嵐の前の静けさ
ザエルたちと別れてから、きっちり一時間後。
再び元の場所に戻ってくると、そこにはザエルと先ほどの部下の男がすでに待っていた。
「お、時間通りだな。時間を守る女はタイプだぜ」
そう言って、ザエルはこちらに向かってウインクしてくる。
あの甘いマスクなら、たいていの女性には効くんだろう。
……だが、相手が悪い。
元男の俺には通じるはずもなく、リューシャに至っては、少し引いている。
「おかしいな〜。この前、酒場でやったときは女性陣に大ウケだったんだけどな」
「アホなことやってないで、時間が無いんだからさっさと行きますよ、お頭!」
「へいへい……じゃあ、気を取り直して。待たせたな、俺の船に案内しよう!」
ザエルの言葉に従い、俺たちは港の方へと歩を進める。
潮風が肌を撫で、遠くから波の音が聞こえてくる。
ロープの擦れる音、帆が風を受けて軋む音が、港の空気に混じっていた。
少しすると、船の停泊所が目に入り、
その中でもひと際大きな一隻――巨大な船が目に入る。
「ふっふっふ、驚いただろう。これが俺の船だ!」
目の前にあったのは、確かに巨大な船だった。
……だが、想像していた船とは違う。
これから向かう先は交易所。 普通に考えれば、商船のはずだ。
だが、目の前にあるのは――商船というより、海賊船だった。
船体には砲台がいくつも組み込まれ、甲板では武装した男たちが忙しなく動き回っている。
木材の匂いに交じって、油と鉄の重たい気配が鼻を突いた。
――どうにも、交易所に向かう船とは思えない。
そんな違和感が胸に残ったところで、ふとザエルの方に目を向けるとさっきまでの陽気さとは打って変わって、真剣な顔になっている。
「……あまり悠長にしてる時間がねぇ。とりあえず乗ってくれ。細かい話はそれからだ」
*
船が出航して、少し落ち着いてきた頃。
ザエルに促され、俺たちは船員たちに向けて軽く自己紹介を行った。
最初はローブ姿の俺たちに、皆訝しげな目を向けていたが、町での様子をザエルが話すと一様に驚きの声が上がる。
俺たちに絡んできた集団のボスは、グリフという名前らしく、 口や態度は悪いがこの町ではそれなりの実力者だったようだ。
……悪かったな、グリフ。雑魚とか言って。
そんなこともあり、俺たちは思いのほか、すんなりと受け入れられることになった。
船は波に揺れながら進んでいく。
甲板の下では、船底を叩く波の音が響き、時折、帆が風を受けて大きく鳴った。
俺は足元の不安定さに少し戸惑いながら、ザエルの後を追う。
「で、これからの航路だが……」
ザエルはチャート・テーブルの上に大きな海図を広げ、指をさす。
「今、俺たちがいるのはここだ。ここからこのルートを通って……島に向かう」
示された航路は、思いのほか複雑だった。
素人の俺からすると、まったく分からない。
単純にまっすぐ島に向かえばいいんじゃないか――そう思っていたが、どうやらそうじゃないらしい。
そんなことを考えていると、ふいに隣のリューシャから思いがけない声が上がった。
「……そちらより、このルートの方が早いのではないか?」
まさかの参戦。
リューシャから人間に声をかけるとは、かなり珍しい。
「そのルートはダメだ。ここに岩礁があり、渦が発生している」
「違う。そこではなく、こちら側で……」
しかも、適当に言っているわけではなく、的を射た指摘のようだ。
ザエルも最初は「所詮は素人の意見」と聞き流していたようだが、 だんだんと真剣な顔になっていく。
「……なるほどな。確かにそれは盲点だった。よし、じゃあ、姉ちゃんの案を採用しよう。しかし、すげぇな。うちの航海士に欲しいぐらいだ。どうだ、今なら俺がついてくるが?」
「お断りだ。絶対にいらん」
しばしの議論の結果、リューシャの案が採用されることになった。
まさか、彼女にこんな特技があったとは。 だてに百年は生きていないということか。
航路が定まり、船は順調に進みだす。
……が、現実はそんなに甘くない。
俺はこの数十分後―― この世界で初めて、“強者 vs 強者”の戦いを目にすることになる。
海魔との邂逅は、もうすぐそこまで迫っていた。




