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WEB版 転生特典なし、才能も平凡な私が最強の騎士を目指したら、なぜか先に二児の母になっていました。  作者: 品川太朗


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第5章:見えざる敵

「今日から、俺は本気を出す」


前世の後悔を胸に、若き領主モディは静かに誓った。

母親との関係を修復し、領主として学ぶべきことを学び始めた彼を待っていた、穏やかな日常。


だが、彼はまだ知らなかった。

父の命を奪い、今なおこの土地の民を静かに蝕む「見えざる敵」の存在を。


これは、呪いか、それとも病か。

少年賢者の、最初の戦いが始まろうとしていた。

母マーサとの奇妙な師弟関係が始まってから、一年近くが過ぎた。

俺は9歳になり、今ではこの世界の簡単な書物なら、辞書を片手に何とか読めるようになっていた。

「モディ、この文字の書き順が違いますよ」

「ああ、すまない母さん。つい癖で…」

昼下がりの居間で、俺と母さんは机を挟んで向かい合っていた。俺が書いた歪な文字を、母さんが朱筆で直してくれる。その横顔は、俺が目覚めたばかりの頃に浮かべていた、疲労と不安に満ちたものではなかった。そこにあるのは、息子の成長を見守る、穏やかで、少しだけ楽しそうな教師の顔だった。

あの朝の「ウザ絡み」以来、俺は計算ずくで母さんの心を揺さぶり続けた。時には大人びた知識で彼女を驚かせ、時には子供らしい(と俺が思う)我儘で困らせた。その結果、俺たちの間には奇妙な、しかし確かな信頼関係が芽生え始めていた。

もう彼女の瞳に、俺への警戒心はない。うん、悪くない。このままいけば、俺の計画は順調に進むだろう。

そんな穏やかな日常は、一人の領民が屋敷に駆け込んできたことで、唐突に破られた。

「子爵様! お願いです、どうか…! 父が、もう…!」

息も絶え絶えに、男はそう叫んだ。その顔は絶望に染まっていた。

「モディ、あなたはここに…」

母さんが俺を制止しようとするのを、俺は手で遮った。

「いや、行く。俺はこの村の領主だ」

領主として、領民の死に顔を背けるわけにはいかない。

俺は母さんの心配そうな視線を背に、男の家へと向かった。

案内されたのは、村の端にある貧しい小屋だった。中に入ると、噎せ返るような薬草の匂いと、すすり泣く声が俺を迎えた。狭い部屋の中、家族らしき人々が、ベッドに横たわる一人の老人を見守っている。

俺は、自分の父を蝕んだ病…ニア村で「土地の呪い」と恐れられる風土病の患者を、初めてこの目で見ることになった。

そこに横たわっていたのは、もはや生きた人間とは思えないほどに変わり果てた老人だった。

手足は木の枝のように枯れ木のように痩せ細っている。それなのに、腹だけが水風船のように、異様にぽっこりと膨らんでいた。男は時折、その腹を押さえて低く呻き声を上げている。

「父も、祖父も、皆この病で…」

「この土地の呪いからは、誰も逃げられんのです…」

家族の一人が、涙ながらに語る。彼らにとって、これは人の力ではどうにもならない、運命なのだ。

だが、俺は恐怖よりも、強烈な既視感デジャヴに襲われていた。

痩せ細った手足。膨れ上がった腹部。微熱。

俺の49年分の記憶が、目の前の光景と結びつく情報を、猛スピードで検索する。

そうだ、見たことがある。絶対に、見たことがある。

(――これだ!)

脳裏に、前世で何気なく見ていた科学ドキュメンタリーの映像が、閃光のように蘇った。

それは、極東の島国でかつて猛威を振るった、寄生虫による病気の特集だった。たしか名前は…「日本住血吸虫症」。

テレビ画面に映し出されていた、腹水でお腹が膨らんだ患者の白黒写真。その姿が、目の前で苦しむ老人の姿と、完全に一致した。

(呪いじゃない。これは…病気だ)

(特定の症状を持つ、パターン化された病気。そして原因は、十中八九……寄生虫!)

周囲が神に祈り、土地の呪いを恐れる中、俺の頭の中だけは、氷のように冷たく冴えわたっていた。目の前にあるのは、オカルトや迷信ではない。解明すべき、科学的な「問題」だった。

この瞬間、転生者である俺の異質さが、明確な意味を持って立ち上がった。

やがて、老人は静かに息を引き取った。

俺は領主として家族に弔いの言葉をかけたが、その心はすでに、次なる戦いを見据えていた。

屋敷に戻った俺は、母さんの心配をよそに自室に閉じこもった。

そして、覚えたての文字で、羊皮紙に計画を書き出し始める。

仮説:病の原因は寄生虫である。

感染経路:不明。水か、あるいは食料か。

検証方法:まず、同じ症状で死ぬ動物(豚や鼠)を解剖し、体内に共通の寄生虫が存在するかを確認する。

俺は羊皮紙の冒頭に、力強く、こう記した。

「見えざる敵へ」

それは、この村を蝕む呪いへの、たった一人の宣戦布告だった。



辺境の咆哮


俺がこの世界で二度目の誕生日を迎え、10歳になった年の秋だった。

母マーサと俺は、いつものように質素な食堂で、向かい合って夕食をとっていた。

「今年の冬は例年より厳しくなりそうだから、薪の備蓄をもう少し増やさないとな」

俺がスープを啜りながら言うと、母さんは「そうですね。郷士のトマスにも、そのように伝えておきましょう」と頷いた。

この一年で、俺と母さんの関係はすっかり変わった。

彼女はもう、俺の奇行に戸惑うことはない。俺が中身49歳だと知ってか知らずか、彼女は俺を「少し変わっているが、頼りになる息子であり、領主である」と認めてくれている。その関係は親子というより、年の離れた同僚のようでもあり、俺にとっては心地の良いものだった。

風土病の研究は遅々として進んでいないが、それでも、この穏やかな日常が続くなら、それも悪くない。

そう思っていた。

その、穏やかな食卓の静寂は、玄関の扉を叩き壊さんばかりの、乱暴で性急なノックの音によって、唐突に引き裂かれた。

ドン! ドン! ドン!

その音には、尋常ではない焦りと、悲鳴のような響きが混じっていた。

「モディ、危ないからあなたはここに…」

母さんが立ち上がって俺を制止しようとするのを、俺は手で遮った。

「いや、行く。俺はこの村の領主だ」

領主として、領民の危機から顔を背けるわけにはいかない。

俺は母さんの心配そうな視線を背に、壁に立てかけてあった短い剣を手に取り、玄関へと向かった。

扉を開けると、そこに立っていたのは、村の猟師であるマヌカだった。月の光に照らされた彼の顔は血の気を失い、その服は泥と、そして僅かな血で汚れていた。

「子爵様…!」

彼は息も絶え絶えに、絶望的な報告を始めた。

「シドベアーが…!」

マヌカは、猟師の後継ぎである一人息子のパータを連れて、山の麓で狩りの訓練をしていたのだという。そこは古くからの猟師道で、危険な魔獣が出るような場所ではなかった。だから、油断していた、と。

しかし、そこにいるはずのない、巨大な人喰いの魔獣「シドベアー」が突如として現れ、息子は一瞬でその牙と爪の餌食になったのだと。

俺は冷静に、しかし鋭く問いかけた。

「場所はどこだ? なぜそこに奴がいた?」

「分かりません…いつもの縄張りからは、ずっと離れているはずなのに…! しかし…!」

マヌカは言葉を続け、この報告の最も恐ろしい核心を告げた。

その声は、恐怖に震えていた。

「奴は…人の味を、覚えてしまいました」

一度、人の血肉の味を覚えたシドベアーは、執拗に人を狙うようになる。そして、やがて必ず、より多くの獲物がいる場所――このニア村に、下りてくるのだと。

家の中に、氷のような戦慄が走った。母さんは青ざめて口元を押さえ、マヌカは自責の念に打ち震え、その場に崩れ落ちそうになっている。

俺はすぐに、新しい郷士であるトマスを屋敷に呼び寄せ、食堂で緊急の会議を開いた。

「我々だけで、奴を狩れるか?」

俺の問いに、マヌカもトマスも、絶望的に首を横に振った。

そしてトマスが、重い口を開いた。

「…20年前にも、同じ悲劇がありました。人の味を覚えたシドベアーが村を襲い、…13人の村人が殺されました。その時は、ダイテ要塞から派遣された騎士様の手によって、ようやく…」

答えは、明白だった。この村の戦力では、絶対に敵わない。

大人たちが恐怖と絶望に囚われる中、10歳の領主の頭脳だけが、氷のように冷静に回転していた。

俺は、立て続けに決断を下した。

一つ。「ダイテ要塞に救援を要請する。今すぐ俺が手紙を書く」

二つ。「だが、使者が馬を飛ばしても砦に着くのに一週間。援軍がこの村に来るのは、どんなに早くても二週間後だ」

そして、三つ。

「トマス、半鐘を鳴らせ。村の代表者たちを集める。パニックを恐れて情報を隠せば、被害が広がるだけだ」

「は、はい!」

トマスが、弾かれたように屋敷を飛び出していく。

母さんが、信じられないものを見るような目で、俺を見ていた。その目に映っているのは、もう彼女が知っている、8歳や9歳の子供のモディではなかっただろう。

俺は一人、これから直面するであろう二週間の、絶望的な籠城戦を思った。

やがて、夜の静寂を破り、村中に緊急事態を告げる半鐘の音が、甲高く鳴り響き始めた。

カン、カン、カン…!

俺は目を開き、扉へと向かった。これから、俺のたみに、最悪の知らせを告げなければならない。

この小さな背中に、彼らの命の全てが懸かっている。



お読みいただきありがとうございました。


穏やかな日常は、突如として牙を剥く。

辺境の村に響き渡ったのは、一人の父親の悲痛な叫びと、人喰いの魔獣「シドベアー」の咆哮でした。


大人たちが絶望に打ちひしがれる中、10歳の少年領主モディが下した、あまりにも冷徹で、しかし唯一の活路を見出すための決断。

鳴り響く鐘の音は、これから始まる絶望的な二週間の籠城戦の幕開けを告げます。


果たして、ニア村は援軍が到着するまで持ちこたえることができるのか。

そして、若き領主モディは、この最初の試練をどう乗り越えるのか。


彼の戦いを見守りたいと思っていただけましたら、ブックマークやページ下の☆での評価をいただけますと幸いです。

それでは、また次回の更新でお会いしましょう。

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