レインドロップ
雨粒が、静かに窓を打つ。
窓越しに伝わる冷たい空気が、鼻を通り抜けていく。
肩には、駆がかけてくれた
タオル地のブランケットの感触が触れる。
もう何時間、ここにいるだろう。
窓際にもたれかかったまま、私はただぼんやりと、
窓を伝う雨粒を眺めている。
祖母が亡くなって1週間。
直後はお通夜や手続きでバタバタしてたけど、
所詮孫の立場でしかない私には、そこまでやらなければならないことはなく。2日間の特別休暇が明けてからは普段通りに働いていたけれど、ある時ぷつんと糸が切れ、1日だけ有休を取ったのだ。
「…ホットミルク、いる?」
「大丈夫」
リビングでリモートワークをしていた駆が声をかける。
私はぼんやりと窓の外を眺めたまま返事をする。
つい最近まではいつも通り、元気な祖母だった。
趣味の庭園も続けていたし、認知症の姉の見舞いに
近所の老人ホームにも訪れたりしていた。
だが10年前から治療を続けていた病は確実に祖母の体を蝕み、救急車で病院に運ばれてからはあっという間だった。
「…」
甘いミルクの香りが、鼻をくすぐる。
その香りの優しさとは裏腹に、
心の中には冷たい風が吹き抜けている。
就職してからは忙しく、あまり会いに行けていなかった。
老人ホームを訪れるついでに、私の実家に寄っていったのが祖母の元気な姿を見た最後だった。
雨は、変わらず降り続ける。
ため息が、窓の表面を白く曇らせる。
白くぼやけた視界に、
あの日の病室の白く無機質な光景が脳裏をよぎる。
「…飴、食べるけど、有希も食べない?」
「…」
「昨日から何も食べてないでしょ」
駆が私のそばにそっとしゃがみこむ。
そして、目の前にハッカ飴の袋を差し出す。
私が好きな味だと知っていて、買ってきてくれたのだろう。
「…ありがとう」
乳白色の飴をひとつつまみ、そっと口に入れる。
口の中に広がる涼やかな風味と共に、
あの日の思い出が蘇った。
小学生の頃の夏休み。
友達に仲間はずれにされたのが悲しくて、
祖母の家の縁側で泣いていたこと。
夕陽に照らされた縁側で泣いていると、祖母がそっと、
缶に入った飴を差し出してくれたこと。
「どれが食べたい?」
私は祖母の手のひらから、迷わずハッカ味を選ぶ。
「有希ちゃんは相変わらずハッカが好きだねぇ」
そう言って笑いながら、
隣で私の選ばなかったオレンジ味を頬張っていたこと。
「有希ちゃんは、きっと皆より少しだけ
大人なんだと思う。
そのうち皆も大人になっていくから、大丈夫」
そう言ってしわしわの、でも大きくて温かな手で、
私の頭を撫でてくれたこと。
そんな大きく思えた祖母の手もいつしか皺が深くなり、
頼もしく見えた背中も、いつしか私より小さくなっていった。
あの日の夕暮れの縁側の光景が、瞼の裏で遠ざかっていく。
「…っ……」
いつまでも、そばにいてくれると思ってた。
薄々、その時が近いことはわかってはいたけれど、
せめて駆との結婚式までは、
生きていてくれると思っていた。
ハッカの涼しげな甘さに、
しょっぱい涙の味が混じっていく。
「…ダメだよね、早く立ち直らないと」
「そんなことないよ、泣きたいだけ泣けばいい」
駆の大きな手のひらが、私の背中をそっと撫でる。
その温もりがあの日の祖母の手の温もりと重なり、
私は思わず嗚咽を漏らした。
「…大丈夫。」
駆の低く、優しい声が耳元で響く。
駆の言葉に、あの日祖母がかけてくれた言葉が
優しく頭の中で反響する。
私はそっと、駆の肩におでこを預けた。
言葉はあめ玉のように、すっと立ち現れては消えていく。
でもその優しさは、甘さは、記憶に残り続ける。
私の手に、駆の手が重ねられる。
私は駆の手を、そっと握り返す。
掌越しの仄かな温もりが、冷え切った私の心を
そっと温かく溶かしてくれた。
窓を伝う雨粒は、燃え尽きる流星のように、
すっと流れ落ちては窓のふちに消えていく。
でも、あの時貰ったぬくもりは、
今ここにある優しさは、
きっとそう簡単に流されやしない。
涙が頬を伝いながらも、
私はまだ、立ち上がれる気がしていた。
このお話の最後の一節は、TOMOOさんの「あめ玉」という曲を聴いて感じたことをもとに書きました。
言葉はその場限りで消えていくものでも、その時励まされた記憶は、あるいは事実は、たしかに残り続ける。
そんな言葉の持つぬくもりを描きたくて、このお話を書きました。
TOMOOさんの「あめ玉」は、YouTubeで聴けますので、もし興味があれば聴いてみてください。