。毎日新鮮な野菜や魚、たまに肉も届ける。山の上までわざわざ持って行くのは、「神様と一番近い場所まで運ぶ」という意味がある。
それらお供え物を捧げた後、昨日の物を焚き上げるというのは、前述した通りだ。こちらは神に「灰まで捧げる」という意味が込められている。
それ故、まだ食べられるものであっても生贄が口にして良いものではなかった。
しかしイヴはあまりにお腹が空き過ぎていた。お腹ペコペーコだった。幾ら彼女が一日二食に大満足していたからといって、それが永久に続くわけではない。
人は欲深き生き物だ。
欲に頂き無しとはよく言ったもの。
祠のある山の頂で彼女は「いただきます」しながらそれを知った。
お供え物を燃やしている時の、あの空腹を、無数の針でぶっ刺してくる匂い。火の番をしている間中、彼女の腹の虫はずっと大合唱をしていた。
魚の焼ける香ばしさ、お肉が焼ける時のじゅぅううううっという油の音。そこにあるのは、まさに、焼肉と焼き魚。
どこからどう見ても貴重なたんぱく源です。
最初はほんの出来心だった。焦げに焦げたお肉の一かけらを、ちょっとだけ口に含むだけのつもりだった。
しかし男が言う「先っちょだけ」が先っちょだけで済むわけがないように、イヴの場合も一口で収まるわけがなかった。
肉片を一つ口に含み、目を閉じたその時。
彼女は暖かな天の上にいた。
ピンク色の空に浮かぶ雲の上では、天使たちがラッパを吹いている。そして絶対セトース神ではないであろう、ひげを蓄えたおじさんの神がイヴに手招きをしているのだった。
そう、あまりに久しぶりに口にした肉に歓喜した彼女の脳は、バチバチにキマッていた。
肉から染み出した旨味は舌のみならず、全身を貫くような快楽だった。こんな味が、この世に存在していたなんて。けしからん。このお肉が世間に流通して犯罪に繋がらぬよう、ここで文字通り食い止めなければ。
イヴは謎の理論で自己肯定し、お供え物パクパク生活をスタートするのだった。
***
イヴは猛烈に焦っていた。
祈りを捧げる手にも力が籠る。
もう彼女に残された手段は神様に祈ることしかなかった。
生贄になってちょうど1か月が経とうとしていた。そろそろ生贄が神様に連れ去られている時期であり、それと並行して天変地異も収まって良い頃だ。
神官たちが日に日に苛立ちを募らせているのも感じていた。雨は早く降って欲しいと思う。しかしそんなことより、彼女を焦らせていたことは別にあった。
セトース神を祀る岩に向かって手を固く握り締め、祈る。
「神様、どうか、どうか私が痩せますように。……それから雨が降りますように」
そう、イヴは肥え始めていた。
お供え物をパクパークし始めてからというもの、彼女の体重はキレイな上昇トレンドを描き始めたのだ。
実際、人目を盗んでお供え物をつまみ食いするのは、イヴに始まった事ではない。歴代の生贄もやってきたことだ。
彼女たちは皆過酷な生活でエネルギーを欲していた。
神官もある程度は黙認してきた節がある。
しかしイヴは少ないカロリーで激しい運動に耐えられるフィジカル特異点だ。それが栄養満点なお供え物に手を付け始めたのだから、手が付けられない。
摂取カロリーが消費カロリーを凌駕し始めるのに時間は掛からなかった。
やがて祈りを止め、イヴは目を開けた。恐る恐る腹の皮をつまんでみる。
むにゅぅん、と伸びやかで、もちやかな腹の肉がそこにはあった。
ため息を付きたくなる。やはり今日も駄目だったか。
イヴはそそくさと飯の準備に取り掛かった。腹が伸びるさまがお餅に見えて、余計に腹が減ったからである。
「はあ、おかしいわ。毎日神様に祈っているのに何故痩せないのかしら。やっぱり世はエビデンス(科学的根拠)の時代なのだわ」
彼女はせわしなく口に食べ物を運びつつ言った。己の腹に確固たる脂肪を蓄えながら。
***
あれから一週間が経った。まだ彼女は神様に持っていかれていない。
ついに神官たちの苛立ちはピークに達していたらしい。イヴに怒鳴りつけることも増えた。
しかしイヴは怒られてもはあまり気にしていなかった。
それより、よっぽど一大事があるからだ。
「神様仏様アルケオン神様、どうか私の体重が減りますように。ついでに天変地異が収まりますように」
中々体重が落ちないことに業を煮やした彼女は、あろうことか別の神にも祈り始めた。勿論だが彼女の体重は全く減っていない。それどころか堅実に実績(脂肪)を積み重ねつつある。
やはり思いは通じないのだろうか。イヴは落胆し、岩に背を向けた、その時。
背後から、部屋全体を真っ白に照らすほどの光が広がった。
振り向いたイヴは、驚いて尻餅をついてしまう。
岩が白く発光し、その岩の前に、人型の何かが立っていたからだ。
光が収まる。
立っていたのは一人の男だった。
月夜の新雪を思わせる白銀の髪は、腰の高さまで伸ばされている。しかし男であることは明白だった。
彼は上半身に何も羽織っておらず、まるで古代彫像のように、美しくしなやかな肉体がむき出しになっていた。
顔は今までイヴがみたどの男より、いや、女を含めた全人類より遥かに美形だった。
目が合った瞬間逸らしてしまう。直視できないほどだ。
「あ、あなたは誰ですか?」
男はゆっくりイヴを見た。新月の空を思わせる、黒い瞳が彼女を捉えている。
「生贄の娘よ、よく聞け。俺はセトース。神だ」
男はゆっくり、低い声で言った。
そんなに大きな声ではないはずなのに、お腹の下まで振動してくるような、強い響きだった。
イヴはすくりと立ち上がった。
そして急いで岩に近付くと、部屋と岩を隔てる引き戸を全力でスパコォンと閉めた。
暫くそのまま、沈黙が続く。
10秒ほど経って、ガラガラと引き戸が開いた。
顔を出した男は大きな目をぱちぱちさせている。
「何故閉める」
その瞬間、再びピシャコォンと閉め直しながらイヴは言った。
「あの、宗教なら間に合ってますんで」
「俺ここの主神なのに???」
男は、まるで家に時々訪ねてくる怪しい宗教勧誘の人みたいな反応をされて面食らっていた。
「え、生贄にこんなこと言われた神俺以外にいる?」
セトースと名乗った男はどうにか開けようと試みるが、扉は凄まじい力で閉じられており、男であるはずの……それどころか神であるはずの彼が力をかけても全く動かない。
ご存知の通り、イヴはフィジカルのステータスがバキバキに振り切った女だ。その上、体重が数週間でこってり上乗せされているので、パワーにレバレッジが掛かっている。
「開けろ。俺はお前に変な小冊子を渡したり、幸せかどうかの確認作業を行ったりする人ではない」
「じゃあ誰ですか」
「さっきも言っただろう。セトース神だ」
「やっぱり怪しいじゃないですか! 押し掛けてきて無理やり入ろうとしてくるし、半裸だし、挙句の果てには自分の事『神』とか言い出すし、誰がどう見ても不審者のフルコンプリートエディションですよ!」
「この生贄すごい多彩な言葉で神を罵倒してくる……むっ、今はこれが限界か」
その言葉の直後、扉に掛かる力が急に軽くなった。人の気配も消えている。
恐る恐るとを開けてみるが、そこには誰も居なかった。勿論岩も光っていない。
ホッとした。あの自称神がどこから来たのか分からないが、とにかく戸締りはしっかりしておこうと心に決めた。
「お姉さま~」
後ろで妹の声がする。
「あ、ご飯の時間ですわね」
イヴは妹を無視して食事の準備を始めた。
***
再び岩が光ったのは次の日、イヴが寝間着から着替えているタイミングだった。
彼女は慌てて駆けて行き、戸を固く抑えた。思った通り、開こうとする力がかかってくる。
「今日もいらっしゃったのですか、自認セトース様」
「自認セトース様!? 俺もしかして中二病を拗らせた痛い人扱いされてる?」
「帰って下さいませ」
「いらっしゃいませみたいなイントネーションで追い出そうとするな。そうはいかん。開けろ、開けてくれ」
「嫌です。あなたは変態ですか」
「神だって言ってるのに」
「今着替え中です」
「何だ、着替え中だったのか。では尚更入れてくれ」
「やっぱり変態ではありませんか!」
「俺が神だとまだ信じられないのか」
「まだもクソも最初から信じていません」
「クソ……?」
男は本来敬われるはずの生贄から、NGワードをポンポコ投げつけられることにビビり散らした。
「おい、俺が出てくる時岩が光っただろう。あんなこと常人に出来るか?」
「しつこいですね。きっとこの神殿に備わったセキュリティ装置とかですよ」
「セキュリティ装置」
「あんまりしつこいと上の人にチクります」
「俺がトップオブトップだ馬鹿たれ」
「ほらまた、そんなことばかり言っていると公安にマークされますからね。それに、神様なんて多分居ません」
「生贄がとんでもないこと言い始めた」
「だって私、毎日のように痩せたいと祈っているのに全然痩せないのですもの」
「君天変地異を収める祈りを捧げる役目あるよね。なにオモクソ私利私欲で祈り捧げとんねん」
「とにかく神様なんていません。でなければ私が痩せないことの説明がつきません」
「食い過ぎだろ」
「……え?」
「食い過ぎ」
「……な、何ですって?」
「何で急に耳遠くなるの」
その時、扉にかかっていた力が急に軽くなった。
昨日と同じように、彼はどこかに消えたのだ。
イヴにの心に一抹の不安を残して。
その晩、彼女は生まれて初めて食べる量を制限することを決意した。
……が、次の日にはやはりお供え物を全部いくイヴであった。
***
更に一週間が経っていた。
二人は来る日も来る日も押し問答を繰り返していた。
「ようやく分かったか。俺がこの地の本来の神、セトースだ」
いつも通り、戸の押し合いをしながら男は言った。
「いきなり何か言い始めた」
「お前が中に入れてくれないせいで、一向に話が進まんからな」
「もし仮にあなたがセトース神様だとしたら、尚更入れられませんよ」
「どうして」
「だって、食べられてしまうではありませんか」
「生贄にあるまじき生への執着」
「いいえ、死ぬのは構いません。けれど、もう少し覚悟を固める時間が欲しいのです」
「どれくらい」
「70年」
「バチクソ天寿全うしようとしてるじゃねえか」
「……それに、あなたがセトース神様だとしたら、どうして早く雨を降らしてくれないのですか。痩せさせてくれないし」
「信仰心が弱まり過ぎていて、まだ本来の力を取り戻せていない。そもそも、俺がこうやって実体化出来たのも200年以上ぶりなのだ」
彼が言うには、神としての力を行使するためには多くの人々の信仰心が不可欠なのだという。
確かにこのホウルスの町は、200年前にアルケオン神を信じるよう、積極的に改宗されていった。
それからセトース神への信仰は著しく弱まっていき、形骸化した。それはこの干ばつに際しても変わらない。
皆が祈りを捧げているのはアルケオン神だった。
セトース教の多くの神官でさえ、セトースの力を疑っいる節があるのを、イヴは彼らと話して感じていた。
「……なあ、開けてくれないか。せめて顔が見たい。そっちには絶対入らないから」
「信用できません」
「絶対だ。神に誓って入らない」
男は自分が神であることを忘れていた。イヴはため息をつく。
「分かりました」
イヴはゆっくり戸を開け、そっと様子を伺った。
久しぶりに現れた男の顔貌。やはり美しい。そもそも男の顔に美しいという感情を抱いたのが初めてだった。
近くで見つめられると、危うく魅入られそうな魔力がある。
背は高く、彼の肩にちょうどイヴの頭頂部が来る。こんなに格好いいのに、変態なのは勿体ないと思った。
暫く二人はそのまま静止していた。先に沈黙を破ったのはイヴだ。
「では百歩譲ってあなたが神様であるとします。名乗っておられる通り、あなたのことはセトース様とお呼びします」
「うむ、大きな一歩だ」
男は深く頷いた。
イヴが譲歩したのは、彼が約束通り部屋に入ってこなかったからだ。その気になれば簡単にイヴを組み伏せられそうな対格差があるのに、である。
「一つ聞いても良いですか」
「何だ」
「さっき二百年ぶりに顕現出来たと仰っていましたが、つまり、ある程度の信仰心が戻っているということですよね。雨を降らせる力はまだ戻っていないにしても」
「それが腑に落ちんのだ。あそこまで力を失っていた俺が、再び姿を現せるようになるには、かなりの信仰つよつよパワーが必要だったはずだ。だが街の連中からはそれを感じない」
セトースは腕組みした。腕の筋肉は鉄の線をより合わせたかのように強靭に見える。
「神官様の中に、信仰つよつよパワーを持った人がいるとか」
セトースは「はっ」と短く笑った。
「あの自分の利益しか考えていない連中がか? あんなの信仰カスカスちんち●だ」
「ちん……あっ! ではもしかして、私のお祈りのお陰で顕現出来たのでは? セトース様、焼きそばパン買ってきてくれませんこと?」
「調子に乗るの早すぎるだろう。いや、お前のお陰というのは無いな」
「どうしてです?」
「さっきも言ったが一度力を失った神を顕現させるというのは、並の神力で出来ることではない。俺の体感だが、神官なら1000人分の祈りが必要だ。
つまり、1000人分の神官と同等の力を持った大聖女や大神官でなければ、一人で顕現させるのは無理だということだ。
勿論、お供えものを散々パクパク食った挙句、痩せないのを神のせいにする奴には不可能過ぎる」
イヴはがっくり肩を落とした。
「で、ですよね……。私、魔力測定で、平均以下でしたし……」
セトースは怪訝そうな顔をした。
「お前が? それは何かの……」
セトースが急に神殿入口の方を見た。イヴもそちらを向く。窓の外を、炎が揺らめいているのが見えた。
誰か来たのだろうか。
突如、ドン! と扉が叩かれた。
けたたましい音だ。
一度、二度、三度。収まる気配がない。
明らかに悪意がむき出しされている。
イヴは恐怖のあまり固まってしまった。
「開かねえぞ」
「多分防御魔法が掛けられてやがる」
複数の男たちが喋る声がする。
扉にはイヴが簡易的な防御魔法をかけている。生贄といえど少女の一人暮らし。何かあっては手遅れと思い、防御策を施しておいたのだ。しかしイヴにとって想定外だったのは、不届き者の数があまりに多かったということだ。
扉が更に強い方法で叩かれ始める。響く音からして、丸太のような、質量の大きな物が使われている。このままでは持たない。
「だ、誰ですか?」
イヴは近づいて、一応声をかけてみた。
「居たぞ、生贄の女だ」
「殺すなよ。ひひっ」
体中を虫が這いまわるような怖気がこみ上げる。
イヴは生娘だ。しかし彼らが彼女をどうするつもりなのか、直感的な嫌悪感で分かった。
幾らイヴが身体的に強くても、大人数の男相手に勝てる自信はない。そもそも彼女は戦い方など知らないのだ。
「か、帰って下さい! 神官様を呼びますよ!」
男たちは下卑た笑い声を上げた。
「呼べば良いだろう。どうやって呼ぶつもりなのか知らんがな」
「お前が生贄になってから一か月以上経つのに、殆ど雨も降らねえ。役立たずの癖にのうのうと生きてるくらいなら、最後に俺たちを楽しませてくれても良いだろう?」
尚も扉に打ち付けられる衝撃が増していく。もう時間の問題だ。
イヴは急いでセトースの元に戻ると、両肩を掴んで叫んだ。
「逃げて下さい! あなたはここに侵入出来たのだから、どこかに抜け道があるのでしょう」
セトースは目をしばたたかせた。
「俺に逃げろだと? 神の俺に」
「何言ってるんですかこんな時に! 彼らの狙いは私です。ここに居てはあなたも殺されてしまいます」
それを聞いてセトースは苦笑した。
「全く、まだ神と信じてくれないのか。では一緒に逃げるというのはどうだ」
「そうしたら抜け道を見つけられた時、二人とも捕まってしまう可能性が高いです」
セトースは首を傾げた。
「お前、死ぬぞ。怖くないのか」
イヴは笑った。こんな状況に相応しくない、澄み切った笑顔だった。
「どうせ私は生贄ですから。それにあなたは変態さんですが、殺されるようなことはしていません。だから行ってください」
イヴの声が震えていることにセトースは気付いていた。外から響く音が大きくなる。もう一分も持たないかもしれない。
「分からんな。その変態の俺のために、何故そこまでする」
イヴは一度俯いて、またセトースの目を見た。
「私、ここで生活できて幸せでした。私にとって、ここは天国みたいな場所でしたから」
「こんな場所に隔離されて、毎日毎日過酷な山登りをさせられておいて天国か。どんな地獄に居たのだ」
セトースは心底おかしそうに笑う。
「少なくとも私にとっては、ご飯が食べられることが、歩けることが、指一本動かせることだって、当たり前じゃないんです」
イヴの真っ直ぐな眼差しを見てセトースは笑いを止める。
「家族は私を奴隷のように扱いました。町の人たちは私を生贄としてしか見ていません。けれどあなただけは、私を人間として扱ってくれました。毎日話してくれて、今もこうやって気遣ってくれています。ずっとずっと孤独だった私にとって、それがどれだけ嬉しかったか」
イヴは頬をつたう涙を袖で拭った。
「だから、逃げて下さい。命を捨てる理由なら、それだけで十分です」
セトースの目が大きく見開かれた。夜の闇より更に黒の瞳がイヴを包む。
「そうか、分かった。」
「ええ、ですから逃げ……」
急に強い力で引っ張られ、男の胸板に押し付けられた。
「な、何をやってるんですか、こんな時に!」
「決めた。お前は俺の嫁にする」
「へ?」
「俺が顕現出来た理由が今、ようやく分かった。やはりお前だ。お前は聖魔法の使い手だ」
「で、でもさっき私じゃないって……それに、私光魔法は使えませんし」
けたたましい破裂音と共に扉が弾け飛んだ。防御魔法が破られたのだ。
「その話は後だ」
セトースの目がなだれ込んできた男たちに向けられる。全員武器を持ち、目をギラギラさせてこちらを見ている。
お腹の奥が凍えるような恐怖が湧いてくる。
「女はどこだ!」
「おい、誰だ、あの男は!」
「邪魔だ。殺しちまえば良いだろ!」
セトースは長い髪をかき上げつつ、ため息をついた。
「仮にも俺が守ってきた人間の子孫がこんなゴミになってしまうとはな。嘆かわしい限りだ」
イヴを自分の背後に隠すと、ゆっくり男たちの方に進んでいく。彼女は焦った。男たちは皆武器を持っている。
このままではセトースがリンチにされかねない。
「いけません、セトース様! 死んでしまいます!」
慌てて止めようとして、何かにぶち当たった。まるで見えない壁があるかのように、全く彼の方に近付けない。
「祈れ」
唐突にセトースが振り返った。その目は先ほどまでイヴに向けられていた、包み込むような穏やかなものではない。鋭く、研ぎ澄まされた刃のようだった。
「今、お前が最も必要としていることを全力で祈れ。危機的状況でこそお前の神力は高まる。俺の力も戻りやすい。今のお前には全てが可能だ」
「で、でも私……」
「説明している暇はない! 早くしろ!」
イヴはその場に跪くと、震える両手を握りしめた。
全身の力を込めて祈る。
セトース神に託す、この状況を覆す方法を!
イヴは一瞬で息を身体全体に吸い込み、目をカッと見開き、叫んだ。
「最後にでっかいビーフステーキが食べたい!!!!!」
「馬鹿かお前は!!!」
「助けてセトース神様!」
その瞬間、セトースの周りが眩い光で包まれた。目も眩むほどの金色の光。それが圧縮されるように、一気に彼の体内に納まった。
「おい、何が起きた!」
「構わねえ、やっちまえ」
男たちはセトースの発する支配的な空気と光に一瞬怯んだようだが、多勢に無勢と思ったらしい。一斉に攻撃を開始した。
前列に居た5人が一気に襲い掛かる。
「ひれ伏せ」
セトースの低い声が響いた一瞬。
まるで強い力で圧縮されたかのように、全ての男たちが不自然な体勢で地面にひれ伏している。
「痛ぇ……!」
「動けねえ、どうなってやがる!」
「た、助けてくれぇ!」
男たちは口々に喚くが起き上がる気配は無い。
「一生這いつくばっていろ」
セトースは興味を失ったように、イヴの方へ向き直った。
イヴは祈る手のまま座り込んで、呆然としていた。この時、赤い松明に揺らめくセトースの姿が、初めて本物の神に見えていた。
***
一夜明けて、イヴはセトースと共に森林地帯に転移していた。これも彼の取り戻した神力だという。
夜の間、セトースは歴代生贄少女の末路と、聖魔法について話してくれた。
セトースは先ず、生贄に会うと、お供え物を肴に「俺は昔超強い神と戦って生き延びたんだぞ」などの昔すごかった自慢を散々聞かせる。
そうやって生贄キャバクラを堪能した後、遠くの町に転移させ、人生のやり直しをさせていたのだという。
生贄の少女たちは皆、虐げられ、みじめな生活を送っていたからだ。
それから、彼が生贄の見返りに天変地異を収めていたのは事実だが、そもそも天変地異を起こしたのはセトースではないという。
神が居なくても天変地異は起こるものだ。セトースは元々怠惰で、生贄の少女を貰った時だけやる気を出していただけだった。
それから聖魔法について。
そもそも聖魔法と光魔法は別のものだったという。聖魔法はあまりにも希少種で、それこそ全世界を探して、ようやく100年に一度、使い手が現れるかどうかというレベルらしい。そのため殆ど幻とされてきた。水晶でも測れなかった。
そのうちこの国ではアルケオン教が浸透し、光魔法が聖魔法と呼ばれるようになってしまったとうわけだ。
***
「セトース様、ここはどこですか?」
森の中、イヴは左右を見回して聞く。
「ここも俺が土地神をやっていた場所だ。まあ飛び地だな」
「土地神にも飛び地ってあるんだ」
「しかし俺が力を失ったせいで、村は無くなり、連中は各地に散り散りになったようだ。可哀そうなことをした」
確かに、目の前に苔むした井戸がある。昔ここに人が住んでいたらしい。
イヴはセトースに頭を下げた。
「ありがとうございました。神様のお陰で、これからは自由に生きられそうです。それでは」
しかし背を向けた瞬間後ろから羽交い絞めにされた。
「おい、何を『これでお別れ』みたいな雰囲気出してるんだ生贄ぇ」
「ちょっ! 離してください! セクハラ! 露出魔! 公安を呼びますよ!」
「言っただろう。お前は俺の嫁にすると」
「え、もしかして私をこっちに送ったのって……」
「勿論、お前とここに住むためだ。一から街を作る。そしてお前は大聖女としてこの地を治め、同時に俺の嫁として役割を果たすのだ」
セトースはまるで当然のことのように言う。美しい顔に至近距離から覗き込まれ、思わず目を逸らしてしまう。
「だ、駄目です。だって、あなたがこっちに来たらホウルスの人が困るじゃないですか」
セトースは短く笑う。
「お前、生贄にされて、殺されかけて、まだあんな奴らのことを気にかけているのか」
「悪い人だけではありません。良い人も沢山いるし、良いところも沢山あるんですよ」
「例えば」
「ええっと、……………………………………………………………………………………………………………………………………」
「無さそうだな。そもそも、200年俺が居なくても無事だったのだ。今更俺が居てもいなくても変わらんさ。それに、お前のお陰で力が戻ったついでに、お望み通り雨を降らせておいた。まあ手切れ金みたいなものだ」
イヴを抱き締める力が強くなった。
「これからよろしくな、大聖女イヴよ」
イヴは激しく混乱していた。自分が大聖女で神の嫁? 昨日まで生贄だったはずなのに。
これは、イヴが大聖女として新たな新生国家を築く物語の、ほんの序章に過ぎない。
それはそうと、イヴの実家であるクレルモン子爵家では大変なことが起こっていた。
実はイヴの聖なる力によって保たれていた結界が無くなり、呪われた土地に建っていた屋敷に不幸の波が押し寄せてきていたのだ。
彼らが血眼になって自分を探していることを、イヴはまだ知る由もない。
おわり
※本編ではギャグにするため端折りましたが、イヴは自分が痩せること以外に、天変地異を収めようとしっかり時間をかけて祈っていました。




