託す思い
「おい、貴様。聞いているのか」
……先程から、何か声のようなものが聞こえる気がする。
だが、気のせいだと思って無視を決め込んでいたところ──
「おい!」
再度、鋭い声が飛ぶ。
「俺を無視するとはいい度胸だな。
ちょっとばかし背が高いからって、調子に乗りやがって」
その語気の荒さに、俺は仕方なく振り返る。
──そこには、ブタがいた。
……違う。
ブタのように丸々と太った、立派な体格の人間がいた。
俺はその姿を見た瞬間、心底後悔する。
この姿で、一番遭ってはいけない人物と──遭ってしまった。
こいつは──ひとことで言えば、“変態貴族”。
男女問わず、美しいものを偏愛し、なんなら種族の枠も軽く飛び越えてくる。
この都市の恥部を集約したような、そんな男だ。
ファンタジーと言えば、こういう“どうかしてる貴族”が定番だろう──
そんな軽いノリで面白半分に作ったキャラだった。
だが、都市に入る直前に懸念していた「災厄が俺に降りかかる」というフラグを、
まさかこんな最悪な形で回収してしまうことになるとは......。
確か名前は……。
「ノートン......」
思わず口をついて出たその名に、ノートンはさらに怒気を込めて声を荒げる。
「ノートン様だ!
俺を無視したあげく、呼び捨てとは。
これは教育せねばならんな」
そう言って、背後に控えていた二人の従者らしき人物を前に出した。
腰には、それぞれ長剣を携えている。
……さすがに都市内で抜くことはないと思うが、一応警戒しておくべきか。
「それより貴様……なかなか、美しい声だな。
女か? そのフードの下の顔によっては、わが屋敷に連れていってやらんでもないぞ」
ぬめるような舌なめずりを見せたノートンに、俺は背筋が走る寒気を覚えた。
誰だ、こんな気持ち悪いキャラ設定したやつ。
……俺か。
念のためステータスも確認したが、全く異常はなし。
逆に言えば、何かあったら即座に“削除案件”だったのに。
……それよりも、今の状況こそがマズい。
好き勝手にしてもいいなら、魔法を使えば一瞬で片付く。
だが、“穏便に終わらせる”となると話は別。
難易度が一気に跳ね上がる。
しかも俺はここに来るまでの間、街並みに夢中になりすぎていて、実の所、夕方までのリミットが迫っている。
ここで時間を取っている場合じゃない。
最悪、神力を使うしかないか──
そう決断しかけた、その時だった。
「ノートン殿が外地にいらっしゃるとは珍しい。
何かお探し物ですかな?」
声がした方を見ると、先ほどまでノアヴェルと訓練していた騎士団長──
グランツが、こちらへ歩いてきていた。
ノートンはグランツを見て、露骨に顔をしかめる。
「グランツ、貴様か……」
「お取込み中、申し訳ございません。
何やら、そちらの方と言い争いをされていたご様子でしたので……。
ここは、騎士団の駐屯地のすぐそばです。
お話は、そちらでゆっくりお伺いできますが」
口調は丁寧そのものだったが、グランツの目は笑っていない。
挑発しているのが、言葉ではなく空気そのものから伝わってきた。
「……ふん!興が冷めたわ。もうよい、帰るぞ」
ノートンはそれだけ言い放つと、二人の従者を引き連れてその場を立ち去っていく。
高級そうな馬車に乗り込むまでの足のばたつきぶりは──無様の極みだった。
その姿を遠目で眺めながら、俺はほっと息をつく。
そんな俺の様子を見て、グランツが改めてこちらへ向き直った。
「すまない、つい気になって声をかけてしまった。余計なお世話だったかな?」
彼はそう言いながら、じっと俺を見ていた。
そして、わずかに首を傾げ──再び口を開く。
「人を見る事に自信があったのだが、私の目をもってしても、そのローブの下の顔を見る事が出来ない。
相当高度な認識疎外の魔法をかけていると見た。……名のある魔法使い様なのだろう?」
俺は心の中で小さく舌を巻いた。
まさか、この魔法を見破るとは──
いや、“魔法がかかっていること”に気づくだけでも、相当鋭い。
フードが顔を隠すのではない。
意識を“フードへ向けさせる”ことで、顔が見えないという錯覚を植え付けるのだ。
認識疎外の魔法の本質は、自分が錯覚しているということに、本人すら気づかないところにある。
それを、見破るとは──さすが騎士団長。
俺が無言で驚いていると、グランツが少し真剣な顔になり、問いかけてきた。
「そんな魔法使い様が、どうしてこんな場所に?」
その目には、先ほどまでとは違う明らかに“警戒”の色が宿っていた。
騎士団長としての風格が、視線だけで伝わってくる。
さすがに、この問いには、いつまでも黙っている訳にはいかない。
「……まずは、助けていただき、ありがとうございました。
私はこの都市に本日来たばかりでして──」
「街を探索していたら道に迷ってしまい、何やら金属がぶつかり合う音が聞こえましたので……
つい音に引かれて、こちらに」
嘘は言っていない。
来訪は今日だ。
金属音に引かれてきたのも事実。
グランツは俺の答えに目を細めたあと、軽く問い返す。
「......ほう、今日が初めてですか。どうですか、この都市は?」
「非常に素晴らしい都市だと思います。
重厚感のある街並みで、キレイに整備されており──
とても安心して暮らせそうな都市だと感じました」
俺は、正直に言葉を告げた。
そんな俺の答えを聞いたグランツは......やがてニンマリと笑った。
「そう言っていただけて、とても光栄です。
都市のみなも、喜ぶでしょう」
その笑顔は、屈託がなく、温かかった。
都市を心から誇りに思っているのだろう。
「長い間、呼び止めてしまい申し訳ない。
帰りの道は、大丈夫ですか?」
「はい、問題ありません。大通りに出れば戻れると思います」
俺はそう答えた後、どうするべきか迷った。
だが──どうしても伝えておきたかった言葉を口にする。
「……すみません、差し出がましいとは思いますが、
ひとつお願いをしてもよいでしょうか?」
突然の問いに、グランツが眉を動かす。
そんな彼を俺は真っ直ぐに見つめ、こう告げた。
「彼を……ノアヴェルを、よろしくお願いします」
静かに告げたその言葉に、グランツはわずかに目を見開いた。
唐突に現れた名──偶然を装った先程までの俺の話と矛盾する、あまりにも具体な一言。
そこに疑問を持たないはずがない。
ノアヴェルを知る理由。
この場所に辿り着いた意味。
……だが、それらすべてをグランツは受け止めてくれたのか。
──何も、問われなかった。
「──ああ。任せてくれ」
そのひとことに、俺は安堵する。
名乗りもせず、素性も語らない俺の願いを──
彼はただ静かに引き受けてくれた。
俺は、深く頭を下げる。
そして、騎士の鋼と城塞の静けさが溶け合う街を──
ひとり、元の道へと引き返した。




