第17章『命を繋ぐ道』
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王太子ジョウの最後の願いを託され、王太子妃カテナの命を預かったリーン。彼女の戦いは、夜の闇に紛れた王都の裏門から始まりました。
カテナを救う唯一の望みであるニア村へ、わずか十日間で到達するという過酷なミッション。旅の途中で容態が急変し、部隊の意見が割れる絶望的な状況に直面します。
そして迎えたニア村。疲労困憊の末にたどり着いたリーンがモディに突きつけたのは、病に臥せるカテナの現実でした。
「偶然」と「使命」の議論を拒んだモディの前に、彼の持つ「特別な知識」を必要とする王国の運命が、最も残酷な形で現れます。
全てを悟ったモディの瞳に宿った、驚愕と、そして医師のような覚悟の色とは――。
夜明け前の王都は、深い静寂に包まれていた。人々の寝息だけが聞こえる中、王宮の物々しい表門ではなく、人目につかない裏門が静かに開かれる。
そこには、一台の馬車が停まっていた。王家の紋章は巧みに布で覆い隠されている。内装はカテナの体を極力揺らさぬよう分厚いクッションが敷き詰められているが、その車体と車輪は長距離の高速移動に耐えうる頑健な作りだった。選りすぐりの護衛騎士たちが、息を殺して馬上で待機している。
出立の直前、やつれた顔のジョウが闇の中から姿を現した。彼は馬車の中の衰弱したカテナの手を握り、愛おしむようにその甲に口づける。眠っているのか、それとも意識が朦朧としているのか、カテナからの反応はない。
ジョウは馬車から下りると、任務の総指揮官であるリーンの前に立った。その瞳には、王太子としての威厳ではなく、一人の男としての懇願が浮かんでいた。
「リーン……カテナを、頼む」
絞り出すような声だった。
リーンはその重い言葉を真正面から受け止め、力強く頷いた。
「必ず、カテナを救い出す。この騎士の名誉にかけて」
短い言葉だけを交わし、ジョウは後方へと下がる。リーンは馬上に跨り、前方を鋭く見据えた。
「――出立する!」
静かだが、凛とした声が闇に響く。車輪がゆっくりと軋み、一行は夜の闇に紛れるように、静かに王都を滑り出した。
カテナの命を繋ぐための、時間との戦いが始まった。
旅は過酷を極めた。
あらかじめ街道沿いの宿場町には手配がなされ、消耗した馬を休む間もなく交換しながら一行は西へ、西へと突き進む。しかし、王都を離れるほどに道は悪くなり、馬車の揺れが容赦なくカテナの体力を奪っていった。
「妃殿下のご容態は!?」
「今も熱が下がりません!時折、苦しげに呻かれています!」
馬車の窓から叫ぶ侍女の声に、リーンは何度も唇を噛んだ。
指揮官として、眠る間も惜しんで彼女は指示を出し続けた。地図とにらめっこし、最短のルートを模索する。護衛騎士たちの疲労と、馬の状態を常に把握し、限界ギリギリの速度を維持する。親友を救いたい一心と、十数名の部隊を率いる責任の重圧が、休むことなく彼女の精神を削り取っていた。
ニア村まで、あと半分という地点を過ぎた日のことだった。
カテナの容態が急変した。
「リーン様!妃殿下が…!ひどい高熱です!腹部の痛みを訴え、意識が……!」
馬車を止めさせ、中に飛び込むと、そこには高熱で顔を真っ赤にし、荒い呼吸を繰り返しながら何事か呻くカテナの姿があった。その目は虚ろで、リーンの呼びかけにも反応しない。
「カテナ!しっかりしろ、カテナ!」
呼びかけても、返ってくるのは苦痛に満ちた呻き声だけだった。
「指揮官殿!」
歴戦の騎士が、厳しい表情でリーンに進言する。
「このままでは妃殿下のお体が持ちません。一度、近くの街で休息すべきです!」
「何を言う!一刻も早くニア村へ到着せねば、全てが無駄になる!」
別の若い騎士が、焦燥に駆られて反論する。部隊の意見が二つに割れた。
リーンは数秒間、意識の混濁するカテナの顔を見つめ、そして、覚悟を決めた。
「……ここで止まる。馬車を街道から外し、森陰で野営の準備を」
「しかし!」
「ここで数時間休んでも、根本的な治療にはならない。だが、このまま馬車を動かせば、ニア村に着く前にカテナの命が尽きる!……これは指揮官命令だ」
有無を言わさぬリーンの言葉に、騎士たちは黙って従った。彼女はこれが賭けであることを理解していた。ここで失う数時間が、命取りになるかもしれない。だが、今は目の前の命を繋ぐことだけを考えなければならなかった。マリンが回復魔法を、侍女たちが懸命の看病を続ける中、リーンはただ、親友の名を呼びながらその手を握りしめることしかできなかった。
幸いにも、数時間の休息とマリンの尽力でカテナの熱はわずかに下がり、意識も多少はっきりした。一行は再び、死に物狂いの速度でニア村を目指した。
そして、出立から十日目の昼過ぎ。
王都とは全く違う、素朴で静かな山村の風景が一行の目に飛び込んできた。
「……ニア村に、到着した」
誰かが呟いたその言葉に、疲労困憊の一行の間に、安堵とも緊張ともつかない空気が流れた。
◇
モディはいつものように、書斎で風土病に関する資料の整理をしていた。彼が築き上げた穏やかな日常は、館の外から聞こえてきた突然の騒がしさによって破られた。
「お館様!王都から騎士様の一団が!」「王家の紋章を掲げた馬車が!」
村人の慌ただしい声に、モディは眉をひそめる。あの王太子たちが、また何か用だろうか。面倒だ、と舌打ちしたい気持ちを抑え、彼は重い腰を上げた。
困惑しながら館の外に出たモディが見たのは、想像を絶する光景だった。
王家の紋章を掲げた泥まみれの馬車。その周りを固めるのは、長い旅路で汚れきった鎧を纏い、誰もが疲労と焦りの色を浮かべた騎士たち。
その中心で、一人の騎士が馬から転がり落ちるように降り立つ。兜を取り、乱れた金髪を振り乱しながら、彼女はモディの前に立ち塞がった。
「ヌーベル子爵!急を要する!どうか力を貸してほしい!」
鬼気迫る様子のリーンだった。
モディは突然の来訪と、あまりの剣幕に一瞬言葉を失ったが、すぐに冷静さを取り戻す。
「何の騒ぎだ。王都の揉め事をこんな辺境に持ち込むな。私には関係ない」
冷たく突き放そうとした、その時だった。
マリンがリーンの隣に進み出て、早口に説明を始めた。
「子爵様、急な訪問、非礼は承知の上です!ですが、どうか聞いてください!今、王太子妃殿下が原因不明の病に伏せられています!その症状が……腹部が異様に膨らみ、手足が痺れるという……!」
マリンの言葉に、モディの表情が僅かに変わる。
「……それは、あなたが数年前に私に語ってくださった、この村の風土病の症状と、あまりに似ています!」
モディは黙り込んだまま、険しい顔でマリンを見つめている。まだ懐疑的な彼に対し、リーンが叫んだ。
「自分の目で確かめろ!」
リーンの鋭い声に応じ、騎士が馬車の扉を開け放つ。
そこに横たわっていたのは、青白い顔で浅い呼吸を繰り返し、掛け布の上からでも分かるほど異様に腹部が膨らんだカテナの姿だった。
その姿を見た瞬間、モディの表情から皮肉や戸惑いが完全に消え失せた。
それは、彼が何年も書物の中で追い、何人もの領民の命を奪うのを見届けてきた、忌まわしき病の紛れもない末期症状だった。
彼の静かな研究と日常が、王国の運命と否応なく交錯した瞬間、モディの顔は驚愕と、そして医師のような厳しい覚悟の色に染まっていた。
彼の日常と、彼女の命
リーン一行の命懸けの極秘移送は、まさに時間との壮絶な戦いでした。十日間の激走の末、ついにモディの元へカテナを届けたリーンの奮闘には、頭が下がるばかりです。
しかし、戦いはここからが本番です。
皮肉にも、モディが何年も研究し続けてきた忌まわしき風土病の末期症状が、王太子妃の腹部に現れてしまいました。自分の静かな日常を守ろうとしたモディの願いは、カテナの姿を目にした瞬間、粉々に打ち砕かれたと言えるでしょう。
「自分の村の病気」が「王国の命運」と直結した今、モディは**「関わらない」という選択肢を失いました。彼が持つ知識は、二度目の人生の最大の武器であると同時に、彼自身の静かな日常を壊す最大の呪い**となってしまったのです。
次話では、いよいよ治療開始に向けたモディの決断と条件提示、そして辺境の村での王太子妃の命を救うための戦いが描かれます。
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次回もどうぞお楽しみに!




