第31章 『王太子の試練』
この章は、静けさの中に激震が走る、物語の最重要転換点となります。
完璧な王太子として振る舞い続けてきたジョウ。しかし、王太子妃カテナの心は、遠い辺境の男、モディ・ヌーベル子爵の元にあることが、決定的な形で突きつけられます。
「愛のない婚姻」の残酷な現実、そして転生者であるジョウの抱えるコンプレックスと孤独が、冷たい冬の庭園で、硝子の器が砕け散る音と共に最高潮に達します。
そして、その失意を振り払うかのように、彼は国境をかけた『代理決闘』という、あまりにも危険な道を選びます。
これは、単なる失恋の物語ではありません。愛を失った男が、王国の威厳と、己の誇りを取り戻すために、自らの命を賭ける「覚悟」の物語です。
カテナとモディへの「ざまぁフラグ」、そしてジョウが王として覚醒する「覚悟フラグ」が乱立する、必読のターニングポイント。
どうぞ、張り詰めた緊張感と共に、この章をお楽しみください。
冬の気配が王宮の庭園を完全に支配していた。薄く積もった雪が、刈り込まれた植木の枝を白く縁取り、世界から色彩を奪い去っていく。大理石の小道を踏むジョウの足音だけが、ガラス細工のような静寂の中を冷たく響いていた。最後の望みをかけ、関係修復を試みるために誘った散歩だったが、隣を歩くカテナの心は、この冬の庭園と同じくらい、遠く冷たい場所にあるのが痛いほど伝わってきた。
「去年の今頃は、温室で新しい薔薇が咲いたと二人で喜んだな」
ジョウは、かじかむ指を吐息で温めながら、必死に共通の思い出を手繰り寄せた。しかし、カテナの反応は薄い。
「……ええ、そうでしたわね」
その相槌は短く、美しい横顔はジョウではなく、常にどこか違う場所を見つめている。その瞳に宿るのは、目の前の婚約者ではなく、遠い辺境の地にいるであろう別の男の影だった。
会話が途切れ、ただ二人の足音が雪を踏む音だけが響いた、その時だった。
「ジョウ様、公務のことでご相談がございますの」
まるで名案を思いついたかのように、カテナの瞳が、その日初めて生き生きとした輝きを放った。その変化のあまりの鮮やかさに、ジョウの心臓が凍り付く。
「辺境の統治改革の参考に、ニア村のモディ・ヌーベル子爵を、王都へ相談役として招聘してはいかがでしょう? あの方の知識と知恵は、必ずや王国の宝となりますわ。それに、そのお人柄も、質実剛健で……」
モディの名を口にする時の、弾んだ声。彼の能力を熱っぽく語るその横顔。その全てが、ジョウにとって残酷な真実を、これ以上ないほど明確に突きつけていた。
彼女の心は、もうここにはない。それはもはや疑念ではなく、目の前に突きつけられた、揺るぎない現実だった。
ジョウは王太子としての完璧な仮面を貼り付け、喉の奥から声を絞り出した。
「……検討、しよう」
それが精一杯だった。胸の中で、大切にしていた硝子の器が、音を立てて砕け散ったのを、彼はただ聞いていることしかできなかった。
◇
その夜、ジョウは執務室で一人、暖炉の火を見つめていた。揺らめく炎は部屋を暖めるどころか、彼の心の内の荒涼とした風景を、壁に映し出す影となって嘲笑っているようだった。
机の上には、ニア村から取り寄せたモディに関する報告書が置かれている。憎々しげに、しかし食い入るようにその文字を追う。
為政者としてのジョウは、モディの能力を正確に、そして高く評価していた。風土病へのアプローチ、人心掌握術、危機管理能力。そのどれもが、これからの王国にとって必要不可欠なものだ。国益を考えれば、カテナの言う通り、彼を三顧の礼をもって迎えるべきなのだ。
しかし、一人の男としてのジョウは、強烈なコンプレックスと憎しみに近い感情に苛まれていた。自分にはない現実的な力でカテナの命を救い、そしてあろうことかその心まで奪い去った男。
「神は……なぜ、彼にその知識を与え、私からは心を奪うのか……」
転生者としての孤独と、不公平な運命への呪いが、静かな執務室に虚しく響いた。自分は王太子という立場を得た。だが、彼女が本当に求めたのは、王冠ではなく、泥臭く現実と戦う知恵だったのだ。
◇
数日後、王宮の謁見の間は、張り詰めた緊張に支配されていた。国王と大臣たちが居並ぶ中、東の帝国からの使者が、傲慢な態度で玉座の前に立っている。その顔に刻まれた古い傷跡が、彼がただの文官ではないことを物語っていた。
「我が偉大なる皇帝陛下は、無益な流血をお望みではない」
使者は芝居がかった口調で言った。
「よって、長年の係争地であるパーム平原の所有権を巡り、古の盟約に従い、ここに『代理決闘』を申し入れる! 帝国の代理人は、武勇でその名を帝国中に轟かす“氷熊”ウラジーミル大公殿下! ナロ王国におかれても、その名誉にふさわしい王族の代理人を立てられるがよろしい!」
宮廷内に激震が走った。大臣たちの間に動揺が広がり、「“氷熊”だと……あの北の反乱を一人で鎮圧したという……」「無謀だ!」と狼狽した囁きが交わされる。これは単なる決闘ではない。王家の権威そのものを問う、外交という名の戦争だった。
その喧騒の中、それまで黙って玉座の隣に控えていたジョウが、静かに一歩前へ出た。
「父上。その代理人、このジョウが務めさせていただきます」
凛とした声が、謁見の間のざわめきを切り裂いた。
謁見の後、国王と二人きりになった玉座の間で、父は息子に静かに問うた。
「……それは、王太子としての義務か。それとも、失恋の痛みを紛らわすための、若者の無謀か」
ジョウは、父の慧眼に一瞬言葉を詰まらせた。だが、彼は逃げなかった。
「始まりは、後者だったやもしれません。ですが」
彼は父王の目を真っ直ぐに見据え、揺るぎない声で続けた。
「ここで勝利し、王国の安寧と、王太子としての威厳を示すことこそが、今の私に残された唯一の道です。……そして、一人の男として、失った誇りを取り戻すための、私自身の戦いです」
愛に絶望した苦悩を、王としての責務へと昇華させようとする息子の姿に、国王は彼の成長を認め、静かに、そして力強く頷いた。
◇
「王太子殿下、パーム平原にて初陣!」
その報は、瞬く間に王都を駆け巡り、騎士団本部を熱気と緊張で満たした。
「我々の出番だな!」「殿下の初陣、我らがお守りせねば!」
騎士たちの声が飛び交う中、マリンが隊長を務める精鋭部隊が、王太子の本隊として同行することが正式に決定された。
その一室で、休暇から戻り鍛錬に明け暮れていたリーンは、静かに愛剣の手入れをしていた。彼女の瞳には、初陣となる親友を守るという強い使命感と、再び訪れる戦場への静かな興奮が、蒼い炎のように宿っていた。
王都の鍛冶場からは昼夜を問わず槌音が響き、市場では兵糧の買い付けが始まる。
それぞれの思いを胸に、運命の地、パーム平原への道が、今まさに開かれようとしていた。
今回は、読んでいて胸が締め付けられるような、「切ない、しかし物語にとって避けて通れない」展開となりました。
王太子ジョウの「心が砕ける」瞬間。彼の孤独と苦悩が、読者の皆さんに伝わっていれば幸いです。
王太子妃カテナの心の行方。彼女の行動が、これからどんな大きな問題を引き起こすのか?
モディ・ヌーベル子爵。彼の存在は、ジョウの運命をどのように変えていくのか?
そして、『代理決闘』!氷熊と呼ばれる規格外の強敵を前に、愛を失ったジョウは、王太子として、そして一人の男として、どんな「力」を見せてくれるのでしょうか?
失意を乗り越え、真の王となるための試練に身を投じたジョウ。彼の初陣となる次章は、間違いなく熱く、激しい展開になります!
次章、運命の地「パーム平原」で、彼の「覚醒」が始まります!
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