第16章『王都の絶望、北からの光』
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前回、カテナが感じた微かな違和感は、時と共に明確な**「原因不明の重病」**となり、王国最高の医師たちでさえ手も足も出せない状況に陥ります。
北の戦場から帰還したリーンは、衰弱した親友の姿に絶望を覚えますが、上官マリンの記憶から、カテナの症状がかつてモディが語ったニア村の**「風土病」**と一致するという衝撃の事実に辿り着きます。
全ての希望を失った王太子ジョウが下した最後の決断は、リーンへの極秘王命。「カテナをニア村へ移送し、モディに治療を求めよ」。
モディが頑なに拒んだ「使命」と「運命」は、皮肉にも最悪の形で彼の元へ舞い戻ります。
王太子妃の命を預かり、辺境の村へと再び向かうリーンの戦いが始まります。
春の茶会でカテナが感じた微かな違和感は、夏の熱気と共に、その輪郭をじわりと濃くしていった。秋風が王宮の庭園を金色に染める頃には、それはもはや気のせいでは済まされない、明確な「症状」として彼女の日常を蝕み始めていた。
腹部の奇妙な膨張が、日に日に増していく。懐妊とは明らかに違う、病的な張り。そして、手足の末端を襲う痺れは頻度を増し、時にはティーカップを取り落とし、床に甲高い音を立てて砕け散ることもあった。原因不明の倦怠感と微熱が、彼女から快活な表情を奪っていく。
「妃殿下、本日の謁見はご無理なさらずとも……」
「いいえ、大丈夫です。これくらい、なんともありませんわ」
カテナは気丈に振る舞い、王太子妃としての務めを果たそうとしたが、公務を休む日は徐々に増えていった。ジョウや侍女たちは、日に日に衰えていく彼女の姿に、口には出せない強い不安を募らせていた。
王国中から最高峰と謳われる医師や回復術師が次々と王宮に召集された。彼らはカテナの体を診ては首を傾げ、古い文献をめくり、難解な言葉で議論を交わした。
「瘴気あたりとは考えにくい。体内の熱と水の均衡が崩れているのか……」
「希少な呪詛の類やもしれぬ。神殿に浄化の儀を……」
あらゆる薬や治療法が試されたが、そのどれもが効果なく、カテナの病状はゆっくりと、しかし着実に悪化の一途をたどるばかりだった。王宮を包む祝賀の雰囲気は、いつしか重苦しい沈黙へと変わっていた。
◇
北の国境地帯では、帝国との緊張が続いていた。リーンは一連の任務を成功させ、部隊と共に王都への帰路についている。厳しい環境は彼女を騎士として一回りも二回りも大きく成長させ、その瞳には確かな自信が宿っていた。
「ようやく王都だな。カテナやジョウに土産話がたくさんできた」
馬上で息を白くさせながら、リーンは楽しげに独りごちた。その時だった。地平線の彼方から、一騎の伝令が土煙を上げて駆けてくるのが見えた。王家の紋章を掲げたその騎馬は、明らかに異常な速度だった。
伝令はリーンの前で馬から転がり落ちるように下りると、息も絶え絶えに一枚の羊皮紙を差し出した。
「バルガス卿……!王家からの、緊急勅令にございます……!」
リーンが受け取った書状には、簡潔かつ衝撃的な内容が記されていた。
――王太子妃殿下、原因不明の重篤な病に伏せり。
――バルガス卿は、部隊を離れ単騎にて、最速で王都へ帰還せよ。
「カテナが……重篤な病……?」
一瞬、書状の意味が理解できなかった。数ヶ月前に手紙を交わした時、彼女は幸せそうに近況を綴っていたはずだ。リーンの血の気が引いていく。
「……道をあけろ!」
短い叫びと共に、リーンは馬の腹を強く蹴った。部隊の仲間たちの驚く声を背に、彼女はただ一点、王都を目指してひた走った。親友の危機を知らせる報せが、彼女の心を焦燥で焼き尽くしていた。
◇
数日後、ほとんど不眠不休で駆け通したリーンは、王城の一室で親友と再会した。
「カテナ……!」
そこにいたのは、リーンの記憶にある快活な友人ではなかった。血の気を失った顔でベッドに横たわり、弱々しく微笑むカテナ。そして何より、掛け布団の上からでも分かる腹部の異様な膨らみが、リーンの目に突き刺さった。
「リーン……来てくれたのね。ごめんなさい、こんな姿で……」
「馬鹿なこと言わないで!一体、何があったの……?」
駆け寄ってカテナの手を取るが、その手は力なく、そして驚くほど冷たかった。長く話す体力もないのか、カテナは手足の痺れと腹部の鈍い痛みを途切れ途切れに訴えるだけだった。
部屋の隅には、憔悴しきったジョウが立っていた。目の下には深い隈が刻まれている。
「リーン、来てくれたか……」
「ジョウ、これは……!医師たちはなんて言ってるの?」
問いかけるリーンに、ジョウは力なく首を振った。
「……医師たちは、もう匙を投げた。あらゆる手を尽くしたが、病名すら分からん、と。あとは、神に祈ることしかできない、と……」
その言葉は、リーンの胸にわずかに残っていた希望を打ち砕いた。王国最高の医療をもってしても、何もできない。自分も、ただ親友が衰弱していくのを見ていることしかできない。圧倒的な無力感が、彼女の全身を苛んだ。
◇
その夜、カテナの寝室前の控えの間で、リーンは一人、膝を抱えていた。
どうすればカテナを救えるのか。答えの出ない問いが頭の中をぐるぐると回り、眠気は全く訪れなかった。
その時、静かに扉が開き、上官であるマリンが顔を覗かせた。
「リーン、やっぱりここにいたのね。……辛いでしょうけど、少しは休み なさい」
「隊長……。私、何もできなくて……。カテナが、どんどん弱っていくのに……」
マリンはリーンの隣に静かに腰を下ろし、その肩を優しく抱いた。
「……王太子妃様の、具体的な症状は?」
「お腹が……まるで身ごもっているかのように膨らんで、でも懐妊じゃないって。それに、手足が痺れて感覚が鈍くなっていくって……。医師たちも、こんな病気は見たことがないって……」
涙ながらに語るリーンの言葉を、マリンは黙って聞いていた。だが、その言葉が、彼女の脳裏にある記憶の扉を激しく叩いた。
――『手足が痩せ細り、腹だけがポッコリと膨らむ』
――『原因は寄生虫だ』
数年前のニア村。シドベアーとの死闘の後、モディが語っていた村の風土病。その症状……カテナの症状と、完全に一致する。
「……!」
マリンの表情が凍り付いた。まさか。そんなことがありえるのか。しかし、偶然にしては符合しすぎている。
彼女はハッとして、リーンの肩を強く掴んだ。
「リーン……!その病気、聞いたことがある!ニア村で……子爵様から!」
絶望の淵にいたリーンは、その言葉に弾かれたように顔を上げた。
「子爵が……?」
二人はすぐさまジョウの元へ駆け込んだ。玉座の間で一人佇んでいたジョウに、マリンは息を切らしながら全てを話した。ニア村の風土病のこと、モディが原因を寄生虫だと突き止めていたこと。
突飛な話だった。しかし、王都の誰もが解明できなかった病の正体を、辺境の子爵が知っている。症状の一致が、偶然とは思えなかった。
全ての望みを失っていたジョウの瞳に、再び光が宿る。彼は、この最後の蜘蛛の糸に全てを懸けることを決断した。だが、彼の顔には新たな苦悩が浮かぶ。
「……そうか、答えはあの村に。だが、王太子である私は、この不確かな情報だけで王都を長期間離れることは許されない……」
自らの立場の不自由さに、ジョウは唇を噛む。そして、彼は傍らに立つリーンに、王命を託すことを決意した。
「リーン」
静かだが、強い意志のこもった声だった。
「カテナの親友であり、王国騎士であるお前にしか頼めない。王家の名において、カテナをニア村へ移送し、治療法を見つけ出す任務を命じる」
絶望の中にいたリーンは、親友を救うという明確な使命を与えられ、その瞳に決意の炎を燃やす。もはや彼女は、無力な友人ではなかった。
「御意。この命に代えましても」
ジョウが力強く頷く。
「すぐに最速の馬車と最高の護衛を用意させる。カたの命は、お前の双肩にかかっている」
王都に差し込んだ、北からの僅かな光。それは、絶望の闇を切り裂く刃となるのか。リーンの新たな戦いが、今始まろうとしていた。
命を賭けた依頼と、三度目のニア村
今回は、カテナの病状悪化から、緊迫のラストシーンまで一気に駆け抜けました。
モディが「偶然」と退けた転生者たちの運命は、カテナの命という、最も重い形で彼らの前に立ちはだかりました。モディの「特別な知識」が、皮肉にも、彼が最も関わりたくなかった王族の命を繋ぐ最後の鍵となってしまったのです。
絶望の中にあったリーンが、親友を救うという明確な使命を得て、再びニア村を目指します。彼女の肩には、王太子妃の命と、王太子ジョウの全ての希望が託されています。
モディは、かつて自分が救った相手を、病に冒された姿で再び目にすることになります。彼は、自身の静かな生活を捨てて、王都の面倒事から逃れられない運命を受け入れるのでしょうか?それとも、頑なに拒否するのでしょうか?
次回は、ニア村への極秘移送と、モディとの再会、そして命を懸けた交渉が描かれます。
緊迫の展開に、どうぞご期待ください!
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次回もどうぞお楽しみに!




