第18章『最後の賭け』
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ニア村に到着したリーン一行が目の当たりにした、衰弱しきった王太子妃カテナの姿。モディは、その症状が自らが長年研究してきた風土病の末期であることを断定します。
そして、彼が提示した唯一の治療法――それは、腹部を切り開き、寄生虫を摘出するという、この世界では**「神への冒涜」**と見なされる外科手術でした。
侍医や護衛騎士たちが激しく抵抗する中、指揮官リーンが下した決断は、モディの狂気の提案に乗るという、命を懸けた賭けでした。
しかし、手術にはカテナの体力が耐えられないという新たな問題が浮上します。モディがリーンに託した**「命を繋ぐ点滴」**という、究極の役割とは?
カテナの命とリーンの魔力、二人の命運を賭けた辺境の治療が、今、始まります。
カテナの衰弱しきった姿を目の当たりにし、モディの表情から皮肉や戸惑いの色が完全に消え失せた。彼の瞳に宿ったのは、長年追い求めてきた研究対象と対峙した研究者の冷徹さと、人の命を預かる医師のような厳しい覚悟だった。
彼は一瞬もためらうことなく、鋭く短い命令を下した。
「彼女を中へ。私の仕事場だ」
モディが指し示したのは、館の隣に立つ、薬草と何かの防腐処理の匂いが混じり合ったような、不気味な雰囲気の小屋だった。
「なっ……!」
護衛騎士の隊長格の男が、侮辱されたかのように声を荒らげる。
「妃殿下をそのような得体の知れない建物にだと!?無礼であろう!」
「我々の宿営地へお連れし、侍医の管理下におくのが筋だ!」
騎士たちがモディとリーンの間に立ちはだかり、敵意を露わにする。彼らにとって、王太子妃を埃っぽい辺境の小屋に入れることなど、到底受け入れられることではなかった。
だが、リーンの決意は固まっていた。
「彼の指示に従え!」
指揮官としての一喝が、騎士たちの抵抗を沈黙させる。
「王都の侍医に何ができた!?我々は最後の望みを頼りに、ここまで来たのだ!彼のやり方に口を出すな!」
リーンの鬼気迫る表情に気圧され、騎士たちは不満を飲み込み、道を譲った。カテナは意識が朦朧とする中、数人の騎士の手で慎重に小屋の中にある無骨な木製の診察台へと運ばれる。
小屋の中は、薬草や鉱物、そして壁一面に並べられた動物の臓器らしき標本が入った瓶で埋め尽くされていた。異様な光景に騎士たちが息を呑む中、モディは完全に自分の世界に入っていた。
「いつから腹部の膨張が始まった?」「痺れは末端からか、それとも中枢からか?」
彼はもはやぶっきらぼうな少年ではない。リーンやマリンに矢継ぎ早に質問を浴びせ、その答えを冷静に分析していく。そして、カテナの腹部を慎重に触診する。その手つきは専門の医師のように的確で、先ほどまで敵意を剥き出しにしていた騎士たちも、ただ圧倒されるばかりだった。
長い沈黙の後、モディは静かに、しかし断定的に告げた。
「間違いない。この村の風土病だ。原因は肝臓に巣食う寄生虫……おそらくは雌雄一対で、臓器を蝕んでいる」
その言葉は、一行が抱いていた最後の希望であると同時に、最悪の現実を突きつける宣告でもあった。
◇
「……放置すれば、体力は徐々に奪われ、腹水が溜まり、いずれ多臓器不全に陥る。長くとも、2、3年といったところだろう」
モディが語る病の末路に、一行の間に絶望が広がった。王都の医師たちが匙を投げた病の正体が判明したところで、待つのが緩やかな死だけというのでは、何のためにここまで来たのか分からない。
しかし、モディは続けた。
「だが、助かる道は一つだけある」
全員の視線が彼に集中する。
「腹部を切り開き、肝臓から直接、寄生虫を摘出する」
「な……!?」
その場にいた誰もが耳を疑った。同行していた王家の侍医が、血相を変えて叫ぶ。
「正気か!それは治療ではない、ただの解体だ!人体に刃物を入れるなど、神への冒涜に等しい!」
「そうだ!妃殿下のお体を切り刻むなど、万死に値するぞ!」
護衛騎士たちが再び剣に手をかけ、小屋の中は一触即発の事態に陥った。彼らにとって外科手術という概念は未知であり、それは神の領域を侵す蛮行に等しかったのだ。
◇
「バルガス卿、ご命令を!この者を捕縛し、王都へ連行いたします!」
騎士の鋭い声が飛ぶ。全員の視線が、指揮官であるリーンへと注がれた。
リーンの心は激しく揺れていた。騎士として、貴族として、常識的に考えればモディの提案は狂気の沙汰だ。だが、王都最高の医師たちが匙を投げたという現実。目の前で刻一刻と命の火が消えかかっている親友の姿。そして何より、この少年領主だけが持つ、揺るぎない確信。
モディは、激昂する騎士たちを意にも介さず、ただ静かにリーンを見つめていた。反論も、説得もしない。
「何もしなければ、彼女は確実に死ぬ。この賭けに乗れば、九死に一生を得るかもしれん。……選ぶのは、指揮官である君だ」
その言葉が、リーンの迷いを断ち切った。彼女は、苦しげに浅い呼吸を繰り返すカテナの顔を見た後、覚悟を決めた。
リーンはゆっくりと騎士たちの前に進み出ると、モディを守るように立ちはだかる。
「剣を収めよ」
凛とした、しかし誰も逆らうことのできない威厳のこもった声だった。
「王都では、我々は専門家に従い、そして絶望だけを得た。……ここでは、このただ一人の答えを持つ者に従う。私は、ヌーベル子爵の治療法にすべてを懸ける。これは、王太子殿下より全権を託された指揮官としての、最終決定だ」
騎士たちは驚き、戸惑いながらも、指揮官の揺るぎない決意の前に、不承不承剣を収めた。
◇
場の緊張が解けた後、モディは手術の具体的な危険性を説明し始めた。
「だが、問題がある」
一行の間に走った安堵の空気を、モディの冷徹な声が再び凍りつかせた。
「今の妃殿下の体力では、手術の負荷に耐えられない。腹を開いた瞬間にショック状態に陥り、摘出を終える前に、生命力が尽きて心臓が止まるだろう」
再び絶望が一行を包む。治療法はあっても、実行できないというのか。
しかし、モディはまっすぐにリーンを見据えていた。
「一つだけ、方法がある。……リーン・バルガス、君は光属性の魔法使いだな?」
唐突な問いに、リーンは戸惑いながらも頷く。
「手術中、君にはカテナに触れ続けてもらう。そして、君自身の生命力、つまり光の魔力を、絶え間なく彼女に注ぎ込み続けるんだ」
モディの言葉に、マリンが息を呑んだ。
「まさか……!そんなことをすれば、術者もただでは……!」
「その通りだ」とモディは肯定する。「君が、手術中のカテナの命を繋ぐ『点滴』になるんだ。少しでも気を抜けば、カテナも、そして魔力供給の反動で君も危うい。まさに、命懸けの役目だ」
それは、他ならぬリーン自身も命を懸けることを意味していた。指揮官として決断を下しただけでなく、術者の一人として、親友の命運をその身で背負うことになる。
だが、リーンの心にためらいは一欠片もなかった。
「私がやる」
力強い、即答だった。絶望の淵で何もできなかった自分が、今、カテナを救うための唯一無二の役割を与えられたのだ。
「カテナは、私が守る」
その決意に満ちた瞳を見て、モディは静かに頷いた。
「よし。……準備を始めるぞ」
命を賭けた点滴、そして手術の準備
今回は、モディの覚悟とリーンの決意が交錯する、非常に密度の濃い展開でした。
モディの「特別な知識」(前世の外科医療の概念)が、ついにこの世界で死線を分かつ武器として使われようとしています。騎士たちからすれば、それは野蛮な行為でしかありませんが、リーンは親友を救うため、その狂気を受け入れました。
そして、モディが提示した**「光の魔力による生命力供給」。これは、リーン自身もまた、術者として命を懸けることを意味します。絶望の中で何もできなかった彼女が、今、親友を救う唯一無二の役割**を与えられ、その瞳に宿った決意は感動的でした。
次話では、いよいよ**「外科手術」**の準備が描かれます。麻酔のない世界で、モディがどうやって手術を成功させるのか? 助手のいない状況で、リーンとシム、そして混乱した騎士たちをどう統率するのか?
**「神への冒涜」と「救国の奇跡」**が交錯する、緊迫の手術編に、どうぞご期待ください!
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次回もどうぞお楽しみに!




