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スローター・クリーナー  作者: 水前寺鯉太郎


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第5話:二十番目の真実

第5話:二十番目の真実

1. 硝煙と白光

二〇〇五年、九月後半。

白金の閑静な夜は、重火器の咆哮によって無惨に切り裂かれた。十トントラックが正門を突き破った衝撃が収まらぬうちに、洋館の内部は火薬と焦げたオイルが混ざり合う「戦場」の匂いへと塗り替えられていた。

「――突入!」

田辺の鋭い発声とともに、スタングレネードがロビーで炸裂した。網膜を焼く白熱の光。階段付近に陣取っていた機動捜査隊の男たちが、視力を奪われ呻き声を上げて崩れ落ちる。

「太田さん、二階だ! 佐伯は上にいる。駆けろ!」

田辺が、奪ったサブマシンガンの正確なバースト射撃で警官隊を釘付けにする。かつての相棒は、今や迷いを排した「死神」と化していた。返り血を浴びたその姿は、この世の倫理を超越した戦場の亡霊そのものだった。

太田は弾丸が壁を削る中を駆け抜けた。階段を二段飛ばしで上がり、最上階の重厚な扉を蹴り開ける。

そこは、佐伯が「アトリエ」と呼んでいた広間だった。

足を踏み入れた瞬間、異様な寒気が太田を襲った。天井の高い壁一面には、消石灰で真っ白にコーティングされ、苦悶の表情を固定された「人間」の成れの果てが並んでいた。

そして部屋の中央。ステンレス製の手術台の上に横たえられた少女と、その喉元にメスを突き立てる佐伯の姿があった。

「遅かったな、太田。二十人目の『掃除』が始まるところだ」

2. 悪意の天秤

太田は構えていた銃を握り締めたまま凍りついた。手術台の上で拘束された少女の顔を見た瞬間、視界が白く歪む。

「……カナ……なのか……?」

違う。カナに生き写しの顔立ちだが、まだ幼さが残るその瞳には純粋な恐怖だけが張り付いている。

「正解だ。ミカの妹だよ。まだ高校を卒業したばかりのな」

佐伯の口角が愉悦に歪んだ。メスの先が少女の細い首筋をなぞる。

「ミカは死に際に懇願したよ。『妹だけは助けて』とな。だから俺は約束を守った。彼女をリストの最後にし、お前が救うチャンスを与えてやったんだ。……あの日、湾岸倉庫でお前が証拠のSDカードを選び、一人の少女を見捨てた、あの瞬間の『報酬』としてな」

太田の脳裏に、あの夏の湿った夜気がフラッシュバックする。

あの日、自分が功名心や復讐心ではなく、目の前の命を優先していれば。

時間が稼がれ、臓器売買の歯車は狂い、ミカの妹にまで刃が届くことはなかったはずだ。

「お前が殺したんだよ、太田。お前の『正義』という名の傲慢が、彼女をこの台の上に連れてきたんだ」

佐伯の言葉は消石灰よりも鋭く、太田の精神を蝕んだ。

「さあ、二度目の天秤だ。銃を捨てて俺の前に跪くか、それとも俺を撃ってこの少女の頸動脈を切り裂かせるか。選べ。刑事に戻るか、ただのチンピラとして死ぬか」

太田の指がトリガーを引く力を失い、激しく震える。視界が涙と汗で滲み、少女の姿が死んだミカの顔と重なり合う。

「……ミカ……すまない……」

3. 壊れた天秤

その時、背後の扉が蝶番ごと吹き飛んだ。

「――天秤なんて、最初から壊れてるんだよ」

全身に返り血を浴びた田辺が、一人の老人を引きずりながら現れた。警察庁の重鎮であり、臓器売買ルートの真のオーナー、大河内だ。

「大河内先生……! なぜここに……!」

佐伯の顔から初めて余裕が剥がれ落ちた。支配者の仮面が崩れ、醜悪な焦燥が顔を出す。

田辺は大河内の後頭部に銃口を押し当て、冷徹な視線を佐伯に向けた。

「太田さん。あいつの言いなりになる必要はない。俺たちがやるのは『掃除』だ。ゴミをまとめて処分する。……それだけのことだ」

「待て、田辺!」

太田の制止より一瞬早く、佐伯が動いた。少女を盾にしながら銃を抜こうとしたその刹那、太田の脳裏からすべての迷いが消えた。

刑事としてのルールも、復讐者としての執着も、すべてが白く濁った意識の中で燃え尽きた。あるのはただ一つ。この「白」を終わらせるという意志。

(パン、パン!)

二発の銃声が反響した。

一発は太田の銃から。弾丸は正確に佐伯の右肩関節を砕き、メスが床に転がった。

もう一発は――田辺の銃から。

彼が狙ったのは佐伯ではなく、天井付近に吊るされていた非常用の大型消火ボンベだった。

ドォォン! という爆鳴とともにボンベが破裂した。中に充填されていたのは消火剤ではない。佐伯が不法に改造していた、高圧ガスと高濃度の「消石灰」の微粉末だ。

「――目を閉じろ!」

アトリエ内は真っ白な濁流に飲み込まれた。視界は一瞬でゼロになり、粉塵が舞う音だけが支配する「真っ白な闇」が訪れる。

「ぐああああっ! 目が、目がぁぁぁっ!」

佐伯の、喉を掻き切るような絶叫が響き渡った。強アルカリの粉が佐伯の両目、鼻、喉に侵入する。眼球の粘膜が焼け、気道が灼熱を帯びる。彼が多くの女性たちに強いてきた苦しみが、そのまま彼自身を襲っていた。

4. 清潔な終わり

太田は視覚を捨て、音を頼りに手術台を探り当てた。少女を縛る拘束をナイフで断ち切る。

「大丈夫だ……もう、終わるからな」

震える少女を抱き寄せ、部屋の隅へ避難させる。そして太田はゆっくりと向き直った。霧の向こう、血を吐き蹲る佐伯の気配を捉える。

「佐伯。……これがお前の望んだ『清潔な終わり』か?」

太田は、視力を失い変わり果てた佐伯の眉間に銃口を押し当てた。

外からはパトカーのサイレンが地鳴りのように近づいている。だが、その光が届く前に、この地獄に落とし前をつけなければならない。

「二十人目だ。……佐伯、お前が数えていたリストの最後に、自分自身の名前を書き加えろ」

引き金に力がこもる。復讐の完了まで、あと数ミリ。

だがその時、田辺が太田の手首を掴んだ。

「……太田さん。殺すな」

「……何だと?」

「こいつを殺せば『殉職』という名で逃げおおせる可能性がある。……だが生かして晒し者にすれば、こいつは残りの人生、自分が踏みにじってきた『掃除される側』の地獄を、石灰の中で味わい続けることになる」

田辺は自らの携帯画面を太田に突きつけた。太田が仕掛けたリークが、今この瞬間、全世界のネットワークを駆け巡り、日本の警察組織を足元から崩壊させ始めていた。

「組織は潰れた。大河内も、こいつも、もう逃げる場所はない」

二〇〇五年の、最も暑く、そして最も白い夏。

霧のような消石灰が舞うアトリエで、太田はゆっくりと銃を下ろした。

腕の中の少女の震えが、少しだけ収まったような気がした。

サイレンの音は止まらない。

だがそれは、太田たちを捕らえるための音ではなく、偽りの白で塗りつぶされたこの街の「崩壊」を告げる鎮魂歌のように聞こえた。

太田は、粉雪のように降り積もる石灰を払い、少女を連れて光の射す出口へと歩き出した。

背後には、ただ真っ白な静寂だけが残されていた。

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