第32章 『王太子の意地』
静寂の中に、決戦の熱気が渦巻く――。
この章では、前章で砕け散った王太子ジョウの心が、「王国の威厳」と「失った誇り」を懸けた戦いへの揺るぎない覚悟へと昇華する様が描かれます。
王太子妃カテナとの「冷たい儀礼」による決定的な訣別。これは、彼が「愛」という足枷を捨て、「王」として覚醒するための、最後の清算でした。
そして、運命の地パーム平原では、三人の転生者が極限の状況で再会します。
ジョウ:孤独な決意を胸に、総大将として立つ。
モディ:その正論が、騎士団の誇りとぶつかり、危険なフラグを立てる。
リーン:友への信義と、戦場を支配する不安との間で揺れる。
さらに、最強の敵“氷熊”ウラジーミルの登場は、圧倒的な絶望感を伴います。
これは、「覚悟」と「傲慢」、そして「正論」が絡み合い、誰も予想しなかった大事件へと向かう、嵐の前の静けさです。
決戦前夜の張り詰めた空気、どうぞご堪能ください。
王都の城門前は、夜明け前の冷たい沈黙と、数千の兵士たちが発する静かな熱気に満ちていた。松明の光が、整然と並ぶ槍の穂先や、磨かれた鎧の肩を鈍く照らし出す。馬の白い息と、男たちの覚悟の息吹が凍てつく空気の中で混じり合い、一種荘厳な雰囲気を醸し出していた。見送りのために集まった民衆は遠巻きに息を殺し、祈るようにその光景を見守っている。
リーンは愛馬の傍らに立ち、凛とした表情でその光景を見つめていた。すぐ近くで全軍に最後の指示を出すジョウは、もはや感傷に浸る少年ではない。その横顔は、一軍を率いる王太子のそれであり、少年時代を共に過ごした友の面影は、今はもうなかった。二人の間に言葉はなかったが、ふと合った視線だけで、無言の誓いが交わされる。「必ず、生きて帰る」と。
やがて、見送りの貴族たちの中から、王太子妃としてカテナが静かに進み出た。彼女はジョウの前に立つと、完璧な作法で深く一礼する。
「殿下。王国の勝利を、心よりお祈り申し上げております」
その声は美しく、気高く、そして完璧に形式的だった。瞳には確かに心配の色が浮かんでいたが、それは愛する者へ向けるものではなく、国の代表者を案じる公的な色合いが強い。その言葉は、温かい祝福ではなく、美しくも冷たい儀礼だった。ジョウは、その言葉が胸に突き刺さるのを感じたが、表情には出さなかった。
「妃の祈り、確かに受け取った」
短い返答だけを残し、彼は彼女に背を向けて馬に跨る。この決定的な心の距離が、彼の戦う決意を、悲しいほどに揺るぎないものへと変えていた。
夜明けの最初の光が東の空を染め上げる中、ジョウが高らかに右手を掲げた。
「出陣!」
鬨の声が冬の空気を震わせ、ナロ王国軍は、運命の地パーム平原へと、その歩みを開始した。
◇
数日にわたる行軍は、兵士たちの士気を徐々に削いでいった。ジョウは王太子として非の打ち所なく振る舞い、兵を鼓舞し、将軍たちと議論を交わした。だが、夜、幕舎で一人になると、彼は地図を睨みながら深く思い悩む姿を見せた。
その夜も、野営地の中心にある王太子の幕舎には、遅くまで明かりが灯っていた。見回りをしていたリーンが通りかかると、中から迷いを振り払うかのような、激しい剣の風切り音が聞こえてくる。
「……殿下は、何かを振り払おうとなさっているようだ」
いつの間にか隣に立っていた隊長のマリンが、静かに呟いた。
「我々には、殿下をお守りし、勝利に導くことしかできん。行くぞ、バルガス。感傷は騎士の鎧を重くするだけだ」
「……はい」
リーンは力強く頷き、その場を後にした。だが、友の孤独な戦いが、彼女の胸を締め付けた。
◇
パーム平原は、その名の通り、見渡す限りの平原だった。冬枯れの茶色い大地が、鉛色の空の下にどこまでも広がっている。ナロ王国軍の本営が設営され、全軍の集結が完了した日、一人の領主が護衛と共に陣地を訪れた。
「ヌーベル子爵、召集に応じ参上いたしました」
辺境領主として召集されたモディが、護衛のシムを連れて本営に到着したのだ。
三人の転生者が、王宮でも、辺境の村でもない、「戦場」という極限の状況で再び顔を合わせた。ジョウとモディの目が合ったが、どちらもすぐに視線を逸らし、二人の間には気まずく冷たい空気が流れた。
軍議が再開される。上座に座るジョウは、末席に座るモディの存在を強く意識しながらも、あえて彼に意見を求めることはしなかった。カテナの心を奪ったこの男に、教えを乞う。彼の王太子としての、そして一人の男としてのプライドが、それを許さなかった。
ジョウは歴戦の将軍たちに意見を求める。
「帝国が小細工などするものか。決闘こそが全て。我らは殿下の勝利を信じ、全軍でその瞬間を見守るべきだ」
「左様。兵站路の警備は最低限とし、主力を決闘の場に集中させ、我が国の威信を見せつけましょうぞ」
将軍たちの意見は、古風で、誇り高いものだった。ジョウもまた、その意見に流されるように、あるいは自らの意地を通すために、頷いてしまう。
その議論の甘さに、モディは内心で舌打ちしていた。兵站路の危険性は火を見るより明らかだったが、総大将である王太子から求められない限り、口を挟むことはしない。それは越権行為であり、彼の信条にも反していた。
軍議が終わった後、納得できないリーンがモディの元へ駆け寄った。
「なぜ何も言わなかったのですか!? あなたなら、何か気づいていたはずでしょう!」
その問い詰めるような声に、モディは冷ややかに答えた。
「求められていない助言は、ただの雑音だ。それに、この軍の総大将は王太子殿下だ。俺ではない」
その言葉には、ジョウへの静かな失望と、この軍の先行きへの明らかな懸念が滲んでいた。リーンは何も言い返せず、友を信じたい気持ちと、モディの正論との間で、ただ唇を噛むことしかできなかった。
◇
決闘前日、両国の代理人が顔を合わせる「検分」の儀式が、両軍が睨み合う平原の中央で執り行われた。数千の兵士が見守る中、異様な静寂が戦場を支配していた。
ジョウの前に、帝国側の代理人ウラジーミル大公が姿を現す。その姿は、いかなる報告や噂をも遥かに超えていた。
人の身の丈を優に超える巨軀、肩から纏った巨大な白熊の毛皮、顔には縦一文字に走る古い傷跡。そして何より、その瞳は獲物しか映さない、氷原の獣のように冷たく、残忍な光を宿していた。その全身から発する威圧感だけで、周囲の空気が凍てつくようだった。
ウラジーミルはジョウの姿を上から下まで舐め回すように見ると、地響きのような声で笑った。
「なんだ、ナロ王国は雛鳥を寄越したか。明日はせいぜい楽しませてくれよ。すぐに凍えてしまっては、つまらんからな」
その圧倒的な威圧感に、歴戦の騎士であるリーンでさえ息を呑んだ。
しかし、ジョウは怯まなかった。彼は自らの判断の甘さへの不安を振り払うかのように、目の前の敵に全ての意識を集中させる。
「帝国の熊とやらも、王家の獅子の牙がどれほど鋭いか、その身で味わうことになるだろう」
二人の視線が、凍てつく冬の平原で激しく火花を散らす。
決戦の時は、目前に迫っていた。
ついに、運命の決戦の舞台が整いました。この章は、まさに「全てのフラグが集結し、新たな惨劇のフラグが立った」章と言えるでしょう。
ジョウの孤独な強さと、カテナの心なき別れ。この別離は、今後のジョウの戦いぶりと、王室の権力構造に、大きな影響を与えることになります。
そして、モディの「求められていない助言は雑音だ」という言葉。これは、彼が物語の脇役でいることを選んだ結果であり、同時に軍議の致命的な判断ミスを招くことになりました。この「すれ違い」が、次の章でどんな血塗られた結果を生むのか――ご期待ください。
“氷熊”ウラジーミル大公の圧倒的な威圧感。あの強さを前に、ジョウは王家と個人の誇りを守り抜くことができるのか!?
次章、運命の決闘が始まります!熱狂と緊張の展開をどうぞお見逃しなく!
(ブックマークと評価ポイントをいただけると、作者もジョウ殿下に負けない覚悟を持って執筆に臨めます!応援よろしくお願いします!)




