神域
翌朝。
陽がのぼりきらぬ早い時間に、俺はあることを試そうとしていた。
誰もいない宿屋のベッドの上で、静かに意識を集中させる。
そして一呼吸おいて、ある力を発動させた。
神力──。
その瞬間、空間がひずみ、俺の意識は別の場所へと飛ばされる。
この空間には、見覚えがある。
いや、「見覚えがある」と言うのは正しくない。
この空間では、何も“見えない”。
何も“感じない”。
そう──俺は、あの“何もない場所”に再び、戻ってきた。
《やあ。思ったより早かったね。君は優秀だな》
軽い調子の、飄々としたこどものような声。
俺がこの力を使って望んだこと──それは、“創造主”との再対話。
創造した世界の“外側”と呼ぶべき領域で、それが可能かどうかは不明だった。
けれど、今こうして話せていることからして、どうやらうまくいったようだ。
《さて。こんなところまできてどうしたのかな?
僕が恋しくなった?》
その言葉に、俺は“存在しない歯”を食いしばる。
もし今、仮に身体があったら、殴りかかってしまいそうだった。
「なぜ……なぜ、あんなことをしたんだ?」
俺は、怒りとも焦りともつかぬ感情をぶつける。
創造主はわざとらしく考えるように、大きく唸って見せると、
思いついたかのように言った。
《ああ、あの魔物のことか。どうだい?
サプライズで面白かっただろう?》
その瞬間──俺の中で、何かが切れた。
現世にいた頃。
こんなにも感情を荒げたことはなかった。
それほどまでに、俺の感情は大きく動いていた。
「ふざけるな!
お前のやったことで……何人死んだと思っているんだ!」
感情を爆発させる。
まるで、子供のように。
俺は怒りに任せて、思いつく限りの罵詈雑言を浴びせ続ける。
創造主はそれを黙って受け止めていた。
何も言わず。
遮らず。
ただ、聞いていた。
ただ、ひたすらにその言葉を受け続けていた。
そしてようやく──俺の感情が少し落ち着いた頃。
彼は口を開いた。
《......ふむ。確かに君に相談せず、勝手にやったのは悪かった。
謝るよ、ごめん》
……ただ、その一言。
それだけだった。
再び感情の火がつきそうになった俺を制するように、彼は続ける。
《でも、君にも分かっているだろう?
そもそも、“魔物”なんて設定を作ったのは、僕じゃなくて君だ》
《この設定を作った時点で、世界のどこかで犠牲が出ることは──
分かっていたはずじゃないかな?》
《それとも──君の考えた魔物は、
ただ、世界の住民に蹂躙されるだけで、誰にも危害を与えない存在だったの?》
……言いかけた言葉が、喉に詰まる。
反論が......できない。
そんな俺の迷いを見透かすように、創造主はさらに語りかける。
《そんなに人が死ぬのが嫌なら、魔物なんて作らなければよかったのに。
それこそ、『恋愛もの』とか『ほのぼの日常系』の世界にしておけば──
君の望む平和な世界はいくらでも作れたはずだよ》
言葉が出ない。
何も……言い返せない。
その通りだと──
どこかで納得してしまっている自分がいた。
《うーん、どうしても嫌なら、特別に一回だけ世界を作り直してもいいよ。
もちろん、今、君が創った世界はすべて“無かったこと”になるけど》
改めて思った。
こいつは……性格が悪い。
こちらの心理的に弱いところを、的確についてくる。
まあ、“世界の創造主”なんて肩書きを名乗るなら、
それくらいできて当然か。
半ば自嘲気味に、俺はひとり笑ってしまう。
《ごめん、ごめん。少し意地悪な言い方をしたね。
君と僕で一生懸命作ったこの世界を──
急に無かったことにするなんて、出来ないよね》
《まだ、君の世界は始まったばかりだ。
本音を言えば、もっと色々な場所で、たくさんの経験をして欲しいと思っているよ》
そして、さらに創造主は続けた。
《そして、ひとつアドバイスをあげよう》
《君が創造した世界の中では、アストは神のような存在だ。
神は、自分が創ったすべての生物の生き死にまで、意識していると思う?》
《ちょっと立場は違うけど──
道端に歩いているアリの命に、人間はどこまで関心を持っているだろう?》
《それと同じだよ》
《神は、世界全体──すべての流れを見なくちゃいけない。
全部にかまっていたら、100年なんてあっという間に過ぎちゃうよ》
その言葉には、妙な説得力があった。
圧倒的な違い。
視点の隔たり。
それは──“神”と“神でない者”の差そのものだった。
《まあ、色々と偉そうに言ったけど──
僕も、君が創った世界を一緒に楽しみたいんだ》
《だから、不公平にならないように先に伝えておくね。
これからも、君の創造した通りじゃないことが起きるかもしれない。
でもそれも含めて──楽しんでほしい》
疑問を抱きながらも……
俺は、どこか彼の言葉に納得しかけていた。
その事実に、苛立ちと、奇妙な尊敬のような感情が入り混じる。
そして──創造主は何かを思い出したように、最後にこう言った。
《ああ、そうそう。思ったより君が早くここに来てしまったから──
神力に“新たなルール”を加えることにしたよ》
《まずひとつ。創造主である僕に、危害を加えることはできないこと》
《そしてもうひとつ。僕が加えた設定は、君の神力でも消せないこと》
《以上だ。じゃあ──思いっきりこの世界を楽しんでね》
そう言い残し、創造主の声は遠ざかっていく。
俺の意識は、深く──
まるで海の底のような渦の中へと、再び沈んでいった。