それはいつだって突然に
旧体育館はさして使われていない。狭くて使い勝手が悪いのもあるが、老朽化が進んでいることもあり、学校行事でもほとんど使われない。
運動部に入部して、尚且つ、部活動中に現体育館の陣取りに敗北した場合、使うことがある。らしい。
俺は、別に期待はしていない。
しかし、この人気のないロケーション、放課後の少し傾いた日差し、そして目の前にはそこそこ可愛い女子。
何かしらの展開を見せることを予想してしまう。
そういえば、今朝はいつもと違うこともしてみたな。こういうルーティンと外れたことをするのはフラグを立てるには十分な行動だったのかもしれない。フラグというのは、そういうふとした条件達成でTrueに設定されたりする。
ただし、ラブコメライクな展開は一切無いであろうとも考えられる。なぜなら、小華和とは、今日ほぼ初めて話したくらいの関係値だからである。
関係値がない相手から告白されるなんていうイベントは、今どきどんな媒体にも存在しえないのだ。
「で、どうしたの?」
俺のそれらに対する期待値は50%を下回っていたので、先手を打った。
「あの、その、ね、ちょっと言いづらいんだけど……」
何だこの雰囲気。もしかしたらその類のイベントは未だに、実は、存在するのかもしれない。試しにちょっと前言を撤回してみようかな。
「宇野くんって――」
ゴクリ。俺は生唾を飲み込んだ。
「――心霊スポットマニアだったりする?」
「……ん?」
心霊スポット?マニア?急に何を言い出してるんだこの小娘。
そもそも心霊スポットにマニアなんているのか?いや、今の多様性の時代、鼻から否定してはいけないか。なんか今日は時代について考えることが多いな。
そんな不毛な思考を巡らせてしまったが、それもコンマ数秒の出来事。ここは一旦切り返しておかないと。
「えっと、ごめん、話が見えないんだけど。とりあえず、心霊スポットは別に好きでも、嫌いでもないかな」
「……そっか。最近行ったりは?」
「いや、ないけど。そんな好きそうな顔に見えた?」
「うん」
見えたんか。
「いや、冗談。うーん、その……うん、あまり気にしなくてもいいかなとも思うんだけど、念の為!念の為に伝えたくて」
やけに小華和の歯切れが悪いな。
それは愛の告白だからではないことがほぼ確定しているので、とりあえず受け答えモードを『適当』に設定して、レスポンスしてみた。
「なんか心霊スポットからおばけ連れてきてそうだな〜みたいな?宇野くん、うしろー!みたいな?」
「えっ」
小華和の表情が、一瞬硬直したのが明確に分かった。
しまった、モード設定を間違えたか。
小華和がその凍った表情を一瞬で溶かし、一歩俺の方に近づいて顔を下から覗きこんできた。
「あの、もしかして、宇野くんも"見える"……の?」
「見える?何が?」
「何がって、おばけだよ!」
華奢な指が俺の顔の左横をかすめて、俺の後ろ側を指した。
俺はその指に釣られるように視線を後ろに向ける。そこには黒っぽいもやが浮かんでいた。
「あー、置いてくるの忘れてた……あっ」
しまった、余計なことを口走ってしまった。
「やっぱり!やっぱり見えてるんだね!今日朝からずーっと宇野くんに憑いてたんだよ!」
咄嗟に生身の人間の方へ向き直った。
「いやー、なんのことかさっぱり」
運良く誤魔化せないかと、白を切ってみたがもはや小華和には通用しなかった。
「いやいや絶対見てたじゃん、今。その後ろの人!なーんかその人怖い顔してるし、宇野くんお墓に行って墓石に悪さするようなやんちゃ系男子なのかな~とか、心霊スポットに行って形振り構わず落書きとかして地縛霊を怒らせてきたのかなーとか、いろいろ可能性を考えちゃったよ!」
なんだその可能性。俺、どんなイメージ持たれてるんだ。
「そんなことしないよ……。俺は至って普通の優良素行高校生だよ。」
というか、顔?顔って言ったよな?
俺にはもやにしか見えていないが、小華和には顔が見えているらしい。こいつ、もしかして俺よりも――
「あのぉ……」
「ひえっ!」
小華和は急に意図しない方から声がしたためか、反射的にのけぞった。
「あのぉ、すみません。わたし、死んだんでしょうか……?」
俺は再び後ろを振り返った。やはりもやにしか見えないが、ちゃんと声は聞こえた。
「ええ。残念ながら、あなたは死んだようです。恐らくですが、昨日だと思います」
「普通にしゃべってるじゃん。やっぱり見えてるじゃん!」
そのもやは構わず話を続けた。
「そうなんですね……さっぱり、そんな、死んだ記憶がなくて」
そう言いながらその声の主は、人とも言えない形の影のようなものから、手、上体、足と順番にはっきりとした姿へ変えていった。浮遊しているように見えたが足が地につき、その刹那、頭部がもやから現れ、完全に『人の形』となった。ちょっと時間はかかったが、魂の形が安定したようだ。
齢30くらいに見えるその人は、割と綺麗めで薄いオレンジのワンピースを着ている。その人は表情を強張らせ、俺の方を見た。
「私が昨日死んだとおっしゃいましたよね……。なぜそう思うのですか……?」
「魂の濃さ……というんですかね、大体それで分かるんです。あなたはまだその濃度が濃い。そして、朝、どこかに向かおうとしているように見えたので、きっと亡くなって間もないんだろう、と」
「そう……いうものなんですね……。それで、あの機械のようなもので私を捕まえたのですか?」
俺は鞄から例のスイッチが入ったままの機械を取り出した。
「これ、ですね?厳密に言うと捕まえたわけではないですが、正味そうなります」
「宇野くん、これは?ギターの……なんていうんだっけ?繋ぐやつみたいだけど」
小華和が割と興味津々で聞いてきたので答えることにした。
「エフェクターね」
「そう、エフェクター!宇野くん軽音部だっけ?」
「いや、縁もゆかりも無いよ。これ自体は改造してあるからギターには使えないよ」
「改造……?それはその人が言ってた、捕まえる用に、みたいな?」
「厳密には、その場に滞留する霊的な存在を強められる装置なんだ」
「へぇ、そんなことできるんだ?」
小華和はちょっと眉間に皺を寄せて、宙を仰いだ。
「霊は電気的存在だとも言われてる。霊を見える人はそういう電気信号を視覚的に見ているのではないかってね。だから、その理論に則って、この装置はその電気信号を強められるように改造してあるんだ」
ちょっとぽかーんとした顔をされたが、まあ今はこれで良い。うまく言いくるめられたということにしよう。
俺はその場のもう一人の人に向き直した。
「良ければ、お名前は?」
「萩乃、美月です」
「萩乃さん。単刀直入に申し上げます。あなたは下手すれば、悪霊となり得ます」
……え、という表情をしたのが分かった。この表情の豊かさは、死んで間もない人ならではだ。
「それはきっと、あなたも望まないことだと思います。この世に未練があると、あなたも、あなたの周りにいた人たちも不幸にしてしまいます」
「未練……ですか……?」
彼女は戸惑う様子を見せながらも、少し俯きがちになると床のある一点を見つめた。
小華和が後ろから袖を軽く掴んできたのが分かった。霊は見えるけど怖がりなのか?
「今朝、何か言いながらどこかに行こうとしていましたよね」
「そうだったんですか……。あまり、覚えていなくて……その、死ぬ直前のこととかも、覚えていないんです」
突発的な死の場合、直前の記憶が飛んでいることは多い。霊の姿が死ぬ直前の格好ではないのは、それが理由の一つだと考えられる。
「覚えていなくても、『未練がある』ことは、なんとなく直感で理解できているのではないですか?」
「……」
萩乃さんは必死に思い出そうとしているのだろうが、具体的な言葉は出てこなかった。
「俺に、手助けをさせてもらえませんか?その未練を断つ」
「え……」
後ろにいる生身の人間が、小声で耳打ちしてきた。
「ちょっと、宇野くん。あんまりおばけに話しかけたり深く関わらない方がいいよ、引っ張られるよ」
俺の身長にちょっと足りないため、彼女は背伸びをし直して続けた。
「しかも、この人がめーっちゃ悪い人だったらどうするの、うちらの手には余るよ」
俺は少しどもりかけたが、言った。
「その時は、なんとかするさ。悪い人だとしても、最後くらい手が差し伸べられるチャンスはあってもいいだろ?」
小華和は掴んでいた袖をゆっくりと離し、「しょうがないな」と言わんばかりの表情で首を縦に振った。俺は萩乃さんに向き直る。
「萩乃さん。この世界で、何かやり残したことはありませんか?」
俺は手に持っていた増幅器の電源を切る。
「一緒に探しましょう。そして、未練なく幸せに成仏しましょう」