第26章 『館の中の蜘蛛の巣』
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前回、モディが仕掛けた「仲間を餌にする」という危険すぎる罠。
敵の暗殺者は「一人」で、己の腕を過信していると分析したモディは、その驕りを利用することを決めます。
ベッドの上では、マリンが妃殿下のふりをして、モディ相手に借金や婚活の世間話に花を咲かせるというコミカルな陽動。
一方、破壊された応接間では、リーンが「愛のワクチン」という名の絶対的な信頼を鎧とし、暗殺者との一対一の勝負を待ち受けます。
そして、闇の中に潜んでいたのは、やはり近衛の裏切り者、オーレ・サイクス。
罠だと知りつつ、彼は孤独な騎士を狩るためにその喉元に刃を突きつけます。
「一秒以内の勝負なら決して負けん!」。モディの言葉を胸に、リーンが命懸けで実行する決死の抱擁とは?そして、恐るべき暗殺者との戦いの行方は――!
「マヌカ、間違いないんだな? 森には一人しかいない、と」
モディは目の前の狩人に静かに問う。狩人は強く頷いた。
「はい、お館様、間違いありません。騎士様と痕跡を調べましたが、間違いなく一人分です。森には一人しかいません……探しますか?」
モディはマヌカからの情報を吟味し、静かに首を振った。
「マヌカ、ありがとう。あとはこちらで何とかする。しばらくは森に近づかないようにしてくれ」
マヌカは頷き、退出の挨拶をすると部屋から出ていった。
出ていくマヌカの後ろ姿を見送った一同は、モディの方を振り返る。
「賊は一人で確定、と見てよろしいですのね?」
代表するようにリーンが確認すると、モディは頷いた。
「ほぼ間違いないだろう。襲ってきたのも、森に隠れているのも、ただ一人だ」
彼は書斎の地図の上に指を滑らせながら、分析を続ける。
「一人で潜入してくるあたり、相当な自信家だ。そして、我々の戦力を侮っているか、あるいは自分の腕に絶対の自信があるかのどちらかだろう。前回、あれだけの立ち回りを見せたことを考えれば、後者と見るべきだ」
「つまり、相手は我々全員を相手にしても勝てると、本気で信じていると?」
シムの冷静な問いに、モディは「ああ」と短く肯定した。
「だからこそ、奴は罠だと分かっていても食いついてくる可能性が高い。己の腕を過信している者ほど、『一対一』という状況を好むからな。特に、相手が自分より格下だと見なしている場合は」
モディの視線が、真っ直ぐにリーンに向けられる。その視線には、作戦の成否を託す者としての、冷徹なまでの信頼が宿っていた。
「作戦の最終確認だ。リーン、君の役目は分かっているな?」
「はい」
リーンは、緊張を悟られまいと背筋を伸ばし、はっきりと答えた。
「破壊されたままの応接間は、罠の存在を隠すのに好都合です。私はそこで奴を待ち伏せ、罠に掛かるのを待ちます」
次の日から作戦は開始された。カテナは安全のため地下の食料貯蔵庫で過ごすことになり、その代わりに、カテナが寝ているはずのベッドには……。
「子爵様……暇なので、何かお話でもしてくださいよ」
ベッドの上でカテナのふりをしているマリンが、あまりの退屈さに、看護のふりをするモディに話しかける。モディは呆れたようにため息を吐いた。
「大人しくしてろ」
「そう言わず、何か世間話でもしましょうよ」
「お前な……はぁ……まあいい。王太子妃らしく、上品に世間話をしてみろ」
「お任せください!」
安請け合いするマリンに(大丈夫だろうか)とモディが顔に出すが、彼女は気にした様子もない。
「面白い話といきなり言われても、思いつきませんわね……王太子妃様は、何かございませんか?」
「そうですね、王太子妃もいきなりでは思いつきません」
「よし、話は終わったな」
モディは頷き、再び警戒態勢に戻ろうとする。
「まあまあ。そうだ、風土病のことですけど、よかったじゃないですか。治療法が見つかって。これでこの村も、もう心配ないんじゃないですか?」
「そんな訳があるか。今回のはたまたま運が良かっただけだ。たまたま、優秀な光属性の術師が二人もいたからな。俺一人じゃどうにもならん」
「まあ、確かに優秀な術師がいたのは間違いありませんけど。なんなら、これからもお手伝いしましょうか?」
モディに心を預けたままのマリンが、気軽に請け負おうとする。
「駄目だ。お前たちは、もうこの件から手を引け。……言い忘れていたが、絶対にこのことは他言するな。王太子妃が治ったのは、怪しげな薬を飲まされ、排泄物と一緒に虫が出てきた、とでも言っておけ」
マリンは不思議そうな表情になった。
「どうしてです? 子爵様はすごいことを成し遂げたのですよ? 王太子妃を助けただけでなく、他の病気で苦しんでいる人たちの助けになるかもしれないのに」
そう、モディが成したのはこの世界にとって画期的な偉業。医療の歴史を変えかねない大発見だ。だが……。
「教会だ。俺だけじゃない。お前とリーンも『異端者』として潰されかねんぞ」
偉業の前に立ちはだかる、あまりにも現実的な障害。そのことを忘れていたマリンは、ハッとした。
「もう一度言っておく。この村での出来事は、王太子以外に話すな。俺のスタンスは変わらない。治療より予防だ。中間宿主もほぼ特定した。本格的な対策には金がかかるが、前進はしている。あと五十年……いや、俺の代で、この病には必ず勝つ」
熱く語るその横顔に宿る確かな自信を見て、マリンは思わず、ため息と熱い視線を向けてしまう。
(洗脳が効きすぎているな……これは少しまずいかもしれん)
モディは内心で舌打ちし、露骨に話を変えることにした。
「ああ、そう言えば、マリンはなぜ騎士団に入ったんだ?」
唐突に話を逸らされたことに、マリンは一瞬きょとんとしたが、すぐにモディの意図を察して悪戯っぽく笑みを浮かべた。彼の不気用な照れ隠しに乗ってあげることにしたらしい。
「私がですか?……そうですねぇ」
マリンはベッドの上で優雅に(あくまでカテナ妃を演じながら)腕を組むと、少し昔を懐かしむような目で天井を見上げた。
「本当につまらない話なんですけど、私の実家も子爵様に負けないくらいの貧乏でして、借金持ちなんですよね。姉二人は借金の形のようなもので、親戚や債権者の貴族に嫁に行きまして。まあ、例に漏れず、私も借金の形として差し出される話があったんです。そのお相手が、私より三十も年上の豪商でしてね。奥様を亡くされたとかで、その後添えに、と」
「それが嫌で、騎士団に?」
「まあ、そうなのですが、姉や母が『それはあんまりだ』と色々口添えしてくれたみたいで。『この子には一人でも食べていける治癒の才があるのだから、騎士団で働いてもらって、その給金で返済してはどうか』という話に落ち着いたのですよ」
「なるほどな。じゃあ、今でも仕送りはしているのか?」
「ええ、おかげで私も万年金欠です」
あっけらかんと笑うマリンに、モディは他人事ながら心配になり、つい余計なことを言ってしまう。
「それで大丈夫なのか。将来はどうするんだ? 嫁ぎ先とかは……」
「あら……ご心配してくださるのですか? それなら、子爵様の正妻にしてくださいよ」
「馬鹿を言うな。……まあ、俺も嫁は探している最中だがな。もし相手が見つからなければ、その時は頼むかもしれん」
「へえ、子爵様も婚活中なんですね。意外です」
「ああ。一応は子爵家の当主だ。子孫を残す義務があるからな」
そうは言うものの、モディの表情は芳しくない。
「うまくいっていないのですか?」
「まあな。親戚筋に色々と話は持ちかけてはいるんだが、全く前に進まなくてな……どうも、俺に関する悪い噂が出回っているらしい」
「へえ、どんな噂です?」
「……曰く、『ヌーベル子爵は邪悪な闇の術師で、動物を切り刻む残酷な趣味があり、それだけでは飽き足らず、陰で人も切り刻んでいる。あんな土地に娘を嫁にやったら、ただでは済まない』……といった感じだ」
「うーん……それって、ほとんど本当のことでは?」
モディは深いため息をついた。
「まあな。だから、余計にたちが悪いんだ……」
不意に、モディの表情から雑談の気配が消え、鋭い光が宿る。彼は無言で立ち上がると、音もなく窓辺に寄り、外の闇に意識を集中させた。
そのただならぬ気配に、マリンもまたベッドの上で身じろぎ一つせず、息を殺す。
風の音。木の葉の擦れる音。遠くで鳴く夜鳥の声。その、ありふれた夜の音の中に、一つだけ、あってはならない異物が混じり込んでいるのを、モディの研ぎ澄まされた感覚が捉えていた。
「……来たな」
静かな呟きが、罠の起動を告げた。
◇
同時刻、館の一階、破壊された応接間。
リーンは、瓦礫の山と化した部屋の中央で、静かに目を閉じていた。月明かりが、破壊された壁の穴から差し込み、無残に砕けた調度品の破片を銀色に照らし出している。その光景は、まるで古い戦場の遺跡のようだった。
恐怖がないと言えば、嘘になる。
だが、不思議と孤独は感じなかった。モディに施された奇妙な「誓約」が、まるで分厚い見えない鎧のように、彼女の心を恐怖から守っていた。背後には必ず仲間がいる。その絶対的な信頼が、彼女をただの囮ではなく、敵を狩るための刃へと変えていた。
ソファに一人座り、瞑想しているかのように静かに待つリーンの喉元に、突如として冷たい刃が押し当てられた。
「騒ぐな」
静かで、それでいてなぜか聞き覚えのある声。暗殺者は、いつの間にかリーンの背後に立っていた。
リーンがごくりと唾を飲み込む間に、暗殺者は音もなく前に回り込む。短剣を喉に突き当てたまま、優しい声色で囁いた。
「リーン・バルガス、休憩中かな? こんなになるまで酷使するとは、ヌーベル子爵も酷い男だ……」
そこまで言いかけた時、暗殺者はリーンの瞳に宿る光に違和感を覚えたのだろう。ほんの一瞬、その動きが止まる。
「――今です!」
リーンの叫びが、罠の発動を告げた。
暗殺者の戸惑いは一瞬。リーンの叫びに対し、喉に当てた短剣を真横に引くことで答えた。だが――。
己の肉体を鋼へと変えたリーンの喉は短剣を弾き返し、そして――!
瓦礫に紛れて仕掛けられていた頑丈な網が、リーンもろとも暗殺者を飲み込んだ。
網から逃れることもできず、二人はもつれ合い、一つの塊となる。
その瞬間、寝室からモディとマリンが、隣室からシムが飛び出してきた。
(奴には一秒たりとも反撃の時間を与えるな。一秒以上与えればお前が死ぬ。だが、一秒以内の勝負なら決して負けん!)
リーンは、モディの言葉を頭の中で反芻していた。
計画通り。
リーンは暗殺者と共に網に絡め取られるその瞬間、自ら相手に抱きつき、全身の力を込めて締め上げた。肉体を鋼と化けさせた彼女の膂力は、鎧ごとその内側にある骨を粉砕するのに十分だった。
「ガァアアアアッ!」
獣のような呻き声と、瓦礫が崩れる音が響き渡り、やがて静寂が訪れた。
「リーン、終わったか?」
モディの問いかけに、網の中でもがくリーンが荒い息を吐く。
「……はい、終わりました」
ほっと息をついた三人はリーンに駆け寄り、もつれた網を解いていく。
自分が粉砕した暗殺者の顔を見たリーンは、驚きつつも顔を歪めた。
「オーレ・サイクス……彼だったのね」
こうして、恐るべき暗殺者との戦いは終わった。
その頃、王都でも、もう一つの戦いが決着を迎えようとしていた。
完璧な連携と、もう一つの戦い
今回は、モディ、リーン、シム、マリンによる完璧な連携と頭脳戦で、最大の脅威であった暗殺者オーレ・サイクスを仕留めることができました!
モディの冷徹な分析(敵の驕りの予測)。
マリンの堂々とした陽動(まさか彼女が替え玉とは誰も思うまい)。
そして、何よりリーンの圧倒的な勇気と「鋼の肉体」。彼女が暗殺者を網の中で締め上げた瞬間は、熱い見せ場でしたね!
闇の暗殺者との戦いはこれで決着となりましたが、物語はすぐに王都のもう一つの戦いへと視点が切り替わります。
ヘクト団長とジョウ王太子が主導する、近衛内部の裏切り者捜しと政治的な駆け引き。このニア村での情報と、捕らえられたオーレ・サイクスという**「最大の証拠」が、王都の政争にどのような鉄槌**を下すのか。
次回、「王都の戦いの終結」。王太子ジョウの報復にご期待ください!
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