第19章『命の天秤
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前話で下された命を賭けた決断が、ついに実行されます。
モディは、一夜にして小屋を野戦病院へと変貌させ、容赦のない特訓でリーンを**「命を繋ぐ点滴」へと変えていきます。
しかし、時間はありませんでした。衰弱しきったカテナの命の灯火が消えかかる中、モディ、リーン、マリンの三人は、それぞれが持つ知識、生命力、魔力を一点に集中させ、前人未踏の外科手術**へと挑みます。
メスが肌を切り裂き、命が急速に滑り落ちていく最大の危機。
親友を救うため、リーンは自らの生命を削り、禁断の奔流をカテナへと注ぎ込みます。
手術は成功するのか?そして、命の元凶である寄生虫は摘出されるのか?
命の極限で繰り広げられる、三人の戦いをご覧ください。
モディの研究小屋は、一夜にして野戦病院の中核のような緊張感に満ちた空間へと変貌していた。薬草や標本の瓶は隅に押しやられ、床は何度も水拭きされて清められた。中央の診察台の周りでは大鍋で湯が沸かされ、モディが選び抜いたメスや鉗子などの金属器具が、ぐつぐつと煮沸消毒されている。
「違う、力を押し付けるな!流れを感じろ!」
小屋の外では、モディの怒声にも似た鋭い声が飛んでいた。リーンの額には玉の汗が浮かび、その両手は、身代わりにされた一匹の子豚の体に置かれている。
「相手の生命力を感じろ。それは蝋燭の炎だ。君の役目は、風が吹いても消えぬよう、ただ静かに寄り添うことだ。薪をくべるな!炎が大きすぎれば、蝋燭そのものが溶け落ちるぞ!」
手術の成功は、リーンの生命力供給が安定して行えるかに懸かっている。モディは容赦ない指導者となり、リーンは疲労困憊になりながらも、親友を救いたい一心で必死に食らいついていた。最初は荒々しい奔流のようだった彼女の魔力は、数時間の訓練の末、か細く、しかし途切れない一条の光の糸へと姿を変えつつあった。
その時だった。シムが血相を変えて小屋から飛び出してきた。
「モディ!妃殿下の呼吸が浅くなっている!脈も弱く…!」
モディは即座に決断を下した。その瞳に迷いはなかった。
「もう時間がない。今夜、決行する」
小屋に運び込まれたカテナは、もはやリーンの呼びかけにもほとんど反応を示さなかった。そのか細い命の灯火を前に、モディ、リーン、そしてマリンの三人は、無言のまま最後の覚悟を決めた。
◇
小屋の中は、十数個のランタンが放つ白い光と、アルコール分の強い酒の匂いで満たされていた。
手術台に横たわるカテナの頭の横に、リーンは静かに立つ。その両手を、汗で湿る親友のこめかみにそっと置いた。
(カテナ……聞こえる?)
心の中で呼びかける。繋がった魔力を通して、カテナの命が嵐の中の小さな灯火のように、激しく揺らいでいるのを感じる。リーンは訓練の成果を全て注ぎ込み、自らの生命力を、細く、しかし安定した光の糸としてカテナへと送り込み始めた。
その様子を横目で確認したモディが、研ぎ澄まされたメスを手に取る。その瞳には、もはや普段の皮肉めいた光はなく、ただ一点、これから切り開くべき腹部だけを捉えていた。
「――執刀を開始する」
モディの静かな宣告と共に、メスがカテナの白い肌を一直線に切り裂いた。滲み出る血を、間髪入れずにマリンが回復魔法の淡い光で包み込み、止血する。
手術は、三人の究極の連携作業となった。モディが切り進め、マリンが кровотечение (кровотечение) を抑え、そしてリーンが消え入りそうな命を繋ぎ止める。ランタンの光の下、三人は一心不乱に、それぞれの役割を命懸けで果たしていた。一人のミスも許されない、神聖で、そして血生臭い儀式だった。
◇
手術は中盤に差し掛かり、モディのメスはついに深部の患部――肝臓へと到達した。
「……いたぞ」
臓器の影に潜む、病の元凶。だが、モディがそれを慎重に剥離しようとした、その瞬間だった。
「!」
繋がっていたカテナの生命力が、突如として急速に失われていくのを、リーンは肌で感じた。守っていたはずの灯火が、風もないのにふっと消えかかっている。
「モディ、危険だわ!このままでは心臓が!」
マリンの悲鳴のような声が響く。計器などなくとも、彼女もまた術者としてカテナの命が滑り落ちていくのを察知したのだ。
「くっ…!待って、カテナ…!行かないで!」
リーンは絶叫と共に、自らの限界を超えた量の生命力をカテナに注ぎ込んだ。制御された光の糸は、荒々しい奔流と化す。凄まじい魔力の放出に、リーンの鼻からツー、と赤い血が流れ落ち、目の前が真っ白になるほどの負荷が全身を襲った。自分の命が削られていく感覚。だが、彼女は歯を食いしばり、決して手を離さなかった。
その決死の行動が、カテナの命を死の淵から引き戻した。生命力が一時的に安定したその一瞬の隙を、モディは見逃さなかった。
「……いたぞ!」
モディは震える指先で、臓器の影で蠢いていた元凶――二匹の蛭のような醜い寄生虫――を慎重に、しかし素早く摘出した。
◇
元凶が取り除かれた瞬間、小屋を支配していた極度の緊張が、張り詰めた糸が切れるようにわずかに緩んだ。
「……あとは頼む、マリン」
「ええ…!」
マリンが、大きく切り開かれた傷口を塞ぐため、本格的な回復魔法の詠唱に入る。ここからは彼女の専門領域だ。淡く、しかし力強い光が傷口を包み込み、裂かれた組織がゆっくりと再生を始める。
その光景を見届けたモディが、消耗しきったリーンに告げた。
「……もういい、リーン。手を離せ」
その言葉が、リーンの張り詰めていた意識を現実へと引き戻した。カテナから手を離した瞬間、蓄積した全ての疲労と魔力の反動が津波のように彼女を襲う。視界が暗転し、膝から力が抜けた。
しかし、床に崩れ落ちる寸前、背後から滑り込んできた力強い腕が、彼女の体を確かに抱きとめた。いつの間にか小屋の入口で控えていたシムだった。
モディは額の汗を無造作に拭うと、摘出した寄生虫が蠢く瓶をランタンの光にかざしながら、疲労しきった声で呟いた。
「……第一段階は、終わりだ」
手術は成功した。だが、カテナが再びその目を開けるかどうかは、まだ誰にも分からなかった。
血と汗にまみれた三人の「執刀医」は、静かに眠り続けるカテナを前に、ただ立ち尽くすことしかできなかった。
命の灯火、そして術後の戦い
今回は、命を削るような壮絶な手術の様子が描かれました。
モディの冷徹な知識と技術、マリンの的確な治癒魔法、そして何よりリーンの全身全霊を懸けた生命力供給が、カテナの命を死の淵から引き戻しました。特に、鼻血を流しながら魔力を送り続けたリーンの決死の覚悟は、まさに親友愛の結晶でしたね。
これで寄生虫の摘出という第一段階は成功です。
しかし、物語はまだ終わりません。
瀕死の状態から奇跡的に手術を乗り越えたカテナの命は、依然として風前の灯です。ここからは、外科医モディが内科医・看護師へと役割を変え、感染症や術後の体力回復という新たな、そして見過ごされがちな戦いに挑むことになります。
モディの現代医学の知識は、この世界に術後管理という概念をもたらすことができるのでしょうか?
そして、命を懸けたリーンと、その身を案じるシムやマリンたちとの間に、新たな絆は生まれるのか?
緊迫の術後編に、どうぞご期待ください!
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次回もどうぞお楽しみに!




