第88話 楽しみにしておこう
「ところで月凪は恭一さんを誘うのか?」
メイド喫茶から帰宅した後のこと。
言っていた通りメイド服に着替えた月凪の接客練習に付き合い、一区切りついた辺りで尋ねてみると、やや悩まし気な面持ちで俯いた。
「……予定だけでも聞いてみようとは思っているのですが」
「踏ん切りがつかない、と」
「ええ。どうしても、切り出し方がわからなくて」
眉を下げつつ口にして、月凪がそっと隣に座った。
肩と肩が触れそうになるほど近しい距離にも慣れている。
だが、今日のそれは、いつになく甘えている風な気配を感じた。
「まともに話す機会も数えるほどでしたし、接し方がわからないのもあります。それとは別に……父親に、メイド服姿を見せるのが恥ずかしいのもありますけど」
「学園祭で色んな人に見られるのに?」
「だって、ほとんど顔を合わせてこなかった父親を学園祭に誘って、メイド服で給仕する様を見せるなんて誰でも恥ずかしいと思うのでは?」
「それはそうなんだが……メイド服を着たまま言われても、って感じだ」
「珀琥はほら、慣れました」
「嫌な慣れ過ぎるだろ」
なんで人の部屋でメイド服を着て過ごすのに慣れてるんだ。
一応、両手で数えて足りる程度の回数しか見ていないはずなんだけど。
「同居生活に比べたらメイド服で過ごすのはわけないです」
「まあ、そうだな?」
「あと、珀琥には大体全部見られていますし」
「認めにくいことを言うんじゃありません」
事実だとしても俺の心情的には頷きにくい。
健全な男子高校生としては忘れられない記憶になってしまっている訳で。
常日頃から密着度合がそれ以上かもしれない、という思いはあるが。
抱きかかえるような体勢は……何かと落ち着くのもあるかもしれない。
俺も月凪も、人との触れ合いに飢えている節はある。
こんな距離感で接してくれる人なんて俺は家族以外にいなかったし、月凪は言わずもがな。
その反動と思えば拒絶する気にもなれない。
「……恭一さんは誘ったら喜んできそうなものだけどな」
これまで関りが薄かったのは意図的なもの。
再婚した妻が月凪に強く当たっていたことを知り、距離を置かせるため仕方なく講じた策の一つ。
そう考えると恭一さんを学園祭に誘い、何らかの形で月凪の母親にまで話が届いてしまった際のリスクはあるわけだが……それでも恭一さんが断ることはまずないだろうと俺は思う。
「そう、ですかね」
「だと思うぞ」
月凪の確認に、俺も端的に答える。
すると、悩ましげに唸りつつ、俺の肩に寄りかかった。
かかる重さはさほどではなく、さらりと流れた長髪が幕を作る。
全幅の信頼を寄せているとわかる仕草に、何も感じないわけではない。
ただ、どこまで踏み込んでいいのかの確証がなくて、足踏みしてしまう。
もう少し踏み込んでもいいのだろう、とは思うけれど。
そもそも、踏み込み方すらわからないわけで。
「――電話、してみましょう」
絞り出すように月凪が言って、おもむろにスマホを取り出した。
当然ながら月凪にも連絡先は登録されている。
幾らかかわりが薄かったとはいえ、事務的な連絡は必要だった。
けれど、月凪の表情はやや硬い。
滲んでいるのは嫌悪ではなく、緊張か。
月凪も恭一さんが敵ではないとわかっているはずだから。
「珀琥、お願いがあります」
「なんなりと」
「電話が終わるまで手を握っていてください。まだ、上手く話せる自信がないので」
「了解だ」
断わる理由もなく頷くと、ほっとした風に胸を撫でた。
そして、そっと俺の手を月凪が握る。
普通に手を繋ぐだけかと思いきや、自然と指を絡めてきた。
少し驚いたものの、細い指は離さない。
これくらいで緊張が和らぐなら安いものだ。
息を落ち着かせ、遂に月凪が電話を掛ける。
俺にも聞かせるためかスピーカーだ。
コールの音が二度、三度と響き――
「もしもし、お父様」
『……月凪が連絡してくるとは珍しいな。どうした?』
落ち着いた恭一さんの声が聞こえてくる。
平坦で冷たく聞こえるが、これが恭一さんの普通なのだろう。
「ええと……その」
『……私が言えた話ではないと思うが、一つずつ落ち着いて話せばいい」
恭一さんの気遣う言葉に月凪が無言で頷き、一呼吸置く。
「……お父様。来週の学園祭に、よかったら来ていただけないでしょうか」
月凪も簡潔な言葉で用件を伝え、恭一さんの返答を待つ。
いつになく緊張しているのが表情と声音から伝わってくる。
こんなお願いをしたのは初めてだろうから。
恭一さんは『ふむ』と一言答え、それっきり黙り込む。
恐らく予定を確認しているのだろう。
日頃から仕事で忙しくしている身だ。
どう転ぶのかと俺にまで緊張が波及してくる。
待つこと数十秒ほどで、向こうから咳払いが聞こえ。
『少し様子を見るくらいは出来そうだ』
「……っ!」
色よい返事に月凪の表情が綻ぶ。
忙しくて断られるのも想定の内だっただけに、これは嬉しい。
「ありがとうございます、お父様」
『礼を言われるようなことではない。学園祭というからには、何か出し物をするんだろう?』
言外に何をするんだ? と尋ねられているのを察した俺と月凪は顔を見合わせ、気まずさを共有してから、
「実は、メイド・執事喫茶をすることになりまして――」
『…………なるほど。楽しみにしておこう』
回答に窮したであろう心情が読み取れる間を挟んで届けられた言葉に、二人揃って苦笑をするしかなかった。
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