第1章:東京バナナと突然の暗転
異世界に転生したら、あなたは何を望むだろうか。
圧倒的な力?
国をも動かす現代知識?
それとも、物語の主人公のような、胸の躍る冒険?
かつての私も、そうだった。
平凡な女子中学生だった私は、ある日突然命を失い、剣と魔法の世界に伯爵令嬢として生まれ変わった。
当然、期待した。
選ばれた自分には、何か特別な力が与えられているはずだ、と。
けれど、現実は甘くなかった。
私に与えられた才能は、ごく平凡なもの。
チート能力なんて、どこにもなかった。
そして――私が夢だった「騎士」になるために、世界から突きつけられた条件は、ただ一つ。
「結婚して、跡継ぎを産め」
これは、最強の力ではなく、最強の覚悟を胸に運命を切り拓いた、一人の女の物語。
――これは、二児の母になってから王国騎士になった、私の物語だ。
「ねえ瑞樹、やっぱり東京バナナでいいかな? 定番だけど、外さないよね?」
「なんでもいいから早くして! もうすぐ集合時間だよ!」
親友である佐藤瑞樹の怒声が、人の波をかき分けて私の耳に届く。私たちは今、修学旅行の帰り、解散場所である東京駅の地下街にいた。改札に向かう人の流れに逆らうように土産物屋の前に陣取って、私は腕を組んでうんうんと唸っている。
「だって、ギリギリに買えば荷物にならないし、自分で食べちゃう心配もないでしょ?」
「そういう問題じゃないの! なんで解散直前にのんきにお土産なんて見てるわけ!?」
瑞樹の言うことはもっともだ。でも、こういうのは勢いが大事なのだ。
きらびやかなお菓子の箱が並ぶ中、私の目はやはり、黄色いパッケージのそれに吸い寄せられる。
「うーん、でも限定の味も捨てがたいなあ…」
「京子!」
瑞樹が本気で怒り始めた、その時だった。
「田中さん、佐藤さん。先生が早く集合場所に来いって、めちゃくちゃ怒ってるよ」
クラスメイトの鈴木君が、人混みをかき分けて探しに来てくれた。真面目な彼にこんな役目をさせてしまうなんて、ちょっと申し訳ない。
「ごめん鈴木君! ほら京子、もう定番のやつでいいから早くレジ行って!」
「はいはい、わかったってば」
瑞樹に背中を押され、私は慌てて「東京バナナ8個入り」を手に取り、レジの列へと走った。
ほんの数人しか並んでいなかったのは幸いだった。自分の番を待つ間、何気なく隣の売り場に目を向ける。そこには、くたびれたスーツを着た中年くらいのサラリーマンが、私と同じようにお菓子の箱をぼんやりと眺めていた。
(あのおじさんも、誰かにお土産なのかな)
そんな、一秒後には忘れてしまうようなことを考えた。
「お次でお待ちのお客様、どうぞー」
会計はすぐに終わった。店員さんの笑顔に見送られ、黄色いお土産袋を手に、私は友人たちの方へくるりと振り向いた。
さあ、これで完璧だ。あとは集合場所に行くだけ。
「お待たせー!」
達成感と安堵の笑みを浮かべて、私は彼らに向かって一歩、足を踏み出した。
その、瞬間だった。
音はなかった。
何の予兆もなかった。
ただ、世界から「色」と「音」が突然消え失せた。
「え?」
目の前に広がったのは、完全な暗闇。さっきまでの駅の喧騒、友人たちの声、店の照明、その全てが嘘だったかのように、完璧な無に帰した。
耳の奥で、キーン、とガラスを引っ掻くような金属音が鳴り響く。
次いで、感じたことのない感覚が私を襲った。
全身を内側から万力で締め付けられるような、痛いという言葉では表現できない、理解不能な圧迫感。
(痛い? なに? これ、なに?)
思考がまとまらない。パニックになることさえできない。
薄れゆく意識の中、目の前にいるはずの瑞樹と鈴木君の顔が、まるで水面の絵のようにぐにゃりと歪んでいくのが見えた。
助けを求めようと手を伸ばすが、指先は何も掴めずに虚しく空を切る。
友人の名前を呼ぼうとした口から、声は出なかった。
最後に頭に浮かんだのは、たった一つの、子供のような疑問だった。
(なんで?)
その思考を最後に、私の意識は、深い、深い沈黙と暗闇に――落ちていった。
目覚めれば伯爵令嬢
意識が、ゆっくりと浮上してくる。
最後に感じた、全身を押し潰すような痛みも、耳鳴りも、今はもうない。ただ、天国みたいに柔らかなシーツの感触と、鼻をくすぐる甘い花の香りが、私を優しく包んでいた。
(…どこ? 病院…?)
修学旅行帰りだったはず。そうだ、東京駅で……。
そこまで思い出して、私はゆっくりと目を開けた。
最初に視界に入ったのは、見たこともない豪華な彫刻が施された、高い天井。そして、私の上を覆う柔らかな絹の天蓋。
病院じゃない。じゃあ、ここはどこ?
身体を起こそうとして、私は二度目の違和感に襲われた。
身体が、妙に軽い。手足が、自分の思った通りに動かない。まるで、借り物の手足を動かしているみたいに、ぎこちない。
自分の手に目をやって、私は息を呑んだ。
そこにあるのは、14歳の私の、日焼けした骨ばった手じゃない。雪のように白くて、小さくて、ふっくらとした…まるで幼児のような手だった。
何が起きているのか分からなくて、私は巨大なベッドから転がるように抜け出した。足元に広がるのは、ふかふかの絨毯。部屋の隅には、ベルベットのカーテンがかかった大きな窓。そのどれもが、私の知っている日本の風景とはかけ離れていた。
そして、見つけてしまった。部屋の隅に置かれた、金縁の大きな姿見を。
恐る恐る、一歩、また一歩と近づく。
鏡に映っていたのは、もちろん、14年間の私の人生を共にしてきた、田中京子の顔ではなかった。
そこにいたのは、全く見知らぬ、金髪碧眼の美少女だった。
人形みたいに整った顔立ち。輝くような金色の髪に、吸い込まれそうなほど青い瞳。年は、8歳くらいだろうか。
混乱したまま、私は自分の頬に触れる。鏡の中の少女も、全く同じ動きで、その小さな手を自分の頬に当てた。
これが、「私」…?
その時だった。コンコン、と控えめなノックの音がして、重厚な扉が静かに開いた。
入ってきたのは、長いスカートに白いエプロンをつけた、メイドさんのような格好の若い女性だった。
「おや、リーンお嬢様。もうお目覚めでしたか。本日も良いお天気ですよ」
「リーン、お嬢様…?」
その言葉が、私の頭の中で何度も反響する。
『リーンお嬢様』という呼びかけ。目の前の、中世ヨーロッパみたいな光景。そして、東京駅での、あの最後の記憶。
バラバラだったパズルのピースが、私の頭の中で一つの、信じがたい形に組み上がっていく。
(…うそでしょ。これって、ラノベでよくある…『転生』ってやつ?)
侍女さんが私の着替えの準備をするのを、私はただぼんやりと眺めていた。
(あの時、私は死んだんだ。それで、知らない女の子に生まれ変わった…)
前世で読み漁った物語の知識があったからだろうか。私はこの超常現象を、意外なほど冷静に受け入れていた。
悲しみや恐怖よりも先に、新しい好奇心がむくむくと湧き上がってくる。
(なんで私が? 神様がお詫びでもしてくれたのかな? それとも何か、この世界を救うとか、そういう使命が?)
そして、私の思考は、最も胸が躍る可能性に行き着いた。
(そうだ、転生と言えば……転生特典! 私にも何か、すごい力が与えられてるはずだ!)
私の表情が、絶望から一転して、期待と興奮に輝き始めるのが自分でも分かった。
侍女さんが部屋から出て行った後、私はさっそく一人で「能力」を探し始めた。
手のひらから炎を出そうとしてみたり、「ステータスオープン!」と強く念じてみたり。
……何も起こらない。
でも、私は落ち込まなかった。むしろ、ニヤリと口角が上がる。
(なるほど、すぐ使えるタイプじゃないのね。これはきっと、修行すればいずれ覚醒する『天才型』か、あるいは誰も思いつかないような知識で無双する『内政チート型』かも!)
どちらにしても、私の未来は輝かしいものに違いない。
私はもう一度、鏡の前に立った。鏡の中の金髪碧眼の少女が、私を見つめ返している。
「私の名前はリーン・バルガス、8歳。…そして、唐突に前世を思い出した転生者だ」
私は鏡の中の新しい自分に向かって、悪戯っぽく微笑みかけた。
「よし、決めた! まずは『自分探し』から始めなくっちゃね!」
ここまで読んでいただき、ありがとうございます。
作者の……ではなく、主人公のリーン・バルガスです。(まあ、中身は田中京子ですが)
いやー、びっくりしました。まさか自分がラノベの主人公になっちゃうなんて。
豪華な天蓋付きベッドに、可愛いメイドさん、そして鏡に映る金髪碧眼の美少女! うん、悪くない。むしろ、かなり良いスタートなんじゃないでしょうか?
皆さんもお約束の展開に、ニヤニヤしてくれたんじゃないかと思います。
さて、転生したからには、もちろん「アレ」がないと始まりませんよね?
そう、**チート能力**です!
全属性魔法? 鑑定スキル? アイテムボックス?
一体どんなすごい力が私に眠っているのか…。考えただけでもワクワクが止まりません!
というわけで、次章からはいよいよ本格的に「自分探し(チート探し)」を開始します。
果たして私はどんな最強能力を手に入れるのか?
ぜひ、次の話も読んで、私の活躍(予定)を見届けてくださいね!
ブックマークや評価をいただけると、私のチート探しが少しだけ楽になるかもしれません(笑)




