第32章 『双頭の蛇』
ついに、運命の決戦の火蓋が切って落とされます。この章は、静かな心理描写から一転、八万の兵が激突する大規模な戦場へと舞台が移ります。
愛を捨て、王としての覚悟を決めた王太子ジョウ。彼の指揮の下、王国軍は老参謀ワイドボ卿の考案した「双頭の蛇」という危険な包囲殲滅作戦に全てを懸けます。
中央の諸侯軍は、勝利のための「餌」となる運命。
ジョウは、その「タイミング」一つに、王国軍全ての命運を託す。
一方、戦場には三人の転生者と、リーンがそれぞれの立場で立ちます。
リーン:友を守るために、最前線の激戦へ身を投じようとする。
モディ:傍観者として、指揮系統の崩壊を冷徹に予測する。彼の「安全第一」の姿勢は、この大戦にどう影響するのか?
「双頭の蛇」の緻密な戦略と、戦場を支配する「予期せぬ混乱」。
壮大なスケールで描かれる大戦の幕開けと、次なる悲劇のフラグが立つ瞬間を、どうぞ見逃しなく。
パーム平原を吹き抜ける冬の風が、幾万もの軍旗をはためかせていた。野営の煙と馬のいななき、そして鋼が擦れる硬い音が混じり合い、巨大な軍勢という生き物の、荒々しい呼吸を形成している。ナロ王国と帝国の国境線に、両国合わせて八万の軍勢が対峙する。その光景は、もはや小競り合いなどという言葉では表現できぬ、国家の存亡を賭けた大戦の始まりを告げていた。
王太子ジョウの本陣幕舎は、張り詰めた静寂と、男たちの熱気が渦巻いていた。蝋燭の灯りが、広げられた巨大な地図の上に揺らめく影を落とす。カテナとの冷たい別れから幾ばくも経っていない。だが、僕の心に感傷を許す余裕はなかった。この戦いは、国のためであると同時に、僕自身が過去を振り払い、王として立つための試練なのだ。
「こちらの狙いは、双頭の蛇です」
老練な参謀、ワイドボ卿は、揺るぎない声で言った。
「ワイドボ卿、狙いは分かったが、上手く敵を中央に引き込めるのか?」
僕は、作戦の最も不確定な要素について疑問をぶつけてみた。成功すれば戦局を大きく左右するが、失敗すれば全軍の崩壊を招きかねない諸刃の剣だ。
「はい王太子様。もちろん敵も馬鹿ではありません。こちらの都合のいいように、やすやすと包囲陣の中へ入ってくれるわけがない。ですので、布陣に多少の工夫をいたしました」
ワイドボ卿に目線を向け、続きを促す。
「現在我が軍は、左翼に歴戦のバド将軍率いる一万、中央にヨード辺境伯が指揮を執ります諸侯軍二万、そして右翼に王太子様の直属軍一万、という布陣です」
「数だけ見れば中央が一番厚く、突破は難しく見えます。ですが、内情は諸侯軍の寄せ集め。指揮系統も統一されておらず、練度もまちまちです。戦闘が始まって最初に押されだすのは、間違いなくこの中央軍だと思われます」
たしかに、指揮の統一が出来ていない烏合の衆が一番苦戦しそうなのは理解できる。彼らは、この大戦における必要不可欠な「餌」なのだ。
「帝国軍が『中央は崩しやすい』と見れば、必ずわが軍の分断を狙い、最終的には右翼と左翼の各個撃破を目論むものと予想されます。帝国軍が中央軍への突破を仕掛け、その刃が我々の陣深くに食い込んだそのタイミングで、左右両翼が反転。牙を剥き、中央軍を攻めている帝国軍の無防備な側面を強襲し、包囲殲滅するのです」
「これで双頭の蛇の陣形が完成いたします」
ワイドボ卿の説明を、僕はもう一度頭の中で反芻する。幾千もの兵士たちの命が、その「タイミング」一つに懸かっている。
「……勝てそうかな?」
僕はワイドボ卿に最後の確認を取る。それは王太子の言葉ではなく、一人の若者の不安だった。
「戦とは、頭の中で思い描いた通りにはなかなかいきません」
老参謀は静かに言った。
「ですが、我が軍で一番崩しやすいのは中央であると、敵も味方も認識しております。私が敵の将なら、間違いなく中央を狙います。あとは、ヨード辺境伯がどれだけ持ちこたえ、そして左右両翼が機を逃さぬか。タイミングさえ合えば、理想的な包囲網が完成すると思っております」
彼の瞳に宿る静かな確信に、僕は頷いた。もう迷いはない。
「分かった。全軍に布陣を急がせよ」
「はっ」
◇
いま、私は騎士団五百と共に中央軍の予備戦力として、ヨード辺境伯の指揮下に入っている。予備兵力なので、すごく後方に布陣したせいで、前線がまったく確認できないわ。見えるのは、味方の背中と、無数の軍旗が織りなす森、そして遠くで上がる土埃だけ。
「マリンさん、私たち後ろすぎませんか? さっぱり敵が見えないんですけど」
苛立ちを隠さずに言うと、隣で馬を並べるマリンさんは、百戦錬磨の落ち着きで正面を見つめたまま答えた。
「しょうがないわよ。私たちは予"備戦力。味方の陣に空いた穴を塞ぐ『補修材』になるか、敵の陣に穴を開ける『楔』になるか、それが役目なんだから。戦況が動くまでは、待つのが仕事」
「そうですか。じゃあ、しばらくは出番はなさそうなんですか?」
「どうかしら。さっきワイドボ卿も言っていたでしょう。中央軍は寄せ集めだって。すぐに忙しくなるかもしれないわよ」
その言葉に、私はニヤリとしてしまう。武者震いが止まらない。ジョウも、この平原のどこかで戦っている。彼を守るためにも、私が活躍しなくては。
「構いませんよ。私はいつでもいけますから」
「やる気なのはいいけど、本番までは力を温存しておきなさい。逸る気持ちは、時に冷静な判断を曇らせるわ」
「はい、分かってますって」
私は愛剣の柄を握りしめ、来るべき瞬間に備え、静かに闘志を燃やした。
◇
「モディ、作戦会議はどうでしたか?」
自陣と言っても、ベース伯爵の軍の隅に間借りした粗末な天幕に戻ると、シムが心配そうに尋ねてきた。
「いや、聞いていただけなんだが、参加している貴族の人数が多すぎてまったく統制が取れていなかったな。ヨード辺境伯が何か言っても、他の伯爵が反論して、議論が進まないんだ」
「それは大丈夫なんですか?」
俺は肩をすくめて答える。
「それは指揮官のヨード伯も分かっているのか、もう全体の指揮を諦めているみたいだ。与えられている指示は『各自、持ち場を死守せよ』だけだ(笑)」
「確かに、それくらい単純な命令なら指揮がなくても大丈夫そうですね」
シムの言葉に、俺は頷く。まあ、うちは参加しているのが俺とシムだけなんでな。(兵を連れてくるなんて金の無駄、できるか)守るべき持ち場もなく、近くに陣を張るベース伯爵とかいう貴族の陣地を守る手伝いという、自由で気楽な立場だ。
俺は地平線の向こう、黒い線のように見える帝国軍の陣営に目を凝らした。
「あれが帝国軍か。このまま睨み合いで終わると、非常に助かるんだがな。さっさと帰って研究の続きがしたい」
「そうですね。帝国も約四万、こちらも四万。戦力は拮抗しています。いきなり全面的な戦闘にはならないとは思いますが、前線の小競り合いはそろそろ始まりそうです」
最悪でも、俺とシムの命だけはなんとかしないと。ニア村の連中の顔が浮かぶ。ここで死ぬわけにはいかない。
「シム、戦闘が始まってもお互いの位置に常に注意しよう。深追いは厳禁だ。やばくなったら合図を送る。すぐに逃げるぞ」
「分かりました。モディも注意してくださいね」
その時だった。
ゴオオオオオオッ!
帝国軍の最前線から、地を揺るがすような雄叫びが上がったのが聞こえてきた。それは、数万の男たちが同時に発した、戦いの始まりを告げる獣の咆哮だった。平原の空気が一瞬で震え、張り詰めた。
「シム……始まったようだぞ」
大戦、開幕です! 大規模な軍勢が対峙する緊迫感、いかがでしたでしょうか?
ジョウが選んだ「双頭の蛇」。勝利すれば王国の未来は開けますが、老参謀が指摘したように、「戦とは、頭の中で思い描いた通りにはなかなかいきません」。
最弱の「餌」となった中央諸侯軍の崩壊は、いつ、どのように始まるのか?
リーンとマリンの精鋭部隊は、その混乱の中で「補修材」となるか、「楔」となるか?
そして、モディ。彼の転生者らしい合理性(逃げ腰ともいう!)が、この戦場で吉と出るか、凶と出るか?彼の「危機回避」の判断が、今後の物語で大きな鍵となります!
戦略と戦術、そして人間の感情が複雑に絡み合う戦場。次章からは、いよいよ戦いの熱狂と血しぶきが始まります!
ジョウの覚醒と、リーン/マリンの活躍、そしてモディの運命を、どうぞお楽しみに!
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