札束で殴り合うスポーツ
「くらえぃ!!」
鈍い音とともに、リングの上に人が倒れ、観客の熱狂の声が薄暗い地下闘技場を揺らす。
リングの上には上半身裸の男が二人。一人は恰幅のいい中年男性、もう一人、ダウンしている方はくたびれたサラリーマンといったところか。二人ともに何か中身の入った麻袋を手に持っているようである。
『ダウン! 木村選手、これは厳しいか。解説の苫米地・ピケティさん、どうでしょう?』
リングに近い場所には長机がセットされており、身なりのいい男が二人、マイクを前に座っている。どうやら非合法の格闘技の試合のようであるが、実況と解説付きとは随分と羽振りのいいものである。
「そうですね……やはりこのキャッシュ・クラッシュ・バトルにおいて『資本力』は絶対ピケ。木村選手の麻袋の中には七千万程度、対して渡辺選手の袋には一億五千万のキャッシュが今回入っていると聞くピケ。実力不足ピケ」
なんと、どうやら二人の持っている麻袋の中身は現ナマらしい。
「とどめだッ!!」
渡辺と呼ばれた太った男が麻袋を振り下ろす。しかし一億五千万といえば万札でも十五キロにも及ぶ重量。緩慢な動きを転がって避け、木村は体勢を立て直し、即座にカウンターを放った。
札束をおもりにした麻袋は渡辺のわき腹にめり込む、クリーンヒットだ。
「フン、効かねぇなぁ……」
「なに!?」
『これは厳しいですね、苫米地さん。やはり七千万円では重量が足りないか』
『重量を上げれば破壊力は増すが取り回しが困難になるピケ。しかし軽すぎるとダメージが通らないピケ。しかしそもそも木村選手にはこれ以上の札束を用意する資本力はないピケ』
このキャッシュ・クラッシュ・バトルでは札束以外での攻撃が禁止されている。そのため武器たる現ナマの金額選定が肝となるのだが、そもそも資本力の足りない選手は選択肢自体が無いのだ。
「くそ、それだけの資本力がありながら、まだ金を必要とするっていうのか」
「グェヘヘ、俺は自分の豊富な資金力とクラファンで集めた金で日本中に子ども食堂を作ってやんのさ。子供たちの笑顔のために、おとなしく養分に……」
渡辺が大きく麻袋を振りかぶる。
「なりやがれ!!」
ギリギリのところで麻袋を盾にし、木村は堪える。しかし重量十五キロの鈍器による振り下ろし。ダメージを完全には殺せない。
札束の帯封を解いて一枚ずつに分ければかさが増し、間に空気が入ることで防御には有利になる。しかし攻撃時のことを考えればやはり札束のインゴット感に勝るものはない。
いずれにしろ資本力で劣る木村が不利なのは変わらないが。
絶体絶命的状況、周りの聴衆からは「コロセ」コールが吹きあがる。
集金方法はさまざまではあるが、自分達よりも圧倒的に金を持った奴がリングの上で二人、命がけの戦いを繰り広げるのだ。負けた方は麻袋の中の金を全て奪われ、多くの場合一文無しとなり、そして時には命をも失う。
愉快愉悦、庶民にとってこれ以上の見世物はない。
いずれにしろこの戦いの終着は近そうだ。木村は度重なる直撃を受けてグロッキー状態である。
「くそ……この金を、募金で集めたこの金を奪われるわけには……娘の心臓移植のための金を」
『これは、勝負ありですかね、苫米地さん?』
『そうですピケ。やはり私の主張する通り、資本による収益率は通常の経済成長率を上回るピケ』
『それはつまり?』
『貧乏人は金持ちに何やっても勝てないピケ』
『なるほど、身も蓋もないですね』
『詳しくは私の著作“新世紀の資本”に書かれてるから買って読んでほしいピケ。あっ、読まなくてもいいから買ってほしいピケ。買ったらB〇〇k 〇ffとかに売らずに燃やして捨てて、また新しいのを買ってほしいピケ。それが私の力になるピケ』
解説席の方も盛り上がってはいるが、一方リングの上は徐々に熱が冷めていっていた。やはり十五キロの札束の入った袋、取り回しが悪く、木村にとどめを刺しあぐねているのである。
「ちっ、ちょこまかと……そろそろ諦めて降参したらどうだ? このままじゃ金を失うだけじゃなく命まで失うことになりかねないぜ、ぶへへへ」
実際、渡辺の言う通りなのだ。いずれにしろ木村の資金力では渡辺にダメージが通らない。このままどうせ負けるのなら、大怪我をしないうちに降参した方が賢いというもの。命は金に換えられない。
「いやだ」
しかし木村はこれを拒否。
「金は、命よりも尊いんだ」
観客までもがざわめきたつ。そもそも娘の命を助けるために金を集めているのではないのか。
「これは、ただの紙なんかじゃない」
木村は戦いの中で飛び出てしまったのだろう、リング上に落ちていた一枚の紙幣を握り締めた。
「これは、人と人との繋がりなんだ。これがあれば、昨日まで殺し合っていた仇同士を、交渉のテーブルにつけることが出来る。昨日まで愛し合っていた家族を、殺し合わせることもできる。見知らぬ者同士を、繋ぎとめることが出来る」
万札を、天高く掲げる。
「この『金』っていうおのは、世界で最も尊い物質であり、同時に呪いなんだ」
いつの間にやら観客たちはその言葉に酔いしれ、黙りこくっていた。静謐なるときが流れ、木村はゆっくりと立ち上がる。
「この一撃に、全てをかける」
「む……無駄なことを」
腰を深く落として捻り、体を捻転して、陰に隠すほどに深く麻袋を振りかぶる。
だができるのか。
圧倒的に重量が足りない。
つながりだなんだと人の心を動かしても、物理現象は変わらないのだ。
『これが、木村さんの娘さんですか』
中央のリング上ディスプレイに少女の写真が写される。選手情報というものか、試合の開始前にも少し流れたが、観客が十分に試合に没入するためにこういった補助情報も流されるのだ。
『可愛らしい娘さんですね』
ディスプレイには小さい頃からの写真が次々と流れる。しかし年齢が上がるにつれて病院が背景の写真が多くなり、彼女の笑顔もだんだんと力がなくなっていく。
それにつれてだんだんと声援が大きくなってきた。木村を励ます応援の声だ。がんばれと、負けるなと。ひょっとしたら観客の中にも小さい子供を持つ親がいたのかもしれない。
「くっ、いくら同情を集めたところで、袋の中の札束が増えるわけじゃない!」
機先を制したのは渡辺。やはりこれまでと同じように大きく振りかぶって麻袋を叩きつける。
しかしそれを紙一重で木村は躱し、横薙ぎに麻袋を渡辺の頭部にぶつけた。
重量にして渡辺の麻袋の約半分。カウンターだとしてもこの攻撃が通るのか。
「んむ……その体のどこに……こんな力が」
しかし通った。
奇跡が起きたのか。
渡辺は膝から崩れ落ち、そのままリングに横たわる。麻袋の中の札束がリング上に零れ出た。
『苫米地さん……これはいったい?』
『これは……投げ銭!!』
投げ銭。
木村の名演説と、娘の写真が映し出されたことにより観客の同情が彼に集まり、そしてこの試合を中継していたオンライン上の客からも同様に。結果としてすさまじい額の投げ銭が行われた。
リアルタイムでその金額は現金化され、陰に隠れていた袋へと、セコンドの協力のもと詰め込まれていたのだ。
「勝者、木村選手!!」
今までいるんだかいないんだか分からなかった、投げ銭のこともスルーしていた役立たずのレフェリーが勝者宣言をした。
「これが……『人と人との繋がり』……」
失神していた渡辺がもうろうとした意識の中、顔を上げる。
「人の想いこそが力になるんだ」