第4章:もう一人の転生者
師との別れを経て、王国騎士になるという固い誓いを立てた少女、リーン・バルガス。
彼女が王都で新たな一歩を踏み出そうとしている、まさにその同じ時。
王国の東の辺境で、もう一つの運命が、静かに目覚めようとしていた。
これは、同じ事故で命を失い、全く違う人生を背負わされた、もう一人の転生者の物語。
ふう、と静かな息が漏れた。
目が覚めたというより、思考が浮上してきた、という方が正しいかもしれない。窓の外はまだ暗く、肌寒い空気が部屋を満たしている。
夜明け前の、最も静かな時間。
いつもなら二度寝でもしているところだろうが、そんな気分には到底なれなかった。様々な記憶が頭の中で渦を巻き、意識は刃物のように冴えわたっている。
「転生ってやつなのかな?」
それとも、と俺は続ける。
「この体を、乗っ取ってしまったのかな?」
どちらにせよ、この少年の魂を奪ったか、自我を上書きしてしまったか。興奮よりも先に、漠然とした罪悪感が胸に広がった。
「考えてもしょうがないな」
そう、考えてもしょうがない。俺にできるのは、この与えられた状況を受け入れ、最善を尽くすことだけだ。
闇に目が慣れ、部屋の様子がはっきりと見えてくる。
見慣れた、俺の部屋だ。いや、この身体の持ち主である「モディ・ヌーベル」の部屋、と言うべきか。
ベッドと、粗末な勉強机。そして、壁に立てかけられた、手入れのされていない短い剣。それだけがこの部屋の全てだった。豪華絢爛な伯爵邸とは、似ても似つかない。
考えるべきはこれからのことだ。そう思うのに、どうしても過去の記憶ばかりが頭に浮かんでくる。
享年、49歳。核物理学者。
振り返れば、恥の多い人生だった。研究に没頭するあまり、周囲を顧みなかった。いい年をして独身で、年老いた母親に孫の顔一つ見せてやれなかった。それどころか、母親より先に逝くなんて、本当の親不孝者だ。
死の間際の記憶は、ひどく曖昧だ。
東京駅の、あの雑踏。そうだ、修学旅行帰りらしい女子中学生たちが、黄色い箱の土産物を買っていたな。東京バナナ、か。結局一度も食わなかったな、なんてどうでもいい事を思い出す。
彼女たちも、あの時死んだのだろうか。死は誰にでも平等だとは言うが、やはり気分のいいものではない。
そこから先の記憶がない。俺自身の死因が分からないというのは、なんとも奇妙な気分だ。
気持ちを切り替える。過去を悔やんでも意味はない。重要なのは、今、ここにある「俺」だ。
この身体の持ち主、「モディ・ヌーベル」。8歳。この辺境の地を治める、ヌーベル子爵家の跡取り。
そして、その記憶をたどると、俺は再び深いため息をついた。
なんてことだ。この子は、ただの馬鹿でクズだ。
読み書きもろくにできず、領主の一人息子という立場を笠に着て、毎日悪戯と嫌がらせに明け暮れている。正真正銘の「クソガキ」だった。
なぜそうなったのか? 理由は明らかだ。
父である子爵は、モディが物心ついた頃からずっと病床にあった。母であるマーサは、その看病にかかりきりだった。貧しい貴族である我が家に、子供の面倒をきちんと見られるだけの余裕はなかった。
愛情に飢えた子供の、歪んだ承認欲求。それが「クソガキ」の正体だ。他人事のように冷静に分析しながらも、胸がちくりと痛んだ。今や、それは俺自身の問題なのだから。
前世の母親にできなかった親孝行を、今生の母親にしてやれるだろうか。いや、違う。これは自己満足だ。だが、それでもいい。少なくとも、俺はもう、彼女を不幸にしたくなかった。
俺は頭の中で、この状況を「解決すべき課題」として整理し始めた。
Q1. 母親との関係をどう修復するか?
A1. まずは俺が「良い子」になり、彼女の負担を減らすこと。彼女の心をこれ以上かき乱さないこと。
Q2. 突然の変化をどう説明し、納得させるか?
A2. 6日前に亡くなった父親の死を「心を入れ替えるきっかけ」として利用する。不謹慎だが、生きている人間が優先だ。後で必ず、墓前に詫びよう。
Q3. それだけで十分か?
A3. いや、違う。長年の介護で疲れ切った母さんには、俺の変化に気づき、それを受け入れるだけの心の余裕さえないかもしれない。
ならば、どうする?
俺は一つの結論に行き着いた。
俺が変わるだけでは足りない。彼女自身に、「生きがい」を持たせる必要がある。
そうだ。俺がこれから、この家と領地を背負って立つ、立派な領主になる。そのために、母さん、あなたの支えが必要なんだ、と。
「病気の夫を看病する」という役割を失った彼女に、「息子を支え、育てる」という新しい役割を与えるのだ。俺は、彼女の人生をもマネジメントする決意を固めた。
思考を巡らせているうちに、窓の外が白み始めていた。
俺はベッドから降りて窓辺に立ち、自分の領地である、まだ朝靄に包まれたニア村の風景を見下ろした。
これから知らなければならないことが、山のようにある。
領地の経営、領民たちの顔と名前、この世界の常識、そして…まだ本当の意味では知らない、母さんのこと。
前世で果たせなかった責任を、今度こそ。
俺は静かに、しかし力強く呟いた。
「よし、今日から俺は本気だすぞ」
ウザ絡みする賢者
俺が覚醒した翌朝。
食堂に顔を出すと、母さんが一人、テーブルでパンを切っていた。質素だが、清潔な食卓。その姿は、まるで一枚の絵画のように静かだった。
「おはよう、母さん」
俺がはっきりとした声で挨拶すると、母さんの肩がびくりと震えた。ゆっくりとこちらを振り返ったその瞳には、昨日俺に向けられたものと同じ、戸惑いと警戒の色が浮かんでいる。
「……おはようございます、モディ」
小さな声での返事。無理もない。昨日まであれほど手のつけられなかった息子が、急に殊勝な態度をとっているのだ。気味が悪いと思うのが普通だろう。
食事が並べられる。いつもと同じ、固いパンと、肉がほんの二切れ浮かんだ薄いスープ。以前のモディなら、きっと「もっとマシなものはないのか」と皿をひっくり返していただろう。だが、今の俺は黙ってそれを受け取り、一口スープを啜った。
「ありがとう、母さん」
「……」
「ごちそうさま」
俺が礼儀正しく食事を終えるたび、母さんの緊張が強まっていくのが肌で感じられた。その居心地の悪そうな様子に、俺は計画の第一歩を踏み出すことにした。
「母さん、かたずけを手伝うよ」
「っ!? わ、私が全部しますから大丈夫です!」
まるで悪戯を仕掛けられるのを警戒するかのように、母さんは慌てて俺から皿を取り上げた。その必死な姿に、胸がちくりと痛む。息子の善意さえ、信じられなくなっているのか。
まずいな。まずこの警戒心を解かなければ、話が始まらない。
俺は計画通り、父の死をきっかけにしたという「作り話」を語り始めた。
「母さん。昨日、父さんの夢を見たんだ」
「……夢?」
「うん。父さんが枕元に立って、『心を入れ替えないと死者の国へ連れて行く』って…。怖かったから、良い子になるって約束したんだ」
子供らしい(と俺は思っている)口調で語る俺を、母さんは半信半疑の、複雑な表情で見つめている。まあいい。完璧に信じなくても、彼女の中で俺の変化に対する「理由」ができれば、それで十分だ。
俺は畳み掛けるように、本題を切り出した。
「だから、お願いがあります。これからは立派な子爵になるために、俺に読み書きを教えてください」
その言葉は、さすがに母さんの心に響いたようだった。彼女は俺の目をじっと見つめた後、覚悟を決めたように、一度だけ、こくりと頷いた。
「……わかりました。あなたも、もう子爵なのですから。途中で投げ出すことは許しませんよ」
「はい!」
「領地のことは私には分かりませんが、読み書き、計算、それから魔法の基礎なら教えられます」
よし、うまくいった。今後の基盤となる「教育」の約束を取り付けたぞ。
安堵したのも束の間、母さんはふと気づいたように、首を傾げた。
「でもモディ? あなた、いつから自分の事を『俺』なんて言うようになったの?」
きたか。待っていたぞ、その質問を。
俺はニヤリと、49年物の年季が入った、悪戯っぽい笑みを浮かべた。
「ふっ…それは男の秘密ってやつですよ。母さんにも教えられません」
そう言って、人差し指を口元に当てて芝居がかったウインクをすると、母さんは鳩が豆鉄砲を食ったような顔で完全に固まった。
「な、何を言ってるんですか、あなたは…。気味が悪い…」
「おや、母さん。顔が赤いですよ?」
俺は椅子の上にひょいと立ち上がり、テーブル越しにぐっと身を乗り出して、母さんの頬を人差し指でつん、とつついた。
「もしかして照れてます? かわいいなあ、もう」
「〜〜〜っ!」
母さんの顔が、今度は羞恥と怒りで真っ赤に染まる。
「い、いい加減になさい! 子供が母親をからかうものではありません!」
パシン! 軽い音と共に、俺の指は彼女の小さな手に弾かれた。
よし、完璧だ。彼女の頭の中から「息子がおかしい」という疑念は消え、「息子が小生意気でウザい」という、より健全(?)な感情に入れ替わったはずだ。
俺は満足して椅子に座り直し、今度は一転して、真剣な、8歳の少年らしい純粋な眼差しを母さんに向けた。
「ごめん、ごめん。でも、本気なんだ」
「……」
突然のトーンの変化に、母さんは完全に混乱している。俺はその隙を見逃さなかった。
「これからは、母さんを困らせるんじゃなくて、支えたい。ちゃんと一人前の領主になれるまで、俺のこと、支えてほしいんだ」
俺の真剣な訴えに、母さんは言葉を失っている。怒ることもできず、ただ息子の真剣な瞳を見つめ返していた。
やがて、彼女は諦めたように、深いため息をついた。
「…はぁ。あなたが何を考えているのか、さっぱり分かりません」
「でも…本気だということは、分かりましたから…。もう、あんな変なことはしないでくださいね」
そう言ってぷいと顔を背けた母さんの耳が、ほんのり赤く染まっているのを、俺は見逃さなかった。
どうやら、「ウザ絡み」も、時には悪くないらしい。
奇妙な母子の、新しい関係が始まった瞬間だった。
お読みいただきありがとうございます。
モディ・ヌーベルです。(中身は49歳ですが)
いやはや、我ながら完璧な作戦でした。
相手の心の壁が厚い時、正面からぶつかるだけが能じゃない。
時には、こうして予測不能な方向から揺さぶりをかけ、相手を混乱の渦に叩き込む…。
人生経験の差、というやつですかね(笑)
まあ、そんなわけで。
無事に母親との関係再構築の第一歩を踏み出すことができました。
彼女はまだ俺のことを「なんだかよく分からない、生意気でウザい息子」だと思っているでしょうが、それでいいのです。少なくとも、「手のつけられないクソガキ」よりは、遥かにマシですから。
さて、明日からはいよいよ、この世界の文字や、魔法についての本格的な勉強が始まります。
果たして俺に魔法の才能はあるのか?
そして、この貧しい領地を立て直すことはできるのか?
前途は多難ですが、やるしかありません。
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