第15章『王都の影、騎士の冬』
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王都への帰還を控えた朝、王太子ジョウは、モディを自分たちの「使命」に引き込む最後の試みに出ます。しかし、モディが選んだのは、静かな村での**「贖罪」**の道。この瞬間、四人の転生者の道は、明確に分かたれてしまいました。
その後、王都では騎士団内部の裏切りと近衛団との派閥争いが激化し、リーンの心は政治の泥濘に傷つけられます。彼女が選んだ、北の砦での静かな戦いとは?
そして、平穏な日常を取り戻したカテナの体に、あの村で口にした**「運命の一口」**の影が、静かに差し始めます。
再会後の「平和な時間」は、一体いつまで続くのでしょうか――。
それぞれの場所で戦う彼らの、新たな日々をお楽しみください。
ニア村の入り口は、朝の穏やかな光に満ちていた。しかし、そこに漂う空気は、いつもの村のそれとは異なり、静かな緊張感をはらんでいる。豪奢な装飾が施された王家の馬車と、その周囲を固める近衛兵たちの姿が、この小さな村の日常から浮き上がっていた。
出立の準備を終えた一行が、見送りのモディたちと向き合っていた。
王太子ジョウは馬車を背に、この土地の領主である少年へ向き直り、公式な感謝を述べる。
「ヌーベル子爵。この度の滞在における歓待、心より感謝する。妃も、君の村の穏やかな空気のおかげですっかり元気を取り戻したようだ」
その言葉には、儀礼的な響きだけでなく、偽らざる感謝が込められていた。隣に立つカテナも、穏やかな微笑みを浮かべて頷いている。
「お役に立てたのであれば、何よりにございます」
モディは、王太子の言葉にも表情をほとんど変えず、淡々と答えた。
ジョウは、目の前の少年領主を真っ直ぐに見据えた。
この数日間、彼が見たのは、ただの皮肉屋な少年ではなかった。領民に慕われ、土地を深く理解し、病という困難に独りで立ち向かう確固たる哲学を持つ、一人の為政者の姿だった。同じ転生者でありながら、自分とは全く異なるアプローチで「世界」と向き合うその様に、ジョウは強い感銘を覚えていた。
「ヌーベル子爵。君の持つ前世の知識と、それを実践する統治の手腕には感銘を受けた。……もし君が望むなら、王都での活躍の場を用意することもできる。私の傍で、この国のためにその力を貸してはくれないか?」
それは、王太子として、また一人の転生者として、モディを自分たちの「使命」に引き込むための、最大限の誘いだった。ジョウの真摯な眼差しがモディに注がれる。
場の空気が、張り詰めた。
馬車に乗ろうとしていたリーンも、隣のカテナも、固唾をのんでモディの答えを待った。これで四人揃う、とリーンの胸に淡い期待が灯る。
モディはジョウの真摯な申し出に、まず深々と頭を下げた。そして、ゆっくりと顔を上げる。その瞳には、微塵の揺らぎもなかった。
「もったいないお言葉ですが、私はこの土地を離れるつもりはございません。私の成すべきことは、全てこの村にございますので」
きっぱりとした、しかし穏やかな拒絶。その声には、彼の魂がこの土地に根差していることを示す、絶対的な覚悟が宿っていた。
ジョウは、モディの覚悟の固さを改めて理解した。彼は小さく息を吐くと、失望ではなく、むしろ清々しささえ感じさせる穏やかな笑みを浮かべた。
「そうか。……ならば仕方ない」
この瞬間、四人の転生者が歩む「道」が、現時点では決して交わらないことが確定した。
短い挨拶を交わし、一行は次々と馬車に乗り込んでいく。やがて車輪がゆっくりと軋み、王都へ向けて動き出した。窓からリーンとカテナが大きく手を振る。モディと、その隣に立つシムも、小さく手を挙げてそれに応えた。
遠ざかっていく馬車が見えなくなるまで、モディはその場を動かなかった。
◇
王都に帰還してから数週間が経ったが、街は未だに王太子妃誘拐事件の噂で持ちきりだった。もっとも、真相を知る者はごく僅かであり、人々の口にのぼるのは尾ひれのついた憶測ばかりであったが。
騎士団本部の小さな会議室で、リーンは重い溜息をついた。
「――以上が、現状だ。実行犯であったリム・タッカ、そして雇われた暗殺者たちは全員死亡。奴らの背後関係を追おうにも、完全に手がかりが途絶えている」
隊長となったマリンが、苦々しい表情で手元の報告書を閉じる。彼女の向かいに座るリーンと、他の数名の騎士たちの顔も険しい。
「それだけではありません」と、別の騎士が口を挟む。「問題は近衛団との軋轢です。彼らは『騎士団からリム・タッカという裏切り者を出したせいだ』の一点張りで、街道の護衛任務を全うできなかった我々の失態だと吹聴して回っています」
「ふざけるな!そもそも近衛内部にも協力者がいたではないか!」
激昂する仲間に、リーンも内心で頷く。事件の裏には、騎士団と近衛団双方の腐敗があった。それにもかかわらず、近衛団は自らの非を認めようとせず、全ての責任を騎士団に押し付けようとしている。真の黒幕を突き止めるという本来の目的は、醜い派閥争いの泥濘の中に埋もれかけていた。
「静かにしろ」マリンが場を制する。「感情的になっても意味はない。そして、本日、王太子殿下より正式なご下命があった」
全員がマリンに注目する。
「近衛・騎士団双方は、内部にまだ裏切り者がいないか徹底的に調査せよ、とのことだ」
その言葉に、部屋の空気が凍り付いた。それは協力して真実を追えという命令ではない。互いを疑い、互いの粗を探せという、不信感を煽るための命令に他ならなかった。
リーンは拳を強く握りしめる。カテナを危険に晒した黒幕は、今もどこかで高笑いしているというのに、自分たちは仲間同士で疑い合わねばならない。このやるせない憤りと無力感が、ずしりと彼女の肩にのしかかった。
◇
王都の淀んだ夏の終わりと共に、リーンは自ら北の任地を願い出た。首都の陰謀劇から遠く離れたその場所では、敵は単純で、誇りは汚されることがなかった。
季節は巡り、ニア村での出来事から半年以上が過ぎた頃、彼女は雪の舞う北部の砦にいた。
吐く息も白い夜の練兵場で、リーンは一人、愛剣の手入れをしていた。帝国との小競り合いで付着した血を、冷たい水に浸した布で丁寧に拭い去る。かじかむ指先の感覚も、頬を刺す寒風も、今の彼女には心地よかった。
(……ここには、面倒な派閥争いも、責任のなすりつけ合いもない)
敵は目の前にいて、守るべきものは背後にある。ただ、己の剣の腕と仲間を信じ、任務を遂行するだけ。その単純明快さが、王都でささくれ立った彼女の心を癒していた。
「バルガス卿、今日の斥候部隊の撃退は見事だったな。まるで赤い閃光のようだったぞ」
背後から声をかけてきたのは、歴戦の騎士であるハウシリドだった。
「当然の務めを果たしたまでです」
リーンは短く答え、再び剣に視線を落とす。
遠い王都では、ジョウは王太子として政争の只中に、カテナは妃として華やかながらも窮屈な日々の中にいるだろう。そしてモディは、あの村で領主として戦っている。
(みんな、それぞれの場所で戦っている)
自分も負けてはいられない。ここで力をつけ、いつか本当に仲間を守れる騎士になるのだ。リーンは静かに誓いを立て、澄み切った冬の夜空を見上げた。
◇
北の砦に雪解けの報が届く頃、王都は再び春の喜びに満ちていた。
リーンの武勲は王都にも届き、ジョウは難しい法案を一つまとめ上げ、政治家としての評価を高めていた。
そして、カテナは王太子妃としての役目にもすっかり慣れ、ジョウとも良好な友人、そして公的なパートナーとしての関係を築き、充実しつつも平穏な日々を送っていた。
その日、うららかな陽光が降り注ぐ庭園で、親しい友人である貴族令嬢たちを招いた茶会が開かれていた。
「まあカテナ様、春の陽射しに負けないくらいお美しいですわ」
「ふふ、ありがとう。あなたこそ、新しいドレスがとても素敵よ」
穏やかな談笑が続く。カテナは差し出された焼き菓子に手を伸ばそうとした、その時だった。
ふと、腹部に微かな、しかし一度も経験したことのない奇妙な違和感を覚えたのだ。
(……なんですの、今の……?)
痛みとは違う。体の芯を、冷たい指で不意に撫でられたような、異質な感覚。
カテナは一瞬、無意識に顔をしかめるが、その違和感はすぐに波が引くように消え去った。
(……何か、変なものでも食べたかしら)
心当たりはない。小さく首を傾げるが、体の不調はそれ以上続かなかった。きっと気のせいだろうと、彼女は自身を納得させた。
そして、何事もなかったかのように優雅な微笑みを取り戻すと、再び友人たちとの会話の輪に戻っていった。
春の陽気の中、誰もが幸福な未来を信じて疑わなかった。
カテナの体に、あの村で口にした「運命の一口」がもたらした影が、静かに差し始めていることを、まだ誰も知らなかった。
それぞれの戦場と、運命の始まり
モディは王太子の真摯な誘いをきっぱりと拒絶し、このエピソードで四人の転生者の「道が交わらない」ことが決定づけられました。モディの固い決意は、彼の「贖罪」というテーマの重さを感じさせますね。
一方、王都の派閥争いに嫌気がさしたリーンは、自分自身の力を磨くため、北の厳しい戦場へ。ジョウとカテナは、公的なパートナーとして成熟し、一見、全てが順調に進んでいるように見えました。
しかし、物語の終盤。うららかな春の茶会でカテナを襲った、あの奇妙な違和感。
これは、前回のエピソードでマーサから貰った「リンゴ」の伏線が動き出したサインです。平穏な日常の裏側で、モディが遠ざけたはずの「運命」が、一番大切な王太子妃に静かに牙を剥き始めてしまいました。
これがどんな悲劇の始まりとなるのか。そして、再びモディの「特別な知識」が必要となる日は来るのでしょうか?
面白かった、続きが気になると思っていただけたら、ぜひ評価や感想で教えてください!皆様からのリアクションが、次の執筆の大きな力になります。
次回、物語は急展開を迎えます。どうぞお楽しみに!




